目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報
第5話 官僚組織の病巣

「それで――君たち外務省は軍部の立案した作戦計画について、どこまで知っている?」


「私たちのチームが軍の作戦に付いて知っていることは、大きく分けて二つです。第一に、軍はヘロン湾への電撃的な奇襲作戦を計画しています。第二に、その計画はすでに漏洩しています」


「電撃的な奇襲?」ジャンヌは薄ら笑いを浮かべて失笑した。


「少なくとも名目上は、です」セシルがすかさず訂正した。「しかし細部は不明です。現時点での推定では、陸軍6個連隊と海軍4個艦隊が配置についています。うち輸送艦は60から80隻の間」


。いつ頃作戦の実行が可能に?」


「情報委員会によれば4週間以内に。徴集軍たる国王民兵の動員を避けているため、出動準備は比較的短期間で完了します」


「いやに数が少ないな。なにか意味があるのか?」


「不明ですが、現状では同意見です。しかし当地の状況を考えるに、十分な数とは言い難いかと」


「外務省がなにかを隠しているのでなければ、アバナの状況について説明すべきだ」


 ジャンヌのひねた口調は、セシルの気に障ったようだった。ピエルは目配せして、セシルに説明を続けてもらうように頼んだ。


「問題なのは帝国海軍です。王国がアバナ港湾の権益を喪失して以降、帝国はこの地域で急速に台頭しています。とりわけアバナ港湾に停泊している帝国艦船がいかに動くかは、今次作戦の成否を握る極めて重要な鍵になるはずです」


「アンティルのような周辺を大国に囲まれた小国にとって、たとえ自国の独立性を毀損してもどこかの勢力に与しようとすることは仕方のないことだ。アバナに駐留する帝国海軍は、いわばその保険か」


「ええ。しかし軍は、帝国海軍による反撃はないものとして考えています」


「なぜ?」ジャンヌが疑問を口にした。「そう言い切れる状況には見えないが」


「帝国が再び王国と戦端を開くことはないと、軍は考えているからです。列強同士の戦争はリスクが大きい。ましてや我が国と帝国は、陸路で直接国境が接続されているわけではありません。となると当然戦場は海の上、あるいは海を超えた植民地での戦いになります。兵力の海上輸送はコストが大きく、また補給線にも負担をかける。アンティルという小島のために戦端を開くのは、軍事的に見て非合理な選択です」


「軍事的には、ね」ピエルはそうつぶやいた。「では外交的には?」


「簡潔に言えば、軍部の推測は誤りです。アバナはただの小島ではありません。多くの資本が投下されており、帝国は可能な限り自国の権益を守ろうとするはずです。――仮にそうでなくとも、我が国が誇示した力の前に彼らが無力だということを世に示せば、帝国は同盟国や中立国を相手に面子を失います。そしてそれは彼らに外交上恐ろしい結果を与えることになるでしょう。『目には目を、歯には歯を、力には力を』。それが彼らの伝統的政策ですから」


「アバナに駐留している帝国艦隊が独自の判断で反撃を行ったり、あるいはアバナから撤退する可能性はどれぐらいある?」


「帝国軍の厳格な指揮命令系統からみて、彼らが中央の指示に反したいかなる行動をとるとも考えられません。政府の命令次第で如何様にも判断を変えるでしょう」


「ならば予想しやすい」とジャンヌが言った。「少なくとも王国軍よりは」


「その通り」セシルさえそのことには同意した。「しかしどちらにせよ、軍部の望みが叶う可能性は低いかと」


「君たちのチームの見解は?」


「閣下、この作戦が成功する可能性は大目に見積もってもゼロです。仮に何の事前調整もなく独立国への侵攻を行えば我が国の外交的権威は失墜し、作戦の失敗によってその軍事的威信は地に堕ちるでしょう。王国への義務として軍の独断専行を阻止し、戦略的均衡状態を回復せねばなりません」


 セシルが今日この部屋に来てから一番の熱弁だったが、ピエルの直感は彼女の言葉の節々から感じる違和感を見過ごさなかった。外務省の見解は勇ましく、ピエルにとって唯一の救いの手であるように見え、またそれゆえに危険な響きがあった。これは権力者に対する甘言によくある特徴で、ピエルは過去に何度も同じ手を見たことがあった。


 彼の脳細胞はこの状況において生じうる最も危険な事態を想定していた。――それは軍の暴走ではない。考えてみれば、軍の暴走は偶然の産物ではないのだ。それは将軍の暴走ではなく、陸軍卿の暴走でもない。現代における社会学的方法の規準は、属人的理由によって状況を説明しようとすることが不当であると示していた。軍の暴走はこの国が抱える構造的問題に対する結果であり、問題の本質ではない。そのような状況では他の官僚機構もまた同様に暴走しうるからだ。


 ピエルの思考がそこまでたどり着いた時、彼は切れ味の鋭い声を出してセシルを牽制した。


「セシル、君にひとつ確認したいことがある」


 とはいえ、それだけではセシルの表情は動かなかった。


「なんです?」


君の父上外務卿は今度の件に絡んでいるのか?」


 その問いに、たちまちセシルの瞳は冷たくなった。


「父が? なぜです?」


「真剣な話だ」とピエルは言った。「君たちの報告はよく精査されたもののようだ。だが私が外務省に情報を要求したのはわずか三日前だ」それから今度は皮肉っぽくいった。「これらの情報は三日で手に入れられるものだとは思えない」


「――報告の正確性を疑っておられるなら、それはまったくの誤解です。必要な人員や予算の不足にも関わらず、私たちのチームはうまく仕事をこなしています」


 セシルの返答は要領を得ないものだった。ピエルは威圧的な口調で彼女を攻撃した。


「私はそんなことを言っているんじゃない。私が聞きたいのは、君たちは一体今回の事件の兆候を掴んでいたのかということだ。あえて解答を避けるなら、ここではっきりさせよう。私は君たち外務省が、こともあろうに王国に対する背信行為を企てたのではないかと疑っている……」


 つとめて表情には出さなかったが、セシルはその言葉に少なからぬショックを受けたようだった。側にいたジャンヌは彼の容赦のない追及に息を呑み、事態が恐ろしい方向へと向かっていることに気づいた。しばらくの沈黙の後、薄ら笑いを浮かべてセシルが口を開いた。


「少し前です、閣下」


?」ピエルは彼女に軽蔑の視線を向けた。


「はい」セシルは呆然としていて、声の抑揚はすこし外れていた。「それは……重要なことですか?」


が重要なことかどうか、決めるのは私だ」ピエルは声を荒げていった。「君が理解しているかに関わらず、これは国家に対する忠誠心の問題だぞ」


「私も知りません。省に帰って確認を取りましょうか?」


「結構」突き放した物言いをして、ピエルは会話を終わらせようとした。「どうせ何を言ってくるかは決まっている――だが最後に一つだけ。君が私の招集に応じたのは君自身の意志か、それとも外務省の意志か?」


「いうまでもなく」とセシルは言葉を震わせながら、それでもこともなげに言葉を紡ごうとしていた。「国王殿下に仕えるものとしての意志です、閣下」





「聞いたか?」苦悩に顔を歪ませたセシルが部屋を出ていってからしばらく経った後、その後ろ姿を遠い目で見つめていたピエルはようやく口を開いた。


殿? たしか軍も同じことを言っていた。この国に王がいない今、最高指揮官はこの私だというのに。外務省はいったい誰に向けて政治をしている?」


 王国の官僚機構は貴族頼みだ。とりわけ外務、軍務、財務の三省庁の権威は別格で、これらの省の長――すなわち外務卿、陸軍卿、大蔵卿はほかの閣僚とは別に国王から直接任じられ、宰相といえども容易に解任はできない。それゆえ彼らは時に国家全体の利益に反して省全体の利益を優先する。


 外務省が軍の計画を知らなかったはずがない。そうでなければ、これほど短期間にあれほどの情報を集められたはずがない。軍の計画を、彼らはずっと前に掴んでいた。そしてそれをあえて見逃したのだ! 


 ジャンヌはニヤリと笑った。

「それにしても――セシルが観念したときの、あの顔は見ものだった。見かけによらず、兄貴も嗜虐的サディスティックなところがあるんだね。あんな質問に答えることはできない。彼女がことなんて、分かりきっていたはずだろうに」


 その言葉に、ピエルは肩をすくめた。セシルに対する威圧的でグロテスクな態度は彼の望むところではなかったが、あの状況で外務省を牽制する最善の方法は彼女をいたぶることだったように思えた。だいいち、この企みを思いついたのは彼女ではあるまい。彼女は報道官スポークスマンとして優秀であっても、これだけの大それた陰謀をしでかす度胸にも経験にも欠けている。この企みを思いついたのはおそらく外務卿――セシルを自らの駒のように扱う、セシルの父親だ。彼は王国全体の国家利益よりも、外務省おのれの王国にとっての省益を優先したのである。


「彼らは軍部の失敗を望んでいた。だから問題が軍部にとっての致命傷になるまで、それを私に報告してこなかったんだ。考えてみれば、じつに彼らしいやり方だよ。自らの手を汚すことなく大ナタを振るわせ、返り血を私一人に押し付けることができるのだからね。自分たちは一切傷つかず、私と軍部の信頼関係を破壊しようという参段だ。杜撰な戦争計画が白日の元に晒されれば、軍の後ろ盾を失った私と軍の操縦に失敗したカニヨンは、二人とも政治的に死ぬことになる」


 その言葉に触発されるように、ジャンヌは激しい口調をあらわにした。


「――もっと早く気づくべきだったんだ、ヘロン湾なんて些細な問題だということに。私たちは軍と外務省、奴らの間に横たわった子どもの喧嘩に巻き込まれている! あるいは軍の機密漏洩でさえ、外務省が仕組んだものだとしても驚かないよ」


「もういいさ、ジャンヌ。賽は既に投げられてしまった。差し迫った問題について協議しなければ」威勢のよい言葉を放つジャンヌの言葉にかえって冷静になり、ピエルは落ち着いた口調で彼女の放言を牽制した。「それに彼女だって、普段はあんなひとじゃない」


「兄貴はまだセシルを庇うのか?」ジャンヌの口調には呆れの感情が混じっていた。「婚約者だったのは昔のことだろ。向こうから破談にしてきて、それっきりなのにさ」


「今さら昔のことを気にしているわけじゃないよ。それに、婚約破棄は純粋に政治的な決定だった。今回のように、彼女の父親が仕組んだことだ。女王の早期即位に反対した私を、彼はずいぶん嫌ってる。彼は王党派の中締め的存在だから」


「じゃあこれは、兄貴に対する外務卿の復讐か?」


「わからない。そうかもしれないが、どのみち過ぎたことだ。今はもっと重要な問題がある。考えてもしょうがないことだろう」

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?