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第2話

 月曜の早朝、わたしと木田くんは新幹線でZ県へと向かっていた。目的地は、亜紀が家を買って移住した町だ。


「現地に着くまでに僕の調べたことを共有しますね。亜紀さんのご両親は精神的にひどく参っていて、事前取材にはお姉さんが応じてくれました」


 木田くんはビジネスリュックから資料を取り出し、わたしにコピーを手渡した。ページをめくりながら説明を始める。


「アッキーこと野口亜紀さんは、田舎で暮らしながら配信だけで生活したいと考えていたみたいですね。で、半年前に、Z県X市にあるあの物件を見つけた。この家ですが、何年か空き家だったのに、突然売りに出されたそうなんですよ。100万円と破格だったこともあって、亜紀さんは内覧もせずに買ったらしいです」


 わたしは驚いて木田くんを見た。


「内覧もせずに? 現地にも行かずに?」


「それも配信のネタにしようって考えてたんでしょうね。『出ると噂の家、内覧しないで買ってみた』ってタイトルの動画がありましたから」


 動画のために、どんなネタでも拾うつもりだったんだろう。亜紀の明るさの裏に隠された、配信者としての覚悟を見た気がした。


「引っ越してから最初の方は、いつものテンションで『幽霊出てこい! 一緒にセルフリノベしようぜ!』とか、『残置物からいわくつきのアイテム発見!?』なんてふざけたタイトルだったんですけど、途中から彼女の表情が明らかに変わり始めて……。三恵さん、動画見ました?」


「……最初の方だけ見た」


 本当なら、取材前にすべての動画を見ておくべきだったとは思うが、木田くんから最初に送られてきた動画の亜紀が衝撃的すぎた。木田くんからの電話を切った後、移住してからアップした最初の3本――亜紀が笑顔で家を紹介する動画――は見たのだが、彼女の笑顔が恐怖に変わっていく過程を想像しただけで背中に悪寒が走り、どうしてもその後の動画に進むことができなかった。


「回を重ねるごとに、亜紀さんの顔つきが……異様になっていくんですよ。話しているうちに、目だけがどんどんギラギラしてきて笑顔がひきつったり、カメラに写ってない部分を凝視していたり……。こう言っちゃなんですけれど、明らかに異常で、見ていてゾクゾクしましたよ」


 何度か一緒に飲みに行った亜紀の顔を思い出す。あの親しみやすい笑顔がどうなっていったのか……思い浮かべるだけでゾッとする。


「引っ越して最初の動画で、亜紀が『この家、出るらしい』って言ってたのは、どうしてなんだろう?」


 木田くんは首を傾げた。


「現地の不動産会社に電話で聞いてみたんですが、そういう話はしていないそうなんですよね。ただ、人が居着かない家だったというのは本当らしいです。入居してもみんな、1、2ヶ月で出ていってしまう。それも、理由をはっきりと告げずに。……それを亜紀さんが、ホラーチャレンジャーの視点で利用した可能性はありますね」


 人が居着かない家、か。なぜ、みんな出ていってしまうのだろう。


「ねぇ、100万円って……やっぱり異常に安くない?」


 木田くんは頷いた。


「それもちょっと調べました。地方では『負動産』なんて言葉もあるくらいで、土地や家が価値を失ってることも多いみたいっすね。でも、亜紀さんの買った家は、今までの住人たちが手を加えていたので、割といい状態だったみたいなんですよ。それを考えると……やっぱり100万円は、ちょっとおかしいですね」


 冷たい汗が背筋を這い、首に鳥肌が立つのを感じた。


「……つまり、家を直したのに、誰も住み続けなかったの……?」


 木田くんも、不安そうに首元に手をやった。


「……そういうことになりますね」


 一瞬、静寂が流れた。新幹線の振動がどこか遠くに感じられる。


 窓の外に目をやると、亜紀に最後に送ったメッセージが思い出されて、胸がキリキリと痛んだ。


 そのときふと、強い匂いが鼻を突いた。


「木田くん?」


 横を見ると、木田くんが駅弁を広げ、割り箸を割ったところだった。匂いは揚げ物から立ち上っていたようだ。


「あ、すみません。三恵さんも食べたかったですか? これ、『横綱ミックスフライ弁当』。昼前には売り切れちゃう人気商品なんですよ。いや、今日は買えてラッキー」


 さっきまでの話がまるでなかったかのように、軽い口調で木田くんが言った。彼は爪楊枝に唐揚げを1つ刺して、わたしに差し出す。食欲はないのに、つい反射的に受け取ってしまった。


「あ、そうだ。リンリン先生から、新しい著書を三恵さんに渡してくれって頼まれてたんだ。ちょっと待ってください……」


 木田くんはリュックの中をゴソゴソ探り出した。わたしは冷たく「いらない」と答える。


 リンリンこと鈴木すずきあかりとは昔からのライター仲間だ。最近まで良きライバルだったはずなのだが、彼女はテレビのバラエティ番組に出演したのをきっかけに、『魅惑の未解決事件ライター』としてメディアで引っ張りだことなった。仕事が絶賛先細り中のわたしとしては、精神衛生上、なるべく関わりたくない人物だ。


「でも、参考になるかもしれませんよ。失踪に関わる未解決事件についても、丸々1章使って書いてるんですから」


 木田くんはそう言って、わたしに本を手渡した。わたしと同い年だなんて信じられないほど若々しい外見のリンリンが、ミニスカ名探偵のコスプレで表紙を飾っている。気が乗らないまま、失踪のページを開いた。


 木田くんがミックスフライ弁当に夢中になっている間、わたしはリンリンの本に目を通した。リンリンというキャラクターのインパクトで軽い本だと思われがちだが、彼女は昔からリサーチ能力にけていて、常にさまざまな角度から未解決事件の闇を暴こうとしていた。


 気がつけばわたしも、夢中になって失踪の章を読み終えていた。


 今回の本も売れそうだと、軽い敗北感を覚えながら、わたしはつぶやく。


「……失踪、やっぱり怖いよね。さっきまで一緒にいたはずの人が、突然いなくなるなんて」


「ですね。かなり古いエピソードもありますけど、リンリン先生のリサーチ力は相変わらずハンパないですね、しっかり調べ上げていますもん。学生グループが合宿中に失踪した話とか、手つかずの朝食が残されているのに一家が忽然と消えた話とか……」


 木田くんは箸を止めて、少し考えてから言った。


「僕、思うんですよ。もし彼らが、どこかの時点で『助けて』って声を上げていたら、自発的な失踪でも、神隠しであっても、もしかしたら失踪しなかったのかもしれないって。でも、彼らはそのタイミングに気づかず、通り過ぎてしまった。戻れなくなるその瞬間は、一体どこだったんだろうって……時々考えるんです」


 わたしは何も言えなくなって、木田くんから目をそらした。スマホを取り出し、彼に見えないように亜紀との最後のやり取りを表示させる。


 画面には、亜紀からの不在着信の履歴が並んでいる。あの最後の配信の直前に残されたものだ。


 あのとき――わたしは情報誌の締め切りに追われ、電話に出られなかった。その代わり、彼女にそっけないショートメッセージを送ったのだった。


『亜紀、電話に出られなくてごめん。今ちょっと忙しいから、用事があるならメッセージをもらえる?』


 そのメッセージが既読になることはなかった。そしてわたしは、そんなことにも気づかないまま日常を過ごしていたのだ。


 亜紀は、あの家で一体何を見たのだろう。最後の動画を撮っている間、どれほどの恐怖に襲われていたのだろう。そしてなぜ、突然姿を消してしまったのか。


 彼女は今もどこかで……まだ生きているのだろうか?


 もし、あのとき電話に出ていれば――。後悔が、冷たい刃のように胸を深くえぐる。あのとき彼女の声を聞いていれば、彼女からの「助けて」を受け止められたかもしれないのに。


 わたしは痛いほど唇を噛んだ。


 誰も住み続けず、皆が何かに怯えて逃げ出してしまう家。それは、ただの格安物件とは到底思えない。そこには、もっと深く暗い何かが潜んでいるのではないか……。


 胸の奥で、不吉な予感がざわめき始めた。まだ足を踏み入れてもいないその家が、まるで遠くからわたしたちを見つめ、引き込もうとしているかのように思えた。

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