「アンタ。この間、無免で転がしてたっしょ」
いきなり、クラスの女子、辻本ナツキに首元を掴まれた。
こいつデカいんだよな。
「チクられたくなかったら、送れよ。空港まで」
サイズの合っていない夏物のワイシャツの袖から覗く、サイズの合っていないブラジャーの脇の肉のたわみが気になる。
顔とスタイルは悪くないから、一応話を聞いておく。
「それなに。どういうこと」
「空港まで、アタシを送れよ。今すぐ」
「意味がわからん」
しまった。コイツ、猛烈に頭悪いんだよな。
と猛烈に己の助平心を反省した。
「先輩がアメリカ引っ越すんだよ」
「ん?お別れ会したんだろ。バスケ部で」
小耳に挟んで覚えていたことを口にしてみる。
「なんで知ってんだよ。キモいよ。オマエ」
オマエラがクッソ騒がしかったから知ってんだよ。
というのを我慢した。
「爽やか系無口男子だったから人気だったんだろ。しらんけど」
一応知っていることをネタ振って、心底興味ないことを伝えてみる。
「マジキモいな。オマエ!ホモ?モーホー?」
「流石にうぜえ。チクるんでも何でもしてくれ」
仮に動画があったとして、今更なんの証拠があるんだって話にしかならない。
手を振って離れかけた、ボクの肘を辻本は改めて掴む。
結構痛いので驚く。
かなり大きな手で強い。
でも細く長い指はきれいだった。
「いいから黙って空港まで送れよ」
打ち切ろうとしたが、やけにしつこい。
「はあ?くうこうってどこの空港だよ」
「しらんけど、アメリカいく飛行機の出てる」
「そんなんオマエ、新幹線使って成田エクスプレス使って」
こっちもしらんがな。
「じゃあそのカネくれよ」
「貸せじゃなくて、くれかよ。マジ終わってんな。オマエ」
そんなカネがあるはずもない。
掴んでいる辻本の手を振り払う。
「そんなカネあるはずないだろ」
「アタシもねぇよ。ケチが」
ケチってな。
「オマエな。頭湧いてんのかっ!カネせびっといてケチもへったくれもあるか!しかもなんだ。飛行場だと?知るかよ。SNSか電話にしとけ」
「お別れくらい、直接会って言いたいだろ」
なんだかよくわからん。
「送別会やったんじゃないのか」
「女バスの先輩とカレカノやってるのに、アタシがいたら困るじゃん。アタシも困るし」
「あ~。それならなおさら電話にしろよ」
事情は察せられたが、それならなおさら知ったことかという気分になる。
「そんなん、無視されたら、死ぬ」
「今からクルマで追っかけたって間に合うわけないだろ」
「だって。それだって。ロビーで会えるかもしれないだろ。国際線の飛行機のチェックインって早く行くのが常識なんだろ」
まあそうだろうけどさ。
しょうがねぇな。
と、おじさんのところから真っ黒いスバル360を借りる話をすると妙に乗り気だった。
せいしゅんだねぇ。とかそんな感じでの勘違い。
辻本に便所に行ってくるように告げた。
出ないと言っていたが、無理やり押し込むようにして、ボクもあとで一応便所に入った。
二度目だしな
日の光はまだ割と高い。
前回の反省を活かしてブルートゥースのヘッドセットをつけてラジオの周波数を合わせる。
カーナビは柴犬のマスコットが新しくガイドしてくれるようになったらしい。のは知っているのだけど、実際に使ってみるのは初めてだ。
目的地を国際飛行場周辺の降りやすい位置にすると、イヌが割と難しそうな顔をする。
しょうがないので少し離れたところに操作してゆく。
「なんだよ。なにやってるんだ」
「いったことない場所なんだ。ナビくらい設定させろよ」
イヌが太陽と月とで綱引きを始めていた。
計算結果が出たらしい。
「出発します。本当にいいですか」
とイヌが聞いてきた。
「行くぞ。ちゃんとシートベルトしろ」
「わかったけど。どうやるのよ。こんなベルト知らないわよ」
辻本はさっきから何度も説明してやった五点ベルトがまだ締められていない。
「そこの、首を通して。そこはまたいで。そのバックルで集める」
「いたいよ。これ。締めないとダメ?」
「死にたくなければつけとけ荷物も、両腕通してしっかり腹で押さえといて俺の顔にあたったら二人で死ぬと思ってくれ」
ボクが真剣にそう言うと辻本はケラケラ笑い出した。
笑うよな。
知らなければ。
スバル360はボクの運転で町外れの道を走り始めた。
「ここどこよ。飛行場行きたいのよ。なんでこんなところで休憩してるのよ」
海岸を一望できるちょっとした丘で花火とかを楽しむ観光スポットではあるが、街道というわけではない。枯れススキが一面秋の訪れを告げているけど、日差しは熱い。
「ザッっけんじゃないわよ!アンタなんか頼ってみようっとおもった、アタシがバカだったわ」
カーナビのイヌのガイダンスによると若干早かったらしい。
海が見えるストレートその先は荒れ地の広がる崖。
なにをさせたいのか、ボクにはよく分かる。
十五秒前。
ガチャガチャとベルトをいじっているが、きつすぎてまだ外せないらしい。
こういうのは出来れば考えることなしに始めるほうが楽なんだ。
十秒前。
神様。
今度もおじさんのキチガイぶりがきちんと発揮されていますように。
五秒前。
三秒前
「スケジュールに遅れが生じています。急いでください」
アクセルをベタ踏みにすると、スバル360(違法改造)は猛烈な速度で斜面を駆け上がる。
途中まではたしかにレシプロエンジン音だったが、いまは完全にモーターの音に切り替わり、耳障りというほかないハム音を響かせる。
「うおう!」
激しい頭痛の中、白い雲海を一気に超え、二分ほどで夜空と昼間の境を超え、地球の向こう側の丸い月を少し早く眺めボクらは飛行場の脇の海岸線に落ちていた。
一回目の試運転とはぜんぜん違う完全制御の飛行行程は、ほとんど全自動だった。
ボクの一回目の希望はほとんど全部盛り込まれていたと言っていい。
そこから飛行場の脇まで川を遡って幹線道路で飛行場にたどり着くと、だいたい四十分くらいの旅程だったけど、新幹線よりはだいぶ速い。
それでもたぶん、先回りというわけにはゆかないだろう。
空中をぶっ飛んでいる間、大騒ぎしていた辻本は海辺に墜落した瞬間に気絶して、川をさかのぼっている間に目が覚めたようだったが、自動車として陸地を走っている間、マネキンのように固まっていた。
何が起こったか、ちゃんと把握できないないのかもしれない。
少なくとも、荷物や小便をまき散らさなかっただけマシってことにしておこう。
辻本は出国ゲートの見送り口でおろしてやった。
五点シートベルトを外してやると、ようやく正気に戻ったようだった。
運が良ければ会えるだろう。
飛行場の駐車場にクルマを止めて、屋上の展望台で飛行機を眺めていると、だんだん夜空になってきて、さっき盗み見した月が登っていた。
「惚れた晴れたが幸せねぇ」
ちょっと前に自分も似たようなことを考えていたはずなのに、他人事のように思えてしまう。
どういう感じだったか、よく覚えていない。
ぼんやり時間を潰していると肩を叩かれた。
「おまたせ。帰りは安全運転でよろしく」
辻本が割とスッキリした顔でそこにいた。
会えたらしい。
涙で流れたファンデをこすったあとが星屑のように袖について煌めいている。
それを言うと、キモがられるだろう。
辻本は黙ってりゃ美人だと思うんだ。
恋愛とは別にそう思うんだ。