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第11話

「登記されていない……地下室?」


 私は眉を寄せながら、麻生さんに尋ねた。


「どういうことですか?」


 麻生さんは一瞬視線を逸らし、小さな声で続ける。


「……魚井さんの親戚があの家を手放す際に、地下室への入口を塞いでしまったそうなんです。登記されていない地下室があると厄介なことが起こる、と考えたのかもしれません。亜紀さんも、その存在には気づいていなかったようです」


「確かに、亜紀さんが知っていたら、きっと真っ先にネタにしていますよね」


 木田くんが頷きながら言った。


「でも、魚井さんの家族は何のために地下室なんか作ったんでしょうか? あるいは、なぜ登記しなかったのか……」


 麻生さんは首を横に振った。


「わかりません。魚井さんの記憶では、地下室はじめじめしていてかび臭く、とても何かを保管するような場所ではなかったようです。それに、わざわざ地下室を作らなくても、あの家には収納スペースがたくさんありますし、魚井さんの家族構成から考えても、1部屋空いていたはずですから……」


 その時、麻生さんの軽自動車の横に送迎バスが停まり、金髪の若い男が降りてきた。サトシくんだ。


 どうやら、時間切れのようだった。


「麻生さん、その話、もう少し詳しく聞きたいです。明日、また伺ってもいいですか?」


 麻生さんは無言で頷いた。




「お客さん、今日は随分早く迎えの要請がありましたね。何かあったんすか?」


 サトシくんがバックミラーで私たちを見ながら言った。車はかなりのスピードで進み、埃だらけの古びたシートが軋む音を立てる。時折私たちも、バスの振動に合わせて小さく跳ねた。


「いやー、ちょっと体調不良でね。でも、夕食をお腹いっぱい食べれば治るから大丈夫。今日は天ぷらうどんだっけ?」


 ほんのさっきまで、素うどんを作ってもらえると喜んでいた木田くんが、知らぬ間にちゃっかりメニューをグレードアップさせている。あんなに不気味な様子の魚井さんを見た後で、どうしてそんなに食欲が沸くのか。私には不思議でならない。


 サトシくんはそれには答えず、しばらく前方を見つめたまま走り続けていた。


「……鳴神谷って、気味悪くないっすか?」


 私は顔を上げた。バックミラー越しに、サトシくんと目が合う。


「それはどういう意味?」


 私が尋ねると、サトシくんは頭をボリボリ掻きながら、ためらいがちに口を開いた。


「あんまり隣町の悪口を言うのもアレなんですけど、昔からあの商店街を歩くと、視線を感じるんスよね。なんていうか、首筋がひやっとするような、誰かに見られてるような感じが」


 私と木田くんは無言で目を合わせた。私たちもその視線を薄々感じていたし、私はとみたけ食堂から覗く目をはっきり見ていた。否定しようがない。


「……昔から?」


「そう。オレが小・中学のころは、うちの風泣原村と鳴神谷村はすでにX市に合併されてて、みんな風泣原にある小中一貫校に通ってたんです。当然、鳴神谷にもダチができるじゃないっすか。それで、鳴神谷の友達んちに遊びに行くと、なんつーか、商店街の大人たちが、じっとこっちを見てる気がするんです」


「見守ってくれてた、とかじゃなくて?」


 サトシくんは「いやいや」と小さく笑った。


「そんな好意的なもんじゃないっすね。どちらかと言えば、悪意がこもっているというか……まるでイケニエを探してて、あいつはどうだ、と物色するような視線で」


 生贄を物色する視線……。その言葉を聞いた途端、背筋がぞっとした。私が食堂で感じた視線も、そうだったのかもしれない。


 木田くんが小声で私にささやいた。


「そういえば、麻生さんも、バックミラーを何度も見ていましたよね。彼女も何か気づいているかも。明日、聞いてみましょう」


 私は木田くんに頷いてから、サトシくんに再度尋ねた。


「今朝、私たちに『気をつけて』って言ったのも、それが理由?」


 サトシくんは「んー」と小さく答えた。肯定なのか否定なのか、彼の声からは読み取れない。


 マイクロバスが宿の玄関前に停まると、サトシくんはサイドブレーキを引いてから、大きなため息をついた。わずかな沈黙の後、彼は重々しく口を開いた。


「……お客さん、オレが気をつけてって言ったのはね」


 私と木田くんが息を呑んで耳を傾けたその瞬間、マイクロバスの助手席のドアが勢いよく開き、サトシくんの祖父が陰鬱な顔で覗き込んできた。


「サトシ、おめぇ、今日団体客が来るから駅まで迎えに行けって言ったろう!」


 サトシくんはスマホを見て「ヤベッ」と小さく叫んだ。


「お客さん、すみません、すぐ降りてください。迎えの時間ギリギリだ!」


 私たちが慌てて降りると同時に、バスはまた砂埃を上げて走り去った。サトシくんの祖父はぎろりと私達を睨むと、「うどんの用意ができたら呼ぶ」と言い残し、旅館の中に消えていった。




「三恵さん、ヤバい、ヤバいですよこれ」


 今日の取材内容を整理していた木田くんが、青ざめた顔で振り返った。


「魚井さんの取材の音源……変な音が入ってます」


 木田くんは、ICレコーダーからイヤホンを抜き取り、私の方を見ながら再生ボタンを押した。その瞬間、全身に悪寒が走った。


――……ヒッ……いたんです……ヒヒヒッ……見えない、でも確かにそヒヒッヒヒヒ……ヒヒヒヒッヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ――


 歪んだ甲高い笑い声が、不規則にひずみながら耳にまとわりつく。まるでこちらを嘲笑うかのような、底知れない悪意を帯びた声に、身体が凍りついた。


「この声……人のものとは思えないですね」


 木田くんが、反射的に体をぶるっと震わせた。異質で、湿った笑い声――それはまさに、私が亜紀の家で聞いた魚井さんの声と同じものだった。


「……魚井さん、取材の時は普通に話していたのに……どうして、こんな音が?」


 木田くんは恐怖で目を見開き、停止ボタンを押す指がわずかに震えていた。


「しかも、この後もいくつか質問をしたはずなのに、音源はここで急に途切れているんですよ」


「木田くん……私、これと同じ笑い声をさっきも聞いたの」


 恐怖を抑えながら、私はかすれ声で言った。木田くんが驚いたように私を見つめる。


 私は、さっき亜紀の家で起こったことを説明した。


「……そうだったんですね。三恵さん、実は僕も、気づいたことがあるんです」


 木田くんは考え込むときの癖で、両手のひらを顎の前ですり合わせた。


「リンリン先生の最新刊の失踪の章に出てくる、温かい食事を残して消えた一家の話……あれ、魚井さんの家族の失踪と似ていませんか?」


 私は目を見開いた。そうだ、新幹線の中で読んだリンリンの本に、平成初期に失踪した家族の話があった……。


「でも、あの本では一家4人全員が失踪したって書いてなかった?」


「僕はあの本の担当編集じゃないから詳しいことはわからないし、プライバシー保護のため、フェイクも入っていると聞いています。でも――」


 木田くんは言いづらそうに言葉を切った。


「――でも、リンリン先生と雑談しているときにちらっと聞いたんです。この事件でリンリン先生が一番怖いと感じたのは……一家4人が失踪した後、子供が一人だけ戻ってきたことだって」

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