目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第17話 逃亡、そして遭遇

 無事、聡と瑞希の二人によって、襲撃者は撃退された。

 事実だけを羅列するのならば、それは確かに正しいことであり、良いことだと言えるのかもしれない。

 しかしながら、現実はそこまで甘くはない。

 聡の部屋。

 彼は、ベッドの上で蹲っていた。

 布団に潜って、ずっと夢を見たい−−現実を直視したくないと言わんばかりに、彼はずっと布団の中に潜っていたのだ。


「……いつまで続けるつもり?」


 部屋の外から、雫が問いかける。

 もう、襲撃者を倒してから一週間が経過している。

 多くの人間が普通の日常に戻りつつあろうというのに、聡はそうではなかった。


「……よっぽど、応えたのかもね」


 雫の隣にやってきたのは瑞希だった。

 瑞希は、あれから雫の家で暮らすこととなった。直属の上司なのだから、彼女が管理すれば良いだろうなどという感じにまとまったらしいのだが、当の本人はそこまで責任は持てないと思い、諦めてもらうつもりだった。

 しかしながら蓋を開けてみると−−、瑞希本人が雫、そして聡との同居を望んでいた。

 聞いてみると、どうやら地方から出て来たばかりで東京のことは右も左も分かりやしない−−そんな状況である以上、頼れる人間が居るというのなら、頼るに越したことはない、という判断だった。

 賢明であり、間違ってはいないだろう。


「……いつまでも、そうしていることは出来ないのよ。分かっているの? いつまた襲撃者がやってきたっておかしくはない……。そういう時は、また二人で何とかしていかないといけないっていうのに……」

「簡単に言うけれどさ」


 瑞希は言う。


「何?」

「外野からだったら、どんなことだってとやかく言えるんだよね。だって、自分が実際に行動するわけでもないのだし。そりゃあそれぐらい分かっているのかもしれないけれどさ…‥。でも、実際に動くのは誰か、って簡単なことぐらいわかってくれると嬉しいねえ。少しは、彼に寄り添ってあげるってことも忘れちゃダメだと、思うけれど」



 ◇◇◇



 聡は、ずっと悪夢に苛まれていた。

 いつ終わるかも分からない、永遠に続くかも分からない夢だ。

 現実なのかも夢なのかも分かりやしない、そんな曖昧な境界でのことを永遠と見続けていた。

 そして、それがしばらく続いて、彼は一言呟いた。

 誰に話すでもない、とても小さな声で。


「……逃げよう」


 耐えられない、頑張れない、やる必要はない−−聡はずっとそう考えていた。頭の中に、その三つが永遠にぐるぐると回っていたのだ。

 しかしながら。

 もう耐えられない、もうこれ以上戦うことは出来ない、それ以上に−−何故自分は戦っているのだろうか? という簡単な質問に答えることさえも出来なくなっていたのだ。

 だから。

 逃げてしまえ、と内に居る聡が、そう言ったのだ。

 だから、彼は気付かれないように、夜遅くにゆっくりと部屋を出た。

 廊下は静かだった。まるで自分以外の誰もが、居なくなってしまったかのような−−そんな錯覚にさえ陥ってしまうぐらいには。

 玄関の鍵を開けるときは、1番神経を使う。カチッという音がしないように、ゆっくりとかつ丁寧にスライドさせていった。

 その結果か、あまり音はしなかった。


「……ごめんなさい」


 誰に言うでもないその言葉は、純粋な謝罪の言葉だった。

 そして、聡は深夜の街へと一歩足を踏み出した。



 ◇◇◇



 当たり前だが、深夜というのは電車も何も走っていない。

 しかしながら、社会活動が完全に停止しているかと言われると、答えはノーというほかないだろう。

 結論を言うと、街は明るかった。ネオンサインが暗い道を明るく照らしていて、人々はどこか顔を赤くして歩いている様子だった。すれ違うとアルコールの匂いを感じるほどであった。


「……うっぷ、」


 咽せ返るほどの強烈な匂いだった。思わず吐き出してしまいそうなぐらいだったが、すんでのところでそれを抑え込む。

 とはいえ、だ。

 それよりも注意せねばならないのは、警察官だろう。こんな夜半に少年が一人佇んでいるなどと見つかってしまえば、補導されてしまうのは間違いない。

 さりとて、智の不安をよそに、意外にも警察官に見つかったとしても、彼が補導されてしまうようなことは起こり得なかった。

 何故そんなことが起こったのか−−当の本人でさえも分からなかっただろう。何か特別な力でも働いているのではないか……そんな錯覚さえ感じてしまうぐらいだ。

 しかしながら、


「……あと、三時間か……」


 幾ら東京の街が眠らない街であろうとも、これが交通インフラにまで適用されるかというと、答えはノーと言わざるを得ないだろう。自動運転技術が生まれているとはいえ、それは実証段階に過ぎない。その実証段階の代物を、そう簡単に大量の乗客を乗せている運転列車に導入するわけにはいかない。側から見ればやりすぎと言われてもなんらおかしくないぐらいの、何重にも課せられたセキュリティをクリアする必要がある。

 結果として、自動運転技術が生み出されたとしても、現時点において未だに運転手は存在していて、人による運転を実施しているのだ。人間が運転していると言うことは眠らなければいけないし、眠るためにはそれなりの時間が必要だ。そうでなくとも、線路の安全を守るために保全作業をする必要があるのだし、そういう意味ではまだまだ人の手を離れることはないだろう。

 地下鉄に乗ろうったって、入り口はすでに閉まっている。中に入ってゆっくり過ごそうにも、始発の時間にならない限りはシャッターは開かない。


「どうするべきか……」


 先ずは、見つけたベンチに腰掛ける。

 決して居心地が良いとは言えない、木で出来た硬いベンチだった。座り心地は最悪だし、このまま朝まで座っていたら何かしら悪影響を及ぼしそうだと思うぐらいだった。

 しかしながら、そんな評価最悪のベンチでさえも、普通に横になって眠っている人をちらほら見かける。この時間からホテルにチェックインするぐらいなら、ベンチで眠ってしまった方が良いだろう−−果たしてそれは得策と言えるのかどうかは定かではないが、いずれにせよここに居る人間は全員朝までいかに時間を潰そうか画策しているようだった。


「ねえ」


 そんな人間観察をしている聡に、誰かが声をかけてきた。

 最初は警察官かと思い、警戒していて振り返ったが−−違った。

 彼の目の前に立っているのは、背の高い女性だった。

 黒の革ジャンに、そこそこ穴の空いているダメージジーンズ、口にはタバコを咥えている。

 いわゆる悪そうな大人のお姉さん−−そんな感じだった。

 聡が返事を返すかどうか狼狽えていると、さらに女性は声をかけた。


「こんな夜更けに何をしているのかな?」

「……ちょっと、夜風に当たりたくって」

「そんな詩人みたいな言い回し、令和の時代にするものかね? ……まあ、いいや。なんか行く場所に困っていそうな雰囲気だったからさ。お姉さんで良ければ、話を聞くけれど? ま、こんな道端でああだこうだ話すつもりもないし、どうせ話すなら明るい場所が良いだろうし。どうする?」

「ぼくは……」


 聡はその場で結論を出せなかった。

 空気に流される形にはなってしまったが−−聡は女性の要望を聞いて、女性と一緒に行動することにしたのであった。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?