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ヴィンゼ 共和国協定千四百三十四年雀始巣

 翌日、骸炭の袋詰と荷積みを午前中に終え昼食をすませて、ストーン商会一行は帰路についた。

 道中一泊しておみやげにねだられ渡した懐中電灯の話で、物が酸に溶けてゆく中でその力の一部を税のようにして取り出しているという説明で、ひとしきり盛り上がった。

 昼をだいぶ回った午後にヴィンゼの町に着いて、裁判所の簡易窓口で契約書の証紙を受け取ったその場で、マジンはゴルデベルグ嬢によって訴えの手続きが行われたことを知った。

 半月からひとつきの間に裁判所から郵便が来るということだが、田舎のことなので保安官が持ってゆくことになるだろうという。内容も内容だが、まったく明け透けに世間話のように切りだされたので、少しばかり驚いた。

 その驚いた意味を勘違いしたらしく、気の毒に、というずれた挨拶に無言で退出するとその場に居合わせた二人が猫の死体でも見つけたような顔をした。



「誠に不謹慎な態度ですな」

 主語を省いてグリスが簡潔に評した。

「お二方にはお伝えする手間が省けたともいえますが、あまり望ましい公務姿勢とはいえませんね。しかし、お話したとおり、ということでもあります」

「落ち着いてらっしゃいますね」

「まぁ、元はボクも流れ者ですから、命にかかわらないことであれば多少のことは」

 そう言ってマジンは軽く肩をすくめる。

「ですがこちらは三百万タレルの大仕事です。仕上げてもらわなくては私の面子だけにとどまりません」

「手に入れるのが面倒なものは必要な物は先に準備しておきます。幸い話の流れでは半月ちょっとは猶予があるようですから。あまり込み入った新しいことは試せなさそうですが、お渡しした建屋のとおりにあらかたのところは定まっているので、手際だけですね」

 頼もしいと言っていいのか悪いのか、わからないときは口を噤むという常識には従ったものの二人は気遣わしげだった。

「こちらの保安官はヴィンゼの元老議員でもあるそうなので法曹のどなたかの伝手もあると思います。まずは相談をしてみます」

「そうですか。私どもでも幾人か知り合いはおりますので、召喚状の内容次第ではお力になれると思います」

 型にはまった内容が聞けたことで安心したのか、グリスの表情が少し緩んだ。

「それでは道中お気をつけて」

「ゲリエ様にもくれぐれもお大事にお過ごしください」

「ごめんください」

 そう言ってマジンはストーン商会一行を見送った。



 一行と別れたマジンはマイルズ保安官の元を尋ねた。

 リザはマジンに追い返されたその足で明け方頃に町につくとマイルズ保安官を叩き起こすようにして訴えを取り上げるように告げたらしい。

「おまえさん、彼女の銃から雷管を尽く抜いておいたろう。あまり感心することでもないが、この際は騒ぎにならなかったことを感謝するよ」

「何かありましたか」

「いや、なに、彼女の訴えがあまりに飲み込めなかったのでやり取りをしているうちに、彼女が銃を抜いてね。どうしようかと思っていたら彼女の銃から火薬が漏れているのが見えて気がついたんだよ」

 マイルズ保安官は唇を笑いの形に変えていった。

「ま、そのあとはお茶を飲むくらいには落ち着いてくれたがね」

「で、彼女は本当にゴルデベルグ家のお嬢さんだったのですか」

「そのようだ」

「今まで何処でなにを」

「八年ほど軍学校の寄宿舎で学んでいたと言っとった。今十六だそうだ」

「すると、館が襲われた頃には既に軍学校に」

「まぁそういうことだろう」

 そこまで話を聞いてマジンにも話が見えてきた。

「で、彼女はなんと」

「軍学校で事件は知ったが、遠くのことで為す術もなく、歯噛みしつつ軍務に精勤したそうだ。甲斐あって彼女は同期で次席、兵科で主席で軍学校を卒業、少尉任官を受け、配属と同時に中尉となるところを辞退して、軍学校満了の一年の特別休暇を申請して帰郷した。ということらしい」

「そうすると、自分は死んだことになっていて自分の家はどこの馬の骨とも知らぬ賞金稼ぎの持ち物となっていたと、彼女は道中で知ったわけだ。なるほど」

 マイルズ保安官が知ってか知らずか話さなかったことをマジンが口にした。

「既に盗賊たちが一掃されたのはメラスのパーティーの記事で知っていた」

「で、彼女は自分が当然に相続の権利のある家をどこぞの馬の骨に売りつけた町を訴えるのか、それとも買ったマヌケを訴えるのか、どっちなんだ。両方か」

「売買手続きの無効と撤回を求めている」

 嫌そうにマイルズは口にした。

「ご存知と思うが、ボクはあそこに工房を構えている。近辺じゃ大したもののひとつだと自負しているんだ。自惚れかもしれないけど。アレの引越し費用くらいは町で賠償してもらえるんだろうか」

 マイルズ保安官がため息をついた。

「いくらだ」

「三百万タレルの仕事を請け負っている。出来高込みなら五百万タレルだ。夏の終わりまでにケリがつかないと色々問題になる。その件で町まで出てきたところで訴えの話を聞いたんだ」

「冗談じゃろ」

「冗談なものか」

 マジンが契約書の写しと証紙を見せると、マイルズ老人の目はマジンの顔と契約書との間を鶏が水を飲むような動きでしばらく往復した。

「――裁判所の受付の某氏の声があまりに大きくて、たまたま一緒にいた取引先が心配して付帯条件をつけてくれたから裁判の日程分だけはなんとかしてくれるということになったが、むこうも商売だし、仮に引っ越しということになれば、色々面倒になる」

 マジンが契約書を引き上げてもしばらくマイルズは口を開かなかった。

「――あんたらはローゼンヘン館が襲われた折にゴルデベルグ家の人々になにもしなかった。生き残りを探そうとも助けようともしなかった。結果として狩りに一緒にゆくような仲の人物の娘を幽霊扱いし、ボクに詐欺まがいの商売をした。おかげでボクは見も知らない軍人に昼間から言いがかりをつけられ決闘もどきの騒ぎに付き合わされた」

「黙れ」

 そう言ってマイルズがとっさに抜いた拳銃のシリンダーをマジンが弾いて抜きとる。

「これは酷い。いくら何でもひどい。お茶を飲もう」

 シリンダーから雷管を穿り出しながらマジンはそう言った。

「――ともかく、ボクはいずれ出てゆくにしても、今は追い出されるわけにはいかないんだ。保安官には土地を手放すことにならないですむように協力してほしい」

「具体的にはなにを」

 睨むようにマイルズは言った。

「とりあえず、腕の良い弁護士を紹介してほしい。法律は詳しくないんだ」

 そう言うとマジンは手の中のシリンダーを机の上に転がし、雷管を積み重ねて保安官事務所を出て行った。



 狼虎庵で久しぶりに娘たちに会うと今日はマイルズ邸に皆でお呼ばれされていたらしい。

 マイルズ夫妻は獣人と一緒に食卓を囲むことに頓着することのない人柄でソラもユエも本当によく懐いているようだった。

 奇妙な気まずさを感じながらマジンはマイルズ家の食卓に招かれたが、当のマイルズ老人も相応に気まずかったようだった。

 裁判のことは子供たち皆が知っていて、しきりに聞かれたが、先行きの不安というよりは、子供らしい興味によるもののようだった。

 話の流れを聞いたソラが云うには、結婚するのか、という疑問だった。

 他所の男の人と女の人が家族になって一緒に暮らすことが結婚だというなら、結婚すれば問題は解決するじゃないか、という理屈だった。

 ふむまぁなぁ、と生返事を返したマイルズ老人や、相手のヒトが一緒に暮らしたいと思わないかもしれないな、と指摘したマジンとは裏腹に、マイルズ夫人はひどく乗り気だった。

 もともと子供しかいないとはいえ離れた土地に我が子を放り出しているマジンに対する反発があるのかもしれないし、ただ純粋に良い案だと思っているのかその辺りは読み取れるはずもないのだけれど、マイルズ婦人はソラの案にはしゃいでみせた。

 氷屋さんが順調なのはいいけれど、少し町も大きくなってきて新しい人が増えているし、皆しっかりしているのは知っているけど、子供だけだと危ないから少しどうにかしたほうが良い。そんな風に夫人は言った。


 子供扱いされたアルジェンは少ししょぼくれていたが、婦人から見ればそう感じるのだろう。

「そうは言ってもマジンからして、知らん者から見れば若すぎるわけだから仕方なかろう」

 そういうマイルズ老人の言葉を犬が吠えているかのような表情で婦人は見返した。

「あなた、マジンさんは揉め事があっても自分で始末しちゃえるでしょ。この子たちが揉め事を自分で始末しようとするとマジンさんに話が飛んでゆくでしょ。この子たちにはそれが困りごとなんです」

 子供たちは三人とも揃って天啓に驚いたような輝く顔で夫人を見つめた。

「しかし、あの屋敷は遠いから」

「だから、仮に手放すことになってしまってもそれはそれで良いことになると思いますよ。私は。お話を聞けば大事な道具や工房があるようですけど、それよりはお子さんたちの方が大事でしょう。そもそも町に居着いた経緯がお子さんたちのためなのですから」

 老人の言葉を押しのけるような夫人の言葉には他人の無責任なたわごととわかったうえで、なお重みがあった。

「もちろん、せっかくのお屋敷のご主人が追い出されるようなことになったりしたら、それはそれで保安官の仕事を疑われることになるのでしょうけど、聞けばリザさんもおひとりでいらしたとか」

「そりゃ、軍人って言っても任官されたばかりの新品少尉じゃ、従卒は連れんじゃろ」

 老人は常識だとばかりに言った。

「なに言っているんです。色恋に敏い殿方が周りにいらっしゃれば、目当ての女の故郷に足を運ばないわけがないじゃないですか。況してや彼女は家族を野盗に襲われた生き残りのお嬢様で学校を次席で卒業するような才媛なんですよ。私は結局見ていませんけど、あなたが云うにはかなり美人さんだったわけでしょう。あなた方次第ですけど、結婚というのは考えてみても良いとは思いますよ」

「そうは言っても軍都に戻れば誰か居るかもしれんだろ」

 マイルズは夫人の言葉に反駁した。

「誰がいるにしても懸想をやり取りしている将来を考えている男性はいませんね」

「なんでそう言える」

 一答に断じる女房の言葉に老人は問い直した。

「女の一人旅を往復ふたつきみつきも赦すような男性にマトモな甲斐性があるとは思えません。ましてや彼女は家族を野盗に殺された身で、つい先ごろまで野盗が潜んでいた辺境への一人旅ですよ。行きずりの出会いや危険があることくらい誰にもわかるでしょう」

「身分があるとか、仕事の手が離せないとか」

「それならヒトを雇ってつけるくらいはします。たとえ馬丁の一人でもね。それに彼女にも軍務に帰る宛もあまりなさそうです」

「どういうことじゃ」

「だってお屋敷を取り戻しに来たんですよ。しかも出てゆけって。先のことはわからないけどしばらく居着く気満々じゃないですか。戻る先があるならそんなことは言いません」

「カネにするつもりの脅しかも」

「そんな知恵の回し方をするならそれこそ先に裁判所の命令を取っていきます。そうしなかったのは本当に家族の家に帰りたかったんだと思いますね。なんで乱暴な成り行きになったのかはわかりませんけど。それに事の起こりはあなたがお屋敷の犠牲になった方々をきちんと確認しなかったからですよ」

 夫人は散歩の途中で座り込んでしまった犬を見るような目で夫を見た。

「お前さんがた、女房がなにを言っているかわかるかね」

 手に追える状況でなかったことを言い訳しようかどうしようか考えてマイルズは助け舟を求めた。

「身の危険の心配や浮気の嫉妬をしてくれる恋人や結婚を考えている相手がいない」

「帰る予定もないし、自分の代わりに屋敷を管理するヒトもいない」

 ソラとユエが夫人の言葉を要約して言った。

「軍に戻る気がないというのはどういうことでしょう。彼女は軍服だったのですが」

 マジンは夫人に尋ねた

「軍服は道中、軍人会を利用したのだろう。怪しげな宿よりは確実じゃし、馬の扱いが良い。駅馬車のほうが楽じゃが、体力に余裕があれば融通は効く。が、戻る気がないというのは……」

 マイルズがわかったことを口にする。

「一年の休暇でいらしたと言ってたでしょう。館の処分をまじめに考えていらっしゃるならそれこそ一年ではケリが付きません。さっさとヒトを送り込む必要があります。これからヒトを募って処分と言うのはいかにも悠長です。処分を含めて考えているならヒトを連れているし、ヒトを手配していたならいきなり玄関先で怒鳴り合いにはならないでしょう。お屋敷のことは話でしか知らないけど、広いものだって聞いているから一人で片付けなんかしてたらひとつきふたつきじゃ終わらないんでしょ。つまり、先のことは知らないけど、お屋敷にいるつもりだったのよ」

「しかしフラリと行って入れるとも思えんだろ。元は自宅とはいえ一時は野盗の巣だったこともある館だぞ。誰が居着いているともわからん」

「道中で人手に渡ったってことはご存知だったらしいじゃない。大きなお屋敷は用人が多いから物置や通用は外から入れるように作ってあるし、鍵のたぐいはその内側でしょ。ウチみたいに玄関と勝手口で鍵は同じものなんてこともないと思うわよ。それに、お嬢さんが長いこと家を離れるということになれば、お守り代わりに鍵束を渡されていても不思議ではないわね」

 夫人はざっと流れを説明するとしばらく言葉を切った。

「――でもまぁそこはさした問題じゃないわ。問題は身寄りの無い女性から図らずも財産を奪った大悪党が、私の亭主で護民と正義を旨とする保安官だったということよ」

「だから、それは」

「肩の上に乗っかっている飾りの穴から出てくるものが鉛弾の煙か腐った中身でないというなら、責任はないなんて腐った卵みたいなことは言わないでね。あそこの奥様は私も好きな方だったのよ。スピーザヘリンの奥さんと三人で献立談義をしたこともあるわ。身の上は知らないけど気取らない良い方だった」

 再びの糾弾に夫が弱るのを押しつぶすように言いきって夫人は水を飲むと黙った。

「……それで結婚ですか……」

 マジンはつぶやくように言った。

「それがいいと思っているわけじゃないの。あなた方がヒトを雇わず自分たちだけでお屋敷とお店を切り盛りしているのは知っているから、あまりヒトを家に入れることを好んでいないのも知っているわ。ただ彼女が私の仲良くしていた知っている方のお嬢さんである、ということだけ覚えておいてほしいの。うちの人の失敗でご迷惑おかけしてごめんなさいね」

 マジンは夫人の言葉に驚いた。ヒトを雇わなかったのは、うまく回っているという見切りがあったからだが、ヒトを寄せないという人物評につながっていた。



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