「それでは兄貴は今の連邦政府について、どう思っているんだ?」
「それは抽象的な質問だが、一般的な見解を述べることはできる。連邦政府はここ十年で六度の政権交代を経験しているが、彼らが取る外交政策は一貫して変わらない。彼らは二大国のどちらかが勢力を伸長し、一方に対して非常に優勢になることを良しとしていない。次に二国間で戦争が起こった時、彼らの国土が侵されないと考える理由はなにもないからだ」
連邦は先の戦争以降、孤立主義を転換しつつある。彼らの関心事は自国が巨大な戦争に巻き込まれないようにすることにあり、そのためにここ十年、彼らの努力はこの地域における有力な二大国を和解させるという任務に注がれている。――しかしその政策は現実には、帝国を犠牲にして王国に譲歩することを意味していた。
「今回の事件についてはどうだ? 既に連邦は、我が国による侵略の兆候を察知しているに違いない。彼らはそれを支持すると?」
「おそらく彼らは迷っているはずだ」とピエルは予測した。「彼らは侵略の正当性よりむしろ両国の
「なるほど、つまりこういうことか。連邦を味方につければ、帝国はアンティルに手を出すことができないと。しかし仮に連邦政府の説得に成功したとして、侵攻作戦は軍の連中の思い通りにうまいこと運んでくれるだろうか?」
「おそらくうまくは行かないだろう。計画の変更は絶対に必要だ。だが、彼らに計画の変更を認めさせようとするなら、そのための下準備を済ませておかなければならない」
軍は戦争の専門家である。仮にピエルたちからみて彼らの計画がいかに杜撰なものでも、それをそのまま指摘してはならない。
「なぜなら僕たち政治家は外交としての戦争行為については十分に承知していても、実際の戦争計画の立案に関しては無知同然の素人だからだ。彼らのもつ専門性を十分に理解し、議論の過程に敬意を払い、その名誉を傷つけないように細心の注意を払わなければならない。でなければ要求がどれだけ正当なものでも、プライドを傷つけられた彼らは作戦の変更を拒むだろう」
かつて王や宰相が取り仕切ることを期待されていたのは外交と財政と軍事の三問題だけで、それも極めて抽象的なものに限られていた。だが今、行政府が取り扱う問題はそれだけではない。一世紀の間に人びとの生活の中で国家が関与する領域は飛躍的に拡大し、政府機関は肥大化したのである。商業活動の許認可、国境における出入国管理、法令の適切な執行、租税の徴収、自国通貨の独占的発行、構造的汚職の監視と撲滅、経済成長の予測、国防計画の策定、地方行政官の任命、大規模治水事業、公衆衛生の普及……それら全てを執り行うため、国家は
「奴らにとって、実に虫のいい話じゃないか」とジャンヌは言った。
「お互い様だよ」とピエルは返した。「君を司法省にねじ込んだ時だって、ずいぶんあちこちの反発を生んだんだ。とりわけ王女殿下は、君の……
「ああ。弱い立場を守るため、父親の言いなりになってる」
「殿下も同じことを懸念された。君が同じ状況に追い込まれるのではないかと。しかしそれでも私は要求を押し通した。それは法律の知識に優れ、なにより忠誠心という点でどうしても君が必要だったからだ。現代において法は全ての権力の源泉であり、政府のあらゆる機関が敵に回っても、司法省だけは私の忠実な友人でなければならなかった」
「
「それは政治家として最も重要な資質だ。ともかく、いくらかの願望が含まれているにせよ、軍部の推測はそれほど的外れなわけでもないと思う。もちろん外務省がどう考えるかはわからない――だが僕の見たところ、おそらく連邦は王国の側に立とうとするだろう」
不思議なことに、ピエルの言葉には若干の含みがあった。彼はまるで、そのような状況が生じることをを望んでいないようだった。
◆
「しかし分からないな。そこまで見通せているのに、何を兄貴は懸念しているのか」
「理解できないか? ジャンヌ」ピエルはジャンルの目をじっと見て答えた。「これは大いなる賭けなんだ。もし賭けるものが金貨百枚であるのなら、まったく統計学的な見地から私はこの賭けに乗ろうと思う。得られる金貨の期待値を鑑みて、この賭けは明らかに有利なものだからだ。だが軍部がやろうとしていたことは、それとは全く性質が異なる。僕たちがいま台に乗せて賭けているのは
ジャンヌはピエルが未来を見通せていると言った。だが、もしボタンを一つかけちがえたらどうなるのだろうか? 帝国が
軍部はそのような可能性を深く追求することはない。彼らは
そのような観念的予測に国家の未来を委ねるのか?
「軍人たちには常に
軍にとって最も重要なのは自分たちの栄誉と出世であり、ひいては対外戦争を通じてその機会を得ることにある。それゆえ軍部は『外交的手段で状況は打開できず、戦争は不可避である』、あるいは『計画の成功は確実であり、目的は必ず達成できる』というような、
彼らは己の専門性を十分に発揮し、作戦を成功させるために途方もない努力を払うが、間違っても問題設定が間違っているとは考えない。作戦の遂行は軍の存在理由そのものであり、問題の矮小化は軍自身の自己否定につながるからだ。
「もちろんこれが軍に限った話でないのは、君も知ってのとおりだ――さあジャンヌ、君の政治家としての資質を試してみよう。僕はこれまで、軍部の独断に懸念を示し、外務省の策略を牽制した。そして今や連邦との外交交渉に臨もうとしている。これらを通して僕がやろうとしていることの核心は何だ?」
「王国の国家利益を追求することだ」ジャンヌは確信的な口調で答えた。
「その自信は結構だが、
だからより適切な言い方をしよう、とピエルは言葉を続けた。
「たとえ戦争の勝利によって敵国の都市すべてを
「兄貴が言いたいことが分かった気がする」と、今度は曖昧な口調でジャンヌが言った。「状況を常に制御下に置くこと。一か八かの勝負で大勝ちを狙おうとするのではなく、最悪の事態が起きた場合にさえ、それが国家そのものの破滅と同値になることを防ぐこと」
その言葉に、ピエルは頷いた。
「その通り。軍も外務省も、自分たちの行動が生じさせうる最悪の結果を理解していなかった。軍は戦争の勝利の部分だけを見ていたし、外務省は政争の勝利の部分だけを見ていた。彼らの行動は適切に抑止されていなければ王国の権威失墜を招き、あるいは政権を瓦解させていただろう。もし僕たちが連邦との交渉に際して彼らの失敗に学ばなければ、同じ結果が待ち受けているかもしれない」
政治は――よく誤解されがちだが――たとえ敵味方で対立することがあっても、単なるゼロサム・ゲームではない。舞台にのぼったすべての演者が勝利することもあれば、すべての演者が敗れ去ることもある。
「兄貴が言っているのは……帝国に逃げ道を与えなければならない、そういうことか? 連邦と結託して、彼らに身動きをさせないようにするのではなく。帝国が軍事的合理性を見失って、人間の素朴な愚かさから――1712年に起きたような
ピエルはあえてそれに真正面から答えることをしなかったが、暗にジャンヌの言葉を肯定しているようだった。
「政治家は常に
それからピエルは長い沈黙を保った後、ゆっくりと、しかし確かな口調でジャンヌに告げた。
「それでも権力者は常に勝利への誘惑に晒される。端的に言えば、その誘惑をはねのける精神力こそ『