1.
少しだけ時間を巻き戻す。
具体的には――オリオンと鳩原が『遺物管理区域』跡の最深部に向かって出発した頃のことである。地上では『
「うう……」
凍えるように身震いをしながら、そんな声を漏らしたのはドロップアウトのひとりだった。首の後ろ辺りで髪の毛を結っている一年生。
名前をスカーレット・イグナーツという。
彼女は今、数十メートルの高所を
引き
「高いところは苦手?」
イグナーツの後ろに座っている
「そういうわけじゃないですけど……」
と、弱々しく言った。
こんな高いところ、誰だって怖い。
それにもうすぐ十一月という季節だ。こんな高いところでは風も冷たい。
イグナーツのこの身震いが寒さによるものなのか、高さから来るものなのか。
「……どうして私なんですか?」
イグナーツはもっともらしい質問をした。
「飛行に慣れた人の箒のほうがよくないですか?」
スカーレット・イグナーツはまだ一年生である。こんな数十メートルの高度を飛行できる魔法運転免許証は持っていない。
持っていないからといって飛行できないわけではないけど……、だとしても、こんなに高い位置を飛ぶのは初めてだ。
イグナーツは周りを見る。ほかにはふたりが箒に乗って飛んでいる。
ひとりはハウス・スチュワードで、もうひとりはウッドロイ・フォーチュンである。
あのふたりならば、こんなにおっかなびっくりな飛行ではなく、もっと安定した飛行ができるはずだ。
それにふたりなら魔法運転の免許も第一種まで取っているはずだ。
まあ、たとえ取っていたとしても、許されているのは十五メートルの高さなので、その規則をぶっちぎりで違反している。
何だったら二人乗りもアウトである。
「そうかな? 私はイグナーツが適任だと思ったんだけど?」
とぼけたふうなことを言う霞ヶ丘。
「あ、そうですか……」
とイグナーツはこれ以上相手にしなかった。
第一種魔法運転免許は霞ヶ丘も持っている。
まあ、彼女の場合は魔力がなさ過ぎて、こんな高度を運転するのは困難である。
だからまあ、『ドロップアウトの中からだと適任』という意味では、イグナーツは確かに適任である。
「……その、ゆかり先輩」
霞ヶ丘ゆかりの肩からぶら下がっているスケッチブックを見る。
ベルトのようなものを通していて、肩から引っかけている。
「……ゆかり先輩。その、本当に『
「なに、疑ってる? 私を?」
「そんなことは……いえ、少しは」
「あはは。正直でいいね」
と、笑う霞ヶ丘。
この距離感の近さはドロップアウトの仲の良さを表している。
特にこのスカーレット・イグナーツは年上でも目上でも容赦ない。
「そりゃあ、私はゆかり先輩の魔法を認めていますよ。でも、あんな化け物を倒すっていうのはまた違うんじゃないですか? どうやって止めるって言うんですか?」
霞ヶ丘ゆかりのお手製の魔法『
それが絵本や童話など、馴染みのあるお話をモデルにしたワンシーンを再現する魔法である。
イグナーツの持ち得る限りの記憶では、あんな『
まあ、あんまり絵本や児童文学に触れてこなかったというのもあるけど……。
「もしかして、神話大系の出来事を『
「まさかね。そんなの無理よ、時間も画力も足りないわ」
肩を
「でもね、私のお気に入りのお話を持ってきたわ。それはね、日本の授業で出るお話なのよ」
「ふうん?」
「私の魔法はね、条件があるのよ」
霞ヶ丘は言う。
「たとえば、一年生のときに『シンデレラ』の魔法で表彰されたわ。知ってる?」
「知っています。『無敵になれる魔法』だと聞きました。短時間という制限付きで」
「それは少し違うわね」
霞ヶ丘は言う。
「『短時間だけ無敵になれる魔法』なのよ。条件は別にあるのよ」
「別に? 条件って何ですか?」
「その解釈に納得していないといけないのよ」
「納得……?」
「たとえば、『使用人として生活をしてきたシンデレラが素晴らしいダンスで王子様の気を引いた』という部分なんだけど、これを
「? どうしてですか?」
「
ぱんっ、と手を合わせる霞ヶ丘。
「そういう解釈をしなくちゃいけないのよ。創るときにその辺りを詰めておかないと、ちゃんとした魔法にならないのよ」
「三段論法とかね、悪用できそうっすね」
イグナーツは納得したように
「ゆかり先輩の魔法は
「なかなかきつい評価だね。詭弁っていうのは」
ここで霞ヶ丘は本当に苦笑いをした。
とてもじゃないが褒め言葉ではない。
「……つまり、無理矢理に解釈して、化け物を破壊できる魔法を創ったということですか?」
「そうだね。でも、そんなに難しいことはしていないよ」
と、雑談をしているうちに前を飛行しているウッドロイとハウスが動いた。
それに合わせて、飛行する。
『
サイズはざっと見て三十メートルを越えている。着実に肥大化している。移動速度は自転車くらいの速度である。
速度は遅いといっても巨体が動いている。
建物が動いているようなものである。
周辺にある校舎を破壊しながら進んでいるため、
だから念入りに距離を取っての上空。
今は五十メートルの高さである。
「よし、いい位置だ」
ウッドロイが言った。
ひょいっ、と箒の上に両足を乗せて、立ち上がった。
全員がそれぞれに視線を合わせて頷いた。
「では、行くぞ」
そう言って、ウッドロイは跳んだ。
急降下して『
『かちん』――という音と同時に、ウッドロイは杖を引き抜いた。
上空から見ていたイグナーツたちからでは、何が起きたのかわからなかった。
『
どばああああああああああ! と、どす黒くて赤い液体が噴き出した。
『円』から出てきた『何か』が
これは霞ヶ丘の発想だった。
あんな脂肪と肉の塊であっても、あれが肉体で動いているということは筋肉ということだ。
それならば、脳や心臓、
ウッドロイによって切開された傷は、かなり深い。
どす黒い粘液と肉壁の中に、肋骨や背骨などが見えている。
それに少し小さいが臓器と思われるものもある。
「――ゆかり先輩、行きますよ」
「いいよ」
スカーレット・イグナーツが動いた。
イグナーツは、この作戦の要である霞ヶ丘を、この切開された肉の中に降ろすことだった。
箒と一緒に降下しながら、切開された『
どくん、どくん、と、脈打つ音に心臓の
「――『
ぱらぱら――と開かれたスケッチブック。その一ページが一瞬だけ燃えるように消滅した。霞ヶ丘の手元にはひとつの黄色い物体がある。
片手に収まる程度の大きさの物だ。
すぐ近くにある
「もういいよ。行こう」
「もういいんですか?」
イグナーツは霞ヶ丘を箒に乗せて飛行を再開した。
黄色い物体は、そのまま『
ふたりが体内から出てくると、ウッドロイはハウスに救出されていた。
地面に叩きつけられる前にウッドロイを回収するのがハウスの役割である。箒から屈み込むように伸ばしている手を握った状態でウッドロイはぶら下がっている。
「霞ヶ丘先輩、あの置いたものって何ですか?」
不安定ながらも箒は上昇して、『
「
立ち去ると同時に、後方で
内側から炸裂して、木っ端微塵に吹き飛んだ。