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デカート 共和国協定千四百三十六年

 鉄道の工事が一段落して人々に給金が払われ一段落した頃、町長から話があると言伝られた。

「道普請終わったんだって。おめでとう」

 マジンが出向くと、町長のセゼンヌが言った。

「うん。ありがとう」

「来年の冬の事業がないかね、という話を聞こうと思って呼んだんだ」

 セゼンヌの言い様にマジンは口をぽかんと開いてしまった。

「あ~。そりゃ、ボクがなにかこう人を使う用事がないかって話かな」

「ま、そうしてくれればありがたい。給金の他に食い扶持やら資材やらで掛かりは小さくなかったんだろ」

 セゼンヌが探るような目で尋ねた。

 大雑把に資材で十万タレルと人件費が給金と食費込みで二十五万タレルというところだった。資材は自前で加工していたからすさまじい圧縮効果が効いていたが、設備費は実験設備を含めば数百万タレルを突っ込んでいたし、人件費は圧縮の効かせようがない。

「線路の工賃の実費としては四十万タレルを割るくらいかな。あとはボクと家人の労力努力や過去の積み重ねでこれはまぁカネで量るのは難しい。ウチは工房だから、間に合わせで作ったり使ったりしたものも多い」

「確かかい」

 セゼンヌが改めるように言ったのにマジンは頷いた。

「――そしたらそれをそのまま町の端まで引き延ばすことは可能かね。アンタの家の船溜まりから町の真ん中突っ切ってデカートの北の端辺まで」

「そらま、理屈の上では可能だが」

 町長が何を云っているのか、マジンには今ひとつ飲み込めていなかった。

「例えばデカートまでの六十リーグで一千万タレルとかの工事を頼むとしてどう思うよ」

 ヴィンゼのように名産らしい名産のない、地勢の上でも、ただの荒れ地、という以外にない土地でよくも、一千万タレル、等と言えると思ったが、そこまで足りるかはともかく、銀行や駅馬車があることを考えれば、町は町、それなりに財政はあるということらしい。

 心配していた寄付でタダで作れ、という阿呆なタカリでないことで、マジンは薄笑いを浮かべた。

「値切ったね」

「町としちゃそこいらがいっぱいだからね」

 セゼンヌはマジンが笑ったのに付き合わず厳しい顔だった。

 マジンも冗談ではないらしいと口元だけの笑顔を引っ込める。

「森を伐らないと考えてもうちの脇の二リーグ半の道を百人で四ヶ月かかったってことを考えりゃ、脇目もふらずボクが張り付いて男衆が目一杯労務に汗を流して働いても、百人じゃ一冬で五リーグちょいってところだ。それだってかなり贔屓目に見て、だ。十年がかりの事業ってことになる。どっかかから千人住まわせるような手管があれば一年ちょい、まぁ二年ってことになる」

「つまり。……どういうことだい千人かそこら引っ張ってこられて寝床と竈があればいいって話かい」

 マジンの言外の素っ気なさにセゼンヌが尋ねた。

「町長はたぶん、長く仕事を引っ張りたいんだと思うが、道普請はそういう風にダラダラ引っ張ってもあまりいいことはない。どこかと何処かをつなぐのが道の仕事だ。思いついて思いつきを忘れるほど時間をかけるような種類のものじゃないよ。そんなら普通に畑をやったほうがずっといい」

 マジンの言葉にセゼンヌは鼻を鳴らした。

「ま、道理だ。じゃぁ言い方を変えよう。冬の間、農家連中を遊ばせないでカネになる仕事をさせるにはどうするのがいい」

「細工物させるのがいいんじゃないか」

 マジンがあっさり答えるのに町長は眉を跳ねた。

「なんか思いついてることがあるのかね」

「ん。ああ。去年、ちょっとあちこち廻って蹴られているからこっちとしちゃどうなんだって気もするんだが、しばらくミストブルの店においていた脱穀機って知ってるかね。去年の夏のうちに壊されたんで引き上げたんだが」

 セゼンヌは少し首を傾げた。

「ああ。パン屋のクーべがなんか言ってたヤツか。便利だったのにいつの間にかなくなってて誰か買ったんだろうって話になってたが壊れたのかい。気の毒に」

 セゼンヌの言葉はいかにも軽薄だったが、町場の評価としては順当なものだろうと思えた。

「まぁあれをセレーヌ商会が買い上げてくれた」

「そりゃおめでとう。だがどういうことだい。それを作れってことかね。ひょっとして」

 話の筋が読めない様子でセゼンヌが言った。

「材料を売ってやるから組み立ててくれれば、買い上げる。冬の間に小器用なら一台か二台組み立てられる。それならまぁ多少の手助けはしてやれるよ。材料を四百タレルで買って完成したらウチが六百タレルで買い上げる。自分とこで気に入ってそのまま使うってならそれはそれでもいい」

 セゼンヌはマジンの言い分に首をひねった。

「まぁ言いたいことはわかるが組み立ては簡単なのかね」

「うちの素人の若い衆に刻んだ部品を渡して、ひとつきで二台ってところかね。何台か作らせてくと慣れて早くなるけど、その辺はそれぞれだろう」

「まぁ、夏頃にもう一度少し考えといてくれ」

 セゼンヌにも自身が難題を積んでいる自覚はあって、口の中で少し言葉を探したようだったが、言葉にしたのはそれだけだった。



 鉄道ができたおかげでマジンの仕事は大きくはかどっていた。仮にどこなりと町が繋がる鉄道を手に入れればそれなりの効果があることは間違いないが、採算を考えるにはひとつは意味のある目的地、出来れば鉄道の経費をその拠点だけで支えられるような、そういう実用性が必要だった。町が裕福で税収に余裕があるというなら、先を考える必要もなかったが、単純にその場限りの思いつきでは鉄道の維持は困難だった。

 鉄道の利益自体は商業的な運用をしていないゲリエ家の場合、金額に換算することは困難だったが、機関船の積載に合わせて肥大していた輸送量は時間もそれに応じた人手や荷駄の手当が必要で、時間の圧縮という意味合いや、それに伴う面倒の圧縮にも繋がった。結果としてコボルト鉱や鋭錐石・鉄重石・灰重石のような他所では扱いにくい鉱石をついでにまとめて安く買い入れたり、鉄の地金・製材や骸炭の搬出が円滑におこなえるようになった。

 そういった大規模な物流をおこなう素地がヴィンゼにあるかどうかは今のところ怪しいとしかいえなかった。

 石炭灰の減量化という名目を既にどこかに置き忘れたような各種の電気炉や真空高圧結晶炉などというような新型の大型工作機械を運転するにあたって、燃焼ガスや副生成物を抽出するための骸炭炉の拡大と自動化が進み、デカート州内の工房や商会が品質の安定した骸炭や地金を求めてザブバル川を経由してローゼンヘン館を目指すようになると、ゲリエ氏の名前はこれまでと違った意味で錬金術と結び付けられることが増えた。

 骸炭の生産の拡大を進めることが出来るようになったのは、石炭を流し込む行程から袋詰までが、機械化されたことで、これまで大きく手作業が減ったということにもある。自動袋詰機が順調に機能したのは縫製機のおかげだったが、麻玉から麻布を織り立てる自動織機が上手くいったおかげが大きい。長い麻袋の筒を使った自動袋詰め機は下の口を縫い合わせ骸炭を定量流し込み切る、という製造機械の基礎をなす技術だった。

 更に鉄道設備の転用で工房内の動線の一部が機械化されたことも大きい。

 構想自体は三年前にすでにあって、自動織機自体は一昨年から様々に試験をしていたが、絹糸や人工繊維に比べて太く荒い麻糸を上手くすべらせるということが少し手間取っていた。単に発想の違いでもっとゆるやかに行えばよかっただけのことだが、ともかく気がつくのが遅れた。

 また、機械化範囲が広がったことで作業従事者の体力配分を管理する上で余裕ができたことも大きい。これは、単に機械が作業従事者の作業効率を上げる、という単純な話でなくマジンの定形作業時間を減らし、別の作業に移れるということも意味していた。



 機械の多くはマジンにとっては却って脇でより単純な工具を使っておこなったほうが手早いくらいのものだったが、より重要な意味があった。

 マジン一人であれば別段どうでも良いことだったが、他の者が目と手をかけていられるということは、マジンが失念したまま別の作業に移れるということで仕事の効率が全く違う。

 そうやって増産された各種金属地金や骸炭はそれなりに需要が多く、品質が安定していれば高値がつく商材で、ストーン商会の工房ではローゼンヘン館のそれは定番の需要品であった。

 そこに新たにアルミニウムの地金を持ち込んでみた。

 ガラスより軽く金のようにコシのない延性を持ち、錆びず輝き、鉄より柔らかく速やかに熔け酸に脆い。

 すぐに半分の体積の銀と同じ値段がついた。石炭灰の中のアルミナから回収しているそれは、ローゼンヘン館でも鉄ほどには大量にあるものではなかったが、蒸気圧機関に限らず機械を作る上で精度の調整に便利な素材のひとつであった。鋳物などでこしらえた部品のほんの僅かな歪やざらつきに帯のように乗せ締めあげるだけで、噛み合いやつなぎが良くなった。膠や瀝青などでは融けたり吹き飛んだりするような炉釜や鉄砲大砲の最後の合わせや車軸の滑らせに使えた。

 錫や鉛ですでにおこなわれていたことでもあったが、より熱に強く軽いことと銅よりも更に酸で処理しやすい性質から使い分けや、ローゼンヘン館の地金の信用から合金の地金としての用途が人気になった。

 もちろん最初の大口用途はストーン商会が苦労している蒸気圧機関の摺動部の合わせに使われた。

 幾らかの合金の配合はローゼンヘン館での実績をもとに実際の設備と用途の状況を見ながら詰めてゆくことになる。

 ストーン商会の初期量産機は機械の精度を高め性能を発揮するために、銀貨を鋳潰して摺動部の滑らせに使っていたが、もちろん喜ばしい方法というわけではない。

 工作機械や治具がようやく追いついてきた理由は軸の詰めを比較的簡単におこなえる様になってきたことにあり、軸を支える鉄のコロを支える技術、ベアリングというものが理解され使われるようになり始めたからだった。

 ローゼンヘン館の機械には随分前から組み込まれていたものだったが、望む形望む大きさの様々を全て準備することは難しく、機械の大きさや機能を制限するものだったから、ネジのように必要な者が必要な物を求めることも自然な流れで、マジンはストーン商会に工房の工作機械の講評を求められていた。

 そういう風にストーン商会の工房で職人相手に話をしているところに、通りすがりと云うには足音高くアエスター・ストーン氏が現れた。

「先生。機関車を売ってください。大きい方も小さい方もできるだけたくさん」

 唐突なアエスターの要求は裏も表もなくそういうことだった。

「たくさんというとまたアレですが、大小というのはどちらかでご覧になったのですか」

 アエスター当人はローゼンヘン館に足を向けておらず、新型の機械として試すところの多い機関車はマジン自身が鉄道の準備にかかりきりでそれほど積極的に世に出していなかった。

 少しばかり首をひねるマジンにアエスターは少しばかり芝居めいた仕草で嘆いてみせた。

「ああ、もう。アレほどのものであれば、私なら我が家なら即金で三百万タレルを出しましたのに。先生はなぜに私に言ってくださらないのか」

 アエスターはそう言って訴えた。

「どちらかで試乗なさったということですか」

 少し不思議な顔でマジンは尋ねた。

「もちろんグレン氏が嬉しそうに見せびらかしていましたよ。しかもあそこの執事がなにやらシブチンで三万タレル余計に支払うことになったとか、おかげで娘子を後ろに乗せて先生とローゼンヘン館から一日で一気に自宅まで帰ってきたとかそういう羨ましい自慢話を聞かされていました」

「去年の夏の終わりの話ですな」

 アエスターは頷いた。

「しかしなんでいまごろ」

「ようやくウチで作っている蒸気圧機関が各地に納品されて順調に動き始めたから。といえば現金に過ぎますか」

 自慢するような笑顔のアエスターのあまりに率直な言葉にマジンは笑うしかなかった。

「それはまた、結構な先行きですな」

「それとですな。学志館の脇に新しい学生寮春風荘、と言いましたが建てられましたな。大きな舟と機関車。それからなんというか骨ばかりの二輪車が軽快に走っているのを見かけました。学生たちにも馬より面倒が少ないと好評のようです。早速、物取りの被害にもあったようですが、お嬢様がたが寮生の皆を組織して無事取り戻すことに成功したようですな。どこかの工房では見よう見真似で似たようなものを作るつもりのようです。ともあれ、デカートのあちらこちらで業績をお目にかかる機会があって、多少手数に余裕が有るようにお見受けします。今なら断られることはないかと思いました」

 アエスターは少し態度を変えていった。

「――真面目な話、何台でもというのは冗談ではありませんし、三百万タレルを値切るつもりもございません。大きい機関車というのは私は見ていませんが、そちらも言い値で買うつもりです」

「使いみちがすでにあるということですか」

「もちろん。三十台なら即金で。百台は確実に。車輪の換えも用意していただきたいところですが、それは別口でも」

「大商いですね」

 アエスターの表情を確かめるようにマジンは口にした。

「――代えの車輪が難しいですがとりあえず三十両なら年内に作れますかね。車輪の予備は間に合わないところです」

 マジンの言葉にアエスターは頷いた。

「燃料の調整剤とおっしゃいますか、大豆油に足す薬剤も一両二ストン勘定で」

「何か、あったのですか」

 アエスターはマジンの訝しげな顔に少し表情を失った顔をした。

「商売ですよ。まぁ、図面を頂いた蒸気圧機関の商売のせいです。ともかく急がないとなりません。実のところ先生の読みである三年というのは、いい数字だと思います」

「なるほど。二百かそこら売れそうですか」

 今ひとつ飲み込めたわけではないが事情は察した。

「千に達すればいいと思っていますが、そこは運でしょう。各地の鉱山にも目端の利くものはおりますし、そういった者達がうちの機械を見れば、どういったものかのツボはわかるでしょう」

 アエスターは一回り野心的に応えた。

「――いずれにせよ。せっかく頂いた機会を大きく活かしたいと考えているのは事実です」

 アエスターの言葉は商いを生業とするものらしく嘘も間違いもなかったが全てというわけではなかった。だが少なくともマジンの業績への敬意も製品への希望も本物であることはそれとなく分かった。

「わかりました。まずはご期待に添えるように努力いたします。完成後は舟でお届けでよろしいですか」

「先生の良いように。お支払いの件があるので月ごとに見込みがわかると助かります」

「売買は現金で逐次ということですか」

 アエスターは改めて頷いた。

「そちらのほうが先生もよろしいでしょう」

 なにが起こっているかは分からないが、アエスターが何かと急いでいることは伝わったので手元の二両を早速船便で届けた。

 約束通り現金を準備していたストーン商会にはアエスターもいた。

 その気概に応えるべくマジンは一旦、難航している研究のたぐいを止めて小型機関車の製造に没頭した。



 十グレノル積めるプリマベラと鉄道の威力は驚くほどで、グレカーレをセレール商会の求めに手放して船長さん=ミリズが伊達男=ミソニアンとでプリマベラを扱うようになってから、夏まで五日にいっぺんの割合で石炭と骸炭を積んで戻してという勢いで往復していた。

 これまでの船の上の生活が天国だったと感じられるほどにモイヤーとガーティルーは骸炭窯と船着場で働いていた。

 春から骸炭窯をはじめとする工房の炉釜の拡張を行い、初夏にかけてのしばらくとその後で秋までのうちに骸炭窯や製鉄炉・電解炉・真空高圧窯・輪転圧延機・高圧鍛造機・結晶坩堝などの製材機械の大型化機械化をすすめて整備し、夏からは熱圧縮機関の主要部品を百台分まとめて作り、ウェッソンやリチャーズばかりでなくアルジェンとアウルム、更には手が空いていればマイノラとマキンズにも手伝わせて組み立てさせた。車輪を支える腕バネ系の部品を作りとしている間に学志館の夏休みが訪れて子供たちが帰ってきた。

「なにこれ。畑みたい」

 工房の脇に整然と並んだ百台を超える同じ形の機械部品を見てソラが驚くように叫んだ。

 子供たちの顔を見て、そういえば冷凍機関の基礎原理の論文を学志館の学会に送ったのを思い出した。

 あり分だけで作業は止めて良いと伝えて、マジンは学会に出席すべく組み上げた一番新しい機関車でデカートに向かった。往来は水路のほうが確実だったが、納車の都合もあったので部品慣らしを兼ねて陸路で向かった。と言うのはもちろん半分切り替えの気晴らしでもある。

 マジンの発表そのものは来週だったが、春風荘の状態の確認をしておきたかったし、いくつか気になる論文もあった。何より学会の雰囲気というものを先に確かめておきたかった。朝食を終えてから機関車を走らせると、正午過ぎ午後のまだ日が天頂付近にあるうちにデカートにたどりついた。町が奇妙ににぎやいでいた。浮かれているというよりは騒がしい感じがしたが、川まつりの名残か学会というものの雰囲気かもしれないとその場は無視して春風荘にやってきた。

 機関車を春風荘に停めて二輪車で学志館への道に乗ってきた学志館の中は奇妙に殺気立っていた。年に一回の晴れ舞台であれば、緊張するのも致し方あるまいと二輪車を会場の脇の木立に立てかけるように停めて建物の中に入ると、不穏な単語が聞こえた。

 戦争。

 開戦。

 奇襲。

 壊滅。

 どこだかで戦端が開かれたらしい。

 共和国軍が小さくない規模の被害を受けたようだが、詳細がわからない。

 そんな風な噂だった。

 期待していた字義的圧縮と文字長圧縮の話は面白い話のはずだったが、会場の雰囲気が悪すぎて発表者も落ち着かない可哀想な状態だった。

 結局、その後十件の発表があったが、幾度と無く会場幹事の聴衆への注意や警告が発表を中断させる奇妙な雰囲気になっていた。日が落ちる前に通例会場は閉じるのだが、あまりに中断が多すぎ、日没のほうが早く来てしまい、予備日に繰り越される発表も多かった。

 日が落ちてしまった道はしかしそれでもデカートのことで街灯や家の明かりがチラホラと道を示していた。中でも一際明るかったのは春風荘の電灯だった。マイラに帰宅を告げ、船宿側の一室に今日の資料を置き食堂に戻ると、夏休みだというのに十人以上の学生がいた。課題があったり課外活動であったり或いは帰省するのを諦めたりということであるらしく、初等部の学生ばかりでなく高等部の学生もふたりいた。ひとりは将棋の組み合わせ盤面の連続性と不連続性に関する多項式化について、というあるコマの並びについて、合理性があるかないかという数学的判定方法についての研究で、もう一人は泥海の固有種である魚の生態の研究である、という。

 ふたりとも二輪車のチェーン・スプロケットについて妙に興味があるらしく、作り方やらなんで思いついたのかのような話を熱心に尋ねてきた。

 そのうち初等部の学生がポツリと戦争の話を同席していた学生にこぼしていた。

 戦争の相手は帝国軍でギゼンヌが包囲されているらしい。リザの二回目の手紙はギゼンヌからだったことを思い出した。半年余りも前のことであれば、今どこにいるのかは分からないが、無事ならいいとしか願えなかった。

 翌日も戦争の動揺は学会全体に広がってゆき、あまりよい雰囲気とはいえなかった。

 中日があって学会全体が休日であったのでデカートの軍人会に足を運ぶと、帝国との開戦は事実であるが、戦況についての詳細はなかった。仮にギゼンヌであれば早馬でも概ね一月かかる距離で腕木信号や狼煙で概要はわかっても後方の民間まで情報が伝わるのはかなり先になるのは仕方ないところだった。

 だが、兆候自体はなかったかと思えばあった。

 リザの手紙がそうだったし、アエスターの注文の件もそうだった。

 なにかわかるかもしれないと、ストーン商会を訪れると商会はやはり開戦の噂でもちきりで鉄と石炭が跳ね上がり硫黄や硝石が消える大商いだった。月末分までは先物で買っておいてよかったと言える値段だが、銑鉄や骸炭も跳ね上がっており、ローゼンヘン館で求める鉱石まではそれほどの跳ね上がりではなく、先行きで慌てても仕方ない様子ではあった。

「これはゲリエ様。今日はどのような御用でしょう」

 さて、この有様はと商会の中を見回しているとグリスが声をかけてくれた。

「学会の合間に機関車の納入をと思い足を運んだのですが、これはどういうことですか。大変な騒ぎのようですが、戦争のようですね」

「それはまた、お越しいただきありがとうございます。どうやら戦争のようです」

 白々しくも驚いた様子を作るとグリスはサラリとそう応えた。

「勝っているんですか」

「さあ、そこまでは。ただこちらから討って出たということではないようなので、芳しくないのでは、という意見が多いようです」

「やはりギゼンヌですか」

「そのようなのですが、今ひとつ詳しいことはわかりません」

 グリスの言葉は泡のようで嘘を混ぜないようになにも掴ませないようにというようでもあった。

 マジンは慌てることの無駄を悟り、機関車を引き渡してストーン商会を辞することにした。

「機関車の件、頼りにしております」

 グリスは機関車を引き渡した後、マジンの去り際にそう言った。

 マジンの論文公演自体は極めて盛況で好評だった。

 デカートの製氷事業がまぐれでないことは二つの商会が独自に似たような金額で氷に関する商売をおこなっていることで経済的に証明していたし、氷が紛い物でないことはすでに丸一年以上の実績が積まれていた。

 製氷機関は系の内外という概念や分散均衡・圧縮膨張・相変化・潜熱・顕熱・系の総熱量と内熱という概念を工学的に扱ったもので、それぞれいくつかは数学的な概念的な理解を幾人かの学者のうちでは既になされていたが、取りまとめて成果にしたものを見たものはいなかった。

 また、温度の概念に対する熱素或いは冷素という概念を必要としない理論体系は事実上の第三派の優勢を示すものでその意味からも幾つかの論文とは直接関係ない、例えば糖や塩が冷たく溶けることの背景や、火薬が爆ぜる背景についての質問に至っていたが、基本的にはある物質がある形からある形へ性質や物性を変化させるとき、物体が占める系の大きさが変化しその際に運動の形で熱が放出或いは取り込まれる、という説明はひとつの概念上の衝撃を与えた。

 見たこともない微細元素の衝突運動こそが温度であり、その運動の活性に寄って占められる真空空間の大きさが物体の本体の大きさであるという概念は元素や物体が微細な積み木や煉瓦であるとしていた多くの学派にとってはやはり衝撃で更なる質疑を呼び、マジンの論文公演はもともと他の発表の倍以上の長さを予定されていたが、公演質疑が他者の発表を圧迫するということで打ち切られ、少し殺気立った雰囲気の中で終わった。

 流石にそういう雰囲気でそのまま他の人々の発表を聞いているわけにもいかず、ちょっとしたお洒落泥棒気分で会場を抜けだして、二輪車で街を一周りして銀鱒亭に足を向けると相変わらず浮ついて賑わっていたが、日雇い風の連中が妙にはしゃいでいるように見えた。

 戦争ということになれば、日雇いぐらしからもおさらばだと前向きに考える連中と徴兵徴募がおこなわるのではないかと心配する連中とが様々に議論しているらしい。

 戦争自体はいよいよ本物であるようだ。

 どうやらギゼンヌ周辺で押し込まれているのは事実のようで、半ば軍の直轄地のような扱いであるギゼンヌが要塞拠点として戦線を維持するも、リザール湿地帯近辺の陣地線が破られ、敗走する兵を収容する一方で混交とした戦況状態では周辺の救援は満足に行えず苦しんでいるという状況であるらしい。ペイテル・アタンズという周辺の町々が包囲されていて古い城壁を保つ町ではあるが、ギゼンヌほどの要塞ではなくそちらは抗戦は長期的には絶望的であろうと、そういった観測が流れている。ペイテルは共和国の中では最も古い街の中のひとつで、帝国との間では熾烈な戦いを繰り広げられた土地であるからそれなりの風土も備えもあるが、元来数十リーグも先で支えるはずの湿地帯の陣地線が崩壊するという事態にあっては一つの街でどれほど抗戦できるかは疑わしいという話であった。

 あの辺には他にも幾つか町があるわけだが、それらはおそらく絶望だろうとささやかれていた。

 もちろん帝国軍とて無限の兵力があるわけではなく、回り込まれないように戦線を描くにはある程度の密度で攻勢を終える必要があるからデカート近辺が近日中に戦禍に襲われるというわけではないが、どういう形に展開するにせよ、戦争そのものに協力する必要はあるだろう、そんな風だった。



 話に聞く湿地帯は相応に面倒くさい土地であるはずなのに、そこを押し切って突破できると云うのはどんな失態が共和国軍側にあったのだろうかという興味は尽きないが、ともかくも戦端は開かれた。

 久しぶりに火薬を作るべきだろうか。そんな想像もした。商品としては間違いなく需要の高いものであるはずだが、あまりそういう風に名前を売りたくもない、と無責任な立場を維持したい気分もあった。

 御国に義理立てて浮足立っても仕方がない、日々淡々となすべきことをなせ、と云うのが街場の賢者としての見解であるはずで、事実戦線から遠いデカートにあってはせいぜい縁者を暖かく迎える備えをするくらいで良いはずだった。

 鋼線を編みこむ立体織機は麻袋を作る織機で苦しんだ様々から全く順調に進み、ソラとユエが、おデブの黒ドレス、とおどけるようなそんな風の行程で一日に数十のゴムタイヤを作っていた。

 秋も深まった頃、機関車の素材として一番面倒な車輪の材料が揃いだし、十台組みあがり、どうやら年内に三十台がストーン商会に納車ができることが確定した。

 ヴィンゼの町人の雇用の話は約束の夏のうちには返事がきちんとできなかったが、冬の間に人を月に三十ばかり三回雇い入れるという話は返事ができた。

 ひとまず線路が出来たことで百人ほども人が必要でないことは町長であるセゼンヌにも理解できていたから、不満そうな顔はしたが口論になるほどのことはなかった。

 農閑期の間、雇い入れた人々の仕事は脱穀機の製造と川口での荷揚げ仕事だった。

 プリマベラの積み込み量はヒツジサルを必要としないというよりも、あっても川口での人手の不足からマジンがいないと受け取りにあふれるということで、普段は忙しさから使っていなかったが、人手があり鉄道が引かれたとあれば、その間に一気に蓄えておくというのは当然の知恵で、様々な製材装置のための鉱石資源を積み上げるのに人手が必要だった。プリマベラとヒツジサルとをいっぱいにすると概ね二十グレノルを少し越えるほどで、舟から貨車までは陸揚げ機が動いていたが、その両端は人手が必要で、資材置き場も結局最後は人手による整理が必要だったから常に十人かそこいらの人手がないと危なくて仕方なかった。

 春から秋にかけての資材置き場の整理はモイヤーとガーティルーの仕事だったが冬場の助力を得てようやく一息ということになった。

 そういう単純作業が今回の目的の中心では実はなかったのだが、脱穀機の組み立てくらいの事になるとやはり多少人を選ぶことになった。

 脱穀機の組み立てには優・良・可・不可くらいの適性があり、不可の人々には荷の積み下ろしに回ってもらった。

 優は大工と見まごうばかりにひとりで部品から脱穀機が組み立てられ、或いは欠けた部品を自分で補填できた。

 良はひとりで組立はできるものの、部品の製造補填はできない。

 可は指導下で組み立てができる。

 という、誠に大雑把な区分であったが、人の能力や適性才能というものについて無頓着であったマジンにとってはちょっとした衝撃のようなものを感じた。本当にたったひとつきであったが、同じヴィンゼという辺境で生活している人々に大きな違いがある、という結果は理解が難しい事実であった。一方で人々の偏見やら行違いのようなものの原因も想像ができ、溜息をつくような一冬だった。

 脱穀機の組み立てで優の判定をした人々は九十五名中十二名でそれが多いのか少ないのかはよくわからなかったが、脱穀機の組み立ての下請けの仕事を頼んでみた。金貨五枚で部品を買い完成品を金貨七枚で売る、という畑に出ないうちの内職のようなもので、完成したら狼虎庵に伝えてくれれば引取に上がる、というそういう内容だった。

 かつて脱穀機の値段を金貨で十枚或いはミストブルの店先のものが十二枚という値段を知っていた者達は、自分たちが慣れない手つきで組み立てた脱穀機と賃金の意味を知ってそれなりに納得した。

 結局申し出をした十二名は全員が受けた。マルバもその中のひとりだった。

 マルバは材料のままで手に入れた脱穀機を一台自宅用として手元に置き、その後兄弟たちと下請け仕事を続けるつもりのようだった。

 その冬には嬉しい報せであればいいと思えるものもあった。

 リザから冬越しの挨拶状が軍都から届いた。母子ともに健康であるという。春には休暇がもらえることになるといいなと願っているがどうなるんだろう、というような忙しそうな内容だった。

 子供たちは当然に慌てて返事を出した。


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