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4:常夜野高校 ―2002年6月6日 18時40分―

 雨は激しさを増して、すっかり暗くなった夜の廃校に、容赦なく雨粒を叩き付ける。土砂崩れで県道を引き返してきた僕達は、廃校の駐車場に車を停めて、再び生徒玄関の軒先に集まった。皆しばらくの間、無言のままだ。


 この常夜野村の山間にある集落は、今では住む人も無く、閉鎖こそされていないものの、出入りする人の姿も無い。土砂崩れが発生したのは、丁度この集落への山道の入り口だ。どこに向かうにせよ、この集落から出るのならば、あの道を通らなくてはならない。


「こんだけ雨が降るんじゃ、ますます被害が増えるかもしれねぇな」


 堀さんが、ぽつりと呟いた。ネットが破れて土砂が流れ出していた、山の斜面を思い出す。確かに、無理に土砂を越えようとするのは危険だ。救助が来るか、雨が上がって復興作業が始まるのを待った方がいい。


「ここ、携帯電話が圏外なのよね」


 二つ折りの携帯電話を操作していた舞子さんが、諦めたように息を吐く。無理も無い。こんな無人の村の近くに携帯電話の基地局を作る必要なんて皆無だ。電話をかけるなら固定回線だが、無人の村では電話どころかライフラインさえ期待出来やしない。


「そうだ、タクシー。タクシーを呼んであるから、土砂崩れが起きていることと、僕がここに取り残されていることは、町に伝わるはず」


 そう。池中さんが呼んだというタクシーの運転手から、土砂崩れの発生や、この集落に取り残された人が居るという事実は伝わるだろう。それだけが救いだ。


「こういう場合って、どうなるんでしょう。救助ヘリとか?」


 幾分青ざめた顔で、成美さんが聞いてきた。寒いのだろうか、細い肩が微かに震えている。


「ヘリ、来てくれりゃいいけどな。何にせよ、雨が上がってからか」


 堀さんが再びライダージャケットを脱いで、成美さんの肩にかけた。ジャケットの下は、長袖だが薄手のシャツだ。自分も寒いだろうに、なんだかんだ口は悪いが、性根は悪い人では無いのかもしれない。


「こんなところで救助を待つことになるなんて……」

「どうしよう、夜までには迎えに行くって、お母さんに言ってあるのに」


 舞子さんと菜摘さんも、途方に暮れた表情だ。菜摘さんは実家に預けてきたお子さんのことを心配している。


「どうする、休むだけなら校舎の中を使えるが、こんな真っ暗でボロボロの校舎で寝るってのも、あまり気持ちのいいもんじゃねぇな」


 堀さんが廃校を振り返って、生徒玄関の曇ったガラス越しに校舎の中へと視線を向ける。不埒者によってどこかの教室の窓が割られ、玄関の鍵は内側から開けられていたそうだ。雨風をしのぐには最適だろうが、ここは常夜野高校。〝死を呼ぶ七不思議〟の噂が囁かれていた学校なのだ。明かりの点かない夜の廃校は、不気味さを醸し出している。こんなところに取り残されて、校舎内で夜を明かすなど、気乗りしなくて当然だろう。堀さん以外の人達も、皆複雑な表情を浮かべていた。

 今は玄関前に集まり、堀さんのバイクのライトを付けて、周囲を照らしている。夜闇が濃くなってきた今、どこで過ごすにせよ、明かりの発生源は一番の課題となる。明かりだけでは無い。食べる物も、飲む物も、どれだけの時間をここで過ごすことになるかは分からないが、長引けば長引くだけ物資が必要になってくるだろう。


「……そうだ。校舎の裏側に、倉庫がある。そこになら、色々と使える物が残っているかもしれない」


 三谷先生が思い出したように呟き、歩き出す。


「倉庫って、そんなとこ、もうとっくに漁られているんじゃねぇか?」


 堀さんが面白くも無さそうに呟いた。校舎でさえ、窓が割られて出入りが出来るようになっていたのだ。どうせどこも同じだろうと言う思いが、その声音に籠められていた。


「いや、倉庫は施錠してあるんだ。ダイヤル式の鍵で、番号は私と教頭と教務主任、それに村の職員しか知らないはずだ」


 三谷先生に続いて、皆もぞろぞろと歩き出す。舞子さんと堀さんが携帯電話を取りだして、前方を照らしてくれた。校舎を回り込むように歩けば、ところどころ窓が割れて、教室の中に雨風が吹き込んでいた。窓が割れていない教室はそこまで荒れた様子は見えないから、部屋によっては一晩の雨宿りくらいは出来そうだ。勿論、十分な明かりさえあればの話だが。


「この中だ」


 校舎の裏側、グラウンドに面した場所に倉庫はあった。大きなプレハブの建物で、扉は三谷先生が言っていたように、ダイヤル錠で施錠されている。

 三谷先生が皺だらけの手を伸ばし、ダイヤル錠の数字をかちり、かちりとスライドさせる。時折目を閉じて眉を寄せているのは、記憶を辿って数字を思いだそうとしているのだろう。数度数字を切り替えた後に、カチャリと音が鳴ってダイヤル式の錠が外れた。


「やった!」


 堀さんが思わず声を上げる。長年使われていない倉庫の扉は、軋むような音を立ててゆっくりと開いた。


 倉庫の中は、思っていた光景とは少し違っていた。学校の物置なんて雑多になんでも詰め込まれているイメージだったが、ここは違う。いくつもの段ボール箱が整然と積まれている。


「廃校になってからも、この学校は災害時の避難場所に指定されていたからな」


 三谷先生が説明してくれた。なるほど、確かに廃校になった後も地域の避難場所として使われていたなら、災害時用の物資が残っているのは納得だ。堀さんや菜摘さん、舞子さんが嬉々として段ボール箱に群がる。


「水と、あとこっちには缶に入ったパンもあるぜ」

「こっちは色々な缶詰も入っているわ! 賞味期限……も、まだ大丈夫そう」


 菜摘さんが缶詰の賞味期限をチェックして、笑顔を浮かべる。廃校になってからはもう十年も経つが、この地域から住人が居なくなったのは、それよりずっと後のことだ。市町村合併する前は、この学校を地域の避難場所として維持する為に、村の職員が備蓄を入れ替えていたのだろう。


「タオルや着替え、毛布に生理用品もあるのね」


 同じように箱の中身をチェックしていた舞子さんが、毛布を一枚取り出しては成美さんに差し出した。


「有難うございます」


 成美さんが笑顔で受け取る。これでもう、寒さに震えることも無いだろう。堀さんが少しだけ残念そうにしているのは、きっと気のせいでは無い。


「こっちにはレインコートなんかも入っているな。パジャマもあるぜ」

「すごいわね。この物資だけでも、ここで生活出来そうなくらい」

「したくはないけどな」


 僕も皆に交じって、箱の物色を始めた。とはいえ僕は携帯電話を持っていないので、手元に明かりが無く、暗がりの中を手探りで確認している状態だ。それでも、目的の物を探し当てるのに、そう時間はかからなかった。


「あった!」


 声を上げるのと同時に、カチリとスイッチを入れる。途端に携帯電話の画面よりも強い光が、倉庫内を照らし出した。


「うわ、なんだ一体」

「急に眩しいなぁ。それ、懐中電灯?」

「はい。二人もどうぞ」


 驚き声を上げた堀さんと、眩しそうに目を瞬かせた池中さんに、箱の中にあった懐中電灯を手渡す。


「皆さんの分もありますよ」


 女性陣と三谷先生にも懐中電灯を手渡せば、皆が明かりを持って、倉庫に置かれた備蓄資材を物色することが出来た。一部賞味期限が切れた食べ物もあったけれど、数日この場所に取り残されたとしても困らないだけの資材は豊富に残されていた。村の職員さんに感謝しないとなぁ。


 現金なもので、皆もついさっきまではこんな場所で一夜を過ごすことになるのかと、絶望の表情を浮かべていたというのに。水と食料、明かりが確保出来た今となっては、その表情はどことなく楽しそうとさえ感じてしまう。かく言う僕も、少しだけ……いや、正直な話、かなりわくわくしていた。日常とはかけ離れた時間。非常用の缶に入ったパンなんて、これまでに食べたことも無い。それに、ここはあの常夜野高校だ。校長先生や卒業生達、皆から直に話を聞くことも出来るかもしれない。

 不謹慎な話だけれど、この非日常に、僕はすっかり興奮していた。そう、この事態をもたらしたものが、あの正体不明な手紙だと言うことを、すっかり忘れてしまっていたのだ。


「これだけ有れば、寒くありませんね」


 大量の毛布を両手いっぱいに抱えて、成美さんが微笑む。物が毛布だけに重くは無いだろうが、華奢な彼女が大荷物を抱える光景は、何ともアンバランスだ。


「いやいや、持ちすぎだろう」

「皆さんも寒くなるかもしれないじゃないですか」


 堀さんの言葉に、成美さんが大真面目に返す。


「それよりも、ほら」


 堀さんは成美さんが抱えた毛布を二、三枚取り、ばさりと広げる。その上に確保していた缶詰を置いて毛布ごと持ち上げれば、おぼんと言うには柔らかいけれど、缶詰を両手で抱えるよりはずっと安定している。毛布の四隅を集めて絞るように持てば、大きな簡易巾着袋の出来あがりだ。


「ああ、頭いい!」


 池中さんが感心して、彼もまた毛布を広げ、その上に缶詰を乗せ始めた。笑顔で缶詰を選ぶ様は、そのうち鼻歌でも歌い出しそうな勢いだ。倉庫を出る時、彼が両手の上に広げた毛布に溢れんばかりの缶詰を乗せていたことは、言うまでも無い。

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