目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第38話 門 Observer


     7.


 何かが起きた。

 それは、付近にいた鳩原はとはらやオリオンにも理解できた。

 それでも――何が起きたのかは理解できなかった。

『鍵』を中心に、三メートルの範囲内にあったものがすべて消滅した。

『遺物』も、本棚も、空気も――姿、だ。

 刹那せつな

 それが『熱』によるものだと、オリオン・サイダーは理解した。

 この超自然的な現象は、この一瞬で三メートルの範囲だけを残滓ざんしひとつとして残すことなく消し炭にして蒸発させた。


 その『鍵』は、宙に浮かんでいた。

 空中に、ぴったりとはまったように浮いている。


 その『鍵』の先端から真っ黒な波紋はもんが発生していた。

 波紋は際限さいげんなく拡がっていく。

 暗黒とも呼べるその波紋は、中央から少しずつ赤く染まり始めた。それは次第に青くなり、数秒のうちにそれは白になった。

 その波紋は、やがてひとつのえんになった。


 それは、真っ平な円だった。


 どの角度から観測しても、それは間違いなく『円』である。

 打ち上げ花火を見たとき、どの角度から見ても同じに見えるように――そして、その『円』には厚さがない。

『円』であるにも関わらず、ふたりは一本の線を見ているようだった。

 その『円』の輝きを見ていると、呑み込まれるような感覚におちいった。


 空洞くうどうの奥に広がる闇のようなものが見える。


 その闇はどこまでも永遠に続いていて、その中で不規則に並んでいる銀色の輝きを見た。

 まるで星空のようだ――と、ふたりは思った。

 ずきん……と、脳髄のうずいの奥がきしむ痛みを感じた。


 これが、窮極きゅうきょくに到るための『門』――。


 ずきん……、ずきん……。

 ずきん……、ずきん……。

 このとき、鳩原は神経が捩じ切れるような痛みを感じていた。

 だけど、その『円』が何なのか考えるのを止めることができなかった。

「――――」

 鳩原は、一歩、また一歩と踏み出して、『円』に近づいていく。

 食い入るように、呑み込まれるように、引き込まれていく。

「見ちゃ駄目!」

 オリオンはそんな鳩原の顔を両手で掴んだ。

 ぐいっと顔を回転させた。こつん、と額と額がくっついた。

「お、りお――ん――」

 オリオンの手は震えていて、手汗で濡れていた。

「わたくしの眼を見て! 絶対に! 目を逸らさないで‼」

 もはや金切り声の絶叫だった。がちがちと凍えるように歯を打ち鳴らしている。

 顔を掴んでいる指に力が込められる。爪が喰い込んでくる。

「うう――」

「うううう――」

 ずきん……、ずきん……。

 ずきん……、ずきん……。

 このとき、鳩原が感じていた神経が引き裂かれるような痛みを、オリオンも感じていた。

 あの『円』の奥を一瞬だけ見て、ダンウィッチの『泡』と似たものを感じていた。

「うう、うううううううう――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼」

 先に限界を迎えたのはオリオンだった。

 全身の血管内を虫が這いずり回っているような、そんな悪寒。ギリギリまで理性を保っていたが耐えられなくなった。

 オリオンは両足をその場で踏み鳴らす。その場で絶叫しながら両手と頭を振り回し始めた。その際に鳩原の顔面を爪で引っ掻いた。目の下のほうから斜めに皮膚を引き裂いた。

「っ! オリオンさん!」

 今度は鳩原がオリオンの顔面を掴む。

「オリオンさん! 落ち着いて! オリオンさん! オリオン・サイダー‼」

「うううううううう――」

 かちん――という音が聞こえた。

 床に対して魔力が放出された。その勢いでふたりの身体は宙を舞う。

 中央フロアの天井は高いが、『円』の出現しているこの区画は床と天井に三メートルくらいしかスペースがない。棚に収まらない『遺物』は平然と通路に並べられている。

 棚の上をいくつか飛び越したところで、ふたりは落下する。勢いよく床に叩きつけられる。

 鳩原は痛みにもだえながら身体を起こした。

(――『円』)

 このとき、『円』のほうを見た。


『円』から何かがこぼれ始めていた。


 ごぼごぼ、こぽこぽ、ぽこぽこ……。

 泡のようなものが、その『円』から溢れてきた。

 ダンウィッチの極彩色の泡と同じだと思った。泡のようなものは指数関数的に増殖していく。泡が泡を呑み込むようにして増えていく。

「――――」

 呼吸さえ忘れて、その様子を見ていた。

 そんな鳩原の身体が勢いよく引っ張られた。

 全身を掴んでぶん回されたかと思ったら、そのままのことが起きていた。

 鳩原が『円』を食い入るように見ている最中に、オリオンも起き上がっていた。オリオンは周囲にある『遺物』の中からほうきを手に取った。

 これ以上、あの『円』を知るのは危険だ。

 すぐに撤退する。

 箒に跨ったオリオンは、魔法で鳩原を引っ張り上げて、後ろに乗せた。

 箒は飛行を開始する。

 すぐに百キロ以上の速度に到達する。

 急激に速度が増して、意識が途絶えそうになる鳩原。

(あの『円』は……)

 振り返りそうになるが、やめる。

 ぐっと目を閉じて、オリオンにしがみついた。

 このとき、遥か後方の『円』から零れ落ちた泡は指数関数的に増殖し、通路全体を埋め尽くしていた。

 ふたりが中央フロアに飛び出してきたときには、すぐ後ろには泡が迫ってきていた。

 杖を振りかざして、乱暴に扉を開けて、地上につながる階段を飛行する。中腰にならないといけないような階段を高速で飛行する。

「――しっかり掴まってて!」

 少しでも身体を動かせば、天井か壁にこすれて一瞬ですり身になってしまう。

 地下から図書館内に飛び出した。

 すぐ後ろに物量で迫ってくる泡。通路を強引に捩じるように移動し、図書館内の広い空間に出た。一階と二階をまとめてひとつのフロアにしているこの空間。その先――天井高くに向けて飛んでいく。天窓に速度を落とすことなく、突っ込んだ。

 杖を振って、窓を木っ端微塵に吹き飛ばす。残骸が散る。


 ふたりは――外に出た。


 外に出たところで次第に減速し、地上から数百メートルの位置で停止した。

「はあ……っ、はあ……っ、はあっ!」

 呼吸が乱れているオリオン。

 彼女にしがみついている鳩原は飛行中の激しい動きで意識を失っていた。


 彼女の遥か下方。

 地上には玉虫色の泡が、幾何学きかがく的に幾層いくそうにも連なっていた。

 それはやがて図書館全体を大きく、ひとつの泡として覆い尽くした。




コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?