「ふうん」
コンタクターは雫の言葉を聞いて、理解したのかしなかったのか分からない、そんな曖昧な反応を示した。
「——そもそも、この世界の人間は未だ『扉』の先に何があるのかさえ、把握していないというのに」
その声は、あまりにも小さく、誰にも届くことはないままプロペラの羽音に掻き消された。
◇◇◇
ヘリコプターは飛び立つ。
目的地は、今もなお暴走を続けるスタンダロン試作機である。
「……何というか、こうも簡単に暴走してしまうとはね。もう少し色々とシミュレーションをした結果だ、という話は聞いていたけれど」
コンタクターの問いに、伊吹は頷く。
「確かに、スタンダロンは数多くの試行錯誤を経て、漸く試作機として誕生したロボットです。けれども、試作機と銘打たれている以上、それが完璧なシステムであることはないのです。難しいことではあるんでしょうけれど……」
「でも、こうやって呆気なく失敗するのは如何なものかしらね? 流石にわたくしから資金援助はしていなかったはずだけれど。こうも失敗してしまうと、防衛費などが嵩んでしまうのでは?」
「お金のやり取りについては、はっきり言って存じ上げないのですが」
伊吹はそう断りを入れて、話を続ける。
「ただ、スタンダロンの開発に探りを入れられたくないのは間違いありませんから、色々と細工をしていたことは間違いないと思います。今や国内だけのニュースではありませんからね、こういった予算の話は。隣国は常にこういうアンテナを伸ばしておいて、我々に勝つためには如何すれば良いかを日々研究しているとも聞いたことはあります」
「怖いねえ……」
何処にスパイが紛れているか、分かったものではない——雫はそう思いながら、外の景色を眺めた。
スタンダロンは、直ぐそこまで近づいていた。
◇◇◇
ヘリコプターはスタンダロンの上空まで到着した。とはいえ、今もなおスタンダロンは動き続けており、また一定の距離に近づくと敵の認定を受けて自動的に攻撃を発することとなっているらしく、ヘリコプターはある一定の距離を保ちながら飛行していた。
「……ここから如何すれば?」
「あとは自由滑空ですね」
「はい?」
パイロットの言葉を聞いて、伊吹は首を傾げる。
「いや、そのー……もうちょっと近づけないんですかね? 例えばハリウッド映画みたいに、結構なところまで近づいて、みたいな。あるじゃないですかあ……」
「ないですね」
弱々しく訊ねる伊吹を一蹴するパイロット。
もっと良い受け答えがあったのではないか——などと思う雫ではあったが、今の彼女はここにおいては部外者である。可哀想な気持ちこそあれど、それを用いて暴走などしてはならない。
「ええ……?」
「時間がありません。急いで降り立つ準備を」
パイロットの言葉に押されるように、伊吹は渋々パラシュートを取り付け始める。
腰には小さいウエストポーチが取り付いていて、そこには予備のパラシュートが入っている。
「何というか、人間は弱い生き物よね……。この高さから普通に落下したら死んでしまうのですから」
「それはどの生き物だって同じだと思うがね……?」
コンタクターの言葉に、雫は静かにツッコミを入れる。
「行きます」
伊吹の言葉を聞いて、雫達は大きく頷く。
それを合図に、伊吹は踵を返すと——開かれた扉から思い切り空へ飛び込んでいった。
◇◇◇
びゅう。びゅう。びゅうびゅう。
肌に打ち付ける風の勢いは、もはや痛覚を刺激する程であった。それに、上空高度が高くなればなる程温度も下がっていくので、非常に冷たい風が全身に打ち付けてくるようなそんな感じだった。
(寒い……、ってか痛い……!)
正直、ここまでの寒さになることは想定外だったらしく——未だに後悔の念ばかりが強く残っている。
(何で、何で、何で何で! 何でこんな目に遭わないといけないんですか……! スタンダロンの実験は絶対に失敗しないって、言っていたのに!)
頭の中で色々なメンバーに当たっていく発言をしたとて、もはや現実は変えられない。
「でも、」
止まることはない。
いかなる物体においても与えられる、重力加速度を持って、伊吹の身体は地面——或いはスタンダロンに向けて落下を続けていく。
「やるしかないんだ……」
恐怖。後悔。様々な思いが募っていくが——しかし、それをしたところで現実が変わる程、優しい世界ではない。
だから、伊吹は呟いた。
その言葉は、他でもない自らを奮い立たせるために——。
◇◇◇
パラシュートを用いて、スタンダロンに着地した伊吹。
今はちょうど、肩のあたりになるだろうか。
「……ええと、緊急停止スイッチの場所は」
再確認する。スマートフォンにコピーしておいた資料を見た限りだと——記載されているその位置は、右肩のあたりだ。
「であれば、そんなに遠くはない、か」
目的地までは凡そ二十メートルほど。
しかし環境があまりにも最悪だ。強風に、地面が動き——さらには命綱さえ存在しない。
本来ならばこんな環境であると、高所での作業は出来るはずもなく、速やかに中止を命令してくるはずだ——しかし、それはあくまでも一般のケースの場合である。
今回は、間違いなく——そして、紛れもなく特殊なケースである。一般のそれとは比べものにならないぐらいであることは、伊吹にだってわかっていた。
だとしても。
恐怖をそう簡単に上塗り出来る程——人間は強くない。
「怖い……」
それでも。
一歩、また一歩と歩みを進める。
止まることはあっても、完全に停止することなく——僅かの進みであっても、着実に目的地へと向かっていたのだ。