３．

　図書館跡にして『遺物管理区域』跡。

　現場に案内されたときは、圧倒させた。

　もっと球体の半分だけみたいな削り取られ方をしているのかと思っていたら違っていた。

　前にニュースで見たことがある。

　地盤沈下による道路の陥没みたいだった。底がかなり深い。この穴に図書館の残骸や地面が崩れ落ちていて、『肉塊ミアマズ』が移動する際に撒き散らしている真っ黒な粘液が飛び散っている。

　かなりの悪臭。

　強烈に生臭い。じめじめとしている感じが沼みたいだ。

「こんなに深かったんですね」

　地下、これはどれくらいだろうか。

　数十メートルはある。

　クレーターの周辺には生徒会の魔法使いたちが光る球体を展開している。真夜中の工事現場みたいだ。ただ、底のほうは見えない。

　完全に日は暮れていて暗い。

『肉塊ミアマズ』の移動で火災が起きているが、それは暗闇を照らす灯りではない。

　炎はこの暗闇を、より一層恐怖に増幅させる。

「さあ、行きましょう」

　鳩原はとはらの隣に立っている人物が言った。

　オリオン・サイダーだった。

　こんな傾斜けいしゃ、そしてこんな足場が不安定な場所に魔法を使えない鳩原が踏み込めるわけがない。

　なので、付き添いが必要となる。

　そんな中で実力と瘴気しょうきがもたらした毒性に耐えられる人物として、オリオン・サイダーが名乗りを挙げた。

　オリオン・サイダーは箒ほうきに跨った。

　箒ほうきのメーカーまではわからないが、これは安物ではない。

　その後ろに鳩原が乗る。

　ふわりと浮遊して、周囲に浮かぶ光る球体と一緒にクレーターの中に降下していく。

　慌てず、ゆっくりと、だ。

　ぐらり、と、気分が変わる感覚があった。

　瘴気しょうきの毒性がある区域に這入った証拠である。

　鳩原には魔法が使えないから魔力が体内に溜まり続けていく。それが故に獲得している副産物的な瘴気しょうきに対する耐性である。

　ここは実力者揃いの生徒会が立ち入れないと判断した場所である。

「……『遺物管理区域』であれだけ動き回ったのは普通じゃありません。あなたも、あのダンウィッチというあの子は常軌を逸していますわ」

「おい、僕のことはいいけど、ダンウィッチのことをあまり悪く言わないでくれ」

「褒めているんですよ。いえ、皮肉でしょうか」

　そこらへんで物音が聞こえる。

　柱と思われる物体が横倒しになって、近くの岸壁に突き刺さった。地面は強引に削り取られたわけだから、かなり不安定な状態だ。

　いつ土砂崩れみたいになってもおかしくない。

　かつて床だったようなものや、建物を支えていた鉄骨のようなものなどが突き出している。

「……あの『門』の閉じ方はわかっているのですか？」

「わかっていないです」

「何か聞いていないんですか？」

「僕は何も聞いていないですよ」

　そういう意味じゃ、話し合いは足りていなかったなあ。

　ダンウィッチとのコミュニケーション。

　きっとダンウィッチはこれくらいのこと、想像できていたはずだ。それを喋ってもらえるほどに仲良くなれていなかった。

「いえ、言えなかったのではないですか」

「言えなかった？」

「協力してくれるという鳩原さんを失いたくなかったんでしょう。こちらの世界にも危険が及ぶかもしれないと言えば、協力してもらえないかもしれないと」

「そんなことは……」

「『そんなことはなかった』――と。本当に言えますか？」

　…………。

　…………わからない。

「そういうことですよ」

　と、オリオンは言った。

　しばらくの無言。

「わたくし……」

　先に口を開いたのはオリオンだった。

「地下で火災が起きたとき、本当に鳩原さんに失望したんですよ。がっかりしたんです」

「……まるで僕のことを評価していたみたいな言い方じゃないか」

「それは何度も言っていますわ。わたくしはあなたのことを評価していますの」

「嫌味や皮肉ではなく？」

「本音と本心ですわ」

「…………」

「よくない異性と関わって、変わったことをしちゃうのは、まあ誰にでもあることだと思いますわ。恋は盲目と言いますし」

　疲れているのか、落ち着いた喋り方をしている。

　普段のはっきりとした口調とは違う。

　これがオリオン・サイダーの素の喋り方なのか？

「あの火災は、本当にがっかりしましたね。そこまで物事の区別がつかないようになっちゃったんだって思いました」

「だったら、どうして僕を地下から助けたんですか？　間に合わなかったってことにして置き去りにしちゃえばよかったじゃないですか」

「助けられる人を見殺しになんてできませんわ」

　当たり前のことじゃない、と言わんばかりだった。

「……オリオンさんはどうして僕のことが嫌いなんですか？」

「え？」

　今まで気になっていたことを、これを機に訊ねてみた。

　オリオンがこっちを向いた。

　すぐに前を向き直した。

「むかついたんですよ、成績で負けたときに」

　かなりシンプルな答えが返ってきた。

「鳩原さんはどうしてわたくしのことが嫌いなんですの？」

「嫌われてるからですよ。あんなに嫌われてて、嫌味も皮肉も言ってくるんですよ。そんな奴のことを気に入るわけがないじゃないですか」

「あははっ、それもそうですわね」

　オリオンは愉快そうに笑った。

　嫌いな奴から言われた忠告は受けたくないし、推奨されたこともしたくなくなるし、反抗的な行動を取るようにもなる。

　そんなの、当然のことだ。

「……わたくしはね、あなたのことを評価しています。それでも、優秀な生徒として二位のわたくしが扱われて、あなたは正当な評価を受けていない」

「一般入試ですし、魔法が使えませんからね、僕は」

「それです。それがわたくしは気に入らないんです。学校のそういう姿勢にも腹が立ちますし、それを甘んじているあなたにも腹が立ちます」

「意外と怒ってるんですね、オリオンさん」

「言っても意味ないから言わないだけですわ」

　そこで会話が止まり、再び無言の時間になる。

「……何やってんだろって思ったんですよ」

　今度は鳩原が口を開いた。

「『遺物管理区域』に火が広がっていくとき、僕はそう思ったんです」

「あれはダンウィッチさんがやった仕掛けなのでしょう？　別に鳩原さんはしていないのではありませんか？」

「いや……どうなんだろうか」

　鳩原は上のほうを見る。

　降りてきた場所がだんだんと遠くなっていく。

「ダンウィッチがマッチを全部回収していたのは見ていたし、燃料を抜き取ったのだから、あんなやり方をしてもおかしくないとは考えることができたはずなんだ。ダンウィッチは『戦いは殺し』だって考えている子なんだ。そのことはわかっていたんだ。だから僕が前もってどうにかしないといけなかった。なのに……」

　なのに。

　目の前に炎が広がっていった。

　何やってんだろって思った。

　一ヶ月間、平和な土地で暮らしたダンウィッチなら戦闘と戦争にする戦い方をしないと、そんなふうに思っていたのか。

「……こんなはずじゃなかったのに」

　鳩原はそう呟いた。

　オリオン・サイダーは何も言わなかった。