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ヴィンゼ 共和国協定千四百三十四年水始涸

 買ってきた三グレノルの石炭を運ぶのにほとんど丸二日費やすことになった。

 たった二リーグの道のりにである。

 三百の石炭袋というものは三百の麦袋よりも小さくはあるのだが、結局の所かさばり重たい。

 機械じかけの機関車は力強くはあったが、荷物が増えてしまうと機関車の運転を子供に任すことができないということが大きな問題だった。

 先読みに不慣れで、あるいは腕力が不足していると重たく荷物を積んだ機関車は曲がりも止まりもできずに明後日の方に走ろうとしてしまう。

 多少轍にはまろうが滑ろうが熱流体振子機関が回す幅広の動輪は桁をつけたこともあって荷車を押し出すのだが、肝心の舵輪を握る御者が負けてしまう。

 四分半グレノル辺りが操作に慣れていて腕力に余裕のあるはずのアルジェンとアウルムの限界で十五往復することになった。

 それでも馬に牽かせるよりは面倒が少ないはずで、道の悪いニリーグの往復を考えれば仕方ないところではあるが、ストーン商会の荷駄と人足の優秀さを実感することになった。

 単純に人足を揃えられる店構えというところか。

 途中まではマキンズも悪態をつくことで気を紛らわせていたが、最後は悪態もつけずに居眠りをしていたし、アルジェンとアウルムもウトウトしていた。


 翌日、船小屋での手作業の殆ど半分ほど蒸気圧機関でこなしてしまう自動釜の操作を手伝いながら、これ船小屋に作ればよかったのと違うのかよ、とぼやいてウェッソンに小突かれたマキンズの気分はマジンにも分かった。

 普段に数倍する石炭の量を一気に運ぶとなれば、意味がわからないとぼやくマキンズの気分も分かったが、すでに来年の話をした覚えもあった。大量に石炭精製物が必要になる予定だった。

 そんな風に館に帰ってきて冷凍機関の支度をしている間に一週間ほどしてデカートから早馬で書状が狼虎庵留についた。

 町の人々は狼虎庵が事実上ゲリエ家の所有物であることを半ば認めていたし、早馬が馬を潰すより早く機関車がヴィンゼとローゼンヘン館を往復することも知っていた。

 町の領域の外縁である二十リーグあまりというのは馬にとってもいささか遠すぎる距離であった。

 ぼちぼちとデカートと結ぶ街道の南側の外縁である井戸の辺りに宿を建てよう、という動きがヴィンゼの町でも出始めていたが、先立つモノとヒトをどうするかというところで止まっていた。そういう距離である。

 これも仕方ないかとマジンが走って出向いてみるとセレール商会の印章付きの書状でグレン氏からの不在の折の詫び状だった。

 井戸と土地の件は特に触れられていなかったが、おいでの際に会食で一日余計に手間を頂戴したい。ついては徒弟の方々もご一緒に臨席いただきたい、というような内容だった。

 承った旨を一筆したためて商会の早馬番に渡すと、飛脚は馬に塩砂糖を食わせて休憩もそこそこに引き上げていった。

 聞けば道中で中継ぎを待たせているらしい。思えば馬には飼葉どころか野営の道具も積んでいなかった。

 帰りのほうが早いのかよ。とジュールは軽口を叩いたが、馬の足の息の長さを考えれば、全く合理的だと思った。

 ヴィンゼとローゼンヘン館の中間辺りに飼葉と竈を備えた庵を準備するくらいしてもよいか。と、今更ながらにマジンは思った。冬の間の田舎道は水や火を落ち着いて準備することも実は難しい。

 このあと、来冬にでも本気で人を募って川辺まで鉄道を伸ばすつもりならそれなりに往来を支える設備は必要で、二箇所くらい雪の寒さを凌ぐ小屋があってもいいだろうと思えた。いくつかある道だか畦だか区別がつかないところを直してやることもいるだろう。

 なかなかに楽しげに忙しいものだった。

 そういえば酒場にはゆかないほうがいいですよ、と狼虎庵の男たちが如何にも悪党臭いニヤニヤ笑いをしながら早馬を見送るマジンに言った。

「酒のんで夜道はやめとけっていうのか。上の宿で泊まるよ。今日は急いで帰る用もないし」

「それが一番イカンと思います」

 マジンの言葉にジュールが言った。

「別に、今更だろ。ボクが町出て女抱いて帰るなんて。お前らも行きたいってならまぁたまにはいいが、明日の仕事に差し支えるようだと困る。一人づつにしとけ。カネは預けとくから」

「いや、そうじゃなくてですな。……お心遣いはありがたいんで、そうしていただければ嬉しいんですが、……いや、そうじゃなくてですな」

 ジュールが吊るされた欲目と伏せていることとの間で言葉に困る。

「まぁ、なんつうか、スジの悪い客が来ているんですわ」

 センセジュが言った。

「客ならさっさと伝えろよ。こっち帰ってきてもう一週間だぞ。スジの良し悪しなんか会ってみないとわからんだろ」

「いや、それがなかなか伝えにくい客でして」

 ジュールが困ったような薄笑いを浮かべながら言いよどんだ。

「どういうことだ」

 マジンが苛立ちを隠さずに男たちをひと眺めする。

「酒場行けばわかると思います。帰っててくれると波風少ないと思ったんで。すません」

 センセジュが観念したように言った。

「客っつうても命やカネがかかってるってわけじゃないのと、リザさん来てるところに……。まぁ旦那が町まで顔出して酒場いかないってこともないでしょうから、それならッて感じです。しばらく酒場にいかないのもアリだと思いますぜ」

 ジュールが言った。

「誰だ。オーダル・メイラックスあたりが本当に娘を引き連れて乗り込んできたか」

 マジンが心当たりをジュールに問いただす。

「ああ?ああ、いましたな。そんなカアチャンも。いや、まぁ、女には違いないんですがね。まぁいいや。もうここまで話しちまったら、最後までご説明いたしますよ。で、納得していただいて回れ右でお屋敷にお戻りになられたほうが面倒が少ないと思います」

 ジュールが観念したように言って、事務所の椅子を奨めるようにして自分も腰を下ろした。

「お察しの通り客は女です」

「誰だ。ボクとお前らの間で女っつうとメイラックスとマイラ・マラーホフとセントーラ・マイエツシか。メイラックスじゃないってなるとマラーホフとマイエツシってことだな。マラーホフが旦那と揉めて雲隠れにどん詰まりに逃げてきたとかそういうことか。マイエツシはそういうの思いつかんが」

 ジュールが納得したように目をつむり頷いた。

「女はもう一人いたんですよ。まぁアタシらも女扱いはしなかったんでがね」

 ジュールの言葉にマジンが首を軽く揺する。

「どういうことだ」

「うわっ。若旦那に教えを垂れる機会が訪れるとは思ってもいなっ……――いたた、いや、マジで痛いです。若旦那、耳取れちゃいますよ。いやごめんなさい。話しますから。ちゃんと説明しますから、放してください」

 マジンがジュールの耳たぶをつまむとジュールは悲鳴を上げた。

「――若様、やっとこみたいな指の力なんだから加減し……ああ、すみません。説明します。……あの時小汚いガキがいたの覚えてますか?十四とかサバ読んどいて十だったらしいんですが」

「……ロザ・ウテイル・スヴァローグとかってそんな歳だったか。随分ちんちくりんだと思ったら十って十歳か?お前らそんなの使うほど人手に困ってたのか」

 ジュールは驚いたような顔を作った。

「うあ、マジで覚えてたよ、この御人。……まあ、そんな年のガキを男とか女とか言うほどアタシらも困ってなかったですからね。旦那が粗方殺しちまいやしたが、女郎も結構いたんで」

「まぁ、最後結構悪態ついて唾まで吐いてたからな。そうか、女だったのか。で、なんでまた遥々来たんだ。ボクの女にでもなりに来たってのか」

 ジュールは死んだ猫でも見たような顔をした。

「まぁ、そんな感じなんですかね」

「女は若いほうがいいったって十五か十六か、それくらいにならないと流石にな」

「冗談だと思ってらっしゃいます?」

 ジュールはマジンの正気を疑うような顔をした。

「揉めるって心配してくれたのは感謝しているよ。でもまぁ遭わないとむこうも引き上げないだろ」

「会っても引き上げないんじゃないですかね」

 ジュールが心配そうに言った。

「ここで雇うか」

「勘弁して下さい。来るとうるさいんですから」

 ジュールが嫌そうに言う。

「たまに来るのか」

「ここがお屋敷の取次みたいになってるのは町の連中ならみんな知ってますし」

 ふむ。とマジンは鼻を鳴らし頷いた。

「男がほしいってなら別にボクでなくてもいいだろうにな」

「お嬢様、ああ、下のお嬢様の剣幕知ってりゃ、ヴィンゼじゃ若旦那の関係者ってふかしている女にはまた当分手を出しませんよ」

 呆れた声でジュールが口にした。

「なにかあったのか」

「二日三日前にリザさんとお嬢さんで町来てたじゃないですか。あの時どこぞの物知らずがリザさんにちょっかい出したらしいんですよ。したらお嬢さんが、そのバカの足元ほんのちょっとのところで、バババーンとふたり揃って。……まぁ、スカッとしたのもアレなんで、こういうのはなんですが、お嬢さんがたちょっとばかり怖いもの知らず過ぎじゃありませんかね」

 ジュールが心配そうに語った。

「賞金稼ぎの娘だからな。ガラよく育てるのは難しいよ」

「若様、デカートじゃ博士とか導師とか呼ばれてたりもするんですよ」

「そりゃモグリだ。ボクは名乗れない。うん。まぁ。ソラとユエには後でゆっとく。で、スヴァローグ嬢はなんか言ってたかね。酒場を根城にしてるなら騒ぎは見たか聞いたかしたんだろ」

 ジュールが肩をすくめた。

「そっちは知りませんよ。アタシらもプラプラ遊んでるわけじゃないんですから。ってか、アイツラが来てから酒場は面倒が嫌で足を向けてませんよ」

「アイツラってことは他にもいるのか」

「若様の客はその、ロザなんですがね、それを炊きつけたのが――」

「邪魔すんよ~。あんたらんとこのご主人、そろそろ帰ってきてんじゃねえの。アイツの娘と新しい女ってのが街に来てたみたいなんだけどさ。ちゃんと仕事しろよ」

 若い女、というには如何にも幼い声が伝法に表から聞こえる。そのまま事務所の扉が開いた。どれ、と振り向いたマジンの顔を見て腰の拳銃に手をやったところで少女はマジンの銃口がすでに自分を向いていることに気がつく。

「若旦那。あたしら出てきて一年経ってないんで色々面倒なんすよ」

「大丈夫だ、このまま撃ってもだれも死にゃしない。スヴァローグ嬢の拳銃の銃把が吹き飛ぶだけだ。暴発して怪我するのはいるかもしらんがね」

 記憶の中のちんちくりんの小汚いガキを目の前の育ちきっていない小便臭いメスガキに記憶を更新する間マジンはロザを観察していた。骨は割とシャンとしていて肉付きは悪くなく、育っていないという時間に期待するしかないところはおいて、顔立ちは整っていた。如何にも風呂に入っていなさそうな汚れ方をしている髪を乱暴にひとまとめにあげているのは、なんというかこうすぐに狼虎庵の風呂に叩き込んでやりたい気分ではあったけれど、辺境では割と見慣れた種類の汚れ方なので地場の娘っ子としては上玉いう感じか。

 ただまぁ如何にも浮浪児じみて服装身なりが汚い。

「うひょー。すげー。はえー。かっけー。なに今の。マジかよ。今の速さでアタシの銃のケツ蹴っ飛ばせるってのマジかよ。おい。ねえ。すっ飛ばしていいよ。うん。今のアレだったら、しょうがないから死んでやんよ」

 その場でロザはぴょんぴょんトカトカと飛び跳ねている。

「おい、スヴァローグ。少し落ち着け。お前ボクになんか用があるってんだろ。聞いてやるから、少し落ち着け」

 マジンが椅子の向きをずらしてロザに向き直る。

「――お前何しに来たんだ」

「なにって。文句言いに来たんだよ。アタシャ女だよ。そりゃ若すぎたかも知んないけど、女なんだよってか。生まれた時から女なんだってば」

 部屋にいた男たちは口をあんぐりと開けたまましばらくロザの言葉を反芻していたが、やがてペロドナーとセンセジュが立ち上がり出て行った。

「若様。アタシら午後の仕事はいるんで、適当に使ってください。鍵は持ってるんで、出るとき締めちまってください」

 ジュールもそう言って出て行った。

「お前アタシのことを最後まで男だと思ってたろ。フッざけんなぁ。バァカ、女の股の穴を見つけも出来ないインポ野郎。役立たずのフニャチンなんか腐り落ちて死ね。穀潰しのグズが。肥で腐れて死ね」

 一息でロザは一気に言い切った。

「女とかなんとか言う前にそのナリをなんとかしな。そんなだからオスかメスかの区別もつかないんだよ。それをピヨピヨとお前はヒヨコか」

 呆れたようにマジンの口からついて出た言葉は思いの外大きな声だった。

「――しょうがないな」

 そう言って、マジンは椅子から立ち上がった。

 マジンは大人として育ちきってはおらず、町の中でも背は低い。大柄な女性はいくらもいて、肩幅で負けることもかなり多い。

 だが、ロザの体は育ちきっていないマジンの体よりも相当に幼かった。

 幼さという意味ではアルジェンとアウルムも幼かったが、肩の位置が全く低かった。

 ロザが怯えて手をやるよりも早くマジンはロザのホルスターから拳銃を引き抜いた。

 ロザが慌ててナイフを取り出し向けたのを、シリンダーを抜いた拳銃で刃先をからげるようにして凶器を取り上げ床に音を立てて突き立てると、ロザの足を払い、ベルトで宙吊りにして尻を二発叩いた。

「なにすんだい」

「チャカを抜こうとしてヤッパ向けといて、尻を叩かれるくらいでピヨピヨと。女がどうこうなんてのは五年かそこら早いんじゃないかね」

 そう言うとマジンはロザの靴を引っこ抜くように脱がせた。

「クッサイなぁ」

「うるせー黙れ。ゲス野郎。強姦魔」

 自分の身になにが起こっているか、理解したロザが抵抗をするが体力と技量で圧倒され為す術もなく服を剥がれてゆく。

「たすけて~!だれか!たすけて!おかされる!」

 ひん剥いた服でロザをからげるようにして頭から包み噛み付こうとするロザを封じ、簀巻を小脇に抱え、マジンは風呂場に運び湯を張る。服ごと湯につけた後にバサリと服をはぎ頭から湯をかけ有無をいわさず、ロザの頭を洗い始めた。

「やめてよ~。ごめんよ~。ごめんなさい。悪かったです。許して」

 ワシャワシャと乱暴に頭を洗っていると、ロザが泣き始めた。

 一回では手がぬるむだけで石鹸の泡立ちが悪く、湯で流してもう一回洗う。

 それでもまだ石鹸の泡というよりは泥のような垢の油が勝っている。

 そのあいだ中、ロザはワンワンと泣いていた。

「風呂に入って殺されるようになくってお前は犬猫か」

 そう言いながらマジンはもう一回ロザの頭を洗う。

 ロザの黒髪はマジンのような漆黒というよりは灰味かかっていたけれど、洗っているうちにどうやら地の色は多少赤みがかった黒らしいことがわかってきた。

 ひどい扱いのただ伸ばしたのを束ねただけの髪だったが洗ってやれば、若く艶があり羨む女もいるだろう豊かさがあった。

 マジンはその長い髪が柔らかさを取り戻すと改めて石鹸をつけ、風呂桶から引き上げるようにして取り出したロザの体を、その豊かな髪を手ぬぐいか海綿のように扱って全身を洗い始めた。ソラもユエも髪の長さは腰を超えて髪を上げずに体を丸めると毛布にくるまっているように見えるのだが、ロザの髪は膝のあたりまであった。

「止めろ~!たすけて~!殺される~!」

 なんだかロザの騒がしさが奇妙に楽しく感じられてきて、ロザの体を洗うマジンの口からメロディーが紡がれた。

「一丁の鳥撃ち銃と百発の弾丸、腰に拳銃とサーベルと砥石と馬の革、ナイフは三本、厚い羊毛のズボン、六足の厚い靴下、六枚のアンダーシャツ、三枚のシャツ、広縁の中折帽、サックコート、オーバーコート、夏なら一枚、冬なら二枚の厚くて柔らかい毛布、作業用手袋、糸に針、ピン、スポンジ、ヘアブラシ、くし、石鹸、タルカムパウダー、六枚のズロース、六枚のタオル、衣服を包める大きな包み布一枚、それと忘れてはいけない華やかな夜会に呼ばれた時のための余所行きの素敵なドレスを一揃え。たらら~らららら」

 歌って洗っているうちに諦めたのかロザの抵抗が止んだ。

 ともかく頭から湯をかぶせて石鹸を流して、ロザを風呂桶に戻す。

「よぅし。少し風呂に入って汗を流しとけ」

 マジンはそう言って風呂場からでてゆき、着替えを準備する。

 三人は自分たちの荷物を持ち込んではいたが、娘たちの荷物には特に手を付けていないようだった。アルジェンの普段着のワンピースと大きなタオルを薄汚れた服の代わりに風呂場の戸口にかけておく。

 取り上げた拳銃を見てみたが、酷いものだった。

 シリンダーに詰められる弾丸の大きさと銃身の直径が逆になっている上にシリンダーがきちんと銃身の位置で止まらない。

 火薬が湿気っていて灰皿の上でどうやっても燃えないのが却って救いなくらいで、マトモな火薬だったらそのまま撃った人間が死ぬような作りの拳銃だった。

 或いは道端に落ちていた拳銃のフレームにそこらに余っていたシリンダーを組み合わせて押し付けたのかもしれない。

 辺境によくある商売といえなくもないが、知った顔がそういうヤマを踏むのはあまり嬉しいものでもない。

 風呂場の戸口が開いてロザが出てきた。

 濡れた体の上に服を着たらしく肌に服をみっともなく張り付けて、タオルを頭からかぶっている。

「出てきたか。こっち来て座れ」

 マジンが指し示す椅子にロザは黙った座った。

 ロザがおとなしく座るとマジンはタオルの上に髪を広げ櫛で毛先から順に解かし始めた。

「ありがとう。ございます」

「結局オマエ何しに来たんだ」

 マジンは改めて尋ねた。

「よくわかんないよ。……です」

「しょうがないな。とっつかまった後どうしてたんだ」

「裁判にかけられて十歳だってことがバレて、作法院ってところに送られた。です」

「なにするところだ」

「召使みたいなヒトの学校。みたいな感じ。です。あと、大きな家の奥様とかお嫁さんになる人とかも。そういう人たちはアタシより下手でも半年くらいで出てっちゃう。靴の磨き方とか、ベッドメイクとか炊事とか掃除とか洗濯とか刺繍とか裁縫とかお辞儀の仕方とか、そういうのを教わった感じ。ました」

「言葉遣いは教わらなかったのか」

「教わった。りました。けどなんか、うまくいかないっていうか、怒られてるうちになんだかわからなくなっちゃう。います。それでなんか。ちゃんと出来ない」

 ロザは泣き始めてしまった。

 しかたがないので、ロザの髪を黙って梳いてやる。

「ちゃんと出来ないのによく出てこれたな」

「逃げ出した。ました。セントーラも作法院にいて。監督に少し酒のましてザー汁抜いてやって」

「お前がやったのか」

「抜いたのはセントーラ。です。その間にアタシは鍵を写してた」

「石鹸とロウソクか」

 ロザが頷いた。

「あと砂」

「それで合鍵作って逃げ出したのか。そしたらそのうちまた回状が回ってくるだろ。稼がせてくれるつもりか」

「たぶん、大丈夫だって、セントーラは言ってた。ました。よくわかんないけど。……あたしは子供だし、セントーラはなんか取引したって。作法院は監獄とは違うんだって。……よくわかんないけど、セントーラは偉い人の知り合いみたい。です」

 ロザがとつとつと語る。

「なんでまたヴィンゼなんだ。もっと人が多い仕事が多いところにすればよかったろ」

 ロザはマジンが髪を梳いている間にだいぶ落ち着いてきた。

「……そういうところは、セントーラの知り合いが多いからヤダって言ってた。捕まって押し込まれるときに、アンタがあのまま砦に住むつもりだって言ってたの思い出したから、セントーラに言ったら、一人で住むには大きすぎるから掃除とかしたら置いてもらえないかなって。作法院って女中とか召使とかそういう仕事の高級なのをそだてるところだったから。アタシは逃げ出したけど、掃除とか炊事とかならできるかなって。……それに、……アンタつえかったし……カッコ良かったし。……そらアタシはガキかもだけど、男じゃないし。……女だし。……きっとセントーラみたいな美人になると思うし。……なりたいし――」

 落ち着いたと思ったら、ロザはまたぐずり始めた。

「そんなアタシ不細工かな。鏡見たら可愛いかなって思うときもあるけど、そんなに男にしか見えない。ですか。髪も伸ばしたのに、なんか。ヤダもう……。女と男でわけられたときにアタシ一人だけ、野郎どもの中に放り込まれるし、そら、バツ当番で頭刈られてたけど……。いくら何でも酷い。それで運ばれている間ずっと誂われるし」

 ブツブツと文句を言いながらロザがグズっている間、マジンはロザの髪を結い上げていた。毛量の多いロザの頭はなかなかに弄りがいがあり、時間つぶしにはもってこいだった。

「で、作法院とやらでも誂われたのか」

「……そういうのはなかった。なんってか、あそこはなんか、もっとちょっと怖いところだった。その日にやることや食事の時間がキチンと決まってて、便所の時間も決まっているの。浮浪児やってる時よりよっぽどちゃんとご飯食べさせられているはずなのにお腹減るし。……すっごいのよ。便所の時間が決まってて出ても出なくてもきっちり時計通り便器に腰掛けていないといけないの。寝る時間も毎日少しずつズレてて、みんな交代で夜番と昼番がいつの間にか入れ替わっているの。食事はなにが出ても残しちゃいけないし、水もお茶も飲みたくなくても飲まなくちゃいけないの。月に何回か手紙を書く時間ってのがあって、誰に書いてもいいんだけど便箋の前に座っていないといけないの」

 徹底はしているけれど、組織の規模があればそういう風になるのだろうな。とマジンにはなんとなく感じられた。

「叩かれたりとかしたのか」

「あんまりなかった。叩かれるのは物を壊した時だけ。一回壊すと二回叩かれた。お皿の山を崩して洗い場の食器をまとめて壊したときも一回に勘定されて二回叩かれただけだった。そのあとみんなの休憩がなくなって、食器をドロでつなぐ仕事が増えた。そういう壊れた食器は偉い人達が使ってた。だから、なんか、たぶん、作法院の偉い人達は本当にすごい人達なんだと思う。あそこが好きで居着いてた人たちも結構いたし。でもなんかヤだった」

 よほど口にしたかったらしく、マジンが一言言うと何倍にもなってロザの口から出てきた。

「セントーラが鍵の型を取るために男と寝たって言ってたな。よくあることなのか」

「男の話?多いのかな。どうだろ。でも男と寝たってわかると無理やり風呂であらわれて三日オムツ履かされる。猥談とか股掻いたりとかもバレるとオムツ。クサイからすぐにバレるし、洗濯のときに洗わされるから……。洗濯のあとにまとめて三日分お風呂。……なんか。お風呂も体を洗う順番が決まっているの。最初に手次に腕。つま先かかと足の裏から足に行って、おしり股ぐら肩腰背中胸。最後にアタマ。顔。お風呂は……」

 ロザはマジンが自分の頭になにやら細工をしていることに気がついた様子で、アタマを動かさないように頻りに後ろを気にしていた。

「それじゃセントーラはオムツの常連か」

「うん。オムツ穿いたまま男の竿をしゃぶったりしてた」

「見てたのか」

「たまに見張り番みたいなことしてた。オムツの次は地下牢だから。三日は平気だったけど、一週間は辛かったみたい」

 ロザは少し思い出して笑うように言った。

「……作法院にはセントーラとは一緒に入ったのか」

「……ううん。アタシが入って半年くらいしてから、どっかの奥様が同じ棟にくる噂があって、セントーラがきた。みたいな感じ。もう髪伸びてたし、あんま話してたわけでもなかったから、わかんなかったみたい。農具の片付けしてたらハメてるところ見つけて、そのあとでちょっと話して砦にいたセントーラだって感じ。作法院の制服ってちょっと素敵なのよ。袖とか裾とかスッとしててちゃんと着ると肩とお尻がふわっと膨らんで手首から足首まで隠れるんだけど、階段歩くときにも荷物持つときにも邪魔にならないの」

 ロザはまだ話したいことがあったようだが、髪結いは終わってしまったので、野郎どもに毎朝晩ともかく毎日二回仕事として見ろ、と言いつけてある鏡を持ってきてやって、ロザに自分の状態を確認させる。

 ロザは跳びはねるように立ち上がりそのままの勢いで椅子に膝をつき背後のマジンに向き直った。

「なにこれ!どういうこと!アタシこんななってるの?なんで?お姫様みたい!」

「ちゃんと毎日風呂に入ればそんなもんだろう。まだ年を考えるような年齢でもないし、たまには風呂使え。酒場に居座ってんだろ」

 実質的には酒場女と泊客用のあまり大きなものではないが、この一年くらいで町の酒場の裏手に湯屋が出来た。

「――さて、じゃぁいくか」

「いくってどこに」

 マジンが立ち上がったのにロザが不思議そうな顔をする。

 ロザの着ていた服をひとまとめにして髪を乾かしていたタオルに包み、放る。

 拳銃はガンベルトごとマジンが肩にかけた。

「――拳銃、返せよ」

「バカか、オマエ。誰に騙されて売りつけられたか知らんが、こんなの撃ったら指がなくなる。だいたい、火薬だか木炭だかわからないようなものが詰まってたぞ。こんなんでなにするつもりだ。石の代わりに投げるつもりか」

「それでも押込みの景気付けくらいには……」

「ああ、もういいから。おら、酒場いくぞ。どうせセントーラに煽られて来たんだろ」

 まだなにか言いたそうにしているロザの背中を押すようにして事務所の鍵をかけ、酒場に向かう。

 酒場の親父はどこかで見た格好のロザを連れたマジンを見て、人の悪い笑みを浮かべた。

「いらっしゃい。アンタにお客が来てるよ。――おう、ロゼッタ。とっつかまって洗われた猫みたいだな。いつもそんな感じなら雇ってやるよ」

 店のオヤジが顎で示す方を見ると砂色の金髪を長く下ろした女が手のひらを閃かせていた。

 記憶の中のセントーラ・マイエツシよりも血色がよく艶っぽい感じもするが旅装に身を引き締めているわけでないからかもしれない。

「やっときた。結構待ったわよ。なかなかにご活躍のご様子伺っています」

「あなたも遥々こんな地まで舞い戻れるほどお元気そうで何よりです。何の用なんだ。あんな子供をダシに使って」

 面倒くさくなったマジンは本題に入れと態度で示す。

「いい男に会いに来たの」

「いい男ってのがボクのことなら挨拶も済んだし、さっさと帰れ」

 あからさまに邪険な態度にセントーラは驚いたように眉を跳ね上げる。

「アナタだって腰を軽くしに来たんでしょ。少しは付き合いなさいよ」

 拗ねるように媚びるようにセントーラは自分の唇を指で弾く。

「前に別れた時は気が付かなかったが、アンタそんな女だったのか」

「まぁ、前は敵味方だったしね。アナタも人手がなくてコナかけるような雰囲気でもなかったでしょ。アタシもいつ殺されるか心配してたし。まさか、町に出てくる度に女を買うような風には見えなかったし。ちょっと意外だったわよ」

 言いながらセントーラは口元を強調するように唇を蠢かせる。

「バカにしているのか」

「違うわよ。生真面目な子供かと思ってたら、話がわかるいい男って感じで素敵だと思ってるの。あの娘の風呂代と宿代を出すつもりでアタシを抱いていってよ。腰軽くしてあげるわよ」

 頬杖をついてセントーラが言った。

「部屋、一晩借りるよ。夕飯時になったらちっこいのに三人分持ってこさせてくれ。タライとヤカンも」

 親父にそう言ってマジンはカウンターに銀貨を手の中で積み重ねるように置いた。


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