三日後には報奨金の決済が下りた。
つまり、デカート州少なくともデカート市の文明は鋭く研ぎ澄まされている。
その事実が示されているということである。
金額も思ったより増えて二十九万七千六百二十タレルになった。魔法使いには軍の他にも幾つかの市から懸賞金が出ていた。これは共和国軍の報奨金の問い合わせをあたるときに、特別な連絡手段を経由することで、遠く軍都つまり各地の政庁の出張所の集まる事実上の共和国首都で身分や罪状の照会がおこなわれるからであるらしい。そこで余罪などが追加されたりする。
そのまま行政庁で納税。
改めて公証を正式登録してローゼンヘン館とその周辺の山地と森一帯と川の支流の北側の少しの平野を二十二万五千タレルで買った。
公証の家紋は東方――帝国域から流れてくるときに刺繍で刻んでいた太陽と月にじゃれつく狼と虎の紋章にした。太陰二獣とよばれている図柄の一種だ。
税務負担は増えるが、商いをするときに仲介してくれるギルドがない辺境では行政と司法に一定の支出をすることで弁護権を手に入れておくことは絶対に必要だった。
少なくとも、この土地の中で起こることについての裁決の優先権はマジンに与えられる。
大雑把に二十二平方リーグの開墾不適の未開拓地。一リーグ分の開墾農地ほどの価値もないわけだが、どうせカネの使い途にアテがあるわけもない。と思ってマイルズ老人の法螺の煽りをそのまま図に乗せてやった。
高さ四分の一リーグから三分の一リーグほどの峰がいくつか連なる山地は険しいと云うには物足りないが、それなりの広さと複雑さがあり、文字通り未踏の土地があることを考えれば狩場としては豊かであるはずだった。
しばらく住まうことにしたローゼンヘン館の修理改築をするに、資材のいくらかはヴィンゼに頼むとしても、思いつくものはデカートで揃えたほうが面倒がないし、ひとまず街を巡ることにした。
野盗の砦になっていたローゼンヘン館には兵糧矢弾のたぐいはそろっていたし、牧場と見まごうような厩舎も二つあったし、鉛球を鋳直したり蹄鉄を打ち直すのに使っていたと思える鍛冶場もあったが、拠点としての整備はあってもステアの家の工房ほども充実してはいなかったし、好きに楽しむには少々手狭だった。
泡銭の使い途を思いついたということが大きい。
燃料と煉瓦。鉄銅金銀白金亜鉛錫鉛真鍮などの地金。鋼線。銅線。銀線。石漆喰。石膏。セメント。粘土。玉砂利。砂。砥石。屑ガラス。鉄板。油脂。タール。膠。坩堝。蒸留器。銅管。鉄管。木材。帆布。地図。書籍。
奇妙なデカートの街の景観を作っている遺構の天蓋材とよばれる加工がほとんど不可能な程の硬い材料を端材を含めて少し手に入れた。デカートでは鉄を切削するノミや爪やっとこなどの工具の刃先にはめ込んで使っていた。手に入れたものは腕の差し渡しほどの歪んだ弓のような棒材だったが、同じ体積の金の地金よりも高かった。
どうやって切り出しているのか、加工しているのかと不思議に思ったのだが、あまりに固く、それらしい大きさの端材同士をこすったり叩いたりして適当に細工をしているらしい。雑ではあるが、たしかに大抵のことはそれで事足りる。
金額は五万タレルの予算に満たなかったが、とりあえず工房をしつらえるのに思いついて必要そうなものは買うことにしてその場で手付を払った。アーディン・メラス検事長邸に逗留しているから、不調なら連絡がほしいとつたえると大抵の相手はそれなりの態度に変わった。
デカートを遠巻きに巡るようにかなり遠回りをして少し太く広くなっているザブバル川には運貨船や水車を使うための水路が引きこまれていた。
動力といえば水車と風車とヒト家畜をつかった程度のデカートの工房はそれなりにヒトを集中させることで、それなりの工房が立ち並んでいた。河川運貨で物流は荷駄では苦労するようなかなりのものが集まっていてそれが十万の人口の物流を支えている。水と人が町の暮らしを支えていた。
ローゼンヘン館には井戸はあるが水車はない。
より本格的に鍛冶に挑むには動力がほしい。
手押しポンプをつくるか。風車をつくるか。
簡単な蒸気圧機関が作れれば発電機まではいけそうだった。
工房の炉のフイゴや槌も蒸気圧機関でやれれば手間が減る。
大掛かりで活気のあるデカートの街でも機械といえばせいぜいゼンマイ仕掛けの時計くらいで贅沢品の扱いだった。他所で作って持ち込まれているらしい。
見たこともない概念が自然に頭によぎるのは奇妙だったが、それよりはしばらく住まうことになったローゼンヘン館の修理と改築だった。
温度を違えた複数の炉釜を同時に扱う工房をつくるにあたって、多少の工夫が必要になるのは明らかだったが、機械力が使えると大きく捗がゆくのは間違いなかった。
この世界で機械力が整備されていないのはなぜだろうか。
おそらく、学問的な体系の整理と実践における可能性の提示が行われていないのだろう。
火薬はあり銃があるのに奇妙なことだったが、工業技術は常に一定以上の投資の努力が与えられないとすぐに枯れてしまう厄介な花のようなものだ、という理解がマジンにあった。つまりは複雑な機械を整備し続けるよりも、せいぜい金属の車輪の歯車を牛馬に牽かせるほうが、面倒が少ないということなのだろう。
共和国の不自然に複雑な政体も様々な試行錯誤と、おそらくは英明な人々による妥協の産物なのだということを思えば、不明を笑うことこそ不見識を咎められるだろう。
ともかく、手に入らないということではないし、仮に手に入らないとしてそれが何だ、ということでしかなかった。
ソラとユエが身の回りのことが自分でできるようになるまでの暇つぶしでしかない。
唯一の気がかりは盗賊どものお礼参りだったが、裁判所から新たに受け取った新しい手配書の束を一通り読み込んでからも、階段の修理のために泊まり込んでいた大工たちが引き上げてもそういった様子はなかったし、次々と散発的に届く様々な荷車の列が一段落してコツコツ組み上げた工房の棟上げが終わり、手製の蒸気圧機関が本格的に稼働を始めても物騒な襲撃はなかった。