上水道の漉し器の交換だとか、仕掛け罠の点検だとか、マジンが立入禁止にした工房の掃除だとか工作機械の整備など、こまごまとしたことを片付けつつ、マジンは川岸にあった旧船小屋と館をつなぐ鉄道を作るための測量をはじめていた。
もちろん、裁判で負けることを考えれば無意味なことではあったけれど、何も手を動かさないのもどうかと思っていたのだ。
比較的なだらかな道は今付いている道よりも多少遠回りだが、獣が多く通うようでもあり、迷わないほどに刈り込めば却って良い道かもしれない。
立木に記号をつけながら測量を進め、日が落ちる前に船小屋にたどり着いた。
着いてみると煙突から煙が立ち上り炉には火がはいっており、馬小屋にユエがかわいがっていた黒馬のメイヤがいた。
どういう成り行きかは知らないが、ヴィンゼの町をあとにしてここにたどり着いたようだ。或いは馬に任せて歩いていたらメイヤに導かれたのかもしれない。
十日やそこらなら馬の糧秣のたぐいの蓄えもあるし、干し肉や酒もいくらかあったはずだ。
さて、呑気な宿なしの空き巣をどうしてやろうかと思う。こっちには測量機材の縄紐もある。
戸口の錠を撃ちぬいて入ったところをみると武装はあるらしい。そういえばヴィンゼであった二人も拳銃は下げていた。
戸口を開けるとマジンより五つかそこら年上の若い男がうろたえていた。
「なんだ、オメェは」
そのまま有無をいわさず投げ縄をかけて引きずり出してやると、男は袈裟にかかった縄から首を守りながらまっすぐ引きずられて玄関口まで出てきた。
「ホープ・マキンズ。ヒトの家でなにをやっている」
「へ、お前、ここのガキかよ。なんだっていいだろ、こんなあばら家くらいでガタガタ言うなよ。どうせお前だってここの持ち主に黙って使ってたんだろう」
マキンズは相手が若いと知って、自分も言えるほど老けてもいないだろうに強気に出た。
「ホープ・マキンズ。ヒトの持ち物だからって、あばら家はひどいな。ヴィンゼの町じゃ胸の高さまでも届いていないような小さな女の子に早撃ちごっこで負けたって聞いたぜ」
「なっ!お遊戯の拳銃ごっこに付き合ってやっただけだっ! 」
「二十歩の距離から動かない瓶を的に五発打って一回あたっただけの腕前じゃ、野犬どころかはぐれの野羊相手にも殺されかねないぞ」
威勢のよかったマキンズにも荒野の男として女児に負けたという事実は堪えたようだった。
「しばらく銃の稽古をサボっていたせいだ。ほっとけ」
「ホープ・マキンズ。お前のは銃の稽古とかそういう問題じゃないよ。無駄に格好ばかりつけているせいで目線と銃が明後日の方に向いているんだよ。そのくせ誰かれ構わず、殺すだのなんだの、ウチの娘達も揃って心配してたぞ」
マジンは話しながら縛り上げて視線を下ろす。
「うるせえな。しゃあえあずぞ。こんだらぁ」
縛られているうちに、なにがおこったのか理解したらしくマキンズは今になって威嚇を始めた。
「どのくらい食らい込んでいたか知らんが、保安官に引き渡したら百タレル位にはなるんだろうな?うん? 」
「ぜんなうらぁ。ぐらつかすぞ。うんだら! 」
「まぁ、馬を盗んで、挙句に扉を壊して家に入り込んで勝手に飯を食っているってのは、十分殺されるべき事情ではあるな。ホープ・マキンズ」
そう言いながらマジンはマキンズの腰から銃を抜いた。
「ひっ。ふっ。ふざけんなぁ。こんやろう。オレはまだ手配書に乗るようなことはしてない。はずだ」
まるで不意に駆けきり息を切らしたように、自信なさげにマキンズは言った。
「馬泥棒は生死問わずだぞ」
「アレは、借りた。ほんとうだ」
目を逸らすようにマキンズは言った。
「後で馬は売って持ち主を殺すつもりなら、借りた、とは言わないんだよ」
「本当に借りたんだ。途中まで連れと一緒に来たんだが、なんか変な話になっちまって連れが急にそこに居着くって話になっちまって。クソなんなんだよ。この町は。だからヤだったんだよ。なんなんだ。ほんとに」
マジンの追求にマキンズは弁明した。
「なんだ。ボクを殺すとかそんなつもりできたんじゃないのか」
「しるかよ。こんな荒れ野で農民やろうってヤツ殺してどうしようってんだよ。五年も放っときゃ勝手に死ぬだろ」
吐き捨てるようにマキンズは言った。
「何だ土地の善し悪しがわかるような言い方だな」
「見りゃこの辺が碌でもない土地だってのはわかるだろ。寒くも暑くもない川のそばだってのに木が伸びない森にならないってのは、腐った土地か痩せた土地かいずれ碌でもない土地だってことさ、むこうの山側はかなりマシだがこの辺や川のあっち側はひどいもんだ」
マキンズは少し余裕を取り戻した風になってきた。
「なんだ、農民の経験でもあるのか」
「馬鹿な親父が押し付けられた土地がこんな感じだった。川の対岸で全然違った。手の爪が割れて鋤が持てなくなるまで畝を掘っくり返して結局、飢えて借金残して逃げたよ」
「それで馬泥棒か」
「ほっとけよ。荒野の男にゃ馬が必要だろ。んああぁ」
マジンが言った言葉に応えてから自分の言葉にふと気づいたようだった。
「――っざけんなよ。あの馬はマジで借りたんだって。いや、くれたんだって」
「拳銃勝負であっさり負けたくせに、どうやってそんなことになるんだよ」
「しるかよ。ああ、そうだよ。オレぁ胸の高さまでも背がないような女の子に拳銃勝負で負けたよ。そら本気じゃないって感じだったが、まさか一発しか当たらないとも思わなかったさ。嬢ちゃんが五発全部ぶち当てて、あんぐりしているオレの前でオレの的にも五発ぶち当てた時にはどうしてやろうかと思ったけど、そのあとで空に向かって一発打ちやがってまだ九発も残ってるって言いやがったときには泣くしかないと思ったね。ああ、そうだよ。メッチャ負けたよ。その脇でおんなじ顔した姉ちゃんだか妹だかが似たような銃でおんなじことしてみせて空に撃たなかったときには、ああ、もう泣いてもダメだと思ったさ。そこで連れの二人と町を出ようと思ったが、なんかどういうわけだか、そこの子供に雇われることになっちまいやがってオレ一人でスジを通して出てきたのよ。その時に勝負したお嬢ちゃんが馬をくれたのさ」
負けた話をぶちまけている割にはマキンズは勢いに乗って得意気に語ってみせた。
「で、どうやって、ここにたどり着いたんだ」
「そりゃ、馬に聞いてくれ。宛もなく夜通し歩いてたら綺麗なくせに使ってなさそうな家があったから、オレのモンにしただけだ」
「バカか。そりゃ、馬が勝手に自分の家に帰ってきただけだ。お前どうせ鞍の上で手綱も持たずに居眠りしてたんだろ」
メイヤは軍馬上がりのそろそろ十を超えるはずの牝馬だった。マジンとはもう一頭のエンヤとともにアルジェンとアウルムを拾った時からの付き合いだった。もっと脚の速い馬はマジンの馬舎にいるが、脚の息の長さと素直な賢さは一番で、軍馬らしく背が高くて子供が乗り降りするには難儀をする以外はソラとユエが乗っても危なくない気性の馬の双璧だった。
「疲れりゃ寝るに決まってるだろ。いろいろあって疲れたんだよ」
ふてくされたようにマキンズは言った。
「で、結局オマエは何しに来たんだ。ボクを殺しに来たんじゃないのか」
「だれだよ。お前みたいなガキ知らねぇよ。こんなところに知り合いなんかいやしねえよ」
「なんだ。八百七十五タレルの馬泥棒。ホープ・マキンズ。ボクが誰かわからないのか。この段平と銃とで覚えてわかって娘たちに喧嘩を売ったのかと思っていたが」
「しらねぇ……」
と言いながら頭の中身を探っているうちに気がついたらしい。
「――お前、あの魔法使いのクソガキ。てぇめぇ。まさかオレを殺すために」
「まぁ、荒れ地を肥やすために目の前のボクの土地にお前を埋めてもいいが、もうちょっといい使いみちがある」
自分を縛り上げ戸口まで引きずりだした相手が何者かようやく気がついたマキンズの怯えは明らかだった。
「お、オレを殺しても、賞金にはならないぞ。そ、その銃がほしいならくれてやる。う、馬も返す」
「おまえ、ウチで働け。どうせ、悪党稼業をやっても誰かのオヒキで終わっちまう。鉄砲玉の役にもたたなさそうだし。地道に働く口も見つからないから悪党やってるだけなんだろ。最低限読み書き算盤くらいは教えてやる」
「よ、余計なお世話だ。てめぇの名前くらい書けらぁ」
「自分の前科の罪状くらい書けるのかい」
く、と歯噛みしてマキンズは黙りこくった。
「――ボクの家の馬を乗り回した挙句にボクの家の扉を打ち壊し上がり込み、勝手に飯やら竈やらを使っただけで、まずはこの場で殺して埋めて綺麗さっぱりいなかったことにするか、保安官に突き出すかの選択肢がある。ウチでまっとうに働いて弁済するってなら、日の終わりに酒を飲んで月の変わりに女を抱けるくらいのカネは払う」
マジンの言葉にマキンズは気の利いた言葉を探そうとするが見つからない。
「め、見逃していただいて、めでたしめでたしってのはダメかいかね」
「お前、馬もなしにコっから蹴りだしたら町に帰ることもできずに野垂れ死ぬだろ。偶々ウチの娘が気の利く子だったからメイヤつけてやったが、どうせ大した準備もなく荒野に出たら馬はともかくお前は二日三日で干物だったよ。それじゃあ、せっかくのウチの娘の慈悲が台無しになる。なんとお前の人生早くも二度目の救済をボクがくれてやろうというんだ。ありがたく受けるか、潔く泉下の客となるか。選べ」
そう言ってマジンは銃を足元に投げて転がし、一刀で縄を切り裂いた。
「……たらく」
「そうか。潔く死にたいか。もう二三人くらい雇ってもいいと思っていたところだが、実に残念だ。死に方くらいは選ばせてやる。オススメは一気にうしろから首を飛ばすものだが、自分でやりたいってなら喉の上の方に銃口を向けて銃を咥えるのがいいらしい――」
「っ働きます。働かせてくださいっ」
ボソボソとしたマキンズの呟きに被せるようなマジンの言葉を遮るようにして、慌ててマキンズが叫んだ。
「うん。働きたいというならウチで雇ってあげよう」
そう言って莞爾と笑ったマジンをげんなりとした顔でマキンズは睨んだ。
「――キミにはカッコいい仕事を与えてあげよう。フットマンというものだ。だがさしあたっては明日一日測量を手伝ってくれ。まずはキミの命を救った馬の世話をしてやってくれたまえ」
気にせずマジンは笑って食事の支度を始めた。蓄えは多少減っていたが、二人分の食事くらいは十分に足りるくらいの様々が残っていた。手を動かしたところでまだぼんやりとしているマキンズを追い立てて馬舎に向かい、馬の世話をさせてみる。
「荒野の男なんだろ。馬の世話くらいできるんだろうな」
十日あまり放置された寝藁と馬糞に比較的ゆとりのある広い厩舎を当たられたメイヤといえ流石に気分が悪かったらしく流石に少々ご機嫌斜めだったが、居合わせた人間を蹴飛ばすことはせずに、馬舎の戸口を開けてやるとすぐに表にでることで不満をアピールした。
マジンが馬体を磨きながら塩玉を与えることで機嫌をとっている間に、マキンズに馬舎の掃除をさせた。
考えてみれば、アルジェンもアウルムも膂力は大人並みにあるとはいえ、毎日三十頭からの馬の世話をしているのは全くご苦労なことで、ほかにもいくつも用事を抱えていた。一般に面倒になる水と火の問題はローゼンヘン館では随分と苦労が減っていたけれど、大きな屋敷のことであれば、一人ではゆきとどかないことは働いている当人が一番良くわかっていただろう。
コールタールの分留から色々な掃除に使える成分の抽出がおこなえて風呂や台所周りの清掃では大いに役立ってはいたけれど、そんなことも言ってしまえば面倒を増やす元のひとつだった。
厩舎・客間・食堂・台所・浴室・便所くらい一巡りすると一人当量としては朝日とともに働き出して午後の日が傾くまで十分にかかり、骸炭釜に石炭を流して仕掛けるとだいたい夕日が赤くなるような塩梅だった。
もちろん食事の準備を抜くことは生き物として不可能でもある。
骸炭炉は普段はマジンの領分だったが、裁判のような出来事で日にちを留守にすることがあるとそうもいかず、あらかたの世話は馬舎の掃除と比べても苦労の大きなものではなかったけれど手間はかかり、機械仕掛けの自動炉の世話は一日とサボるわけにゆかず、それなりに面倒なものだった。
人を雇うと云って、どういう風に口を利いてゆけば良いものかまるで検討もつかなかった。
打ちのめされて言われて働かされているわりにはなのか、からなのかは、ともかくマキンズの働き手際そのものは決して悪くなかった。メイヤは掃除をされた馬舎の仕切りに入り二回りして仕事の出来を確かめた後に片隅を蹄で掻いて寝藁を要求した。掃除は満足ということらしい。多少厚めに敷いた藁に満足気に身を横たえた。
馬舎の仕事ぶりを眺め、湯船を洗わせ釜に火を入れさせる。井戸の手押しポンプまでは理解できたようだったが、湯屋のそれまでは理解できなかったようで説明が必要だったが、湯船を磨かせ水を張らせ釜に火を入れた辺りですっかり星が見えるようになっていた。
そのまま風呂の温度をみさせている間に簡単に食事の準備をした。といって、干し肉と大麦の粥に紫蘇の類の野草を散らしたものにチーズを載せただけだった。マキンズはあまり料理が得意でないらしく、大喜びして食べていたが、料理が下手なのは荒野の男としてどうかと思う。
聞けば十の時から日雇いや悪さをして食いつないできたが、食うに困ると主に駅馬車の護衛や農場の手伝いなどをしていたらしい。
ハッキリいえばどちらも手に職のつく種類の仕事ではないが、目につくほどに悪さをしなければ食うに困らない職業とも言える。
十九の時に季節雇いの農場主と揉めてそこの主が自慢していた馬を盗んで逃げ出したというのが、お尋ね者になった成り行きらしい。
そのあと、酒場で腕自慢を集めている連中に混じって徒党に参加したというのが事実上の悪党デビューということだった。
「男ならこう、かっこ良く一山当てたいだろ。ずぱっと命のやり取りしてよぉ。バーっと名を売ってさぁ」
というのがマキンズの弁であったが、話を聞くと拳銃一揃えを貰えるというのが理由だったようだ。
正直大した拳銃ではなかったが、食い詰め者には銃と火薬が一揃えというのは一財産であるのは間違いなかった。
馬舎のことをみると怠け癖というか、日々の仕事を甘く見ているところはあるが、仕事そのものはわかっているようで、手伝いをさせてみるといちいち指図をしないといけないのは面倒だったが、働きは悪くなかった。
メイヤがもともと軍馬上がりというのもあるのだろうが、マキンズの馬の扱いも悪くはなく、森のなかの測量は前日よりはだいぶ捗った。
マジンの扱う道具にマキンズは興味津々で触りたがったが、そもそも足し算引き算があやふやだったので、それを理由に断った。測量を終えての館までの道のりは二桁の足し算引き算の暗算をさせながらになった。
家に帰り着いてマキンズを馬舎番にすることを告げるとアルジェンとアウルムはちょっと怪訝そうに、ソラとユエは嬉しそうに納得した。
狼虎庵は二人の男が常駐しているおかげで、機関車で通えば事が足りるようになっていた。
ソラもユエもひとりだけでは往復が不安ということでアルジェンかアウルムが運転手としてついていたが、実のところ働き盛りの男二人は獣人とはいえまだ育ちきっていない少女よりも体格も体力もあり、ふたりとも愛想もまずまずで町の人々の評判も上々だった。
どうやらソラとユエが腹を立てた本当の理由は姉を奴隷扱いしたことが原因だったらしい。
マキンズは馬舎番として厩舎の脇で寝泊まりはしていたが、食事は家族と一緒だったので、十日もすると、獣人であるアルジェンとアウルムの位置づけがソラとユエの姉であって、よそ者一見はいざしらず、町の人々には最低限、銀行でさえマジンの代理人として、戸口で応対したとして頭ごなしに怒鳴りつけられるようなことがないことを知った。
マキンズは相変わらず景気良くけたたましかったが、館の仕切りを入れているのがアルジェンとアウルムであることをすぐに理解して、馬舎とそこに組み込まれた隊商用の宿舎の世話を中心に力仕事をこなす日々を送り始めた。