2.
「そんなに敵視しないでほしい。今、僕たちは
あれ? いつものわざとらしい喋り方が違う?
怪訝な表情をする
「あれが素のわけがないだろう。人前じゃないときはこう僕も普通だよ」
と、言いながらウッドロイはベッドの傍らにあるパイプ椅子に座った。
「鳩原くん、きみからの話を聞きたくてね。『円』のことについては喋らなくていい。それを聞いてしまうと危ないらしいからね。だから、それ以外のことを教えてほしい」
端的にそう言われた。
少しだけ考える。
ダンウィッチが今後……と思ったところで考えるのを止めた。
(……もう後の祭りか)
ダンウィッチはいなくなった。
だったらもう、話しても大丈夫か。
「こんな話を信じてもらえるかわからないけど……」
と、鳩原はダンウィッチのことを話した。
彼女は異なる世界から『鍵』を求めてやってきた人物で、『門』を開くことが目的だった。
『門』を潜って、自分の世界に帰る作戦があった。
……話していながら、このあまりの
なんというか、目が覚めたような気持ちだ。
夢だったんじゃないかと思うような話を、自分でしていた。
それを
既にオリオンから聞いているだろうけど、『遺物管理区域』での出来事も話した。
『円』が現れるまでのことを。
ひと通り聞き終えて、
「うん。それを聞いている限り、ダンウィッチの作戦は成功していないだろうね。きっと『円』の出現時の熱で焼かれて消滅している」
と、ウッドロイは冷静に言った。
「ならば、我々にしなければならないことはふたつだ。あの『門』を閉じることと、あの『
「破壊って……、そんなことできるんですか?」
力なく鳩原は訊ねる。
話して気が楽になったというか。抱えていた荷物を降ろしたというか。
「ちゃんとしたことはわからないけど、私たちはそれが可能だと考えているよ」
鳩原の問いに答えたのは、霞ヶ丘だった。
「どうやるんですか……」
あれは――『
そんな、なんだかわからないものを、どうやって破壊するって言うんだ。
「
霞ヶ丘が言った。
「受肉……?」
「『円』の中から出てきた『何か』が、『遺物管理区域』に充満していた
「そんなことが……」
「
「…………」
「図書館全体が泡で覆われていたときは、内側で肉体の形成が行われていた。それが終えたから動き始めた。『
「そんな仮説に仮説を重ねたような憶測……、ちょっと都合が良すぎるように思いますね」
「あはは。それを鳩原くんが言うんだ」
霞ヶ丘は笑った。
耳が痛い言葉だと思って失笑気味に笑った。
確かに、その言葉は自分に返ってくる。
ダンウィッチと一緒になってしてきたことは、そういうことだから。
「それでもできることはしたい」
ウッドロイは言って、窓の外を
「あれを町に出すわけにはいかないからな。手段や方法は気にしないでいい。僕たちで進めている計画だからね。鳩原くんには安全なところに避難して、しっかり休んでほしい――
「お願いですか? この僕に? こんな滅茶苦茶なことをした
「中世の時代かよ」
ウッドロイは突っ込んだ。
そんなふうに反応してくれるのか、この人は。
「きっとね、鳩原くんの起こしたことは何のお
「……お願いっていうのは、何ですか?」
「『門』を閉じてきてほしい」
窓の外を指差すウッドロイ。
図書館があった方角だ。
「これはきみにしかできないことだよ、鳩原くん」
「そんなことないでしょ。死んで来いってことですか?」
『円』の周辺では何が起きるかわからない。
そんなの、遠回しに『死ね』と言っているようなものじゃないか。
いや、『死ね』と言われても何も言い返せないようなことをしてしまっている。
「そういう物騒な意図はないよ」
肩を
「オリオンさんの話を聞いて動いたのは先生たちだった。図書館跡に行って、『円』を目視した直後にそのほとんどが意識を失った。無事だった先生も激しい頭痛を訴えて出動できなかった。現状、アラディア魔法学校にいる教職員の過半数が仮死状態だ」
鳩原にも心当たりはあった。
あの『円』を見たとき、頭蓋骨が引き裂かれるような痛みがあった。
「これらの症例についての現時点の予想は『理解してはならないものを理解しそうになった。それから生命活動を守るための防衛本能によるもの』というのが現時点での考えだ」
「笑っちゃうよね、伝説級の魔法使いって肩書きなのにさ、みんな」
笑う霞ヶ丘の脇腹を、ウッドロイは肘で突いた。
「現時点で動けるのは、無知な子供たちである僕たちだ。そんな僕たちはあの図書館跡――いや、『遺物管理区域』跡に近づけない」
「? それはどうして?」
「
ウッドロイは言う。
「『遺物管理区域』は下の階層に行けば行くほどに『遺物』の危険性が高いものになっている。現状、あの場所には
放射性物質を取り除けば、その場から放射線がなくなるわけではない。
安全になるまで途方もない時間がかかる。
もっと身近な話で言えば、食中毒もそうだ。
食べ物や飲み物に潜んでいる菌は加熱すれば殺せるが、その菌がもたらした毒素までは加熱では壊せない。
「だから、耐性のある者しか動けない」
ウッドロイは続ける。
「毒素も瘴気由来のものだから対応方法も同じ……。健康診断の数値を見させてもらったところ、この学校には最下層での活動可能な生徒が五名います。そのうちのふたりが鳩原さんとオリオンさんだ」
「僕以外の四人じゃ、駄目なんですか?」
ウッドロイは軽蔑するような目でこちらを見た。
口調は変わらず、
「オリオン・サイダーは『円』の前で一度発狂しているから駄目だ。残りの三名は『行きたくない』と言っている」
そりゃそうか。
何がどうなるかわからない。死ぬかもしれないんだ。
そんなの、やった張本人が責任を取れと言いたくもなる。実際に開けたのはダンウィッチだったが、それに関わっていたのは鳩原だ。
「…………」
鳩原は黙った。
そう言われてしまえば、そうかもしれない。
でも、数時間前の自分とは違う。
もう、あの『遺物管理区域』に踏み入っていた頃の勇気はない。
無我夢中で必死になっていたときの気持ちは、ない。
「……私が言うのは出過ぎた真似かなって思ったんだけど」
下を向いたままの鳩原に、霞ヶ丘は言う。
「これをやるのは鳩原くんのやるべき使命よ」
「また
「ダンウィッチちゃんの話はわかったわ。あちらの世界では『門』が開いていて、浸食という現象が起きているのよね。それが具体的にどういうものかわからないけど、それはつまり、こちらの世界で『門』を開いたのだから、それと同じ状態が起きているんじゃない?」
「…………あ」
鳩原は気づいた。
もう消えていなくなってしまったダンウィッチが、ずっと気にしていたことだ。
鳩原がこの話を切り出していれば、きっとダンウィッチもあっさり打ち明けることができていた。だけど、鳩原はまったく気づかなかった。
ダンウィッチの話を真面目に聞いていたつもりだった。
だけど、彼女の話は現実味がなくて、そこまで考えていなかった。思い至らなかった。
「だから、鳩原くんを一緒に同行させたんじゃないの? 直前まで。最初に話を聞いたときは鳩原くんまで『遺物管理区域』に這入る必要はないと思っていたのよ。だって意味ないじゃない。一緒に行く意味。『鍵』を探せないのよ? なのに、同行させたのは――自分が『門』の向こうに旅立ったときのためだったんじゃないかな」
「――――」
「『鍵』は持って行っちゃうけど、『門』のことを実際に見てもらって、今後の解決に役立ててほしいと思っていたんじゃないかしら。知らないけどね」
「そんな……」
「こっちの世界には『鍵』がある。それを取ってきて『門』を閉じろ、と――」
でもね、と霞ヶ丘。
「想定されていた状況が違う。『鍵』はこちらの世界に残っている。それもご丁寧に開いた『門』の前に。さっき、償いの話をしていたわね。だったら、これはきみがしないといけないことよ」
霞ヶ丘ははっきりと言った。
「きみが始めたんでしょ。最後までやり遂げなさいよ」