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ローゼンヘン館 共和国協定千四百三十四年草露白

 リザが顔の腫れを理由に引きこもっている間にグレン・セレールがローゼンヘン館を訪ねてきた。

 要件は冷蔵庫の建設の件だった。

 金額条件は五百五十万タレルでストーン商会の冷凍庫と同等品を建設して欲しいということだった。

 場所についても目星がある、建屋についての建設も人員と資材は準備する、という条件でその指導も併せて依頼された。

 デカートではここしばらくでゲリエ煉瓦と呼ばれる穴あきのレンガが流行りはじめているらしい。縦横六面に七本の貫通穴を持つそれは鉄索と組み合わせて簡単に正確なレンガ積みを強固におこなえるということで、予算面に余裕があり、丈夫で綺麗な仕上げを求める用途でつかわれているそうだ。

 面映ゆいが、予定通りでもある。百ばかり見本に持ち込んだレンガと二組のレンガ造りの木枠が定着したらしい。煉瓦なぞ億千万なくては使いものにならないものだから、よくもふたつきほどでという勢いであったが、話を聞くと鋼索と組でストーン商会が売り出しているらしい。新規格の高級建材として扱い始めたようだ。

 煉瓦の寸法や規格はほとんどの組合や職人がそれぞれ勝手にやっていることでそこに嘴を挟むようなことではないが、名前が冠されているのにはどうも奇妙な気もする。

 どうやら寸法の基本は大きく変えていないようだった。仕切りを通した木枠を長いネジでまとめて止めて、粘土が落ち着いた頃に木枠をバラして焼き窯に入れる。それだけの作りだ。金串のような棒の造りと粘土の落ち着きがやや厄介だけれど、一度見せてしまえばどうということはない。ちょっとした陶冶鍛冶なら幾らも真似できるそういうものだった。むしろ、きちんと形を揃えた数打ちを使った煉瓦が焼けるかのほうがよほど大事だった。

 そういう意味ではストーン商会の冷蔵庫で使った煉瓦は持ち込んだ煉瓦の域には達していなかった。煉瓦なんかどこも同じ、と恐らく人々は思っているだろう。ある程度は間違いじゃない。億万使うレンガの千や万が怪しかろうとどのみち漆喰でかためる必要もある。

 ちょっと職人が苦労すれば、きれいに仕上げることは造作もない。




 そんなことを思いながら目の前のゲリエ煉瓦を眺めていた。

「これがあのあとあちらで作られた煉瓦ですか。うちのとは随分色合いが違いますな。だが使いやすくはありそうだ」

 ウェッソンがグレンの置いていった煉瓦を確かめるように手で転がしながら言った。

「うん。たぶん使いやすい。ストーンさんの時よりもだいぶ積みやすいだろうね」

「レンガは数打ちしてナンボですから、これからですが」

「お大尽のやる気とメンツをバカにするものでないよ」

「まぁそうですな」

 問題は季節だった。これからだとおよそひとつきで雪の降る季節になる。ヴィンゼまでの道はもちろん雪で覆われるし、ヴィンゼからデカートまでの道も雪の難所が何箇所かある。馬車での一人旅というのは雪道では危険だし、旅慣れたものでも旅程が読みにくくなる。

「トロッコ線路があるとよかったけどね」

 マジンが蒸し返すように言った。

「無茶言わんでください。先のことはそれとして、機関車があればとりあえずのことは足りるでしょう」

 ウェッソンが常識的な話をいう。

「船小屋までは道が少し離れているんだ」

「小屋を新しく立て直したほうがよかないですか」

「船小屋の前がいい感じに深みが淀んでいて船溜まりに都合がいいんだ」

 ウェッソンは鼻を鳴らした。

「無線機置いといて困ったらマキンズでも誰でも応援に呼ぶってのがいいんでしょうかね」

「まぁ、そうなるね。鉄道線路が引けるようなら多少の雪は気にしないでもいいわけだが」

「庭先に丸太並べるだけってなら、まぁアタシラだけでもなんとかなりますが、トロッコの線路みたいなのをこさえるってなると、若旦那が本当に五十人前働くとしてもどう考えても若い衆が二三十人必要になりやすぜ。それこそ、こないだの大工衆のような連中がいりゃ別ですがね」

「冬場にヴィンゼで雇ってみるか」

 思いついたようにマジンが言った。

「まぁそれは一考ですが、今年の冬にはちと資材が間に合わないかと」

 ウェッソンが言った。

「食事の話も手当するってなると、寝床は馬舎の隊商が使っている大客間があるからいいとしても食事の手当の蓄えが今からじゃ間に合わないんじゃないすか。ヴィンゼの景気はマシになったってのは間違いないでしょうけど、食い物が余ってるってほどに余裕があるってわけじゃない」

 マキンズが少し考えるように言った。

「なんだオメェどこの知恵だ」

 ウェッソンが驚いたように言った。

「スピーザヘリンのとこのモッサイガキがこないだ言ってたんだよ。穴あいた芋ばっかりよこすから、余計にカネだすからマシなのよこせ、つうたらそう言って返された。文句があるなら町まで足伸ばせ。麦なら出来が良かったから売ってやるってさ。麦じゃ手間かかって夜に好きに食えねえっつうの。ありえねぇだろ。麦より芋が不作とかよ」

 マキンズが思い出して不貞腐れたように言った。

「冬場に町の農家の男衆に力借りるとしても、木を倒したあとの始末も考えるとちょっとまじめに手当してからのほうがいいと思いますね」

 二リーグの道のりを森に開くとなれば倒す木の数も十二十ではすまないから道理であった。

「こうなると蒸気圧船をさっさと組んじまって一回デカートまで乗り込んだほうがいいですな。バラけてる奴、部品の合わせはともかく粗方モノは揃ってるんですよな。したら手伝うんで先に作っちまいましょ。で、アタシがちょっと動かし方覚えてデカートまで行ってきます」

 ウェッソンが仕事の先回しをするように提案した。




 そんな感じで幾日か船小屋を往復して蒸気圧機関船を建てた。それは手漕ぎの端艇の背を高くしたような寸法をしていた。そのぶん乾舷も広い。

 船底は炭素材、外周は木製の蒸気圧機関船が完成したのはリザの腫れが引いた晴れた秋の日だった。朝の掃除が終わるのを待って、館総出で船小屋にでかけた。

 船小屋の脇の小さな斜面には台車に乗った二十五キュビットほどの端艇が据えられて紅白の飾り綱で支えられていた。舟は真ん中に鉄の金庫のような蒸気圧機関を備え水線下の左右に前後に伸びた管のようなものを備えた作りになっていた。

 支えに使っていた綱はソラとユエの力では切れずアルジェンとアウルムがリザに譲るも結局三人で腰の段平を抜いて一斉に切ることになった。

 カンッと台にしていた丸太の目に刃が揃って食い込むとズルズルと支えを失った舟が川に滑り落ちた。

 二十五キュビットの舟は桟橋から見るとやや背が高くも見えたが、重さは充分なようで人が乗ったくらいでは動揺しもしなかった。マキンズは渡し板に慣れていないらしくあまりにおっかなびっくりだったので力仕事はマジンとウェッソンでやっつけて給炭機に炭を貯めると舟はますます落ち着いた。マキンズが配管が長いことで苦労して蒸留水を吸い上げさせていると、ソラとユエも何かやってみたいということだったので、炉に火を入れるのはふたりに任せて少し遅い昼食の準備をのんびりとしていると蒸気圧機関が低いため息のような音と唸りを立て始めた。

「フイゴが動いた」

「もういいぞ。お疲れ様」

 まだ新品の窯は子供たちの顔を煤けさせることはなかった。

 マジンの言葉通り、しばらくすると蒸気圧機関はフイゴの速度が安定するに従って、やがて挽臼のような給炭機の音がするようになった。

「順調だ」

 骸炭を十袋ほど積んだ舟とは思えないほどに軽く走る。もともとの造りの見積もりでいえば百あまり積んでも余裕があるはずだが、機関の見積もりの半分ほどで十六人漕ぎの舟と変わらない速さで走っている。

 ウェッソンがにやりとした。

「やりましたな。あとはどのくらいの時間走れるかってところですが、こればかりは試してみないとでしょうし。火ぃ炊きゃァ速いって言っても進む量はどうなるかわかりませんし、色々動かしてみないとこっから先はなんともですが。途中でなんかしら往生しても、まぁたぶん三日かそこら粘ればソイルの町があるはずなんで、使える目処がどんだけつくかってところですな。最悪帆を立てるってことになるんでしょうが、積み荷は欲張りたいとこです」

 ウェッソンが不安げな言葉とは裏腹に楽しそうに目算を口にした。

 気が付くとソラとユエがマジンを不安げに見つめていた。

「どうした」

「またお出かけするの?ソラたちお留守番?」

 ソラが尋ねた。

「旦那。試運転くらいご家族で舟遊びのつもりで行ってきたらどうだい。どうせガキどもに留守番させんだろ。まぁ奥様がいらしてくれるんだろうけど。たまにはいいんじゃねぇか」

 マキンズはリザをマジンの伴侶として扱うことに決めたらしい。

「ふたりで大丈夫かな。七日か十日かばかりかかると思うが」

「婚前だか新婚だか知りませんがちょうどいい長さだと思いますな」

 ウェッソンがニヤリと言った。

 そんな風にゲリエ一家は久しぶりにまとまって旅をすることになった。


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