春になって馬車が使いやすくなったのを待ってマジンは東にあった廃屋を立て直すことにした。
慌ててなにかに使う用事があるわけではもちろんないのだけど、敷地の中での位置的な意味と、小さくもない船の残骸が複数あったことも気になっていた。
おそらくは館の最盛期には重要な意味合いを持っていた設備だろうと思えた。
ひょっとすると河川運荷で石炭を運べるかもしれない。
そういう直感があった。
もちろん船としての使いみちがあるわけもない朽ち果てた古い木材ではあったが、深く乾いて割れ果てたものの船の形をとどめているものもあった。
浮かべたとして船の用には足るとも思えないが、ではなんであったか、と問えば船であろうと見えるくらいには、形を留めていた。
陸に揚げられていた船は手漕ぎだろうとは思えたが、八か十四かそれぞれ少ないとはいえない櫂がやはり残骸として残っていた。
こちらは、屋根にかけ残った榾のような状態で、おそらく多分ということしか言えない。
帆柱や帆桁があったかもしれないが、木材と見分けがつくほどには残っていなかった。
建物の屋根は落ちて久しい様子だったが、わかりやすい人の痕跡に立ち寄った者も多いらしく、あまり古くない焚き火跡がいくつもあるので、手頃な焚付薪代わりにバラされ燃やされてたかもしれない。
まずは遠出のついでに泊まれるように建屋を整えた。燃料はどうしようか少し考えたが骸炭は火の周りが時間がかかるので薪と併用することにした。壁や屋根は怪しい部分は落として持ってきた材と合わせて竈をつくりなおしてみる。
灰の掻き出しを兼ねた吹き込み口を建屋の川沿いの外壁に設けて、竈の奥には火室と鉄板で切り分ける形で掻き出しから煙突に通じる吹き抜けを作った。吹込みを避けるために炉を閉じてしまえば鋳物の天板にヤカンをのせるくらいしか料理には使えなかったが、遠出の疲れを癒やすための建屋と思えば贅沢を言う気はなかった。
マジンが自分の土地の見聞に勤しみつつ、面白げな趣味の工作の幅を広げている折に事件は起きた。
高圧水素の振動的な熱流動を運動に変える新しい熱機関が組み上がった頃にリザ・チェルノ・ゴルデベルグはやってきた。
昨日のうちに狼虎庵のソラから連絡があってデカートから荷車がヴィンゼについたという知らせがあった。
様々な鉱石などを産地ごとに頼んでいたものがいくらか届いたのだろう。貨幣価値を持たないものや地金になっていないものでも手に入れば欲しいものもある。
マジンは鉱石原料の形で仕入れて地金の形で卸し利ザヤを稼ぎ、またその余録の夾雑物を回収することで更に材料を得ていた。
夾雑物というものの多くは、およそ精錬冶金仕事のうちではカナグソと称される扱いに困る石塊であったり毒性のある塩の塊であったりするから、利ザヤとか余録と言っても普通は面倒のほうが多い。
そこに価値を見出しているのは今の所、付き合いのある内ではマジンだけだった。
電気と液体空気を自由にすることができることは、まだこの世界の多くの人々が価値を見出していないものを自由に扱うことができるということでもある。
同時にそれは自分でやらなくてはなにも始まらないということでもある。
マジンは先駆者の誇りと楽しみを趣味に見出していた。
ソラからの連絡によると荷車で四台がデカートからヴィンゼの町についたらしい。
頼んでいた荷物がそんなに多かっただろうかと思ったが、鉱石の類は嵩より重いのは仕方ないことで、馬や人足の手当を考えれば膨らみがちになる。少なくとも荷を頼んでいるストーン商会の人足は積荷にゴミを放り込んだりはしない分別を持った者たちで、商会もあからさまなハズレの鉱石を何の言い訳もなしに送りつけることはしてこなかった。長駆する人足のうちには、運んできた酒の樽を半分空にしたり、そこらの水を詰めてくるという連中もいた。
もちろん、そういう連中には支払いを拒否して荷は全てお引き取り願っているわけだが、いちいちそういう交渉をおこなう手間を防いでくれるストーン商会の信用は有り難かった。
そんな日の昼間、敷地の扉の閂が開いた先駆けのベルが鳴った。
荷車なら二日がかりの道のりに妙に早いとも思ったが、道中で何やらあったか、荷物の口上で打ち合わせるべき件でもあるかと思い、午後の工房の作業を切り上げ、アウルムに馬舎と客間の支度の確認と来客の準備をさせた。
遠路はるばるの商会の人足を屋根のあるところで労うくらいはこれまでもしていたし、手抜かりもなかろうと思ったが、なにぶん館の広さに二人だけでは段取りは必要になる。こうも繰り上がると食事の手配は間に合わないが、腹に収めるだけのものならなんとでもなる。
正面玄関に気配があり出迎えると、そこには軍服姿の少女と言ってもいい年齢の栗毛の女性がひとりで訪れていた。
「どちら様でしょうか」
幾分失望と怪訝さの滲んでしまった表情で出迎えたマジンを無視するように玄関に踏み込んだ女性士官は玄関の階段ホールでなにかを探すように見渡した。
「階段を新しくしたのね」
「ええ、まぁ。少し前に。それで、どのようなご用件でしょうか」
マジンは改めて問い直した。
「わたしの名はリザ・チェルノ・ゴルデベルグ。こう言えば要件はわかるでしょう」
「皆目見当もつきませんが」
傲岸というべきか自信満々に名を告げた少女の名前に要件の心当たりはなかった。
「あなたの主人を呼びなさい」
「ボクがこの家の主ですが」
リザはマジンの若さに驚いたというような顔をする。
「道中、噂では聞いていたけど、本当に若いのね。まだ子供じゃない」
「家の主に年齢は関係ないだろう。それで何の御用です。お嬢さん」
軍服を着たリザという女性の少女といえるだろう年齢も察するところ、マジンのひとつふたつ上か下かというところで子供といえば言える年齢だった。その言い草にマジンは苦笑する。
「あなた、腕の良い賞金稼ぎなんですって。聞けば単身、わたしの館から盗賊を追い払ってくれたとか。ほめて差し上げます。ご苦労でした。館をゴルデベルグ家当主であるわたしに返しなさい」
「お断りします。ここはボクの家です」
ついさっきまで工房で作業をしていて、マジンは武装は刀剣は疎か拳銃も下げていない。
丸腰だった。
リザは左にサーベル。
右に拳銃を下げている。
戸口から少し離れれば、長戦斧が架かっている。
だが、クマやカモシカ相手ならともかく、自宅玄関の戸口の中で振るうのは少し躊躇われた。
リザは入り込んだ玄関に何かを探すように巡る。
「ここは、ゴルデベルグ家の館です。あなたのような風来の賞金稼ぎが住まうに相応しい地所ではありません。今日まで館を預かってくれたことには感謝します。荷物をまとめてどこなりと去りなさい」
マジンの内心を無視するように傲岸にリザが言う。
「ここは三年前には既に主なく、このボクが森山地を含め買った土地。館についてもあばら屋同然に扱われていたものです。疑われるならヴィンゼでもデカートでもいって、土地登記の内容確認をなさるがよろしいでしょう。お引取りを。なんでしたら、こちらの地下牢で保安官を待ちますか」
背中のマジンの言葉が終わるが早いか、リザは振り向き右手と腰がするりと抜き打ちに動く。
瞬間、マジンの姿が膨らんだことにリザは怯んだ。
リザは鉄の気配に男が何をしたか悟り動きを止める。
男は間合いを踏み込みリザの腰からサーベルを一気に抜き放ち、彼女の手と銃把の間に刃を差し込んでいた。
「我が家の家人に向かって銃を抜いて無事だったものはこれまでいません。試してみますか」
静かな声でマジンは制する。
「返しなさい」
リザは相手の技量を無視して、マジンを睨みつけながら命じた。
「ここはボクの家です」
「返しなさい」
リザがゆっくり銃から手を遠ざけるのに合わせて、マジンもサーベルをリザの腰元から離す。
「細工は綺麗だけれど、刀剣としては大したことないですね。ボクは鍛冶職人として農機具の手入れなんかもやっています。宜しければ手入れの注文を承りますよ」
サーベルの切れ味を自分の爪を削り確かめつつマジンは言った。
誂いの言葉に乗らず黙って睨みつけているリザの腰の鞘に、マジンは鼻でため息をつきながらサーベルを滑りこませる。
刃の鞘に擦れる音を聞きながら、リザは油断なく体を入れ替え間合いを取り直す。
リザの手が腰の拳銃に伸びた。
その一瞬、リザは男の姿を見失い舌打ちをする。
指が彼女の求める物を掴みそこなったからだ。
「薄汚い曲芸ができることはわかったわ。褒めてあげるから返しなさい」
マジンがシリンダーの開いた銃を弄ぶのを、リザは怒りの篭った声で睨みつけながら言った。
「ここはボクの家です」
マジンは拳銃の状態を確かめながら、改めて言った。
「ここはわたしの家です」
「デカート市と共和国は、一帯をボクの土地だと認めました。付帯する物はボクのものという条件がついていました」
「それでもここはわたしの家です」
リザは固く宣言した。
「ボクがこの家の野盗共を一掃したとき、ゴルデベルグ氏の遺体はありませんでした。それはヴィンゼのマイルズ保安官が確認してくれました。地下牢でマイルズ保安官をお待ちいただくか、お引き取りいただくか、どちらかお選びください。お泊りいただく間の食事は準備しましょう。地下牢でも野営よりはマシだと思いますよ」
リザは歯を剥いて怒りの表情をマジンに向けた。
歯並びの良い口元だ、とマジンは場違いなことを思った。
「賢しげな薄笑いを引っ込めて、さっさとわたしの家から出てゆきなさい」
「マイルズ保安官を待ちますか」
努めて冷静にマジンは言った。
「ここはわたしの家です。あなたにも保安官にも用はありません」
「見解の相違ですね。裁判所にゆかれるのがよろしいでしょう」
「追い出されるそのときになって後悔しないことね」
「いま無謀なことをなさるおつもりなら、後悔もできないようにして差し上げてもよろしいですよ」
拳銃を彼女の腰のホルスターに落とし込みながら、焼くのと溶かすのとどちらが面倒が少ないかマジンは考え始めていた。
「お客様はもうおつきですか」
奥からアウルムが出てきた。長いものは差していないが、短刀と拳銃は身につけている。
「いや、こちらは違うんだ。もうお帰りになられる。アウルム、門を開いて差し上げてくれ」
「わかりました」
アウルムは気配を察した声で答えた。
「また来ます。そのときに後悔しないように今のうちに身辺片付けておきなさい。これは忠告よ」
リザは敵意を隠さず改めて宣言した。
「ゴルデベルグ様こそ無謀をなさらぬようにご自愛ください。あと拳銃の手入れは少し丁寧になさったほうがよいと思います」
アウルムが馬を引いて門に向かうのを笑顔で見送って、マジンは扉を閉じた。