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共和国協定千四百三十一年

 共和国において例外的な地域を覗いて封建制度が流行らなかったのは、ヒトがあっさりと死んでしまうからだった。


 共和国は一般に苛烈な地勢というわけではないが、ときに思いもよらぬような災害が起きることはそれなりに少なくないし、そういったものが必ずしもわかりやすい兆候や現象と見えるわけではない。

 些末な事件事故で気がつくと集落一つ市邑一つが消え果てるということも、共和国ではじつは珍しくない。


 銃や大砲というものはある意味での生活必需品であったから、王侯貴族と家柄血筋を気取ってみても無頼に撃ち倒されることもある。ちょっとした天候不順で、農地が丸ごと流されるということも起こり得るし、そうなったあとの手当がつく保証もない。

 個々の土地の生き方というものを、他の遠くの土地の者が想像することは難しい。


 文明というものがある常識に支えられているとするなら、共和国の文明は共和国の国土を覆うほどには優れていなかった。

 しかしそれでも風土をまたいで共和国を成立させる必要がかつてあり、また今もまたしばしばある。どこかで農地が流されたとあれば、共和国協定に従って備蓄の食料を放出することもある。

 内外の争いは絶えることなく、東にはわかりやすく帝国という国があり、西には共和国が拡大した理由でもある新興国同士の絶え間ない争いがあった。


 とはいえ、強大な難敵を抱えているからといって、それだけで共和国を支える人々の暮らしをまとめ支えることができるわけではない。

 結局は、人々それぞれがより良いように時場所に合わせて、それぞれに選良することが必要だった。


 共和国は地方に応じた自治構造を民生の基本に据え、軍隊の政治介入を廃するという建前で、軍律のヒエラルキーを重視せざるを得ない軍組織を切り離した構造として成立しており、組織の上で中央政府に近似する軍隊――共和国軍と地方州政府の連邦統制下にある行政司法とは折り合いは常に難しい。

 軍事や安全保障或いは治安行政という物質として目に見えない概念に正価を与えることは極めて困難だからだ。


 ひとまずその間を取り持つ形で、キンカイザの莫大な金鉱脈を背景に共和国のみならず大陸全土の金相場に大きな影響を与えている共和国中央銀行が圧倒的な資本を支えてはいた。

 けれど、それにしたところである一定の規模以上の出入りまでしか担保できない。

 不足分が地方の不満となる。


 構造としては地元ヤクザに商店街がミカジメ料を払っている形をより妥協しやすい形に洗練したものといえ、原則としてそれなりの治安組織を各自治体が編成し、有事において予備として中央政府の指揮下の包括的な指揮運用のもとに組み込む。という複雑な構造をも持っている。


 共和国は協定によって個人への私有や居住や法人格を認めていたから、当然に協定の保護する地方の財産というものの概念がしばしば共和国軍や共和国政府或いは協定そのものと衝突することもあった。


 軍は比較的潤沢な予算を密度の高い形で人員装備の訓練と備蓄に当てており、日常的に各種訓練を士官兵員に課しており、地方からの兵員を前提に士官率は高く、毎年のように人員訓練の更新見直しと各地方での演習を行っている。


 国家の成長期においては混乱もあったが土地に比してヒトの少ない国では大きな揉め事は実はあまり多くなく、しかし広大な土地において必須になる騎馬運用或いは兵站運行は片手間でおこなうには問題もあり、火器の集中利用や機動戦という予算と柔軟な計画の必要な戦術はそれなりの練度と蓄積が必要になった。結果として騎士階級のような封建化を志向する地域もあったが、それだけではヒトの少ない土地での生産性や流通性に問題をきたす。既に火器が流通している世界では個人の武力の効能を信用することは難しかった。


 結果として予算を直接統括して運営する中央行政というものが存在しないまま、各地の代表による意見調整の場と監察的な意味合いとして共和国大議会が共和国軍大本営に並べる形で置かれている。

 だが、地方行政を一般化できるほどに共和国内の地域情勢は均質ではなかったし、相応の手当を行って連絡を取ると行っても、全土に連絡を巡らせるだけで半年はかかる広大な共和国の国土では中央集権的な理想は、いかにもバカバカしい夢物語でもあったから、ひとまず脅威に対抗するための力としての共和国軍の必要と、その共和国軍自身が共和国協定に対して牙をむかないためのひとまずの妥協として、各地の自治を最大限に期待し軍事的にはヒエラルキーを持った共和国軍に任せる形式に落ち着いていた。


 政治的な影響を少なくしたうえでの治安専門組織。

 いわば公営保証の傭兵団というべき組織が共和国軍である。


 その経費支払いをおしなべて簡素化するために共和国内で共通の通貨を発行する権限のある組織が共和国協定中央銀行である。


 その共和国の根幹をなす共和国軍と共和国協定中央銀行を監督監査することを期待される組織こそが共和国中央政府であった。


 各地方政府から評議会と呼ばれる人事監査組織と審議会と呼ばれる予算監査組織とを併せた大議会と呼ばれる合議制度が編制されているが、組織の運用は聯合幕僚参謀団の支援を受けた任期制の共和国大元帥がおこない、作戦終了まで大元帥は一切の責任を負い同時に作戦に関するすべての法的追求を受けない、また作戦中は任期の延長を自動的におこなう、という強力な一項で独裁を保っている。


 事件事故によって任期中に戦死する大元帥は幾人かいたし、軍の反乱や審議会或いは評議会による重大問題の暴露などもあったが、共和国軍はこれまでおおまかな原則として地方政府に対して直接的な攻撃を加えたことはなかったし、それこそが共和国がこれまで成立してきた理由と歴史でもあった。

 だが直接の衝突がないことが事実であっても両者に不和の種がないわけではないこともまた事実であった。


 ことに地方組織の綱の引き合いが審議会評議会に利用反映されることもあり、軍の内部では謙虚とは言いがたい地方行政への批判の声もあったし、民生収益ひいては税収の伸び悩みを無視した軍の予算計画の要求には、地方政府から静かとはいえない悲鳴と憤りの声が上がっていた。


 労務と政務の宿命とも言えたが、敢えて軍事という労務を財政という政務から切り離そうとした共和国の理念は、かつて大きな危機に瀕したことがある。

 より性能の高い大砲を求めて予算をある個人に投資したことがあり、その流入予算が尋常ではなかったので発覚したのだが、見えない敵と常に戦うことを義務付けられている組織の難しさを示した事件ともいえた。


 必ずしも詐欺とはいえないものの成果を上げることのできなかった計画は、共和国軍の馬匹の飼葉半年分にも及ぶ予算を食いつぶしたところで、研究所もろとも研究者が爆死をする形で幕を閉じた。

 当然に追求をした者も多かったが、それ以上に落とし所で彷徨うことが多く、有耶無耶に決着した。


 この事件の不審は様々な形で影響を及ぼし、行政司法と軍との対立の機会を増やすことになった。

 それでも誰もが自らの不足を知る中では決定的な不和を望んではいなかった。

 軍が人品の保証のために高水準の給与を出していることも、市井では問題にされることも多い。人口の薄い土地で優秀な人材の取り合いに負けることは問題だし、一度軍に取られた者が故郷に帰るかは実のところ怪しいのだが、故郷を出なければ餓死か野盗かという者も多いので、退役軍人の去就の責を共和国軍に求めることは言いがかりに近いが退役軍人を上手く地元に引き戻すというまたこれも政治の綱引きの原因になっていた。


 結局、人口の少なさ生産力の低さが相対的に大きな国軍を政治から切り離すことの困難を突きつけているのだが、そうであっても生産力の低さゆえに野盗に身を落とすものも絶えず、それなりに交易路は確保したくもあり、信頼に足る常備軍は必要で、しかし人員は圧縮したい、という折り合いとして今の共和国の形がある以上、問題は大きく存在しながら生産性なり交易なり人口なりの問題を解決できるまでは大きく枠組みを変えることに益はなかった。


 国軍が地方政府に密かな形で新しい技術を得ようと画策することは、組織の必然ともいえたが理念の上では背信であるともいえた。


 魔法という市井には偏見の多い概念を国軍が秘密裏に独自に抱えようとしているという事態は、非公然の形ではあるが亜人奴隷のみで編成された特殊任務隊の噂とともに不穏な気配を感じさせるものだった。

 しかし国軍の立場から見れば、彼らの懸念疑念も見えてくる。

 民衆を束ねるにあたって強力に乞われる要望或いは動機を示すことの重要性を軍人兵士は知っている。 

 広く薄い国土に散った民衆の力はそれぞれに困難と複雑を抱えており、共に手を取り合うことさえ困難な状況にある。当然に世を見る余力のあるものは少なく、なにかをなすものは更に少ない。


 もちろん軍が生業に励むことのあやふやさも知っている。兵士の多くは大地の実りの貧しさを知っており、故郷を食い詰め生きるために軍に忠誠の誓いをたてたものたちだった。なにかにのめり込めるほどに余裕が無いことも知っている。だがなにかに達するためにはのめり込む必要が有ることも知った者たちは多い。

 軍は不急の蓄えを常に備え常に余らせている。余らせることこそが仕事のひとつでもあった。

 ならば、せめてなにかにのめり込む者に不急の幾ばくかを注ぐことは、正当な理由の投資といえないだろうか。


 軍の力は兵の力。手数命数によるもの。

 ならば亜人とはいえ忠節合力を尽くすならば、軍の手数命数となる。

 密かに種によってわけられ編成された部隊を国軍が準備したのは事実で、鉱山労働と偽って拠点を築いていることは軍に関わりのある者たちの間では信憑性のある噂と言うよりは公然の秘密として知られていた。


 亜人と公表されないまま三桁の番号を与えられた猟兵聯隊は地方宣撫のために部族を丸ごと猟兵として積極的に行政組織に組み込み、亜人集落をそのまま駐屯地として共和国軍の管理地としてタダビトとの軋轢から保護してさえいた。


 それはもちろん亜人とタダビトの間にある長年の軋轢を回避するために穏当な解決を模索するために一つのモラトリアムだったが、タダビトが既にいくつかの理由で封建制を放棄した後に、亜人が封建制に似た制度を維持していることでいくらかの面倒を引き起こしていたし、亜人とタダビトとの間にある生物学的な無視しきれない差異による面倒事も多く引き起こされている。


 そして何より、長年敵対関係にあった者同士が、大義大局だけで融和できるというわけでもない。

 ひときわ尖った亜人種とみなされることもあった「魔法使い」がより苛烈な迫害の対象にあったことは歴史的な必然といえないわけでもない。


 世界の国家の停滞に苛立ち革新を求める国軍と貧しき者を助けることを誓う地方行政。といえばわかりやすいようにも聞こえるが、実際には貧困と窮乏から十重二十重に入り組んだ状況に疑心暗鬼を隠せないのが共和国の現実の有様だった。


 奇妙に行き詰まった政局の中で、それまで手妻の一部或いは奇妙な暗殺の手管いかがわしい詐欺の種という程度の扱いだった魔法を戦術や運用の形で示してみせたフェーズ・フェリング大佐がその才能から共和国軍内部での政局の渦に巻き込まれやがて弾き出されたのは、やはり一つの必然であったといえる。


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