あの日は高校入学したての金曜日の夜だった。
◇◇◇
「私、私……もう……無理だよぉ」
マスターの計らいで急に泣き始めた美夜を連れて俺はカフェの個室の方へ通してもらった。
「俺が話、聞きますから。まあ、とりあえず落ち着くまで泣いちゃってください」
この子は俺と同い年くらいに見える。
そんな子がこんな空間でいきなり泣き出すなんて……。
相当な事情がありそうだと、そう思った。
「ごめんね……急に泣いちゃって。君も居心地悪かったよね」
数分泣いた後、ようやく顔を上げてそういう彼女に俺は驚いた。
そこには現代人なら知らない人はいないであろうアイドルMIYAの姿があった。
「いえ、気にしないでください。あそこで泣いてしまうくらい思い詰めていたんでしょう?」
「……うん。ちょっとね」
「話して楽になる様なら俺が聞きますよ?無理にとは言いませんが……」
俺がそう言うとMIYAは少し考えるようなしぐさをする。
「じゃ、じゃあ、ちょっと付き合ってもらえる?」
「移動するんですか?まあ別に構いませんが……」
正直怖さもあったが、さっきの泣き顔を見せられた後では断れなかった。
「ほんと!?じゃあ、ついてきて」
そう言っていつの間にか店の外に止まっていたタクシーに乗り込む。
MIYAは慣れた口調で住所を言う。
英国紳士のような初老くらいの運転手は黙って頷き住所を入力していた。
このタクシーは普段道で見かけるものとは全く別物だった。
外から中が見えないミラーガラスの仕様で、車内も俺の知っているタクシーより広いものだった。
「キミ、名前は?」
車が動き出して少しするとMIYAはそう言って名前を聞いてきた。
「金木です。金木龍也」
少し迷ったが、素直に答える。
「金木龍也君ね。金木……いや、龍也!」
「なんですか?」
いきなり名前呼びをされる。
さすがはアイドル距離を詰めるのが早いな……いや、これにはアイドルとか関係ないのか?
「私はMIYA。本名は藍野美夜って言うの。よろしくね!」
「……アイドルが初対面の男に本名名乗っちゃっていいんですか?」
「それを言うなら龍也だって、アイドルじゃないだけで初対面で名前言ってるし変わらないでしょ?」
「まあ、それはそうかもですけど……」
「てか、多分年上だよね?敬語とか全然いいよ。私も今、素だし」
いや、たしか同い年だったような気がするけど……。
「俺15ですよ?多分タメです」
「ええっ!タメなの!?良く大人びてるって言われない?」
「まあ、そうですね。別に背が特別高かったりするわけじゃないんですけどね……」
「いや、雰囲気だよ!なんか達観してるっていうか……てか、敬語!タメなら余計に要らないよ!」
「はいはい。普通に話すよ」
なんだかMIYAは意外と子供っぽいな……。
「あー!今、子供っぽいって思ったでしょ!まあ、あれだけ泣いた後だしもういいけど……」
「それで?俺は今どこに連れていかれてるわけ?」
「ん?私んちだけど?」
「は?」
「え?だってもう遅いし……」
「いやいや、ちょっと待ってくれよ。あって数十分の男をいきなり自宅に連れてくか!?普通」
「まあ、私アイドルだから!普通じゃないし……って、違うよ?私普段は誰かを家に入れたりなんて絶対しないからね?」
「ふーん。まあ、別にどうでもいいけど……」
「ええっ!もうちょっと興味持ってくれてもいいんじゃない?自分で言うのもなんだけど、私今結構問題発言したよ?……いや、ほんとに入れてないけどね?」
美夜の第一印象は愉快な人だった。
テレビで見るそのままというか、素と言う割にはまだアイドルのようだった。
「藍野様、ご指定の住所に到着いたしました」
俺達がなんやかんやと騒いでいるところに運転手がそう告げる。
「お、意外と早かったね。はい、じゃあこれ!お疲れ様」
美夜は持っていた財布からお札を三枚ほど取り出し、支払い口に置く。
……3万!?さすがは芸能人用タクシー十分ちょっとでこの値段なのか?いや、口止め料とかもろもろ含まれてるんだろうな……。
「じゃあ、龍也!ついてきて!」
そう言って美夜は俺の手を引いて小走り気味に歩き出した。
連れていかれたのはいかにも高そうな高層マンションの14階。
このマンションでは最上階のようだった。
「はい!ここが私の家!」
「へえ~。やっぱりすごいところに住んでるんだな」
流石は芸能人。
だが、俺と同い年で一人暮らしなことには驚いた。
「一人なのか?」
「……女の子の、しかもアイドルの自宅に来てまず聞くことがそれ?まあ、いいけど。……そうだよ。親とは折り合いが悪くて、一人で住んでんの」
先ほどまでの明るく愉快な雰囲気からは一変。
テンションが低くなったようなトーンの下がった口調に変わっていた。
「……さっきまでの何が素だよ。で、そんなアイドルの自宅に連れてこられた俺は何をしたら言いわけ?」
親のことにはあえて触れず本題を急かした。
「お、いいね。そういう感じの方が私も話しやすいや。……別に何かしてほしいなんて思ってないよ。安心できる空間で話を聞いてほしかっただけ。これはほんと」
「わかった。話を聞くだけでいいならお安い御用だ」
俺がそう言うと美夜は自分の活動の大変なこと、芸能界の愚痴、キモイおじさんたちの視線が無理と言う話などいろいろなことを俺に聞かせた。
俺は適宜相槌を入れたり同意をしたりしながら、絶対に美夜を否定しないようにその話を聞いた。
「でねっ!もういっそ、いきなりいなくなってやろうかってそう思ってる」
話は美夜が芸能活動をやめたいというものになっていた。
どうやら美夜はもう本当に限界らしい。
だが……。
「それはしない方がいいと思うぞ」
俺はここで初めて彼女を否定した。
「なんでっ!私、もう無理だよっ!こんな生活耐えられないっ!」
「人間は後悔する生き物だからさ、感情に任せて辞めて悔いを残すと、それを引きずって生きていくことになる。ましてやその後悔がアイドル活動なんて言ったら、もうその悔いを後から解消するのは相当に難しいと思うんだ」
俺の中から自然と言葉が湧き上がってくる。
そんな経験ないはずなのに、何故か大きな後悔を抱えているようなそんな気分だった。
「だから、辞めるにしても自分でやり切ったって思えることをしてからの方がいいと思う。まあ、それもできないくらい苦しんでいるんだったら、このまま辞めるってのもいいと思うけどね」
俺の言葉に美夜は顔を逸らし、押し黙ってしまう。
「でも俺はMIYAは、いや、美夜はやり切れるって、そう思うよ」
それでも俺は美夜を見つめた。
あれだけ愚痴を聞かされたが、その愚痴からは彼女が本当に真剣に活動に向き合って努力していることも伺えた。
だから俺はああいう言い方をしたのだ。
少しの無言の時間が続き、美夜が俺の方へ顔を戻した。
「……龍也ってモテるでしょ?」
「さあ、どうだろうね」
美夜の纏う雰囲気がまた少し変わった。
「ふぅん。余裕ある感じなんだ」
「そっちは……意外とない感じ?」
少しからかってみる。
「……そういうのはない方がいいんじゃないの?」
美夜が体を寄せてきた。
「そうかもね」
視線が間近で交差する。
そのまま俺たちの間の距離はなくなった。
「……ありがと。今日は」
「どういたしまして。もう朝だけどな」
「野暮なことは良いの!ねえ、龍也」
「なんだ?」
「私、やり切るまで頑張ってみる!」
「そうか」
「そう思えたのは、あなたのおかげ。本当にありがとう」
「大したことはしてないよ。美夜が自分で決めたんだ」
「……大したこと、しちゃったけどね」
……それは言わないお約束では?
結構格好つけたのに……。
「で、でさ。また話し聞いてくれないかな~って……どうかな?」
「もちろん、俺でよければいつでも」
「ほ、ほんと!?絶対だよ!じゃあ、毎週金曜日空けといて!」
「ま、毎週!?」
「え、うん。……いや、なの?」
急にぞっとするような空気がただよう。
「いーや、全然。ちょっと毎週ここまで来るのは大変だなあって思っただけで……」
「じゃあ、住所、教えてよ?金曜日の夜からこんな朝までいきなり過ごせるくらいなんだからきっと龍也も一人暮らしとかでしょ?私が行くからさ!」
……そこまで考えていたのか。
「わかったよ。住所は後で連絡しとく、とりあえず連絡先だけ交換しようぜ」
「うん!じゃあ、今日のレッスン終わりに行くから待っててね!」
「いや、今日も来るのかよ!」
「当たり前じゃん。平日は龍也も忙しいだろうからさ!休日の夜なんだし!」
「まあ、いいよ。でも来る前に連絡くれよ?もし、家に友達とかいたら大スキャンダルになりかねないからな」
「それは確かに!じゃあ、行く前に電話するようにするね!」
◇◇◇
こうして、俺たちの関係は始まったのだ。
もう昔のことのように感じられるがほんの数か月前なんだよな……。
「ちょっと!重たい感じではないって言ったけど大事な話しなんだからちゃんと聞いてよ!」
少し、物思いに耽る時間が長すぎたようだ。
「ごめん。その話を聞いたらあの日のことを思い出してさ」
「あの日って?……ああ、私が一日で攻略された日ね」
「攻略って……別にそんなつもりじゃなかったんだけどなあ」
「なに?じゃあ不本意だったの?」
「それはまた違うというか……まあでも、俺は美夜と仲良くなれてよかったよ」
「今の仲良くってそういう意味?」
「いや、違うだろ!」
「あはは!うそうそ、あれからほんとに感謝してるんだ。浮気を許せるくらいにね!」
グッ……。あの日を思い出して、こう言われた後にそれを言われるとさすがに罪悪感が強すぎる。
「それは、本当に……すまないと思ってる」
「もういいって。どうせほかの子たちも私みたいな感じなんでしょ?」
………………。
そうだろうか?確かにそういう人がいないわけではないが……。
いや、そういうことにしておこう。
「ああ、そうだよっ」
語尾がおかしな上がり方をしてしまった。
「でしょ?だから、まあ、仕方ないかなって」
良かったバレなかったみたいだ。
「まあ今朝も言ったけど、これ以上はそういうのでも許さないけどね?」
「……はい。」
この目はガチだ。
まあ、もう他の女性は目に入らない。
だって魅力的な彼女が6人もいるからね!
と思いながら、こんな茶化すようなことは絶対に口に出せないとも思う俺なのであった。