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1:旧常夜野村 ―2002年6月6日 16時30分―

 しとしとと、静まり返った村に小粒の雨が降り注ぐ。かつては養蚕で栄えた常夜野村だが、合成繊維の普及と機械化の波に乗れず、近代に入ってからは、村の人口は減少の一途を辿っていった。二千年の市町村合併で某市に編入されてからと言うもの、過疎化の流れを止めることは出来ず、今では山間の集落は無人となって、平野部に僅かな住民を残すのみだ。

 雨音を遮るようにエンジン音を響かせて、軽自動車を走らせる。でこぼこ道の県道は、あちこちが水たまりだらけ。県道と言っても、この集落から住人が消えて以降は、ほとんど整備されていない。ひび割れたアスファルトの隙間から生えた雑草が、タイヤが巻き上げた雨水を受けて頭を垂れる。緩やかなカーブを曲がれば、そこはもう目的地。長年の相棒である中古で買った軽自動車は、住人が消えるより先に廃校となった、常夜野高校前に停車した。


「廃校から十五年も経つと、流石におどろおどろしい雰囲気になっているなぁ。夜に来ていたら、雰囲気満点だったかも」


 エンジンを止めて軽自動車から降り、ぽつりと呟く。見上げる校舎は、僕が知る常夜野高校よりも悍ましさを増していた。灰色の雨雲を背景にした、明かり一つ点いていない無人の校舎。うん、まるで映画の冒頭シーンみたいだ。

 僕は肩に提げた鞄からデジタルカメラを取り出し、廃校にレンズを向けて、シャッターを切った。厚く垂れ込めた雨雲のせいか、日が暮れるまでにはまだ少し時間が有ると言うのに、自動でフラッシュが焚かれる。小雨が降り注いでくたびれたスーツを濡らすが、今更そんなことは気にしない。数枚写真を撮った後に、デジタルカメラに付属した液晶モニターで、写真のデータを確認する。どの写真も雨粒が映り込み、廃校が雨に打たれる姿がメインとなっている。これでは廃校の不気味さよりも、雨に打たれての風情が前面に出てしまう。


「雨の写真も良いけど、やっぱり普通の写真が欲しいな……うーん、別の日にまた来るべきか」


 そう独りごちて、廃校の門を潜る。そこでようやく、旧常夜野高校の敷地内に車が停まっていることに気が付いた。一台は小型の普通自動車で、もう一台は大型のセダン。さらには中型のバイクまで停車している。どうしてこんな所に車がと、疑問に思う間さえ無かった。廃校の玄関から、声をかけてくる姿があったからだ。


「なによ。貴方、誰?」


 声をかけてきたのは、三十を過ぎたくらいの女性だった。緩やかにウェーブした栗色の髪。若作りで化粧にも気を使ってはいるが、二十歳前後の女性では持ち得ない落ち着きと上品さが漂っている。なるほど、これが最近流行しているセレブという人種かと、妙に納得してしまう。


「なぁに、もう来たの?」


 後ろから、同じくらいの年頃の女性がもう一人姿を現した。こちらはショートヘアで化粧っ気は薄く、近所のお母さんと言った雰囲気だ。もう来たのという言葉に、思わず首を傾げる。


「こいつがそうなのか?」


 次いで現れたのは、あまり柄の良くなさそうな男性。やはり三十前後と言ったところか。フルフェイスのヘルメットを小脇に抱えているから、中型バイクは彼の物だろう。ラライダージャケットを羽織り、煙草を咥えた姿は、個人的にはあまりお近づきになりたくは無いタイプ。一昔前の不良漫画に出てきそうな人だ。


「き、聞いてみればいいんじゃないですか」


 不良青年の後ろから、少し小太りで眼鏡をかけた男性が現れた。とても一緒につるんでいるとは思えない、対照的な二人だ。いや、男性二人だけでは無い。女性二人も合わせて考えれば、この四人組に共通しそうなのは、年齢層くらいだろうか。


「あの、こんなところで同窓会か何かですか?」

「は? 同窓会ですって?」


 僕の疑問に、栗色ウェーブヘアのセレブが怪訝な表情で答えた。どうやら違ったらしい。


「こんな料理も何も出てこない場所で、同窓会なんてやるわけないでしょ」

「本当、そんなの少し考えれば分かるでしょうに」


 ショートヘアの女性が声を上げて笑い、彼女の言葉にセレブが頷く。どうやら女性二人は仲が良いみたいだ。


「私達、ここの卒業生なのよ」

「はぁ。では、皆さんで思い出を語りに?」

「それも外れ。今日この時間にここに来るようにって、手紙が来たの」

「手紙……ですか。それは誰から?」


 女性達の言葉に、少し興味が湧いてきた。人の住まなくなった集落、しかも廃校に呼び出すなんて、なんとも風情のある話じゃないか。僕のこの感覚は他の人に言ってもなかなか理解はされないが、僕自身はとても納得している。


「差出人の名前は書かれてねぇんだよ」


 不良青年が吐き捨てるように言う。

 なるほど。差出人不明の手紙によって廃校に集められた、四人の男女。これはますます面白い。


「だから、僕が来た時に〝こいつがそうなのか〟って言っていたんですね」


 不良青年がしかめっ面のままで頷く。


「僕等を呼び出したのでは無い。手紙を知らないってことは、呼び出された側でも無い。君は一体、こんなところに何をしに来たんだい?」


 小太り眼鏡の男性が、不思議そうに尋ねてくる。


「取材で来たんですよ。僕、こういう者でして」


 小雨の降り注ぐ校舎前から屋根のある玄関に移動し、四人に名刺を手渡す。


「神尾、恭平……へぇ、雑誌のライターさんなんだ」

「はい。夏休み発売号で怪談を特集する予定でして、この学校を調べに来ました」


 僕の言葉に、四人がああ……と納得する。怪談と言えばこの常夜野高校だと、誰もが思ったのだろう。それほどに、十年前に廃校になったこの高校は、曰く付きなのだ。

 とはいえ、僕がここに来た目的は、仕事の為だけでは無い。個人的な感情を多分に含んでいるのだが、こんな話は人にするような物でも無し、対外的には雑誌の取材と言っておいた方が手っ取り早い。


「あの、良ければ皆さんからもお話を伺ってよろしいですか?」


 ショートヘアの女性以外は皆渋々と言った様子だったが、全員了承してくれた。

 明るいムードメーカーなショートヘア女性が、大坪菜摘さん。最初に感じた通りに、彼女は一児の母だそうだ。今日は娘さんを実家に預けて、ここにやってきたのだと言う。栗色ウェーブヘアのセレブが、東條舞子さん。女性は二人とも既婚で、東條さんご夫婦にはお子さんはいらっしゃらないけれど、二人ともが結婚を経て苗字が変わったと言うことで、お互いの名乗った名前に違和感が有ると、二人で笑い合っていた。であれば、初対面の女性には失礼な気もするけれど、二人のことは下の名前で呼ばせていただくことにしよう。

 男性二人はどちらも独身とのこと。不良青年が堀正樹さんで、小太り男性が池中順之助さん。


「皆さんは、元々お知り合いなんですか?」

「私と舞子は学生の頃から仲良しだったけど、堀君のことは〝名前と顔は知っている〟って程度だし、池中さんに至っては全く面識が無いわ」


 なるほど。菜摘さんの説明に、腕を組んで考え込む。


「良ければ、届いたという手紙を見せてもらっても?」


 お願いしたら、舞子さんが鞄から封筒を取り出し、差し出してくれた。長四封筒の上部が、カッターで綺麗に切られている。とても几帳面だ。僕なら封筒の類いは、全部指で破いて開けてしまう。


「なになに……忘れてきた過去に、決着をつけましょう。廃校になったからと言って、思い出が風化する訳ではありません。自分の過去と向き合う気がおありなら、六月六日、十七時までに常夜野高校にお集まりください……だって?」


 ぱさりと広げた紙面に書かれた文章は、なんとも抽象的なもの。手紙も差出人の住所と名前も全てワープロで書かれていて、個人を示すようなものは何も無い。消印は、常夜野西――麓に残っている小さな郵便局だ。


「皆さん、これと同じ文章が?」


 僕の言葉に、舞子さん以外の三人が頷く。


「十七時……って、もうすぐじゃないですか!」


 腕時計を見れば、針はもう十六時五十分を回っていた。雨雲のせいで空は暗く濁り、どんよりとした厚い雲は、先ほど見た灰色から少しずつ濃さを増している。


「あと十分で、何が……」


 不謹慎かもしれないが、少しわくわくしてきた。僕が期待を込めた目で開きっぱなしの校門に視線を移した瞬間、県道を照らすヘッドライトの明かりが見えてきた。僕だけでは無い、皆の視線が近付いてくる一台の車に集中する。黒い乗用車と思ったそれは、どうやらタクシーのようだ。僕の車を避けるようにして校門前に横付けされたタクシーの中で、高齢の男性が支払いを済ませ、降りてくる。


「校長先生じゃないですか!」


 菜摘さんが驚きの声を上げる。タクシーから降りてきた男性は、この学校の元の校長先生らしい。


「なんだ、生徒達の悪戯か……まったく、要らん手間をかけさせる」


 校長先生はやれやれとため息を吐きながらも、どこか安堵した表情を浮かべていた。複雑な感情が入り混じった様子だ。


「ひょっとして、先生も手紙を受け取ったのですか?」

「え? あ、ああ……あれは、君達の仕業では無いのかね?」


 途端に、校長先生の表情が曇る。彼もまた、脅迫じみたあの手紙に悩まされ、不安を抱えながらここまでやってきたのだろう。


「どうしたものか……タクシーを待たせているのだが、あの手紙を書いた者はまだ来ていないということか?」

「そうみたいです」

「先生、良ければ帰りは私が送りますよ。車で来ていますので」

「そうか、それは助かる」


 菜摘さんの申し出に、校長先生は校門前に停めたタクシーの運転手に声をかけに戻った。車内で頷いた運転手が、タクシーをUターンさせて山道を下って行く。

 三谷克仁校長は、六十九歳になる現在では既に教職を引退して、年金生活を送っている。これで手紙に呼び出された人物は五人目。三谷先生の登場で、ますます呼び出された人物の共通項が分からなくなってきた。

 再び腕時計に視線を落とす。時計の針は、丁度十七時を指していた。


「時間……ですね」


 一同を見渡すが、誰も何も言わない。皆が皆、一様に不安そうな表情を浮かべて、互いに顔を見合わせている。

 重苦しい沈黙の中、雨の音だけが響く。生徒玄関の屋根の下に居れば雨に濡れることは無いが、灰色の空はますます濃さを増してきた。それだけでは無い、梅雨時の夕暮れは肌寒く、それでいて湿気を帯びた空気は、べったりと肌に纏わり付くようだ。


 こうして手紙の送り主を待つ間にも、雨雲に隠れた陽は刻一刻と沈んで行く。何の気無しに視線を彷徨わせ、ふと校舎内へと視線を向ける。明かりの無い建物内は、既に夜の闇が漂っているように見える。廃校から十年。長年無人だった校舎の暗がりに、何かが潜んでいるような不気味さを感じて、僕は思わず身を震わせた。

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