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第33話 遺物管理区域(2)


     2.


 オリオン・サイダーは名家の跡取り娘である。

 魔法の才能に恵まれている彼女は、『魔力をそのまま出力して扱う』というシンプルな手段を用いる。魔力が尋常ではなく無尽蔵なオリオンにとって、魔力をそのまま扱ったほうが楽だからである。

 シンプルであればあるほどに、魔法は強い。

児童文学型模倣術式ロングロングアゴーズ』で現出した小人は一掃された。

 七人いた小人は、一人として残らなかった。

 時間稼ぎにさえならなかった。

 鳩原が霞ヶ丘かすみがおかゆかりから譲渡じょうとされた魔法はこれで使い果たしたことになるが、それはオリオンにはわからない情報だ。オリオンの立場であれば、自然とこんなふうに考える。

 ほかの『児童文学型模倣術式ロングロングアゴーズ』を受け取っている可能性を。

「…………」

 この暗闇のどこかに鳩原はとはら那覇なはとダンウィッチ・ダンバースがいる。

(彼はこんなことでは終わらせないでしょうね)

 オリオンは安心しない。

 小人が七人、消滅している。

 それなのに投降してこない。

(――まだ何かある)

 オリオンの鳩原に対しての評価は少し高過ぎる。

 それは、あらゆる場面で成績やら試験やらで出し抜かれているから、彼女の視点からすると当然とも言える。

 オリオンは基本的に『他者が自分より下の立場である』ということを自負している。

 対等に見ていない。

 だからこそ、優しくあれるし、甘くあることができる。

 そんな中で、自分と対等――あるいは、敵愾心てきがいしんに似た感情を向けているのは鳩原である。

 だから、彼女は鳩原に対して優しくない。

 オリオンの考える鳩原ならば、こんな『時間稼ぎにも満たない策』で終わりなわけがない。

 となると……何をする?

 彼ならば、こんな状況、あるいは――自分ならばどうする?

 何か、探し物があるのだとすれば、それを見つけるための時間を欲するはずだ。

「――――」

 オリオンはがした。

 しかし、その直後に――少し離れた位置で、何か音が聞こえた。

 すぐにあかりのようなものが見えた。

 炎? いや、違う。これは魔法による灯りだ。

 その灯りを見た瞬間に、オリオンの身体が停止した。

「…………」

 動かない。

 彼女の意志ではなく、何かが作用していることを察知した。

 その灯りをじっと見つめる。

 自分からそう遠くない距離に、その灯りがある。

 まるで蝋燭ろうそくの火のようで、揺蕩たゆたっている。

 オリオンの唇が動き、声が出せることを確認してから言った。

「『栄光の手アルベール』ですわね」

 暗闇の中で、ぼうっと見える灯火ともしび

 その火は鳩原の手のひらの上にある火だ。

 真っ暗闇の中、見つけられなかった鳩原はすぐ近くにいた。

「…………」

 と、鳩原も何も言わない。

 ぼんやりと見える鳩原の表情は――無表情だ。

 彼はもう片方の手には一冊の本がある。ページは開かれている。

栄光の手アルベール』。

 それは絞首刑を受けた罪人の死体の脂肪から作られた蝋燭のことである。

 この『蝋燭』に火が灯っている限り、その火を見ている人物に対して『何かしらの現象』が起きるというものだ。

 そのひとつが『火を見ている者が動けなくなる』というものである。

 ……かつてヨーロッパの作られた、この『蝋燭』は泥棒に大変喜ばれる『遺物』だった。

 ただ――鳩原が今、死体の脂肪から作り出された蝋燭ではではない。

 彼が手にしているのは、一冊の本――『栄光の手アルベール』だ。

栄光の手アルベール』の書物が世に出たのは十六世紀のことだが、その書物に記載されているこの『蝋燭』の作り方が広まったのは十八世紀になってからだ。製造方法を記載した書物が行商人の手によって、ヨーロッパ中に運ばれたのだ。

栄光の手アルベール』の作り方を記した書物も製造された蝋燭も『遺物』として保管されている。

 そんな中で、今、鳩原が手にしているのは十八世紀に廉価版として出版されたものである。自分自身の手をその蝋燭の代わりとして見立てることで、疑似的に近しい現象を起こす魔法が組み込まれている。

「……そうね」

 オリオンは溜息混じりに言う。

「魔法をろくに使えない鳩原さんでも、微量の魔力を使うだけで魔法として現象を起こせる。この方法ならば魔法を使うことは可能ですわね」

『遺物』の仕組み自体は基本的な魔法である。

 霞ヶ丘かすみがおかゆかりの『児童文学型模倣術式ロングロングアゴーズ』も、学校に仕掛けられている防犯魔法も仕組み自体は同じものだ。

 ただ、それらの使われ方がよくなかったり、文化的価値があるとされたりしたとき、扱いは『遺物』というものになる。

 これらの『遺物』がもたらす危険性。

 これが問題視されていながら、学校の敷地内にあるのは、それらが、学校で対応が可能だからである。

栄光の手アルベール』は有名な『遺物』である。

 こういうものに対しての対策を教えているのが魔法学校である。

「それ、足止めとしては――少し弱いわね」

 ぱちっ、とオリオンは目を閉じた。

 眼窩がんかの奥に焼きついていた『栄光の手アルベール』の火は、少しずつ暗闇に溶けていく。

 指が動く。手が動く。足が動く。

 全身が――動く。

 対策は簡単である。

 その火によって印象付けられたものが続けば続くほど、影響が出るが、こんなふうに目を閉じてほかに意識を逸らして、火の存在を自分の中で掻き消してしまえば、介抱される。

 魔法の適応外だ。

 目を瞑ったままのオリオンが動いたとき、同時に鳩原が動く――音が聞こえた。

 どさっ、と床に落ちる音が聞こえた。

 目を開く。

 すると、さっきの火は消えていた。

 鳩原がいた場所に行くと、床には『遺物』が落ちていた。

(なかなかぞんざいに扱ってくれるわね……)

 いや、でもまあ、こんなもの、そんなふうに扱われて当然か……。

 この『遺物管理区域』では、『遺物』の危険性に応じて区域が分かれている。

『遺物』のもたらす危険性もあるが、それらの希少性などによって区分されている。

 この『栄光の手アルベール』に関しては十八世紀にヨーロッパ中に拡散した『遺物』のひとつであるため、対策も簡単で、丁重に扱われるほど貴重なものではない。

 とはいえ、ぞんざいな扱いをするのは……オリオンとしてはあまり好ましくない。

(それにしても、彼の人間性が見えてくるわね)

 周囲に意識を向ける。

 走る音が聞こえる。オリオンは追いかける。

 その通り過ぎて行く棚に収められている『遺物』の多くが、『魔女狩りの時代』に魔法使いを殺すために使われたものである。『鉄槌てっつい』なんてその際たる例でもある。

 だというのに、足止めとして、それらの『遺物』を選ばない辺り……彼の人間性だ。

 そこに屈辱くつじょく的な感情は生まれることはない。

 これをむしろ『素晴らしい』と彼女は考える。

 たったったった――と、聞こえる足音。

 物音。本棚で状況に応じた『遺物』を探しているのかもしれない。

 なんとなく、位置がわかった。

 オリオンは足元にぐっと力を入れる。

『かちん』――という音がした。

 魔力を床に発生させて、その威力で飛び上がった。

 決して広いとは言えない本棚と本棚の隙間を風のように駆け抜けて、別の棚を見分していた鳩原を見つけた。

 鳩原と暗闇の中で目が合った。

 瞬間。

 鳩原に口角が少しだけ上がった。

「!」

 何かを察したときには既に遅い。

 周辺には細いワイヤーが張り巡らされていた。

 そのまま突っ込む前に、咄嗟とっさに杖を構えた。

 魔力を放出して、ワイヤーを振り払う。

『かちん』――と杖の先端から光が散った。

 このオリオンの条件反射とも言える行動を――鳩原は読んでいた。

 これに気づいたときには、オリオンは既に遅い。既に条件反射で行動をしているからだ。

 この仕掛けられているワイヤーは魔力を吸い上げる性質のある糸である。授業などでも使われるもので、安いものであればどこにでも売っている。

 値段の差はその糸の耐久性にある。

 オリオンの放った――ワイヤーを振り払うための魔力を、その糸が吸い上げる。

 しかし、安物なので耐久性がない。

 オリオンの魔力を吸い上げて、ワイヤーが状態を保てるわけもなく、内側から破壊が起きた。

 ぱんっ! ぱぱん! ぱん! と、ワイヤーは破裂した。

 その衝撃で、滞空たいくう中だったオリオンの身体はそのまま後方に吹き飛ばされる。本棚の上をいくつも越えて、中央フロアにある大きなテーブルの上に背中から叩きつけられた。

 かなり距離を飛ばされた。

 テーブルの上から床に転がり落ちる。

「う……く」

 床に手をついて身体を起こそうとしたときだった。


 ぴちゃ、と。

 手のひらに感触があった。


「――――」

 そういえば。

 ――

 鳩原が引きつけて、ダンウィッチが探すという役割分担しているのだと思っていた。

 だけど、もし――分担をせずに、オリオンの迎撃に関わっていたら?


 そういえば、オイルランプから抜き取られた燃料はどこにいったんだ?


 このとき、オリオンからそう離れていない場所に横倒しになっている缶状の容器があるのを見つけた。

 次の瞬間。

 かしゅ――という音が聞こえた。

 そっちを見ると、暗闇の中でぽつんと火がいていた。

 一瞬だけ魔女の格好をした少女の姿が見えた。

 その少女の手にあった火は、宙にばら撒かれる。

 それは大量のマッチの火だった。


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