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デカート 共和国協定千四百三十一年 蟋蟀在戸

 マイルズ老人に旅の道すがら町の来歴や人々の話を聞かされることになった。




 とくにマジンのほうが話すことはなかったのだが、女と旅をしていたあたりの話はした。

 魔族や魔法について訪ねてみたが、左道曲学阿世の徒とその術法だろう、という程度の事しか知らなかった。魔法使いについても、いるのは知っているがそれと知って出会ったことはないという。


 では自分たちが魔法使いとしてどうするか、というマジンの問いにはマイルズ老人は笑って、町を助けてくれるなら、どうでもいいことだ、と言った。


「ああ、いや。そういえば、ワシは直接見ていないのだが、共和国軍が魔法使いを集めて軍制に組織しているという話は知っている。あとは、あちこちにそれらしい触れ込みの錬金術師や占い師がいることも知っているよ」

 どこかで聞いたうわさ話を思い出すようにマイルズ老人は口にした。


 人口十万を誇る都市であるデカートは傘下に複数の町や村集落を従えそれなりに貿易も盛んだが、馬の足の物流では限界もあり、河川交易では相手も限られ、魔法使いがいるならもう少し力を貸してもらいたいものだ、というのが元老院議員としてのマイルズ氏の見解であった。

 行き詰まりを感じている文明にありがちなことで使い潰せる労力としての人間は貴重な資源である。

 生きている連中はそういう意味もあって、働く気があるなら死刑にはならないようだ。


 もちろん楽に監獄で寝て起きて暮らせるというわけではなく、どこかで労務につくことになるはずだという。

 鉱山か運河かで亜人の監督下で汗を流すことになる。変わったところでは毛織物の工房というのもあるとか。或いは模範囚として労務を努め、共和国軍での兵役か。

 ともかく、デカートは大きく豊かではあるが、限界も見えているということだった。


 ヴィンゼの簡易裁判所が停止になっている間に手配書の内容が一部変わっていたらしく、少々金額が増えたり、見積もり二十万以上の土地資産を持つ富豪には元老院の選挙権被選挙権が与えられるという新しい法律が通っていてそれに併せてマイルズ老人が屋敷の周辺の山裾からはみ出した森と川の北側の土地を登記に足したり、という事があった。

 正直なところ、大金が欲しかったわけでも元老院に興味があったわけでもないのだが、水場のある丈夫な家というのは欲しいものだったので、話のとば口の法螺話が現実になったことはどうでも良くあり都合もよくあった。


 マイルズ保安官が先行させていた早馬によって道中途中からデカートからの応援がやってきてからは一行は楽になった。徹夜続きでくたびれきっていたアルジェンもアウルムも居眠りをする余裕ができた。


 デカートは大きな街だった。


 元は魔族との戦いの拠点のひとつ天空にあった都市だったとも伝えられるようだが、雲に届くような巨大な骨組みを残すのみになった遺構や複雑に入り組む地下道をもった街だった。

 街を農地ごと覆うような蜘蛛の巣か肋かのような巨大な骨組みは町につく前の日から見えており、周囲がザブバル川に向かってゆるく口を開いたカルデラ状の丘陵を差し引いても大きさは感じられた。差し渡しで数リーグほど面積でたっぷり三十平方リーグあまりあるという。


 はっきりした歴史を示す遺物があるからか、町も全体に安心感というか緩やかな文明を感じさせる雰囲気だった。

 亜人獣人たちの服装もこれまでとは違って多少の贅沢が許されているようで、毛布を型紙に切って作ったワンピースとポンチョのアルジェンとアウルムの格好は逆に悪目立ちが気になった。

 尤も悪目立ちという意味では保安官一行の護送馬車は街に入る前からどこでも注目を浴びていて、居心地はあまり良くなかった。マイルズ老人に言わせれば、保安官にとってはこういうものが特権であるらしい。


 囚人の引き渡しも途中でヴィンゼの北で起きた大捕り物は耳の速さを競う町雀には格好の話題であった。

 奇妙な伝令もあって、検事長主催の夜会に招待された。

 とくに検事長にも町の夜会にも興味はなかったが、幾日かの町への滞在は必要だったし、晩飯が定まるという程度に考えればいいと思うことにした。




 検事長であるアーディン・メラスは職責の重要さと権威の分立から元老院議員を兼任することが出来ない。

 しかし市内の組合の元締めである民選院議員の交流の場を提供して心証を良くすることや、様々に兼業している元老院議員について粗略に扱う習慣はなかったし、組織上の間接的な部下であってもそれは同じだった。


 事実上のデカート州の北限のモニュメントとしてローゼンヘン館はヴィンゼの街に組み込まれていた。


 ローゼンヘン館の事件は賞金稼ぎを募って百名規模での強制査察という名の襲撃に失敗した挙句に、ヴィンゼの町への報復で被害が出るという展開で市の面目というには大事になりすぎていた。

 査察の報復にヴィンゼの町を中心に二百名ばかりが死ぬ事件は起きたが、もともとヴィンゼ周辺はデカートからは交易の利の薄い開拓の弾みの付かない辺境の地としてみられていた。

 収益の上がらない土地に市の人員労力と予算資材をつぎ込むことを渋る向きがあり、面子と職分のこともあり、国軍を呼んで対処をするか否かの判断を迫られている時期に面倒が連鎖的な実害を及ぼさない範囲で収束したのは全く行幸だったということだ。

 もともとヴィンゼの土地の開拓は放浪奴隷の救済と慰撫のためにエカイン元老院議員が元老特権で土地を維持して、西部州との早馬経路でかろうじて採算を繋いでいるような状態だったから、エカイン元老院議員の個人的な責任で対処すべきという意見すらもあった。




 そんなことを尋ね手配人の引き渡しの後にマイルズとともに招かれ訪れることになったメラスとの懇親の席で知った。

 当然に公務で訪れたマイルズに自宅の客間に宿を提供し、功労者であるマジンの紹介を得るとマジンにも宿を提供すると申し出た。


 幼い獣人を連れていることを理由にマジンは辞しようとしたが、検事長就任前から現場で獣人と触れることは多く、性格気性は生まれよりは育ちだし、主人を見れば奴隷はわかるし、奴隷を見れば主人もわかる。聞けばそれぞれに功労者であるらしい。正しく我が家の客としてもてなそう。と言い切った。


 マジンは迷ったが、マイルズの「欲深で傲慢だがそれだけに利に聡く、無駄な嘘と手間を嫌う」というメラス評を聞いたときの皮肉を笑った本人の顔と、そこらの宿に泊まれば君たちの顔を見るために人だかりができて歩けもしないだろう、と新聞とともに差し出された言葉にメラス邸での逗留を希望することにした。


 メラス氏は自らの言葉通りに自宅に招待した獣人の娘たちにも午後のお茶に席を設けた。


「それと忘れてはいけない、華やかな夜会に呼ばれた時のための余所行きの素敵なドレスを一揃え~。か。準備してくるの忘れたな」

 ステアが旅の支度をするときや宿を引き払うときに歌っていたフレーズがマジンの口をついて出た。


「あるよ。必要?」

 アルジェンが言った。

「一丁の鳥撃ち銃と百発の弾丸、腰に拳銃とサーベルと砥石と馬の革、ナイフは三本、厚い羊毛のズボン、六足の厚い靴下、六枚のアンダーシャツ、三枚のシャツ、広縁の中折帽、サックコート、オーバーコート、夏なら一枚、冬なら二枚の厚くて柔らかい毛布、作業用手袋、糸に針、ピン、スポンジ、ヘアブラシ、くし、石鹸、タルカムパウダー、六枚のズロース、六枚のタオル、衣服を包める大きな包み布一枚、それと忘れてはいけない華やかな夜会に呼ばれた時のための余所行きの素敵なドレスを一揃え」

 アウルムがトランクを開けながら歌い出した。


「持ってきたのか」

「持ってきたよね。アウルム」

 アルジェンに振られたアウルムが自信ありげに頷いてみせるのに、マジンは更に驚いた。


「うん。大丈夫」

「だって」

 アルジェンがマジンにそう言った。


 やり取りを見ていたメラスは破顔した。

「なるほど頼もしいよく出来た娘たちじゃないか。頭の硬いのが混じっている来客に紹介できないのが残念なくらいだ」 

 来客の心情まではわからないから波風を立てるのを防ぐために、夜会には子供たちは出席できなかったが、ふかふかのベッドの中で夕食前から沈没している姿を見ればそれでよかった。




 夜会でのメラスの挨拶は大雑把な主観も含みでマジンの理解に状況の整理を助けた。


「みなさんの多くが御存知の通り、ローゼンヘン館は中央との権威争いのために当時の元老院の一人だった学志館を立ち上げられていたローゼンヘン卿がザブバル川流域の上流流域調査をおこなうために支流の源流付近に長期滞在のための出立拠点を設けたことを礎石としました。以後の長い間ローゼンヘンの調査を支え、ザブバル川流域で複数の鉱山をはじめとする発見を国家版図に書き加えることに成功したデカート地理史の栄光の象徴です。

 やがて調査の中心は東に移り、市の測量隊や長期滞在者たちの自耕の努力は結果として裏切られたものの、幾つかの井戸や、野生化した穀物作物として現地に残り、再びバイル・ヴィンゼという指導的人物によって町をおこされ、豊かな穀倉地帯として生まれ変わるべくヴィンゼの地は日々人々の努力に応えています。

 その豊かなしかしデカートからは遠い町ヴィンゼに、あろうことか栄光あるローゼンヘン館に目をつけた餓狼の集団がいた。

 メイビス・エフィート・フィゲルに率いられた野盗の集団です。

 彼らには司法検事も手を焼かされてきた。

 なんと五年もです。

 我々の検事局の無能を嘆かない日々はありませんでした。

 昨年大規模な取り締まりに向かった者たちが百人を超える犠牲者を出し失敗し、ヴィンゼの町が報復にあったときには、怒りのあまり思わず部下に激しい罵倒をくわえてしまったほどです。ですが、その頭目について思えば仕方なかったことなのでしょう。

 メイビス・エフィート・フィゲル。西域軍の離反劇を覚えているものもいるでしょう。あるいは第二十一騎兵中隊の悲劇と覚えている人もいるかもしれない。近年の共和国軍の敗北としては例のない大惨事だった。或いはこの中に遠征に参加していた方、縁のある人物がいたかもしれない。

 勇敢な騎兵隊。四百九十六名がわずか一度の会戦で炎の海に飲まれた事件。そして、西域軍全体が大崩れとなりバラヌーフの鉱山地帯が反乱軍によって制圧されました。未だにバラヌーフは反乱軍の勢力圏です。

 バラヌーフの地は我がデカートからははるか遠い西方の地です。

 しかし軍の無残な敗北は大きな影響と衝撃を我々に与えました。

 友人知人の生命や財産が失われ、或いは危機に晒されました。

 もしこの中に当時現地にいらした方がいらっしゃれば、ぜひ個人的に当時のお話を伺いたいものです。

 巧妙な策略か本当に魔法なのかはその場にいなかった私には残念ながらわかりません。

 ですが、軍の報告による敵の名はわかっています。

 メイビス・エフィート・フィゲル。

 士官学校やアチコチの記録と幾人かの人々の記憶とから名はわかりました。

 軍が大逆人を鍛えていたのです。

 軍は自らの手で作り上げてしまった反逆者を、悪鬼、火炎魔人、炎の悪魔、悪の大魔法使いなどと言い立てました。

 軍は魔法の危険な利用を行っているのではないか。

 そもそも魔法使いというものを魔女というものを暴力的に取り締まっていたのは軍ではないのか。

 そういう風聞も当時ありました。

 もちろん軍は否定しました。

 魔法についての良し悪しは皆さんの判断にお任せします。

 あいにく私は魔法というものを使えませんし、見たこともありません。

 しかし魔法なぞなくても或いはあってさえ世の中には不幸な出来事が絶えることはありません。

 司法、検事というものは、多くの悲劇を目にし耳にしそれにたちむかう職業です。

 多くの事件が解決したとき、既に被害者は悲しみと怨嗟の声を上げている。

 そしてそれを救うには既に手遅れだ。

 しかし新たな不幸をなくすことはできると信じて日々働いております。

 そして、たまには素晴らしいご報告をすることもできます。

 今日は皆さんにその悪鬼。火炎魔人。炎の悪魔。悪の大魔法使いがこの世を去った。鉄槌がついに下ったと伝えたい。

 そして不幸にして悲劇の渦中で命を失った勇者たちの墓前に報告してほしい。

 あなた方の敵は討ったと。

 私、アーディン・メラスが検事長に就任してこれほど驚いた事件は多くない。

 そして私が検事長であったことを誇らしく思ったことも多くない。

 そう。

 メイビス・エフィート・フィゲルの死体を我々検事局は確認した。

 新たな第二十一騎兵隊の悲劇を起こすことなく、あの悪魔は屍を晒した。

 私アーディン・メラスの任期中にこれほどの成果を皆さんにお伝えできることに喜びと感謝を表したい。

 皆さんが知りたい、会いたい人物をご紹介しましょう。

 私アーディン・メラスが最大級の信頼を預ける熟練有能な保安官にして当市の元老院議員マイルズ・ホゥリィ・エカイン。

 そして、見事悪鬼を打倒して我々に平和をもたらしてくれた若き英雄ゲリエ・マキシ・マジン。

 ゲリエ氏はローゼンヘン館を悪漢どもから解放したのみならず、ヴィンゼ北方の治安に協力して下さる意思で広大な土地の取得を考えられていると聞きました。輝かしい才気と若さに満ちた素晴らしい勇気と献身に惜しみない賛辞を皆さんとともに捧げたいと思います」


 そんな風にメラス検事長はローゼンヘン館で起こった事件の歴史的顛末をまとめて語った。


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