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第40話 非常事態宣言発令中(2)


     2.


「そんなに敵視しないでほしい。今、僕たちは霞ヶ丘かすみがおかさんたちと協力して、あれの対策に回っているところだ」

 あれ? いつものわざとらしい喋り方が違う?

 怪訝な表情をする鳩原はとはらを見て、

「あれが素のわけがないだろう。人前じゃないときはこう僕も普通だよ」

 と、言いながらウッドロイはベッドの傍らにあるパイプ椅子に座った。

「鳩原くん、きみからの話を聞きたくてね。『円』のことについては喋らなくていい。それを聞いてしまうと危ないらしいからね。だから、それ以外のことを教えてほしい」

 端的にそう言われた。

 少しだけ考える。

 ダンウィッチが今後……と思ったところで考えるのを止めた。

(……もう後の祭りか)

 ダンウィッチはいなくなった。

 だったらもう、話しても大丈夫か。

「こんな話を信じてもらえるかわからないけど……」

 と、鳩原はダンウィッチのことを話した。

 彼女は異なる世界から『鍵』を求めてやってきた人物で、『門』を開くことが目的だった。

『門』を潜って、自分の世界に帰る作戦があった。

 ……話していながら、このあまりの荒唐無稽こうとうむけいさに自分で笑ってしまった。

 なんというか、目が覚めたような気持ちだ。

 夢だったんじゃないかと思うような話を、自分でしていた。

 それを嘲笑ちょうしょうすることもなく、ただ真っ直ぐに霞ヶ丘とウッドロイのふたりは聞いていた。

 既にオリオンから聞いているだろうけど、『遺物管理区域』での出来事も話した。

『円』が現れるまでのことを。

 ひと通り聞き終えて、

「うん。それを聞いている限り、ダンウィッチの作戦は成功していないだろうね。きっと『円』の出現時の熱で焼かれて消滅している」

 と、ウッドロイは冷静に言った。

「ならば、我々にしなければならないことはふたつだ。あの『門』を閉じることと、あの『肉塊ミアマズ』を破壊すること――このふたつだな」

「破壊って……、そんなことできるんですか?」

 力なく鳩原は訊ねる。

 話して気が楽になったというか。抱えていた荷物を降ろしたというか。

「ちゃんとしたことはわからないけど、私たちはそれが可能だと考えているよ」

 鳩原の問いに答えたのは、霞ヶ丘だった。

「どうやるんですか……」

 あれは――『肉塊ミアマズ』は『円』の中から出てきたものだ。

 そんな、なんだかわからないものを、どうやって破壊するって言うんだ。

 霞ヶ丘が言った。

「受肉……?」

「『円』の中から出てきた『何か』が、『遺物管理区域』に充満していた瘴気しょうきに触れた。それによって受肉を果たした」

「そんなことが……」

「…………」

「図書館全体が泡で覆われていたときは、内側で肉体の形成が行われていた。それが終えたから動き始めた。『孵化ふかしたみたい』って言っていたわね。あれがよくわからないものではなく、生きているなら、殺すことができるはずよ。どう? これを聞いた鳩原くんの感想は?」

「そんな仮説に仮説を重ねたような憶測……、ちょっと都合が良すぎるように思いますね」

「あはは。それを鳩原くんが言うんだ」

 霞ヶ丘は笑った。

 耳が痛い言葉だと思って失笑気味に笑った。

 確かに、その言葉は自分に返ってくる。

 ダンウィッチと一緒になってしてきたことは、そういうことだから。

「それでもできることはしたい」

 ウッドロイは言って、窓の外を一瞥いちべつした。

「あれを町に出すわけにはいかないからな。手段や方法は気にしないでいい。僕たちで進めている計画だからね。鳩原くんには安全なところに避難して、しっかり休んでほしい――、そういうわけにはいかなくてね。お願いをしにきたんだ」

「お願いですか? この僕に? こんな滅茶苦茶なことをしたつぐないとして、全員の前で首を吊れって言いにきたんですか?」

「中世の時代かよ」

 ウッドロイは突っ込んだ。

 そんなふうに反応してくれるのか、この人は。

「きっとね、鳩原くんの起こしたことは何のおとがめも受けないよ。『肉塊ミアマズ』の騒動と、『遺物』の不十分な管理体制を指摘されて有耶無耶うやむやになる。そこに罪の意識があるのならば、それはきみがひとりで背負っていればいい」

「……お願いっていうのは、何ですか?」


「『門』を閉じてきてほしい」


 窓の外を指差すウッドロイ。

 図書館があった方角だ。

「これはきみにしかできないことだよ、鳩原くん」

「そんなことないでしょ。死んで来いってことですか?」

『円』の周辺では何が起きるかわからない。

 そんなの、遠回しに『死ね』と言っているようなものじゃないか。

 いや、『死ね』と言われても何も言い返せないようなことをしてしまっている。

「そういう物騒な意図はないよ」

 肩をすくめるウッドロイ。

「オリオンさんの話を聞いて動いたのは先生たちだった。図書館跡に行って、『円』を目視した直後にそのほとんどが意識を失った。無事だった先生も激しい頭痛を訴えて出動できなかった。現状、アラディア魔法学校にいる教職員の過半数が仮死状態だ」

 鳩原にも心当たりはあった。

 あの『円』を見たとき、頭蓋骨が引き裂かれるような痛みがあった。

「これらの症例についての現時点の予想は『理解してはならないものを理解しそうになった。それから生命活動を守るための防衛本能によるもの』というのが現時点での考えだ」

「笑っちゃうよね、伝説級の魔法使いって肩書きなのにさ、みんな」

 笑う霞ヶ丘の脇腹を、ウッドロイは肘で突いた。

「現時点で動けるのは、無知な子供たちである僕たちだ。そんな僕たちはあの図書館跡――いや、『遺物管理区域』跡に近づけない」

「? それはどうして?」

瘴気しょうきの影響だ」

 ウッドロイは言う。

「『遺物管理区域』は下の階層に行けば行くほどに『遺物』の危険性が高いものになっている。現状、あの場所には瘴気しょうきはほとんど残っていない。『肉塊ミアマズ』が受肉する際に栄養としてその多くを取り込んだからだ。だけど――瘴気しょうきがなくなれば、その場に危険がなくなるなんて都合のいい話はない。汚染された場所には毒素は残る」

 瘴気しょうきが与える人体への悪影響はあるが、それは『荒廃した魔力』が含んでいる毒性によるものである。

 放射性物質を取り除けば、その場から放射線がなくなるわけではない。

 安全になるまで途方もない時間がかかる。

 もっと身近な話で言えば、食中毒もそうだ。

 食べ物や飲み物に潜んでいる菌は加熱すれば殺せるが、その菌がもたらした毒素までは加熱では壊せない。

「だから、耐性のある者しか動けない」

 ウッドロイは続ける。

「毒素も瘴気由来のものだから対応方法も同じ……。健康診断の数値を見させてもらったところ、この学校には最下層での活動可能な生徒が五名います。そのうちのふたりが鳩原さんとオリオンさんだ」

「僕以外の四人じゃ、駄目なんですか?」

 ウッドロイは軽蔑するような目でこちらを見た。

 口調は変わらず、

「オリオン・サイダーは『円』の前で一度発狂しているから駄目だ。残りの三名は『行きたくない』と言っている」

 そりゃそうか。

 何がどうなるかわからない。死ぬかもしれないんだ。

 そんなの、やった張本人が責任を取れと言いたくもなる。実際に開けたのはダンウィッチだったが、それに関わっていたのは鳩原だ。

「…………」

 鳩原は黙った。

 そう言われてしまえば、そうかもしれない。

 でも、数時間前の自分とは違う。

 もう、あの『遺物管理区域』に踏み入っていた頃の勇気はない。

 無我夢中で必死になっていたときの気持ちは、ない。

「……私が言うのは出過ぎた真似かなって思ったんだけど」

 下を向いたままの鳩原に、霞ヶ丘は言う。

「これをやるのは鳩原くんのやるべき使命よ」

「また仰々ぎょうぎょうしい言い回しですね。使命ですか……」

「ダンウィッチちゃんの話はわかったわ。あちらの世界では『門』が開いていて、浸食という現象が起きているのよね。それが具体的にどういうものかわからないけど、それはつまり、こちらの世界で『門』を開いたのだから、それと同じ状態が起きているんじゃない?」

「…………あ」

 鳩原は気づいた。

 もう消えていなくなってしまったダンウィッチが、ずっと気にしていたことだ。

 鳩原がこの話を切り出していれば、きっとダンウィッチもあっさり打ち明けることができていた。だけど、鳩原はまったく気づかなかった。

 ダンウィッチの話を真面目に聞いていたつもりだった。

 だけど、彼女の話は現実味がなくて、そこまで考えていなかった。思い至らなかった。

「だから、鳩原くんを一緒に同行させたんじゃないの? 直前まで。最初に話を聞いたときは鳩原くんまで『遺物管理区域』に這入る必要はないと思っていたのよ。だって意味ないじゃない。一緒に行く意味。『鍵』を探せないのよ? なのに、同行させたのは――自分が『門』の向こうに旅立ったときのためだったんじゃないかな」

「――――」

「『鍵』は持って行っちゃうけど、『門』のことを実際に見てもらって、今後の解決に役立ててほしいと思っていたんじゃないかしら。知らないけどね」

「そんな……」

「こっちの世界には『鍵』がある。それを取ってきて『門』を閉じろ、と――」

 でもね、と霞ヶ丘。

「想定されていた状況が違う。『鍵』はこちらの世界に残っている。それもご丁寧に開いた『門』の前に。さっき、償いの話をしていたわね。だったら、これはきみがしないといけないことよ」

 霞ヶ丘ははっきりと言った。

「きみが始めたんでしょ。最後までやり遂げなさいよ」


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