4.
ぐちゃり……と、湿っぽい音と立てながら半壊している校舎から魔女が出てきた。
顔つきこそダンウィッチのものだが表情がない。
「……██」
と。さっきからもごもごと口は動いているが、何かを言っているという感じではない。
ただ、音を発しているだけだ。
生きている存在感がない。
(生きている心地がしない……)
オリオンは全身で呼吸をしている。
そのリズムはかなり小刻みで
肘から先がなくなった左腕。最初はじわりと熱のようなものが感じられたが、次第に冷たい痛みへと変化した。
制服から糸を引き抜いて、それを魔法で丈夫に加工をして強く腕に巻きつけている。
一応の止血を施した。
痛みで意識が飛びそうになる。目の前でずっと光が点滅しているような感覚だ。意識は途切れそうになるが、腕の痛みによって現実に引き戻される。
痛みはまったく引かないし、嫌な汗が止まらない。
左右のバランス感覚が変わって、上手く立っていられない。そうでなくとも、オリオンは平均台すら平常時でさえまともに歩けないくらいに運動が苦手だというのに。
魔法のおかげで何とかなっているが、魔法がなければ何もできない。
「――ああっ! もうっ!」
大きく声を張り上げて、残された右手で杖を掴んだ。
強く握ると少し安心する。
大嫌いな家族からもらったものではなく、自分で選んで買ったこの杖。
乱れていた呼吸が少しずつ戻ってくる。
唇は震えていて息を吸うことも吐くこともままならないが、ゆっくりと深く呼吸をする。
「――――」
と、半壊している校舎にいる魔女を睨みつける。
魔女の周囲には泡が発生している。
その泡が魔女に集まっていく。
ウッドロイがどうにか切除した無数の触手が再構成されていく。あっという間に髪の毛ほどの数の触手が腰の辺りに揃った。
魔女は、校舎から跳んだ。
それと同時に真っ暗な夜空は、極彩色に覆われた。
魔女の背中から伸びている触手が空を覆い尽くした。オリオンの周りが極彩色に覆われる。
そんな中で、目を閉じて深く息を吐くオリオン。
触手は意志を持つようにしてオリオンに襲いかかってくる。
これが、あの魔女によってすべてコントロールされているわけではないということに、オリオンは先の戦闘で気づいている。
それぞれの触手に意志のようなもの、あるいは特定のターゲットを追跡するような機能があるのだとしたら、それは隙になる。
我先にと突っ込んでくる触手をひとつ――杖から放った魔力で消し去った。
ジュッッ! と消し炭になる。
そして、足元に魔法を込めて、普通じゃない身体能力を獲得する。
たんっ、たたんっ! と、地面を数回蹴って、触手の攻撃を紙一重で避ける。オリオンの動きに合わせて大量の触手が先回りをした。
触手たちは尖端を地面に突き刺して、柵のようにしてオリオンの行く手を阻む。
(動きは単調で機械的――)
触手のこの動きは読めていた。オリオンは既に杖を構えていた。
触手の壁をまとめて切り裂いて包囲網から脱出した。玉虫色の極彩色に覆われた空間から馴染みのある夜空の下に出た。
数メートル距離を取る。
それを逃がさない触手は追いかけてくる。
くるり、と反転し――杖を突き出す。
『かちん』――! と。
自分の後ろを追いかけてきている触手に向けて、魔力を放出した。
彼女の持つ限りの魔力をすべて放出した。
闇夜を引き裂くような輝きがあった。
衝撃で杖は尖端から砕け散りながら、高圧力の魔力が周囲を呑み込んでいく。
魔女は、その魔力の
数え切れない極彩色を彩る、無数の手が――それと相対する。
――――――――ッッ! と。
音さえも消えて、空気が揺れた。
衝突し合う音が聞こえてくる。
圧倒的な魔力の渦によって、触手は削ぎ落されていく。
その最中にも触手は濁流のように再構成されていく。
同時に、それらの魔力は次々に無数の泡に『変換』されていく。
極彩色の泡が花びらのように舞う。辺り一面を埋め尽くすかのように。
異様な触手の再生速度。それさえも上回る高出力の魔力の渦。
魔女は、その背後にあった校舎と共に魔力に呑み込まれる。
ミキサーにかけられている
かつて魔女だった、原型を留めていない残骸は、上空数千メートルの位置で散った。
この日の夜は晴れていたが、地上では魔力の
「――――…………」
全身の魔力を使い果たしたオリオンは力なく、その場に崩れ落ちる。
彼女の周りでは、無数の泡が漂っている。
倒れて呆然としたまま、十分ほど時間が経過した。
ぼんやりと視界に映り込む幻想的な泡と泡が重なった。それが空気の流れで目の前からなくなったとき、彼女の目に映り込んだのはひとつの影だった。
悪魔の角みたいな真っ黒な帽子と、丈の長い真っ黒なローブ。
魔女がそこに立っていた。
(ああ)
身体は一ミリも動かなかった。
(時間稼ぎにもならなかったのね――)
その独白に感情はなく、ただの事実として感じていた。
それ以上、何も考えることなく、地面に突っ伏したまま目を閉じた。