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マジン十七歳

 冷凍庫準備作業においてウェッソンとジュールは、ゲリエ氏の代理人というには基礎的な知識は不足していて様々に物足りなくはあったが、その言動とは裏腹に手堅く手際よい目配りと仕事ぶりはストーン商会でも高く評価されていた。学問が足りないというのも叩き上げの親方衆というものはそういうものだという一般的な認識があったので、書付の悪筆も数字と絵図面だけ読めれば問題にならなかったし、実際に冷凍庫の装置というものはそういう風に作られてもいた。

 炉釜の炊き口という仕事において、火を均等に回すという基礎にして究極という問題は、炉釜が大きくなれば難しさを増すもので、お店の湯殿の釜を沸かすのとはわけが違う難しさがあったから、ウェッソンの鍛冶としての火の見積もりは素人衆に頼もしく感じられたし、実のところウェッソンがいなければ火の回りが悪くて一旦炉釜の底を抜いてしまう方がよいかというような雰囲気になりかけたこともあった。

 マジンの残した見積もり計算書は当然に装置が順調に動くことと想定していて、実際にこれまでほとんど問題らしい問題も置きていなかったことから、多くは曖昧な記述になっていた。

 全体として非常に幅の広い見積もり値を幾日かの運転状況で絞ってゆく、ということが記されており、この世の誰もが作った本人さえ手探りに近い初めてのモノに挑んでいるという中では、ウェッソンとジュールの知識の抜けと仕事の締りは、冷凍庫の現場を預かる者達にとっては却って心落ち着くものであった。


 ことにウェッソンの鍛冶としての炉釜の火の勘は、ものの程度がわからない中ではひとつの柱であることは間違いなかった。

 さり気なくマーシーがこのまま居着かないかと話を持ちかけたが、まずは月末まで、とふたりは固く辞した。

 そういう気配はなんとなく感じていたものの頼りになる用人がいるというのは実に安心感もあり、圧倒的に楽だった。

 それは旅先で馴染みの店が潰れずあったというのに似た感触で意味や信頼としては根拠が不足しているわけだが、いちいち細かいところまで注文しないでもなんとなくそれっぽいものが間に合わせで出てくる、或いは微妙に足りていない、というのはほとんどすべてを一人でこなしてきたマジンにとっては奇妙な感慨だった。


 それは狼虎庵を預かるゲリエ家の娘たちがすさまじい努力と感性で日々仕事をこなしてきた顕れでもあったが、それぞれは十分に容易い線であったからマジンは他人の仕事の不思議を実に初めて意識することになった。

 結局、月末に試験期間予定の七割増しの日産平均五百樽を達成し、無事契約を終えたところで、ウェッソンとジュールを雇い入れることにした。とはいえ、さしあたってなにができるのかわからないところがあり、ジュールにはセンセジュやペロドナーと共に狼虎庵の業務をおこなってもらい、ウェッソンにはローゼンヘン館の自動窯の様子を診てもらうことにした。



 馬舎と自動窯はそれぞれは大した作業ではないのだが、それぞれに違う意味で目を放しにくいところがあり、既にふたつきほど馬舎とその他の庭仕事をおこなっていたマキンズは、久しぶりの家族揃っての食事の席で遠慮無くマジンの娘たちへの労働の扱いがひどすぎると罵った。

 娘たちは自分たちの幼さと頼りなさを揶揄されたかとマキンズに抗議をしたが、子供のうちから力仕事ばかりしているとヒョロヒョロのやせっぽっちの薄ぺったい色気なしになるか、かぼちゃのように上から見ても横から見ても真ん丸の風船みたいな体になるかだと言われて、ふと町の人を思い出すとそういう女性に幾人か心当たりがあり、酒場の女性は如何にもそういう生活とは縁がなさそうであることを思い出し、四人が四人とも泣きそうな顔になった。マキンズの軽口をウェッソンが小突いたが、狼虎庵を子供たちに投げるように任せたのは如何にも軽率だったとマジンも思い返した。


 年が比較的近いマキンズはガキ大将のような立場と子分のような立場を娘たちとの間でクルクルと行き来しているようで、仲良く過ごしているようだった。

「ともかく、ゲリエさん。旦那さんよ、アンタ。テメエのガキがどんだけ偉いこと働いているか、もうちょっとは考えてみろ。てめえじゃ、おりこうそうな上等そうなことやってんだろうって思ってるんだろうが、ガキをガキらしくさせてやれねえ親はどんな上等な人間でもろくでなしのクズ親だ。アンタが食うに困ってるってならしらねぇが、どう考えても遊び呆けているんじゃねえか」

 そう言い切ってウェッソンに小突かれてもマキンズはふんぞり返っていた。


「すまん。マキンズ。いうとおりだ」

 文字通り遊びほうけた結果である自覚もあったマジンとしては言葉もなかった。


「まぁとりあえず氷屋は野郎三人が支えるとして、家のことの半分はアタシとマキンズで力仕事はなんとかなるんで、若旦那がむちゃくちゃ張り切らなければ、お嬢さんがたがこれ以上苦労することはないと思うんですが、デカートの盛り上がりようを思い出せばなかなかそうもいきますまいな」

 ウェッソンが先を透かすように言った。


「んなのほっとけよ」

 鼻息のままでマキンズが意見した。


「まぁあと三軒ばかりは引き合いが来そうな話が出てましたな。おそらくは若旦那の様子とストーンさんとこのアレがいつ揉めるかを眺めてる連中も多いんでしょうが」

 マキンズの鼻息を無視してウェッソンが割り込む。


「じいさん、アンタが出向いてぱぱっと組んで作ってやればいいんじゃないか」

 マキンズがそう言うとウェッソンはニヤリと笑った。


「おい、ガキ。なかなかいいこと言うじゃねぇか。実際逃げ出さないことがわかっている徒弟が三四人いれば、アタシが出向いて組んじまうのが商売の上では正解なんすがね」

「んなわけいくかよ。旦那じゃあるまいし」

 呆れたようにマキンズが言うのをウェッソンはニヤリと笑った。


「それがいくのが、若旦那の仕掛けのスゴいところよ。突き詰めちまえば、ちっとばかり出来のすごい仕掛け時計みたいなもんだからな。運んでいるうちに壊さないとか、収める通りに収めるとか、そういう当たり前のことをアタリメエにこなしてゆきゃあ、アタリメェに氷ができるって仕掛けだ。そういう意味じゃキッツリ仕込んでいただけば、他所で氷室を建てるの自体はそんなに大騒ぎをするこっちゃない。その分、若旦那には仕掛けの組み立てに専念してもらえる」

 ウェッソンは自信ありげに言った。


「したら、誰でも町行ってひっ捕まえてくりゃいいじゃねぇか」

 マキンズがふてくされたように言った。


「バッカ。天下に五台とない稀覯品だぞ。いまは信用が大事な時だからくだらねぇ阿呆をつきあわすわけにはいかないんだよ。おめえがここにいるのだって、逃げる先すらねぇようなトンチキだから却って信用して頂いてるんで、おめえがちょっと小知恵が効くような逃げ先知ってるようなクソバカなら、お嬢さん方に信用いただくのも無理だったんだぞ」

 ウェッソンはマキンズを小突きながら言った。


「マキンズさんは算数苦手だけどトンチキじゃないと思うの」

 ソラがマキンズを弁護した。


「いえ、お嬢さん。コイツはトンチキだと思います。じゃなければ、お嬢さんに馬に若旦那に三回も命を救われた挙句にここに転がり込んじゃいません。でも、今はこういうトンチキがもう何人か必要なんです」

 ソラにもユエにもトンチキという言葉の意味はよくわからなかったが、悪いニュアンスではなさそうだった。


「そうすると、ウェッソンさんとかセンセジュさんとかもトンチキなのかしら」

 ユエが確認するように言った。


「アタシらとか狼虎庵にお世話になっているような連中は、まぁトンチキのうちでしょうな」

 ウェッソンは笑って答えた。


「若旦那は旦那つうて大きな家で立派な仕事をなさってはいますが、大店の連中とは違って用人の親も子も知っているような付き合いがないってのが、この際ひとつ面倒です。お嬢さんがたはそりゃもう大した人物ですが、まぁ子供には子供の仕事もありますから」 

「で結局、デカートの大仕事とやらはどうするのがいいと思ってんだよ。年寄りの意見としては」

 マキンズがふてくされた声のまま尋ねた。


「まぁお嬢さんがたを寂しがらせない程度に張り切りすぎずにやるのがいいでしょうな。この手の話はどのみちやり過ぎは良くありません」

 ウェッソンがまとめてマジンに言った。


「遠い先のことはそれはそれとして、セレール商会の件はどうするのが良いと思う。まぁ挨拶もせずに戻ってきたから、いずれむこうからなにか言ってくるのを待つとして、たぶんその気はその気だろう」

 マジンは尋ねてみた。


「そうなんで、早いとこアタシを仕込んでいただければと。こう見えて鍛冶で家建てたくらいには馴染みがあるんで、何もないところからよりはちっとはマシかと。仕組みはさておきつなぐところだけ繋いでおければ、後の仕上げはお任せできるかと思います。そういう話であれば、伝令役は頭使わんでもすみますし、逃げ出さないなら鳩でもいいわけです。例のアレ使えませんか。館の中にちょこちょこ置いてる電気通話機とか、狼虎庵と屋敷と繋いでる無線電話とかですがね」

「ありゃ、旗竿のデカイのがいるって話じゃないでしたっけ」

 ウェッソンの言葉にマキンズがマジンに尋ねた。


「まぁそうなんだが、こうなってくるとアレも色々試さないといけないな。ちょっと思いついたことはあるんだが、時間が足りない。そういう意味じゃ、お前らにも向こうにいる連中にも居着いてもらって助かっているよ」

「さしあたっては、アタシらが出張っていって大枠組んだところで若旦那に締めてもらって、アタシらが動かすッて感じで若旦那の張り付きを減らすしかないでしょうな」

 ウェッソンが言い換えて繰り返した。


「それにしても信用できて面倒を躱せる人間がもう一人どうしても必要だな。ジュールつけるか」

「ジュールはまぁいいんですが、狼虎庵のメンツが二人になっちまうとかなり仕事がきつくなってるんでそっちがよかないと思います」

 マジンの言葉にウェッソンが答えた。狼虎庵の実績は去年に比べて伸びていた。物珍しさというだけではなく確実に使えるものであるという確証が町の人々に行き渡り、ある程度の出費をおそれない余裕が有る家が増えていた。去年は商店主が顧客の軸だったが、去年は又買いしていたような人々も狼虎庵を直接訪れるようになっていた。


「やっぱり私達が行きましょう」

 アルジェンが言った。


「それがよくないって言ってんだ。お嬢。アンタがどう考えてるかしらんけど、首輪付きだろうがなんだろうが、旦那がお嬢だって扱ってることがわかればお嬢らしく扱うってのが、オトナの筋だ。まぁオトナでもダメなもんはダメだから最後は助けてもらうにしてもな」

 マキンズがアルジェンを叱るように言った。


「言うじゃねぇか。マキンズ」

「あれだ、まぁ。世話になってるこっちがね、旦那のお嬢を最初っから頼るようじゃ、不味いだろうよ、ってことです。アルジェン嬢」

 ウェッソンが小突くのにマキンズが小突き返しながら言った。


「マキンズのそれはありがたいが、アルジェン。買い物のついでに郵便と保安官と狼虎庵の様子は見てきてくれ。あと、銀行も。郵便は流石にお前たちじゃないとむこうが困るだろう。マキンズ。硫安をミストブルの店に二樽納めるから機関車の運転の練習のついでに送って手伝ってやってくれ」

「はい」

「わかりやした」

「アウルムはソラユエと三人で掃除頑張れ。マキンズ一人じゃ手が足りてないだろうから厩舎からあのへん一帯庭掃除任せた。マキンズが帰ってきたら驚くくらい綺麗にしてしまえ」

「はーい」

「そりゃ手の回ってないとこらぁありますが、そんな汚くはしてないですよ」

 マジンの言葉にマキンズが抗議する。

「ウェッソンはボクと次の冷凍機関の仮組みをしよう。云ったとおりいうほど難しくはないが、見て覚えるってもんでもないと思う。今日のところはそんなものか」

「ですかな」

 最近の朝食は少し賑やかでソラとユエは気に入っていた。狼虎庵での生活も気に入っていたけど、家族の食卓という感じがする。

「ソラ、ユエ、片付け物しますよ」

 三々五々仕事に立ってゆく中でアウルムが声をかけた。



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