目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第44話 濁流の先に


     2.


檸檬れもん』――それは憂鬱ゆううつな気持ちと悪戯いたずらな空想を豊かに表現した文学作品である。

 ひとつの檸檬れもんと出会い、それを書店の棚に置いて、鮮やかな爆弾を仕掛けたつもりで立ち去るという空想。

 それはそういう文学作品である。

児童文学型模倣術式ロングロングアゴーズ』は『檸檬れもん』を『再現』した。

『書店に檸檬を置いて立ち去る』と、『その書店が木っ端微塵に吹き飛ぶ』。

 これを、『置いて立ち去る』と『その建物が木っ端微塵に吹き飛ぶ』と解釈して創った――『再現』した。

 内側から炸裂して、肉が、脂が、骨が、臓が、筋が、血が、血が――周囲に飛び散る。

 元からただの肉塊でしかなかったが、木っ端微塵に吹き飛んで、もはや残骸となった。

 この爆発によってどす黒い液体と、乾留液タールのような肉体が細切れになって、巻き上げられた。それは水中で爆弾を爆発させたみたいに吹き上げられて、すぐに血肉の雨が降り始めた。

 救助に来たハウスの手をしっかりと握っていたウッドロイだったが、その爆風と飛び散った残骸の煽りによって、そう高くない位置から落下した。

 座礁ざしょうして漂流ひょうりゅうしたくじらの残骸みたいな、肉塊の上に落下する。

 それらがクッションになったので、怪我はなかった。

 周囲の悪臭に嫌悪感を表情に見せた。

 ずるずると這っているときは、まだどうにか人の形に見えなくもなかった『肉塊ミアマズ』だったが、もはや原型は留めていない。

(よもや、このまま動くかもしれないと思っていたが、杞憂きゆうだったか)

 これの後片付けは大変になるだろうけれど……それはまあ、そのときに考えるとしよう。

 ひとまず、ハウスに回収してもらって、結果報告をしなければならない。

 空を飛んでいるハウスに救助をしてもらおう。

「――――」

 このとき、ウッドロイの気は緩んでいた。

 だから、このときに起きたことに対して瞬時に対応できたのは、ただの幸運だった。


 嫌な予感。嫌な気配。嫌な空気。

 空にいるハウスに手を挙げて合図をしているウッドロイ。そんな彼が見たのは、どす黒く血で染まったハウスの青褪あおざめた表情だった。

(どうしてそんな表情をする?)

 ――なんて考えるよりも先だった。

 ウッドロイのそう離れていない位置に、はいた。


 それは、まるで深海にただよう軟体動物のようにも、粘液のような脂肪の塊にも、どす黒い濁流だくりゅうにも見える『何か』だった。

 二メートルもない、地面から隆起りゅうきしているだけの影。


 何か、起きようとしていた。


 それよりも先にウッドロイは動いていた。

『かちん』――と、一気に距離を詰めて、杖を引き抜いた。


 ウッドロイの家系に代々受け継がれてきている素質がある。

 それを『ドヴェルグ』と称している。

錬成ドヴェルグ』は稀有けうなものである。

 北欧スカンジナビアで語られる妖精の名前で、いわゆる小人ドワーフの一種である。

 北欧の小人の最大の特徴は『鍛冶匠』だということである。北欧の小人は鍛冶の技術を持ち、優れた道具を作り出す才能にけていたと言われている。

 ウッドロイ・フォーチュンは、その魔法の性質を持つ。

 彼は『錬成』と『再現』の二種類の魔法を組み合わせて扱う。

 彼の『錬成』は現代に作ることのできない神話大系の妖精の技術である。当然、魔力を尋常じゃなく使うため、剣やらやりやらつちやらを錬成するとなれば、完成する前にウッドロイの魔力が底を尽きることになる。

 だから、『錬成』するのではなく、彼は『加工』する。

 杖を――加工する。

 これに加えて、彼は『再現』を得意としている。

『起きている出来事をもう一度行う』というものである。魔法を使う際に所作しょさなどが重要となることがある。

 それを身体に馴染なじませるための魔法である。

『再現』と『錬成』を組み合わせてひとつの攻撃方法にしている。

 再現するのは、彼の経験――彼が見てきたものである。

『錬成』で杖には剣――いいや、刀の性質が加工されている。『再現』するのはかつて見た達人の剣術だ。

 魔法使いでも何でもない、ただの人間が振るった剣術。

 抜刀や、居合と呼ばれている――剣術ものだ。


 音速に等しく、斬り終わる頃には杖はさやに収まっている。

 そういう一撃だった。


 それを――何かが受け止めた。

 どばっ! と、どす黒い濁流のような影の中から青白く不健康そうな腕が伸びてきた。

 その片手の五本の指で優しく受け止められていた。


 白刃取り。

「…………っ」

 ウッドロイは焦りの表情を見せた。

 白刃取りに――ではなく、その痩せ細った青白い手に触れられた杖の外殻を覆うようにしていた加工が消滅し始めたからだった。

 ぽこぽこ、ぼこぼこ――と。杖の周辺には泡が出現する。

 極彩色の泡。玉虫色の回折かいせつじま

 慌てて杖を引いて、後ろに跳んだ。

 今度は一気に距離を取る。

「はあっ、はあっ……」

 息ができていなかったことに気づいた。

 悪臭が気になってできることならしたくなかった呼吸を、これでもかと行う。


「██――」

 真っ黒な濁流の影は、内側からぐっと膨らんだ。

 爆発するのかと身構えたが、違った。


 ザ、ザザザザ、ザザザザザザザザッッッッ――! と。

 地面に触れている部分から、真っ黒な液体が流れ始めた。内側から吐き出しているみたいに見えた。

 勢いはそんなに強くないが、その濁流は学校中に拡がっていく。

 その生暖かい濁流はウッドロイの足首辺りまでかった。

「██――█h███」

 しぼんだ影から声が聞こえた。

 学校中に拡がった濁流は、今度は引き潮のように、その影に集まっていく。

 うずのように泥が集まって、形成していく。


「████h█――hh――――███h██、██████████████████████████hhhh██hhhhhhhh██████████hh██████████――!」


 それは唸り声のようだったし、咆哮のようにも聞こえた。

 あるいは、産声うぶごえだったかもしれない。

 泥は――悪魔の角みたいな帽子になった。

 闇は丈の長いローブになった。


 それは――少女の姿だった。


 この一ヶ月間、学校で見かけた魔女の少女だった。

 その少女の腰の辺りから玉虫色の触腕が生えていた。

 それは数え切れないほどで、常にうごめいて、本数が増えたり減ったりしている。そのすべてが意志を持っているかのように動いていた。

『円』から出てきた『何か』は受肉し、いびつな幼体の姿から――人の姿に変体した。

 少女の姿に、変生へんじょうしたのだった。





コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?