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石炭と水晶 或いは文明の化石
小稲荷一照
異世界ファンタジー内政・領地経営
2024年09月21日
公開日
301,791文字
連載中
妻を失った一人の男が辺境に流れ着く。
家族の死んだ知らせを受け取った女が家路に急ぐ。
やむにやまれぬ決闘騒ぎとその後の顛末が文明を一度失った世界に新たな煽りを打ち入れる。

石炭と水晶

 それは、数多くある敗走ユニットの一つだった。


 敗走ユニットとはつまり、そこそこ大きな決戦で敗北が決したあとにばらまかれる情報パケットの一種だ。それはホロニック構造をした多様体複合体として設計されているが、当然にホロニックに接続するための方向子を持ってもいる。


 当初はテラフォーミングなどの目的で植民に先行してばらまかれることの多かったスターシードの軍事的な利用方法の一般例でもある。

 救難船的な意味をこめて、方舟とかアークとも呼ばれることもあるが、自力移動可能な状態でないために、戦術画面での識別子として表示される敗走状態がひどくゆっくり表示されること、そして現場で残骸と見分けがつきにくいことから、敗走ユニットとして呼ばれることが多い。


 スターシードとは光質量化干渉実験の産物として生まれた、特異点を安定的に内包した物質である。外殻に比較的単純な炭素とケイ素からなる屈折鏡を作り、多方向からレーザーを通過させるという方法で真空中にエネルギー密度勾配を作る実験をおこなっていた成果物である。もちろん投入エネルギーとその機能バランスによって特異点の寿命や機能は異なる。


 一定の閾値を超えたエネルギー投入と入力信号で、入力エネルギーよりも多くの出力を得る結果を得た、というのが、当時の実験結果であったのだが、それが核融合によるものなのか、量子化によるポテンシャル共振によるものなのかは今もわかってはいない。

 エネルギー後に質量が増したという一般結果がいくつかのパターンから示され、内部粒子のダイナモ効果による誤測定ではなく質量そのものが増しているのだろう、と結論付けられた。


 結果としてスターシードの研究は反重力や後進波あるいは特異点と言った重力下環境ではどうあっても観測不能だった一般相対性理論領域や量子論領域での観測条件を部分的に達成することができるようになった。


 そうやって切り離された特異点としての内部空間には、いくらかの特殊な特性を与えることが可能で、任意空間の歪曲やら時間凍結やら部分的な宇宙定数の変化という実相空間における特異点の特性を局所的に制御された形で発生させることができた。


 そのためのエネルギーは生命活動を基準にすれば、とてつもない規模だったけれど、数字の上で大きな希望を人々に抱かせた。

 それが統計学的な誤解による幻想であることを、いまだに哲学未熟な多くの人々は理解していなかった。


 人類がこの技術を手にしたとき、地上にはいられなくなることは定まった。


 最初は通信技術として、やがてエネルギー技術として、次第に輸送技術として分野を拡大していった。

 いくらかの実験と投資を行うことで、まず母恒星系でテラフォーミングがおこなわれ、その間にパケット化したスターシードの放流でいくつかの星々を先行する形で植生改造していた。

 最終的にスターシードは恒星間宇宙船として人類史の絶頂を支える。




 だが、破局が訪れた。

 人類社会における哲学上の一般的な逸脱と言ってよい些細な事件だ。


 当初は単なる探検とか調査だったものが、些細な判断ミス、と言うよりは、深刻な業務規定違反と業務規程の成立背景への無理解からの組織対応の遅れが、組織全体への致命的な被害を招いた。

 具体的には一組の男女による色恋沙汰のついでの調査物品のサンドボックス外への持ち出しという、深刻な業務規定違反が植民惑星二十五億人全員を殺す結果にいたり、そのカップルが逃走を続けていることで逃走経路上の約三千億人類が全滅することが決定した。


 事態をようやくに理解したことで、重大な背任行為を犯した男女を封鎖惑星住民百五十億とともに処刑したが、それでは異星生命体の行動は止まらずに結局人類一兆五千億が接触大戦という名の戦争に巻き込まれることが決し、人類は壊滅した。


 母星もそうして争いに巻き込まれた。


 いくらかは逃げ散ったが、文明の規模と文明の深さはほぼ同義であるから、逃げ散った先の人々が文明を維持することはまず出来ない。

 そういう自分たちの先行きには絶望しつつ、文明と同胞の先行きにはいくらかの希望を見出した人々は、母星に敗走ユニットを放出した。

 偶然。というわけではない。

 ほぼすべての敗走ユニットは最終目的地を母星にしている。




 太陽系周辺とくに地球公転軌道上には機能喪失した炭素とケイ素の塊が大量に宇宙塵として浮かんでいる。

 もちろん太陽風を受けて多くのスターシードはまだ生きてもいたから、いつか来るかもしれない確率論的には皆無ではない帰還を夢見ていたし、そのために母星を守ってもいた。




 荒廃の初期には地上から吹き上げられたガスが敗走ユニットをコアにして雨粒のように地上に引き落としていた。

 コアの中身の多くは個人的だったり一族の思い出だったりという、あまり意味のない情報が多かった。

 宇宙ではそういう意味のないなにかが、ホロニックな意味での愛のために必要だったのだ。


 結局、人類の愚かな行動によって点火された宇宙での戦乱は母星をも巻き込み人類の粗方を宇宙から抹消してしまったが、それですべてが失われたわけではなかった。

 本当に僅かないくらかは生き残っていたし、敗走ユニットと嘲られる情報パケットは機能を果たした。


 大きな月と小さないびつな月の間に白く細かな銀河より明るい光の帯として、故郷を目指す敗走ユニットの列はアークライトは地上を照らしていた。


 ほとんどの敗走ユニットは機能を失っていたが、数億年ぶりに敗走ユニットが地上に落ちた。




 人類はすべてを失ったが、全てを見たものがまたひとり新しく帰ってきた。



 そういう風に話は始まる。


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