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第13話

 宴会の顛末について私から語れることはそう多くはありません。雨龍黒さんの号令とともに呑み比べは始まり、そして雨龍黒さんの勝鬨とともに雌雄は決しました。


 まるで産声を上げるかのように哄笑を轟かせる彼を、私はぐるぐると回った目で眺めるしかなかったのです。


 紅潮した顔で大の字で寝そべる私にはもうなすすべはありません。


 あとは煮るなり焼くなりお好きにどうぞ。そんなことを朦朧とした意識で考えておりましたが、深呼吸とともに空気中に溶け込んだ酒精が肺を満たして私の意識はさらなる深みに急転直下。もはやへろへろのニマニマ状態です。


 それもこれも雨龍黒さんの生み出した積乱雲が初善の根源です。


 彼は茶ヶ龍さんが用意したお酒のみならず、積乱雲の内で醸造したお酒をめぐみの雨のごとく辺り一面に降らしたのです。この天上世界は繁忙を極める「竜宮城」を遥かにしのぐ酒精濃度を記録していることでしょう。おかげでただの呼吸が飲酒と相違ないへべれけ天国と化したのです。嗚呼、先生方がいたらさぞお喜びになったことでしょう。


 御馳走に満足げな雨龍黒さんがおもむろに鎌首をもたげます。

 その顔はどこかすっきりとしたような、晴れやかな表情でした。


 私もなんとか上体を起こして雨龍黒さんと向き合います。せめて敗者は敗者らしく、潔く、けれど堂々としなければなりません。


 ここで私の素晴らしき人生は幕を下ろすのでしょう。龍の逆鱗を蹴飛ばした報いです。しかし、私はねばねばと粘り強い淑女でありますので、この風車のようにカラカラと回る弁舌をもってして、萎び鯉さんと街だけは見逃してもらうように交渉するつもりなのです。


 嗚呼、さようなら我が人生。


 さようなら、ご機嫌な世界。


 死後は呑んだくれ横丁をぶらぶらと呑み歩くつもりですので、何卒よろしくお願いします。











 結局、私に罰が下ることはありませんでした。


 それは雨龍黒さんが寛大なお心で私の愚行をお許しになったとか、突如現れた仏さまが仲裁に入っただとか、そういうことではございません。


 私にもたらされた救いの糸は、突如、雲海を突き抜けて現れたのです。


 それは、一匹の竜でした。

 ひらひらと揺れる羽衣を身にまとい、流れるように波打つ蛇のような体躯です。純白の鱗が月光を反射して銀紙のように輝いています。


 そんな、流水をかたどったような美しき龍が、雲海を滑ってみるみるうちに私たちのもとへやって来るのです。


「まっらく、ろこに行ったのかと思ったら、こ~んらろころれ油を売っれぇ、いっらい何をしれいるのかしらぁ?」


 龍は美しい声でへべれけ語を紡ぎます。


 へべれけ語。

 これは呑んだくれ横丁で限界まで酩酊した生粋の先生方が話される特有の言葉です。明け方になると、吞んだくれ横丁のあちらこちらからへべれけ語のお歌が聴こえてきてとても愉快な気持ちになるのです。


 しかし、驚いたのも束の間。

 私はその声に聞き覚えがあったのです。


「そのお声、もしや乙姫さんですか?」

「そう~!このわらしこそが、呑んらくれ横丁きっれのうわばみ、しょーしんしょーめーのおろひめさまよー!」

「わ、吾輩も、ぅぷっ、いるぞ、ぉぇ」


 龍が紡ぐそのソプラノのへべれけ語は乙姫さんで相違ない心地よさです。


 先ほどまでの蠱惑的で妖艶な雰囲気はどこへやら、龍に変化した彼女は酔いも相まってとても愉快でおもちろい存在へと生まれ変わっていたのです


 そして、鼻歌を高らかに歌い上げながら宙をうねる乙姫さん――龍――の尻尾には、甘酒の呑みすぎで紅白のビーチボールと化した萎び鯉さんが張り付いていました。


 彼は青い顔で今にも召されてしまいそうな死に体です。


 私は萎び鯉さんが振り落とされて地上の星となる前に介抱して差し上げることにしました。


「お二人とも、わざわざこんなところまでどうされたのですか」

「ろうしらもこうしらも~、呑み比べがおわっれあならとかんぱーい!ってしようろしたらろこにも見当ららないんれすもの。それれ探してたら~なんらか雲の上からとっれもいい匂いがしちゃっれぇ~、来ちゃったっ」

「吾輩は、と、止めうぷっ、たのだが、彼女が急ォェ龍に変化して、もう、なにがなにやら」


 へべれけでご機嫌な乙姫さんに、今にもきらめきを迸らせそうな萎び鯉さん。


 私は彼の背中を擦りながら心中お察ししました。


 しかし、なんともカオスな有様です。

 つい先ほどまで世辞の句を考えていた私に、蚊帳の外でのほほんと人の姿に戻って抹茶を呑んでいる茶ヶ龍さん。雨龍黒さんはポカンと何やら呆けております。事態は混迷を極めておりました。


 そんな中、真っ先に口火を切ったのはお口をトンネルのようにあんぐりと開けていた雨龍黒さんなのでした。


「あ、あなたは、まさか」


 彼は乙姫さんを見つめて、戦慄したように呟きます。


「ん~?あら、あなら、どこかれ見たような顔ね。どこかれ会っらかしら~」

「我です、雨龍黒でございます!お忘れですか!?」

「う~......ん?お、おお!おもいらした!あなら、こま使いのでしょう!こんなところれなにしてんの~?」


 一休さんのようにこめかみらしき部位を指でねじねじして乙姫さんは答えました。

 龍のお姿であるにもかかわらず、そんなコミカルな仕草が妙に様になっているのがおもしろい光景です。


「それはこちらのセリフです!乙姫様こそなぜこのような辺境に......!お爺様が心配していらっしゃいます!さあ、今すぐ帰りましょう!」

「うるっさいわねぇ~!いつまれもおじいさまおじいさまおじいさま、うりちゃんはおじいさまの金魚のフンかっれェの~ッ!!あんなやつとは十世紀も前に縁をきったわッ。いまさらジジイづらしないれと伝えれちょうらい~」

「で、ですが」

「しッつこいわねぇ。わらひは今日しこたま呑んで最ッ高に気分が良くて最ッ高にあらまがいらいの!水をくれないかしら~?」


 ここにきてようやく、私は雨龍黒さんと乙姫さんの関係性が見えてきました。


 どうやら雨龍黒さんが自信を喪失するに至った諸問題の根源は乙姫さんだったようです。


 なるほど、これは雨龍黒さんの苦労が察せられます。


 乙姫さんが尊敬すべき素晴らしき御仁であることに変わりはありませんが、やはりそれとこれとは別でしょう。彼女の自由奔放さは魅力でもあり同時に気苦労の種でもあるのです。


 それにしても、乙姫さんが龍だということに関してはもはや驚きというより、やはり人のたぐいではなかったか、といった納得の方が大きいのです。


 痛みを堪えるように、乙姫さんは額に手を当てキョロキョロと視界をさまよわせます。 


 すると、その視線がある一点で留まりました。

 それは、健気にも水を用意しようとする雨龍黒さんの背後に位置する雨龍黒さんの力の化身。

 あらゆる水分を生み出す積乱雲です。


「あら~、ちょうろいいのがあるじゃないの」


 いうが早いや、乙姫さんはそのお口をガパリと開けて、巨大な積乱雲を吸い込み始めたのです。


 ごうごう、と。

 雨龍黒さんの逆息吹を凌駕するそれは、周囲を巻き込みながらブラックホールさながらすべてを飲み込んでいきます。


 御馳走の数々、酒樽や酒瓶、金毛吼きんもうこうさんも成す術もなく乙姫さんのお口に吸い込まれていきました。

 かくいう私も美味しく頂かれかけたので、逆息吹の中に立ってなお不動明王を貫く茶ヶ龍さんの腰にしがみついて生きながらえていました。


「お、乙姫様!何をなさるのです!?」

「ごくごく、ごくごく」


 ちぎれながら乙姫さんのお口に吸い込まれていく積乱雲。こうなってしまえばいくら雨龍黒さんの力の化身と言えども形なしです。ふわふわとした綿菓子のような見た目ですが、存外に水分を含んでいるようでもありました。


 乙姫さんは雨龍黒さんの静止など耳に入っていないようで、砂漠から生還した遭難者のごとき勢いで雲とともにお水を飲み干していきます。


 星空にほど近い天空の彼方、一匹の美しき龍が、まさに龍飲龍食りゅういんりゅうしょくを体現していたのです。


 そうなると大変なのが雨龍黒さんです。

 積乱雲と乙姫さんの間に挟まれていた彼はたまらず逃げ出しましたが、やはりその長大な体躯は素早い動きに対応していないらしく、すぐにその尾を捉えられてしまいました。


「乙姫様、おやめください!我は食べられませぬ!乙姫様!?」

「ごくごく、ごくごく、ごくん」


 真の蟒蛇とはこういうことをいうのでしょう。

 雨龍黒さんを、長大な龍をついでとばかりに呑み下す乙姫さんを見て、私はそのような感想を抱きました。


 雨龍黒さんにはもう成す術は残されていません。

 事象の地平面から逃れ得る術はないのです。


 ごくり、と。

 喉がひときわ大きく鳴りました。


 そこには、パラパラと酒精の雨を降らせる積乱雲も、大空に聳えていた雨龍黒さんの姿もありません。お腹を気球のように膨らました乙姫さんが悠々と空を揺蕩っているのみでした。


「......あー!呑んだ呑んだー!もうお腹いっぱい!酔いも晴れた~!......って、あれ、うりちゃんは?」

「彼なら君が水を吞んでいるあいだに登竜門に帰ったよ。キミの無事を報告しに行くのだろう」

「えー!せっかく久しぶりに会ったんだから、少しはゆっくりしていけばいいのに~!」


 そうして、げふーっ、と。

 乙姫さんは満足げな息吹を漏らしたのでした。


 どうやら乙姫さんは雨龍黒さんを呑み下したことに気が付いていないようでした。驚愕を通り越して戦慄すら覚えます。真の蟒蛇にとっては龍を呑むことは些事なのです。


 この方に呑み比べで勝つためには生半可な訓練では太刀打ちできない。


 私はそう理解しました。ねこさんへの道を切り開くため、取り敢えず、帰ったら蛇を丸のみにするところから始めなくては。











 こうして、長い長い夜が明けたのでした。


 眼下に広がるは朝焼けに流れる雄大な雲の山脈。弾けるように広い天中には、月もかくやというほどにお腹を膨らませた傾国の龍がゆらゆらと揺蕩います。


 私はそれらを眺めながら、茶ヶ龍さんと並び立ち、盃に残された酒精の雨の水たまりをちびちびと舐めるのです。


 人生の雄大さと理不尽、ありとあらゆる要素を詰め込んだ美しさのカタチが、この宴にはあったのです。











 これにて私の一世一代の大勝負は幕を閉じました。


 雨龍黒さんとの吞み比べは大敗したものの、その行方はうやむやになってしまいました。私としては暴力を振るった罰が履行されないのは些かもやもやするところですが、因果応報という言葉もあります。

 いずれ私が振るった力は私へと返ってくるでしょう。その時に、私は胸を張って受け入れる所存です。


 なお、雨龍黒さんの安否が気になった私が龍にお詳しそうな茶ヶ龍さんにお尋ねしたところ、彼はそう簡単に死なないから心配するな、とのお言葉をいただきました。


 なので私は雨龍黒さんでパンパンに膨らんだ乙姫さんのお腹をおひとつなでりこ、そして一礼。安心して彼とのしばしのお別れを済ませたのでした。


 相まみえたときは宿敵ともいえる間柄でしたが、盃を交わすなかで、我々の間には確かな友情が芽生えたのだと確信しています。


 雨龍黒さんは恥ずかしがり屋のシャイボーイですのできっとお認めにならないでしょうが、それも彼の魅力のひとつです。

 ということで、私は大人な対応をするのです。


 忘れてはならないのが今夜の主役、萎び鯉さんです。


 おおよその検討はついておりましたが、彼は乙姫さんとの呑み比べに敗北したようでした。しかし、その胸に燃ゆる恋愛こいあいは留まるところを知りません。


 それどころか、龍へと変化して強大な黒龍を呑み下した乙姫さんを目の当たりにした彼は、乙姫さんへの熱が一層増したようで、毎日のように呑み比べを挑んでいるようでした。


 曰く、可憐であり強大、まさしく彼女こそ未来の偉大なる龍である我が伴侶にふさわしい。


 お二人の呑み比べに立ち会うと、彼は打ち負かされて悔恨に耽る傍ら、嬉しそうにそう語るのです。


 愚直に恋愛こいあいを追い求めるその姿に私は感服するとともに、同志として尊敬の念が堪えません。


 私もねこさんの情報を求めて乙姫さんに挑んではいるのですが、なかなか勝鬨を上げることは叶いません。

 萎び鯉さんとともにお腹を膨らませてお目目をぐるぐると回して卒倒する私たちは「竜宮城」の名物となり果てています。


 艱難辛苦でございます。

 すぐ目の前に求めるべき愛しの君への手がかりがぶら下がっているにもかかわらず、私が至らぬばかりにあと一歩のところで届かない。


 挫けそうな日もあります。

 もう呑めないと涙する夜もあります。


 しかし、ねこさんへの愛のため、私は歩みを止めるわけにはいかないのです。


 なせなら、我がラブロードの終着点は桃色の栄光に満ち溢れているのですから。


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