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ディエモン・グリス

 食事中、来客たちは工房の話や氷屋の話を頻りに聞きたがった。

 二人は、物質が固体液体気体の三相を温度と圧力の条件で変化するということと、あるひとかたまりの質量の物体の熱を温度と体積の積として考える、ということとを鍵にして氷屋が機能していること、氷点の水と氷と湯気が存在しうることについてはすぐに理解した。

 実感としては全くわからないわけだが、現実に存在するものを否定する程の狭量さは商人として多くの人々と真剣な交渉に触れ、利益の検討と必要に現地に赴く二人にはなかったし、仮に間違っていたとしてそれを確かめる術も今はなかった。

 ともかく、時を砂時計で計るためにひたすらひっくり返し続けるような、単純ではあるがヒトのちからでそれとわかるほどにおこなうには、大変で気の遠くなる作業で、それを連続的に休みなく適度な調子でおこなわせるために、火を焚いて水をわかせその蒸気を力としてカラクリ機構を働かせている。ということであるらしいことは二人にも理解できた。

「つまり、御説では温度と熱は別のものであると考えればいいわけですか」

「例えば同じ重さの石炭でより熱くなる鉄のようなものとなかなか温まらない石のようなものがあるとして、つぎ込んだ力の目分量として温めた相手の温度ではなく燃やした石炭の量を測ると理解していただけると手早いかと」

「ふむ。結果を温度として、支払った力を熱と切り分けて考えるわけですな」

 マジンの説明をグリスが確認する。

「すると、手を擦ったときにあたたまるのも同じ理屈になるのですか」

 マーシーがそれを受けて質問した。

「手を擦る際には血行の問題があったり、そもそも人の神経の問題もあるので、ひとことで言うと誤りが増えますが、たとえば火口や火打ち石を失った際の野で火を求める知恵として枯れ木を別の枯れ木とこすりあわせるという物があると思います。なかなかに苦労したことがありますが、できるだけ小さい範囲でこすり合わせると云うのがコツであるように思います。広く熱を起こすよりも狭く熱を起こしたほうが、熱くなる、温度が高くなるというところでしょうか」

「そういえば細いキリのような棒を弓で弾いて回す道具で火をおこす亜人の部落で見たことがある。上手い下手はあるようだったが魔術のたぐいではあるまいと思っていたが、こういった形で理屈を知る機会が来るとは。足を運んで本当に良かった」

「ところで、そろそろお二人がおそろいでお越しの理由をお聞かせいただけますか。道も悪い中、遠路お越しいただいたことには、単なる得意先周りというだけとも思えませんが」

 二人の来客がマジンの話を喜んでくれているところで水を向けてみることにした。

「私共も街で氷屋を営んでみたいと思いましてご相談に上がりました」

 すぱりとグリスが口にした。

「正直まだ模索中で不具合も多いモノで私の手を離れてどれだけ無事かは怪しいところです。冬の間、狼虎庵が休業していることはご存知ですね」

「存じております。春先も手を入れておられたとか」

「おそらくあの機械はあと三年は保ちません。もともと理屈を確かめるための様々を複数押し込んだだけのものなので、後先については多少甘く見積もっていたところがあります。今までに都合、五基を仕上げましたが、おそらくどれも十年は保たないでしょう。まだそういった半端な品物です」

 マジンはそう言って言葉を切った。

 来客たちはしばらくマジンの言葉の意味を測りかねているようだったが、やがて笑い出した。

「ああ、はは、ふふふ。……失礼いたしました。ですが、そういったところもおありのようでほんとうに安心いたしました」

「どういうことでしょう」

 二人の理解の焦点についてゆけないマジンは説明を求めた。

「わたくしどもが本当に心配していたところは、あの絡繰機械があなた方ご家族の手を離れて働かないのではないかということです。あたかも魔法の如き或いは曲芸をする動物の如きものではないかと」

「それは、今お話したとおり、いわば一風変わった水車や風車や時計じかけのようなものです」

 グリスの言葉に改めてマジンは説明をした。

「燃料で火をおこして水を沸騰させ、その蒸気圧で動くということでしたね」

 グリスが話を覚えていることを示すように言った。

「細かなところは色々仕掛けがありますが、まぁそうです」

「その動作については仕掛けのコツとツボがわかれば、子供でも動かせる。と」

「現に私の娘たちが商いの片手間に動かせています。一応扱い方は教えましたが、ことによると程度の扱いは彼女たちのほうがよく知っているかもしれません」

「つまり、カラクリ機構の他に水と燃料があって、頭が柔らかく物覚えの良い人物をあてがえば、氷は作れるということですね」

 マジンの応えにグリスが確認を重ねつつ機嫌よく微笑んだ。

「不具合の危険が常にあることを除けば、そのとおりです」

「しかし、今までお嬢様がたには大きな危険や事故はなかった」

「たまに火傷や怪我はしているようですが、幸いな事にその通りです」

「そして、不満がおありの狼虎庵の絡繰もあと二年は保ちそうだと。新しい物は十年は怪しいが少し良くなっていると」

「まぁ、見込みですが」

「それで結構です。おっしゃってた鉱石の精錬と同じようなものです。結果はやった後までわからないものです。更なる改良の構想はお持ちですか」

「我が家の設備でいくつか試して今のところ順調のようです」

「狼虎庵よりは良い物が既にこちらで動いているということですね」

「そうなります」

「最初の燃料は石炭だったそうですが、今は骸炭とか」

「そうです。管理が少し簡単なもので」

 マーシーが手元で走り書きをしていたメモを見せると、グリスは表情を改めた。

「いま、ヴィンゼの町で氷がいくらで売られているかご存知ですか」

「一樽四タレルで売っています。だいたいこの辺りでの石炭の値段と同じくらいにして樽代を載せて上に丸めたものです」

「裕福でもない家に氷があるという評判は驚きましたが、卸の値付けの基準を聞けばなるほど納得ゆくものです。石炭も買えないほどの極貧は、辺境では逆に少ないとも聞きますな。しかし、小売の量り売りの相場をご存知ですか」

「転売は禁じていないので、とくに興味がありませんでしたが、どのくらいですか」

「三倍から五倍といったところで、先ほどのお話にあった氷点の水が、よく冷えた水、として氷と同じくらいの値段です」

 当初は毎日三十樽ということだったが、まとめて作って休めばよかろうと作った百樽積める氷室が空になる、たまに二回回しているという話を聞いていたが、なるほど小売か。

「――意外と驚かれないのですね」

「心あたりがないわけではないですから。驚くと言っても損をしているというわけではありません。子供たちでは直接小売をさせるのも面倒事のもとですし、なにより町に何かできないかと試みた商売です。今では子供たちのほうが町の人々の顔を知っていると思いますよ。町の人々が氷を欲しくて行き渡らないという話も今は聞きません」

 マジンの言葉に二人は目を合わせた。

「是非ともデカートのためにもお力をいただければと思います。もちろん相応のお支払いを致します」

 グリスは理解を示すように頷いて、そう言葉を返した。

「――つきましては日量三百樽の製氷庫を作っていただきたい。三百万タレルと別に年二回の補修の実費をお支払いします」

 七年保てば元が取れると踏んだか。と軽く頭のなかで数字を組み立てる。館の配管は十五年は難しくても十年は持ちそうな気配もある。カネを積んでくれるなら新しく試したいこともある。

 しかしそうすると昨日の事件が気がかりになってきた。

「わたくしとしてはゲリエ様のお話から見積もりを出させていただいたところですが、ご不興なほど安かったでしょうか」

 グリスが伺うように尋ねた。

「ああ、いえ、そうではないのです。価格は材料をどうするかというところで結局は輸送の人足の信用にかかるので、そちらの方々の荷扱いを見れば、こちらからお願いすることは荷運びの手配と着荷の管理というところまでで、さしたる問題では無いはずです」

「……ひょっとして昼間心配なさっていた、厄介事の件ですか」

「お恥ずかしながら」

 マジンが皮肉な笑みを口元に浮かべる。

「お力になれるやもしれませんが、具体的にはどのような種類の」

「何やら裁判になるかもしれません」

 裁判と聞いて二人の客に緊張が走った。

「差し支えなければ、どのような」

「この家の類縁という人物が乗り込んできて、家の所有権について主張されたもので、まずは様子見というところですが、先方が本気なら手勢を募って乗り込んでくるか、お役所の令状を盾に乗り込んでくるか、というところです。むしろ裁判になってしまえば、いきなり決闘とか刃傷沙汰ということもないでしょうから、そちらのほうが面倒が少ないかもしれません」

「それはまた、厄介な」

 マジンは話を切るようにテーブルの脇にあった樽からよく冷えた水差しを取りテーブルに置いた。

「体があいていればみつきかそこらで形にして、どなたか扱い主任を教育するのにふたつきかそこらというところですからまぁ半年もあれば、商売が始められるようにできることと思います」

「三ヶ月?半年?というのは工事をということですか」

 マジンの言葉をマーシーが改める。

 氷室の壁は壁の厚みを出すために透かし積みかそれを組み合わせた隙間積みになるか、いずれにせよ腕利きのレンガ職人を何人雇ってもそれなりの時間が掛かる仕事のはずだった。

「資材を現地に揃えてからということになると思いますが、そうです。工事の見積は三ヶ月。その後試運転で三ヶ月ということですが、試運転期間を縮めたければ、扱い主任の候補の方を狼虎庵の娘のもとでお預かりできれば、基本操作は同じになると思います」

「職人はどれほど用意すればよろしいですか」

「荷が揃ってしまえば私一人ででも」

「いや、しかし」

 さすがにマーシーが聞きとがめる。

「とはいえ、今回は、裁判の間を縫ってということになりそうですので建屋はそちらにお任せしたほうがいいかもしれませんね。建屋を建てる間にこちらで設備本体を仕上げて組み込むだけにするように作りこみます。今晩のちほど建屋概要の図面を仕上げるので、それに沿う形で土地を探してください。差金を差し上げますのでそれを基準に建屋を組んでください」

 歯切れが良すぎるマジンの言葉を聞きながら、現場で職人が睨みあうところを見たことのあるグリスには、ひとりでいい、といった理由がなんとなくわかった。

「つまりその、お引き受けいただけるということでよろしいのですか」

 マーシーが気圧されるように改めて尋ねた。

「土地と建屋をそちらが準備してくださるということであれば、夏の終わりまでには完成できるでしょう。或いは裁判がなければやや早いかとも思います。いずれにせよ、私の時間が不如意になりがちであるということを酌んでいただけたうえでならお引受けいたします」

「すると、土地建屋はこちら持ちということでしょうか」

「そこは狼虎庵も同じです。あちらは職人が使い物にならなかったので、私がひとりで組みましたが、資材は町持ちでした。飲める水が滾々と出るところとなるとやはりどうしても手当が難しいですし、町中では尚更でしょう。レンガ漆喰に関してはモノはある程度諦めざるをえないところです。ただ、氷室ですので腕の良い職人でないと、あっという間に内壁が崩れます。後日の保ちに関わるのできちんとした人物職人を選んでください」

 他に聞きたいことはあるかというように、マジンは言葉を切った。

「日量三百樽の製氷氷室の組み立てと将来の補修承りましょう。契約書面を準備していただければ、明日ヴィンゼの裁判所の窓口までご一緒しますし、改めて商会にてご相談ということであれば日取りをお待ちしております」

「マーシー。もうお尋ねしたいことがなければ、一旦失礼して荷物からひとまとめ持って来なさい」 

 マーシーが席を外したのを見送って、グリスは手元の水差しを傾けて少しぬるくなったエールを注ぎ、一口飲む。

「あれはあれで良い男なのですが、少々頭が硬いのが玉に瑕でしてな。商いなぞ博打と変わらない、という古い言葉に少々踊らされております。実際難しいところもありますが、人の知恵の分だけ日々世の中の価値は増している、その増した分を測るのが商いの基本だというところまでは至っていないようです」

 安く買って高く売るということだろうかと思ったが、少し違うことが言いたいようだった。

「私の値付けがよろしくないということでしょうか」

「最初の値付けは難しいものです。ただ、商いをその生業としているものとすれば、上出来はより高く、不出来はより安く、ということが一つの誠意だと考えております。できればお付き合いいただく方にもご理解いただければ、とそれだけを願っております」

 二人だけのときに話したということは、なにか意味があるのだろうと言葉を探っているとマーシーがかばんを手に戻ってきた。

「いいよ。お見せしなさい」

 グリスの指示に従いマーシーは鞄から取り出した一束の紙をマジンに渡してから席に戻った。

 それは土地の見取り図だった。

 どうやらグリスはかなり真剣だったようだ。

 どこも広さは十分で、自由に使える井戸もあるらしい。

「水と立地とはこれではわかりませんが、どれがおすすめですか。水がおいしくふんだんで水はけが良く、馬車の寄せに都合が良い土地がよいですね。優先順位はだいたい今のとおりです」

 マーシーのアドバイスに従ってマジンは三つほど候補地を選んだ。

「この中でそちらの良い物を」

 こちらにはない何かの思惑があるだろうと最後は譲った。

 土地が決まるとグリスが契約書をしたためているのを残して、図面を起こしてくるとマジンはお休みの挨拶を告げ居間から去った。

 二人は奇妙にゆらぎの少ない部屋の明かりに不思議を覚えつつ書面をまとめ、夜を休んだ。



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