マジンと三十二人の職人たちは三日で冷凍室の壁を積み終え、戸敷居を整え、土台を水切りに向かい僅かな傾斜で平らかに均し、床を組み、建屋の柱を揃え屋根をかけた。
例のない職人たちの人数ではあったが、それ以上に途方も無い速さだった。
マジンが指導するまで土地の均しと石組みに底張りまでだった現場は週の終わりを待たずに屋根がかかり、内側の壁がひとまず積み終わり、建屋の姿が見えてきた。異常な速さの仕上がりだったが、鉄の骨組みに筋が張られ要所要所の支えのある作りは、砂漆喰の締りを待たないとならずどうあっても急げなかったこれまでのレンガ積みとは一線を画し、三日目にしてあちこち漆喰のヤセが見えてきた下のほうも突いても崩れることはなかった。
手配りとしては壁は二日ほど置いて一旦床を上げて上から下まで砂漆喰を足してゆくことになっている。
その後、壁の漆喰の締まるのを待って梁を掛け天井を塞ぐ。
マジンの示した煉瓦工法は鉄を使うという費用上の問題はあったが、天候の具合や建物の大きさにかかわらず期日の勘定がしやすくなるという、下っ端はともかく親方衆には大きな意味がある技術だった。
組木指物の方は釘の質や木の目を気にせず組めば百年は保つという木材の使い回しの多い大工にとっては、先の面倒も減るという技術だったので、良い型があればそれはそれでいつでも大歓迎だったが、一方でそうそう思いつくものでもなかった。むろん一目で覚えられるという種類のものではなかったが、手に習いのある職人なら二日三日もやっていれば、それらしい意味も自分でつかめるというものだった。
つまりは、仕事のタネを飯代付きで与えてくれる大盤振る舞いに暇な親方衆が付いてきたということだった。
三日目にはマジンは作業に張り付く必要なく、バーリオと幾人かを交えて図面と指矩についての説明をしつつ、ぞんざいに扱われ失われていた図面を書き足し、今後の作業の流れを話し合った。二日目よりも三日目のほうが実作業は遅かったが、作業そのものは弾みがついていたし、どのみちこの先マジンがしばらく現場に入れないことを思えば、一気に仕上げられないのならば任せておくほうが良かった。
四日目の朝、腰の武装をベルトごとまとめて預け朝食の席につくマジンを見て、ストーン家の人々は久しぶりに会った人を見るような目で出迎えた。
「そういえば、今日が裁判所への出頭の日なのでしたな」
「はい。早く行っても遅く行っても待たされるという話なので、気が滅入るものですが、食事のあとの腹ごなしと昼寝のつもりで出向いてみます」
ストーン家の人々は笑ってくれた。
「そういえば、随分素晴らしい出来栄えだとか、なるほどひとつきでヴィンゼの氷屋を建てたという手際と、グリスも感心しておりました」
「まだ完成していませんし、今回はそちらの手配してくださった職人の方々のおかげでもあります」
謙遜ばかりでもなくマジンはそう言った。どうやら裁判で揉めても完成だけは出来そうだった。
「――どのみち裁判が上手く順調に進んでくれないと、急いでもらった意味もなくなるわけですが」
「まったく面倒なことです。どうして相続人がいる家を行政が勝手に売ってしまうなどということができるやら」
ハリスは大げさに嘆いてみせた。他人事としてはそう云うしかないわけだが、よくあることでもある。
「ともかくは、司法の公正な判断を期待したいところです」
その場の刃傷による即決を避けたマジンとしては、自業自得とも嗤える成り行きだったが、そうであるなら仕方ないと受け入れるしかなかった。
場は多少陰ったが、思いの外マジンが落ち着いて見えることで、朝食の場にザブバル川の遊びの話題が振られると、そちらに話題が移った。
ザブバル川を遡るとやや蛇行して本流はヴィンゼを離れ東へ離れてゆくのだけど支流の幾つかはローゼンヘン館の北東を回りこむ。或いは途中の日程がよめるならば水路で直接ローゼンヘン館とデカートを繋げないだろうか。そんなことを考えるようになっていた。
ザブバル川にはいくつかの町が連なっており、上流側にも駅馬車のとまる街が四つあり、十ほどの集落が港を構えている。そういう集落の幾つかは千の人口を数えヴィンゼの町よりも大きい。
川沿いの集落は奴隷や季節労働者を使い、豊かな水と労働力を活かして大きな農場を経営している。或いは少し本流を上に遡ったところには鉱山がいくつかある。そういう町々をつなぐ船足自慢の船頭たちの競争も近々あるようで、その一艘に商会の船頭が出るとの事だった。
二つの町をつなぐ短距離と都合七つの港をつなぐ長距離とがあり、上りと下りの往復で勝負を決する長距離の船足競技は毎年沈没や溺れる者も出る激しさと、その熱狂で沸く町を懸けてのお祭りになる。
片道づつの大勝負は通例上りが五日下りが二日ぶっ通しでおこなわれ、終盤では漕げなくなった者が川に投げられ舟を軽くするという手荒いこともおこなわれる。捨てられた者は当然に失格として舟に戻れず、上りでそうして舟を軽くして先頭を維持しても下りの追い込みで舟を回しきれず、差し込まれ優勝を逃すという例もある。
上りでも下りでも難所というところがあり、そういうところは目の肥えた見物客が夜通し張り込んでいたりするということだ。
「昔は十六人がけいっぱいに櫓方がいたものですけど、最近は上りの兵糧の重みを嫌って十人がけで往復乗り切るってのが主流で、昔みたいに捨て鉢に漕ぎ手を使って川におっぽりこむってのは減りましたな。まぁ大抵はわかってのっているわけで、早々死ぬもんじゃないって言っても、夜であれば溺れて死ぬってのはあることですから気の毒が減るってのは良いことです」
そういう舟から捨てられた死に還りは祭りの英雄でタダヒトも亜人も祭りの花として遇され、たまに出る本当の溺死者も町の墓地で祭りの一環として華やかに葬られるという。