4.
「具体的に……」
「ん?」
「どうやって閉じるのかしら、あの『門』を」
オリオンは疑問を呟いた。
それは鳩原も考えていたことだ。
「そうだよな、あの『円』を『門』だとして、どうやって閉じればいいんだ? 部屋の鍵とはわけが違うはずだし……」
「何かアイデアが?」
「あるわけない」
現地に到着してできることを探すしかない。
できなければ撤退だ。
ウッドロイにしても
「そうね。では、少し考えてみましょうか」
オリオンは言う。
「そもそも、あの『鍵』は何なのかしら。それに『円』はいったい何なのかしら。紀元前からの『遺物』と、あの超常現象はどういう関係があるのかしら」
「それは、あまり考えないほうがいいんじゃないですか。たぶん、僕が考えても辿り着けないかもしれませんけど、オリオンさんは気づくかもしれないでしょ」
「おっと、それもそうですわね……」
今でこそオリオンは冷静だが、地下では全身を振り回して、
あれから先に行くと、フレデリック・ピッキンギルやニューボンド・カイロのように意識を失うのだろう。
鳩原は『鍵』に関して知っていることを、うっかり言葉にしそうになったが、踏み止まった。
もしも、ここで『ミスカトニック大学』と『ヒュペルボレイオス文明』のふたつの話をしていたら、オリオン・サイダーなら気づいたかもしれない。
フレデリックが専門としている『先史文明の魔法』という分野と、紀元前の遺物を研究している『ミスカトニック大学』、そして二十万年前の文明である『ヒュペルボレイオス文明』に関することが揃えば――それらが関係しているという点と点が線でつながれば、オリオンならば気づいたかもしれない。
それは、かなり危ない。
いつ気づいてもおかしくない。
「わたくしの視点から考察を――いえ、考えてはいけませんので、わかっている事実を理路整然と述べますと、あの『鍵』によって『門』が開いた――その『門』があの『円』なのでしょうけど、『開いた』というのは少し違うように感じます」
「と、言いますと?」
「あのとき、わたくしたちの眼前で『鍵』が反応したとき、閉じていたものを開いたという感じではなかったかのように思いますわ。感覚的なものですが……、そうですね、強いて言えば、あの『鍵』があの状態を維持しているというべきでしょうか――」
オリオンが少しふらついた。
それに伴って
地面と一緒に崩れ落ちてきたと思われる廊下っぽい床の上に。
ひと休みするには十分な広さだ。
オリオンはその場に
「それ以上はやめておきましょうよ。どうせ、僕に言ってもわかることはないんですから。それにわかっちゃいけないんですから」
「ですわね……」
オリオンにはあの、気がどうにかなりそうな頭痛が押し寄せてきているのだろう。
顔を上げたときの表情が光る球体に照らされた。目の焦点は合っていなくて、滝のように汗が流れていた。表情は引き
「わたくしはあの『鍵』そのものが『円』を、こちらのあちらの空間をつなげていると考えています……」
オリオンは再び顔を伏せた。
両手で頭をぐっと押さえている。
「……ごめんなさい、鳩原さん。ちょっと頭を押してくれませんか?」
「頭を?」
「どこでもいいですわ。ぐっと力を込めて押してもらえれば……」
ヘッドスパみたいなことを求められているのかな。
親指に力を込めて、頭頂部の辺りをぐっと押した。
「いいですわね、それ」
こんなものであの頭痛がどうにかなるものか……。
いや、気は紛れるのか。
「ええっと、さっきの話の続きですけど、
鳩原は話を戻す。
「……『門』は
「そう考えることができるわね。あるいは――それっぽい状態が維持されていると。これは提案ですけど、鳩原さん、あの『鍵』を解読していただけません?」
「そんなことをすれば……」
「いえ、大丈夫なはずですわ」
断言するオリオン。
「『鍵』を構成しているのは、あくまで先史文明の魔法。『遺物』なのですから、あの『鍵』の構造さえ理解できればいいんです。それを作った先史文明人の思想を理解する必要はありません。ただ構造さえ理解できれば、破壊できるはずです」
「閉じるのではなく、
組み上げられた術式は編み上げられた糸のようなもので、魔法として成立させている『結び目』に対して魔力を放つ。魔力を循環させようとするが、その回路が上手く作動しなくなる。
鳩原ができる数少ない手段。
鳩原こそ
「別に僕にそんな見せ場を用意してくれなくたっていいですよ。僕にできることはオリオンさんにもできるんですから。それにオリオンさんなら、いち早く構造を理解して、もっと手際よく破壊できるはずです」
「しれっとわたくしを最深部まで連れて行くつもりですわね」
「最深部まで行くつもりなのかと思っていましたよ」
「それも考えたのですが、危険ですわね。お送りするのは途中まで――ですわ。それをわたくしがすると、わたくしが壊れてしまうでしょうね」
顔を少しだけ上げた。
苦しそうにオリオンは言う。
「きっと解析しようとするとき、作り手の意図を考えてしまう。わたくしはもうすぐそこまで気づいてしまっているんです。あとほんの少し、何かの拍子に間違いなく踏み外します」
「…………」
それは僕も同じだ――と鳩原は思った。
『鍵』を解読するには、『鍵』に近づかなければならない。
それは『円』の目の前に立つということだ。
そのとき、自分は自分でいられるのだろうか。
「お待たせしました。ひと休みはこの辺りで」
オリオンがそう言ったので、頭頂部から手を離す。
「ありがとうございました。頭皮マッサージ」
「あ、いえ……」
オリオンは立ち上がって箒に跨った。
その後ろに鳩原は乗る。
まったく休めているというふうではない……。冷や汗も止まっていないし、呼吸の様子もおかしい。『円』のことを考えているせいなのか、はたまた
あるいはその両方か。
だんだんとクレーターの最深部にも近づいてきた。
遠目に見えていた白い点みたいなものが、『円』であると認識できる距離になってきた。
この辺りになると、『遺物管理区域』だった頃の形跡が多く残っている。
地面は図書館ごと泡に
『
真っ黒な粘液がこびりついていて、その周囲が崩れている。
「――――っと」
ふたりは、廊下がそのまま崩れ落ちてきたと思われる足場に着地した。
一緒に降下してきている光る球体を待つためである。いくつもの光る球体が落ちてきて、クレーターの底に落ちて、『円』の輝きしか見えなかった地面が見えるようになる。
オリオンは箒を握ったまま、地面に片膝をついた。
「大丈夫ですか?」
大丈夫なわけがないと思いつつ聞いた。
「やっぱり考え過ぎたから……」
「いえ、それもあるけど、この
びちゃびちゃびちゃびちゃ――と、オリオンは嘔吐した。
鳩原は目を逸らした。
今いる場所から、底のほうを見下ろす。
鳩原は小学生の頃に初めて屋上に上がって運動場を見たときの景色を思い出した。
丁度、その運動場の真ん中に『円』が浮かんでいるような距離感だ。
そんなときだった。
地響きのようなものがあった。
続けて、高く見上げなければ見えないほどのクレーターの外から爆発音が聞こえた。
足元が揺れて、周囲の建物の残骸が地滑りのようにクレーターの底に崩れ落ちていく。
ふたりが見上げていると、しばらくして周囲に真っ黒な雨が降ってきた。
それは樹液のように粘りついた生臭い雨だった。
『
ならば、あとはあの『鍵』だけだ。
「――あとはわたくしたちだけですわね」
『オリオンさん! 応答してください!』
オリオンの懐から声が聞こえた。
それは大きな声だった。
『こちらクアンタムです! クアンタム・ピースサインです! オリオンさん! 応答してください!』
「どうしたの?」
オリオンが胸ポケットから取り出したのは一枚のトランプだった。
鳩原は知る由もないが、クアンタム・ピースサインが作った魔法は『遠距離の通信を可能とする魔法』である。五十二枚のトランプでの通信が可能で、その一枚をオリオンが持っている。
トランプが通信手段になっていることくらいは、傍にいる鳩原にもわかった。
『大変です! 「
「し――失敗?」
鳩原とオリオンは目を見開いて顔を見合わせた。
ならば、この降ってきている黒い雨はなんだ?
『「
クアンタムという女の子はパニックになっている。
言うべきことがまとまっていない。
それでも、今伝えられることを少しでも伝えようとしている。
『
そのひと言。
その言葉に、凍りつく。
頭の中が真っ白になった鳩原は茫然としていた。
「――――すぐに行くわ」
と、トランプを胸ポケットに仕舞って、箒に跨った。
さっきまでの
「鳩原さん――あとはご自身で」
次の瞬間にはオリオンの姿は目の前からなくなっていた。
見上げると、既に高く飛び上がっていて、クレーターから飛び去って行った。
呆気に取られていながらも、鳩原は頭を切り替える。
たったひとり――取り残されて、今できること。
それは、あの『円』に辿り着くことだ。