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ローゼンヘン館 共和国協定千四百三十四年桃始笑

 翌日訪れたストーン商会の一行はソラからの連絡通り四頭立ての荷馬車四両で到着した。

 今日は朝からそのつもりでアウルムと二人で料理の仕込みをしていた。

 大抵の場合、人足の払いは路銀に食い扶持が足りれば良い方で、それも前払い分は隊商の食費に充てられ、実質後払い分のみ、という話も聞く。

 これまでのストーン商会の一行の人足には亜人なども混ざり、命を預けあっているからか町中より幾分気楽な付き合いをしているようにも見え、馬舎の中の同じ馬丁部屋に手代人足まとめて泊めてももめているようには見えなかった。

 館の両翼にあったそれぞれ二百五十からの馬をつなげる馬舎の一翼も今はそこまでは不要だったので一角にはレンガを漆喰で固めた馬用の水場を設けて湯も張れるようにしてあった。アウルムは昨日のうちに水場を掃除して人足たちが風呂代わりに使えるようにしてあるはずだ。

 玄関で出迎えると、鉱石を運ぶ商隊にしては珍しく幌馬車が一両混ざっていた。

 濡れてはいけないようなモノを頼んだ覚えは本当になかった。

 見ていると幌馬車から身なりよさ気な人物が降りてきた。

 ひとりは、ストーン商会の手代頭のひとりでマーシー某。もう一人はストーン商会の大番頭ディエモン・グリス氏。二人にはデカートのストーン商会では会ったことがある。

 ただ、ふたりには遥々出向いてもらうような要件は頼んでいなかったはずだ。

「ご注文の品、お届けに上がりました。おまたせしてしまったものもいくらかありますが、ご寛恕の上お納めいただけると後の励みになります」

 初老というよりは既に老境久しくみえる人物が、マジンの姿を認めるや姿に見合わぬ太く通る声で遠くから呼ばわった。

「グリスさんに我が家においで頂けるとは光栄です。鄙びたというもおこがましい狐狸の行き交う森の中までようこそお越しくださいました。確かに、是非のお運びをお店では申し出させて頂きましたが、まさか本当にお運びいただけるとは喜びに耐えません。調度の趣味が優れているとは自慢もできませんが、揺れる馬車よりは落ち着けるかと思います。荷受の間、応接間でお待ち下さい。お連れの手代の方もどうぞ」

 挨拶に応える形でマジンは呼ばわりながら玄関からグリスに歩み寄る。

 にこやかな来客がなにか不思議な反応をしていることにマジンは怪訝な顔をしてしまった。

「なにか、気になることでもありましたか」

「いや、なに、マーシーに人物というものは年齢にかかわらず土地にかかわらず唐突に現れいでるものだから、まずは自ら足を運べ、人と会え、と道中言って聞かせていたのです」

「年若いゲリエ様の立派な振舞いに我が身の無駄に歳を重ねたことを後悔していたところです」

 マジンは褒められたことの理解に多少の時間を必要とし、微笑んだ。

「申し訳ありません。荒れ野育ちの山出しなもので、過分なお言葉に恥じ入るばかりです。お気持ちを裏切らぬよう今後も精進いたします」

 マジンは軽く一礼をして話を切った。

「ところで今回の商隊の手代の方はマーシーさんでよろしいのですか。荷受けの方、信用いただけるなら人足の方々と私とで始末いたしますが。いずれ用向きをお持ちとは思いますが、まずは積荷を解いてからと思います」

 グリスとマーシーは軽く顔を見合わせた。

「久しぶりに現場の雰囲気を通しで感じたいと思っておりました。よろしければ荷受荷降ろしまでご一緒させていただけますか」

「そういうことであれば、どうぞよろしくお願い致します」

 グリスが言うのにマジンに厭うもなかった。

 馬車を工房脇の屋根の高い資材倉庫に下ろし、袋ごとに重さを量り中身を改めてゆく。

 マジン手製の計量器を見守る二人は終始興味津々だった。

 人足たちが下ろした袋の重量を測り終えると、マジンは人足たちに牛を一頭一昨日下ろしたところだ、と告げて大いに振る舞うことを約束した。人足たちが喜ぶところに、人手が足りず助けてはくれまいかと、言って石炭を骸炭炉の石炭溜めに運び込ませた。

 蒸気式の動力滑車が昇降機として使えても、石炭袋の数が多いと手間であることは変わりなく、そこまでは自動化が進んでいなかった。アウルムに石炭の運びこみの仕切りを任せると、空荷の荷馬車を骸炭置き場に案内した。

 轟々ボンボンと音を発てている巨大な石の建屋が唸りをあげていた。みると建物から黒い台車が押し出されてくる。

「骸炭ができたようです」

 台車は軌条の上を押し出されるままにノロノロと進むと倉庫の骸炭の山の脇で蓋を開いて中身を吐き出した。

「どうなっているんですか。これが魔法ですか」

 グリスが興味深げに尋ねた。

「いえ、ちょっとした絡繰の組み合わせです。巨大な時計じかけと思っていただければよろしいかと」

「すると動力はゼンマイですか」

「いえ、蒸気圧です」

「蒸気圧」

 耳慣れない言葉をグリスは口の中で繰り返す。

「蒸気というのは、湯気を厳しくいう時の蒸気で、圧というのは押し退ける押し付けるという意味の圧ですか」

「そうです。蒸気の押す力を使っています。いわば、湯沸かしの口につける笛や風車みたいなものを連ねているとご理解ください」

「すると、――」

 光景に圧倒されていたマーシーがなにかに気がついたように口にした。

「――ヴィンゼの町でご家族……お嬢様が営まれているという氷屋もその蒸気圧を利用したものだということですか」

「そうです。あれはもう少し複雑ですが、異なった液体の蒸気を使っています」

「湯気で、蒸気で氷が」

 グリスは理解が出来ないというようにため息混じりに口にした。

 マジンは重量を測り終えた鉱石を一通り改めると、マーシーに目安分銅を頼んだマジンが、その重さを図った天秤で分銅を量り、運んできたものの重さを校正して受け取りをまとめた。

 それを眺めながら運んできた鉱石は物によって重さが出たり入ったりしていることをマーシーに告げたマジンは重さは結構だが、鉱石の色味はもう少し揃えてくれると助かる、銀鉱石の質は店で見たより質が下がって見える、と注文をつけた。

 マーシーが石の質については自信がある。と反論すると、マジンはすこしばかり気の毒そうな顔を浮かべて水槽を載せた秤のようなものの前に二人を招いた。

「鉱石の中身については実のところ鋳融かしてみるまで、確実本当のことは言えないのですが、鋳融かす前からわかることもあるのです。お二方も金銀銅鉛などの金属がそれぞれ重さが違うことはご存知と思います。この量りはそれを大雑把に測るための機械です」

 そう言うとマジンは運んできたばかりの鉱石を二つ選んでそのうち片方を水に落とした。

「零れた水の量で体積がわかり、水と置き換わった石の重さとで、石の体積あたりの重さ、密度がわかります。つまりは似たような石であれば似たような質、似たような密度になるはずですが、例えば今日同じ袋に入っていたこの二つは、これくらい違うのです」

 そう言って二つの石の計測とそこからの計算値をマジンは示した。

「先程も言ったように鉱石の質は鋳熔かしてみるまでわからないところがあるので、重いからよろしい、軽いからよろしい、というわけではないことはご理解いただいたうえで、しかしこの二つが混ざっていることの面倒をご理解いただけると、今後の取引が楽になり私としては大変に助かるのです」

 二人は顔を見合わせた。あまり考えたことのない注文だったようだ。

「二つが違うということはわかりましたが、そうするとどうあるのが良いということですか」

 マーシーはマジンに改めて尋ねた。

「大きな鉱床であれば概ね質は近しくなるのですが、入り組んでいる場合、含まれているものが違うせいで面倒が変わってきます。出荷のときに石を改めて水洗いするつもりで水槽を使って重さを量っていただいて産地と密度を揃えていただけるとたいそう助かります。ちなみに――以前お店で買わせていただいたモノはこのような値です。たいそう良質でした」

 マジンが示した石をその場で測った値は、新しい石よりも更に図抜けて値が大きく、素人目には質が高そうに見える。

「これはどう考えたら良いのでしょう」

 マーシーは不安げに尋ねた。

「鉱石は鋳融かしてみるまでわからない。ということはお忘れにならないようにしていただきたいのですが、同じ鉱山でも違う鉱床に切り替わったか、鉱床の端の方にきているかという風に思います」

 マジンの言っていることの意味は重大だった。

 これまで質が良かったとマジンが認めている鉱石の質が変わったと告げられたのだ。良かったものがよりよく変わるならば全くの幸運僥倖だが、多くの場合良い物が変化すれば悪いものになりがちである。

「これは、よくよく他所の精錬場にも聞いてみます。ご教授ありがとうございます」

 グリスは堅く言った。

「今すぐに分かることは、単に質が異なるというだけで、必ずしも銀の多寡ではないことをくれぐれもご理解ください」

「わかりました。覚えておきます。それで、誠に厚かましいお願いなのですが、銀鉱石としてどのようなものか、お使いいただいた後にお知らせいただければ、と思うのですが、よろしいでしょうか」

 グリスが少し探るように尋ねた。

「ご覧のとおり、気ままにやっておりますので、お約束は難しいですが、来月までには一通り試してみようと思っておりますので、その後に。今回の納品控えを参考に次回の注文をさせていただきます」

「是非ともよろしくお願いいたします」

 マジンの脳裏に昨日のやり取りがふと思い起こされた。

「もしやあの銀鉱石はよほど悪いものという心当たりでもありましたか」

 ふとマジンが気がかりそうな表情を浮かべたのに、そこまでのやり取りが気になっていたマーシーが不安げに問いかけた。

「結局、石については精錬してみるまで良し悪しはいえません。ですので、今回の色味の件については次回の注文の折にわかったことをお知らせしたうえで、考えさせていただきます。……ああ、いえ、そうではありません。申し訳ありません。ご心配いただきましたが、今回の商いに関することではないのです」

 二人の商人は顔を見合わせた。

「どういうことでしょう」

「厄介事がありまして、時間を好きに使えなくなるかもしれないのです。……しかしまぁ――」

 奥から石炭の運びこみを終えた人足たちがアウルムに導かれ戻ってきた。

「――ひとまず馬を休ませ、皆さんに旅の汗を流していただきましょう。その後でまだ興味があれば食事の前か後にでも」



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