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5:常夜野高校 ―2002年6月6日 19時20分―

 明かりと食料を確保した僕達は、いつの間にか激しさを増した雨と、夜の冷え切った空気から逃げるように、校舎内に陣取った。ベッドのある保健室を女性三人に使ってもらって、僕達若手男性三人――と言っても、もう三人とも三十路だが――はソファーのある職員室で過ごすことにした。最初は三谷先生も誘ったのだが、彼は過ごし慣れた校長室に居ると言っていた。確かに彼にしてみれば、通い慣れた職場で、校長室は自分の部屋だ。とはいえ、勝手知ったる部屋だろうが、夜の学校で一人過ごす度胸は凄い。ひょっとしたらあの手紙のことがあって、僕達全員を警戒しているのかもしれない。土砂崩れがあった後、彼の表情はずっと緊張で強張っているように見えた。


 と言う訳で、懐中電灯で照らした職員室の応接セットで、僕、堀さん、池中さんの三人が、非常食料と水の入ったペットボトルを並べていた。村人達の避難場所だったということもあって、水も食料も豊富にある。日頃食べ慣れていない物ばかりで、いざ食べようという時にはテンションが上がってしまい、三人でペットボトルを掲げて「かんぱーい!」なんて声を上げたりもした。

 最近の缶詰は缶切りが不要なタイプが多く、手軽に開けられて助かる。パンが入っているという缶を開けて、中からパンを取りだしては、口に運ぶ。物珍しさでテンションは上がったものの、味はそれなりだ。非常食なのだから、こんなものだろう。

 昂ぶった気持ちが落ち着いていくのを感じながら、次の缶詰に手を伸ばす。いや、そもそもこの状況でハイテンションになる方がおかしいのだ。キャンプじゃ無いんだから。そう自分に言い聞かせ、サンマの入った缶詰を開けようとして、ふと気が付いた。


「あ。これ、手づかみで食べなきゃいけないんですかね」

「そういえば、箸もフォークも無いな」


 僕の言葉に、同じようにパンをつまんでいた堀さんが呟いた。彼も期待していたような味では無かったのか、乾杯をした時よりも明らかにテンションが落ちている。


「三階に調理室があるから、そこなら何か見付かるんじゃないかな?」

「調理室か。割り箸くらいは置いてあるかもしれねぇな」


 池中さんの言葉に堀さんも僕も頷き、三人で立ち上がる。なお、小太りな池中さんはパサついた缶入りパンでもご満悦な様子だ。僕と堀さんよりも多くの缶詰を並べて、片っ端から食べる気満々の様子。


「んじゃ、取ってくるかぁ」

「女性陣にも声をかけた方がいいでしょうか」

「ああ、そうだな。向こうだって、箸くらい欲しいだろうし」


 廊下に出た僕達は、まずは女性陣の居る保健室に向かうことにした。濃い闇が漂う廊下を、懐中電灯で照らし出す。窓を叩き付けるような雨音が響く中、僕達はぺたり、ぺたりと小さな足音を立てて歩いた。


「そういえば、学校の中って内履きに履き替えた方が良かったんでしょうか」


 僕の疑問に、堀さんが声を上げて笑った。


「はは、神尾さんは几帳面だなぁ」

「笑わないでくださいよ」


 僕がむすっとした声で答えると、悪い悪いと堀さんが背中を叩く。


「もう使われていない学校で、内履きがどうとか気にするなんて、きっと神尾さんくらいだぜ」

「そうかなぁ」

「でも、なんだか新鮮な感じがするよね。学校で外履きのままって」

「お前まで外履きって言ってんじゃねぇか」


 池中さんの言葉に、堀さんが突っ込む。この二人のやりとりを聞いていると、今日初めて会ったとは思えないな。堀さんの方が二つも年下というのも、意外な感じだ。




「おーい」


 保健室前で、堀さんが扉を叩く。しばらくして、小さく開いた隙間から、菜摘さんが顔を覗かせた。


「なに?」

「俺達三階の調理室に行って、割り箸か何か探して来ようと思ってんだ。あんた達も要るか?」

「割り箸?」

「缶詰を食べるのに、有った方が便利かなって」


 問い返す菜摘さんに、僕が説明する。


「確かにそうねぇ。じゃ、私達も取ってきましょ」

「菜摘、行ってきて」


 菜摘さんが頷くと、奥から舞子さんの声が聞こえてきた。


「えー、仕方ないなぁ。一人じゃないから、別にいいけどさぁ」


 開いた隙間から奥を覗き込めば、保健室の椅子に座った舞子さんと、ベッドの一つに腰を下ろした成美さんの姿があった。成美さんは、寒そうに毛布を被っている。

 菜摘さんは不満そうにしていたが、確かにあの状態の成美さんに校舎内を歩かせるのも、彼女を一人残して皆で行くのも、どちらも忍びない。


「んじゃ、行くか」


 堀さんの言葉に頷き、菜摘さんが保健室を出る。


「行ってらっしゃい」


 そう言いながら、舞子さんもなぜか保健室から出てきた。


「舞子、ここに残っているんじゃなかったの?」

「私はお手洗いに行くの」


 なるほどと頷いたところで、はたと気付いた。そうだ、ここは廃校なのだ。


「水……出るんでしょうか」

「え……」


 僕の言葉に、舞子さんと菜摘さんが顔を見合わせた。水の流れない水洗トイレほど、たちの悪い物は無い。


「何よそれ、トイレも使えないって言うの?」

「倉庫の中に簡易トイレみたいなのは……有ったかしら」


 女性陣が不安がるのは当然だ。男の僕だって、トイレが流せないのでは流石に困ってしまう。


「屋上にでかい貯水タンクが有ったはずだから、水道が止められた後も、そん中に貯められた分くらいは使えるはずだぜ」


 堀さんの言葉に、女性二人だけでなく、僕と池中さんもほっと胸を撫で下ろした。


「あまり水を使い過ぎると、使えなくなるってことね。気を付けないと」

「そんなこと言われても、トイレなんて我慢出来るような物も無いし……」

「飲み水は当然として、手を洗う水も、ペットボトルの水を使うことにしましょう。タンクの中の水は、どれだけ清潔かが分からないから」


 菜摘さんの言葉に皆で頷き、それぞれに歩き出す。舞子さんは懐中電灯を片手に、単身女子トイレへと向かった。勝手知ったる母校とはいえ、女性が一人で暗い校内を出歩けるのだから、凄い度胸だ。ひょっとしたら、この中で僕が一番臆病なのかもしれない。




 菜摘さんを入れて四人になった僕達は、暗い階段を懐中電灯で足下を照らしながら上がり、三階の調理室を目指した。


「調理室なんて入ったこと無ぇよ」

「男子生徒は、そうでしょうねぇ」


 堀さんの言葉に、菜摘さんが笑う。


「やっぱり、調理実習の授業なんかは有ったんですか?」

「一部の生徒だけね。家庭科の授業は、選択科目だったから。家庭科を選択せずに、音楽や美術を選択している生徒も多かったわ。まぁ、私は家庭科だったけど」


 僕の問いに、菜摘さんが軽やかに答える。


「だって、楽しいじゃない。学校でお菓子や手料理が食べられるんだもの」

「それを聞くと、とても楽しそうですけど。男子には肩身が狭そうです」

「そうよねぇ。男の子なんて、ほとんど居なかったわ」


 自然と菜摘さんを先頭にして、調理室への道を歩く。三階の特殊教室棟に辿り着けば、菜摘さんは迷うことなく調理室と書かれた扉の前へと向かった。


「わぁ、懐かしい」


 調理室の扉を開くと、他の教室とは異なる机が並んでいた。真ん中に流し台が付いた机で、板をスライドさせることで、流し台の上でも作業が出来るようになっている。


「箸とかそういうのはどこにあるんだ」

「だいたい、必要な物はここの棚に入れてあると思うのよね」


 そう言って菜摘さんが調理室の後ろに並んだ棚の一つを開けて、その中を懐中電灯で照らし出す。


「んー、こっちには箸は無いみたい。そっちの棚も探してみて」

「はい」


 菜摘さんに言われて、僕は彼女が探している棚の隣の棚を調べることにした。開けた瞬間に少し埃が舞ったものの、棚の中の荷物は綺麗に整理されている。


「ん?」


 ふと、白いビニール袋が目に留まった。ガサゴソと開けば、その中には袋に入った割り箸と、ビニールで包まれた紙皿、使い捨てのプラスチックのコップが入っている。


「あ、有りました! 割り箸だけじゃなく、紙皿とコップもあります」

「よし、でかした」


 僕の報告に、堀さんは満足げに頷く。


「あった? 良かった」


 菜摘さんも棚から顔を覗かせ、表情を綻ばせた。


「お皿もあるなら、ゆっくり食べられるね」


 池中さんが一番嬉しそうにしている。


「皿なんて使わなくても、普通に食ってそうだがな」

「お皿があれば、皆が食べているのを少し貰ったり出来るじゃないかぁ」

「そんなのはお前くらいだよ」


 堀さんの池中さんに対する言葉は、だんだんと遠慮が無くなっている気がする。


「貴方達、こんな時によくもそんなに暢気にしていられるわね」


 呆れたように呟く菜摘さんだが、その表情は柔らかかった。




 割り箸を無事に探し終えて、紙皿とコップというおまけまで入手した僕達は、ほくほく顔で一階に降りて来た。保健室に戻る菜摘さんと別れて、職員室に戻る。


「あ、二人とも先に入っていてください」


 僕は一人職員室には入らず、その隣にある校長室の扉を叩いた。


「三谷先生ー、割り箸要りますかー?」


 我ながら気の抜けた声だとは思う。でも、それ以外に言ってみようも無い。数度校長室の扉を叩いたが、しばらくの間、沈黙が流れた。もう眠ってしまったのだろうかと職員室に戻ろうとしたところで、ようやく扉が開いた。


「どうしたんだね、いったい」


 細く開いた扉の隙間から、三谷先生が顔だけを覗かせてこちらを見た。そのぎょろりとした瞳には不気味な光が宿り、まるで某有名ホラー映画のポスターみたいだと、思わず一歩後ずさる。


「あ、あの、調理室から割り箸と紙皿を持ってきたんです。缶詰を食べるのに、必要かと思って」


 僕は調理室から持ってきた割り箸と紙皿とプラスチックのコップを、一セット三谷先生に差し出した。その言葉が意外だったのか、三谷先生が驚いたように瞳を瞬かせた後、表情を和らげる。


「おお、そうだったのかね。有難う、使わせてもらうよ」


 扉が開き、三谷先生が僕の差し出した物を受け取る。その自然な様子に、ほっと内心で胸を撫で下ろした。どうやらホラー映画の見過ぎで、些細なことにも怯えてしまっていたみたいだ。


「あの、先生はお一人で大丈夫ですか? 怖くはありませんか?」


 割り箸を届けたかったのは勿論だが、三谷先生に一番確認したかったのは、このことだ。いくら通い慣れた学校とはいえ、夜に一人きりは、流石に寂しくはないだろうか。寂しさは感じずとも、夜の学校に漂う闇は、根源的な恐怖を呼び覚ます。三人、四人で歩いていてもそう感じてしまうのだから、一人で居ればなおさらだろう。


「いや、大丈夫だよ。私は元々、この学校の校長だったのだからね」


 そう言って笑う三谷先生にそれ以上は何も言えず、僕は二人が待つ職員室に戻った。確かに心配ではあるけれど、僕が考え過ぎなのかもしれない。ひょっとしたら、三谷先生は現役時代に毎日遅くまで働いていて、夜の学校にも慣れているのかもしれないし。うん、きっとそうなのだろうと自らを納得させる。

 念願の割り箸を手に入れて、紙皿も用意して、待ちに待った缶詰パーティーの始まりだ。暗い気分は振り払って、楽しくやろう……だなんて。おそらく、今日この場所で、僕だけが暢気なことを考えていたのだ。

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