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第32話 遺物管理区域(1)


     1.


 鳩原たちの行動は、オリオン・サイダーや生徒会から警戒されていた一方で、学校側――つまり、先生たちはどんなふうに見ているのかと言えば、まったくもって眼中になかった。

 九月の中頃に起きた侵入者騒動も、先生たちは気にしてすらいない。

『そんなことは気にすることではありませんよ』

『子供たちと同じ目線でいてどうする、我々は大人だ』

『子供のすることです。いざというときにそれをたしなめることこそが、大人の役割です』――と。

 余裕のある振る舞いをしていた。

 とはいえ、全員がそういうわけではない。中には神経質な先生もいる。

 極端な例として『子供は大人の出来損ないだ』と言っている先生だっているくらいだ。大人は、周りが思っている以上に子供のことが嫌いなのである。『自分に不利益をこうむるなら叩き潰す』と考えている先生だっている。

 いるにはいるが、先生たちにもパワーバランスがある。

 それに、倫理観も持ち合わせている。

 少し危ういが、それでもどうにかバランスは保たれている。

 とはいえ、この学校内で起きていた侵入者騒動も、『遺物管理区域』に侵入者がいることを告げる防犯魔法の警報さえ『生徒会に任せておけば大丈夫』と考えていた。

 楽観的と言えば、楽観的。

『万が一に何かが起きても、自分たちにならどうにかすることができる』という自負が、伝説級の魔法使いの先生たちにはある。

 ただ、これにはダンウィッチ・ダンバースという存在が勘定に入っていない。

 学校側の態度とは異なり、生徒会の行動は『危険を未然に防ぐ』という意識のあるものだった。生徒会によって防犯委員会が設立されたのは、この学校のこういう体制を見て芽生えた防犯意識によるものというのもある。

(……教育者をこころざした方々ではありませんものね)

 オリオンはこの学校の先生たちを見て、そんなふうに思っていた。

 教育者を目指してこの学校にやってきた先生なんて珍しい。ほとんどは天才としてその才能を遺憾いかんなく発揮はっきして、その道をきわめようとしたら、若人わこうどを導く立場になってしまった者たちだ。

 当人たちの多くが、現状の立場に対して強い不満を抱いている。

 だからまあ、仕方ないとは思う。

(だから、この学校はこんな教育体制を招くのでしょうね。発言力と権限けんげんを持っている方々が教育に対して関心がありませんものね)

 オリオンがこの学校に対してうんざりとしているのは、そういうところだ。

 生徒も変わっているが、それがかすむくらいには先生たちもおかしい。

 これは悪い意味で。

『個性が強い』のはいい意味でも悪い意味でも捉えることができる。少なくともオリオンは『個性が強い』のを好意的な視点から見ている。だけど、オリオンはこの学校の先生たちの『個性の強さ』に対しては好ましく思っていない。

 つまり、先生たちを信用していない。

 オリオンのこの気持ちはいろいろと表現の仕方はあるだろうけど、一番わかりやすく、態度に直結する言葉はこの言葉だ。

 オリオンが鳩原とダンウィッチの行動を警戒している理由として、そこが噛んでくる。

 彼らが何かをしたとき、学校の穏健おんけんな先生ではなく、過激な先生が動いたら、どんなことになるのか予想もできない。

 生徒を殺してしまってもおかしくない。

 あまり個人の主張は表に出さないようにして控えているつもりのオリオンとしても、この学校のそんなやり方は意に沿わない。

(伝統と名誉ある魔法学校――ねえ)

 年上は尊敬している。

 どれだけ才能と技術と知識があったところで、経験には及ばないとオリオンは思っている。才能と身分に恵まれているからこそ――才能では経験にはかなわない、と。

 経験に適うことは、ない。

 たった十七年を生きただけの自分では、何十年と経験を積んできた大人たちには適わない。

 尊敬している。

 好ましく思うかどうかは別だ。


「……さて」

 オリオンが図書館に到着した。

 普段、施錠されているはずの場所が開いていた。既に侵入している証拠だ。

 オリオンは館内を歩いていく。周りは本棚に囲われている。小柄な彼女からすれば、周りの本棚は自分の身長の二倍くらいある。

 その足取りに迷いはない。目指しているのは『遺物管理区域』だ。

「…………」

 この時点で、オリオンは妙な気配を感じていた。

 自分の周りに何かいる。

(鳩原くんとダンウィッチさんだけだと思っていましたけど……)

 無視するべきか、様子を見るべきか。

 少し迷って様子を見ることにした。このまま真っ直ぐ歩いていけば『遺物管理区域』につながる扉の前まで行けるが、そのまま通路を右に曲がった。

 図書館一階の外れのほうにあるフロアに這入る通路である。

 オリオンがまだ『具体的にどう様子を見るか』と考えている最中だった。

 そんなタイミングを、見計らったかのように――相手が動いた。

 丁度通路を曲がったときだった。

「…………っ!」

 それは大砲のような破裂した音だった。

 爆風が発生して吹き荒れる。その爆風で近くの本棚が倒れていて、収められていた立派な装丁の本が周囲に飛び出す。それが未だに発生している爆風によって、ぐちゃぐちゃになって紙吹雪になる。

 オリオンは咄嗟に杖を取り出していた。

『かちん』――と、杖の先端が光る。

 魔法を使うのではなく、周囲に魔力を放出した。

 魔力で作った壁が、爆風から身を守った。

「――……!」

 視界の片隅で何かが動いた。

 杖をその動いた物体に合わせて、尖端せんたんから魔力を飛ばした。

 豆粒のような小さな魔力の塊は、そのまま物陰から物陰に移動しようとする何かを確実に貫いた。貫かれたそれの身体はくの字に曲がって、そのまま壁に叩きつけられた。

 それは、ずびずびと鼻水を垂らしている――小人こびとだった。

小人ドワーフ……!)

 過去に絶滅したはずの種族である。

 生き残りがいた――なんてことはさすがにない。

 小人は少しだけ苦しんで、霧のように消滅した。

 最初から何もなかったかのように。

(……これは魔法)

 本当に鳩原とダンウィッチだけか?

 鳩原は魔法を使えないし、ダンウィッチは……どうだかわからないが、オリオンから見て魔法を使える人物ではないという認識だ。

 使えたとしても、こんな器用な真似はできない。

(ほかに誰かが、まぎれ込んでいる?)

 オリオンにはそんな疑問が浮かぶ。

 いや、そんなはずはない。

 鳩原は友好関係が広いが、他者との距離感には決定的な壁が存在している。

 きっと彼や彼女にとってこの作戦は大事なものだ。

 必要以上に人を巻き込むとは考えにくい。

(それに、さっきの小人ドワーフの魔法は、霞ヶ丘かすみがおかゆかりのお手製の魔法によく似ている……)

 目的に合わせた魔法を作る授業がある。

 そんな中で過去に優秀賞を取っているのが霞ヶ丘ゆかりである。女子の寄宿舎のロビーには彼女が表彰されたときの写真が飾られている。

 ごく少量の魔力で、その現象を引き起こすことができる――そういう魔法だった。

 そのとき表彰されていたのは、シンデレラのワンシーンを再現した魔法だった。

 今まで使用人同然の扱いを受け続けてきた少女が舞踏会で王子様とダンスを踊るシーンを再現した魔法。

 今までダンスなんてしたことがないはずのシンデレラが王子様を魅了するシーン。これに由来するところで、様々な条件の元で『短時間だけ華麗かれいで無敵になれる』という魔法をデザインした。

 魔法のデザイン方法は人にもよる。

 古い時代では儀式上や魔法陣などがまさにそれである。審査員からの評価が集まったのは、霞ヶ丘の魔法のデザインがである。色彩や筆の太さなど、そういう細かい部分に意味を込めてデザインしていた。

 その繊細さで、尚且なおかつ――それだけ手間をかけているというのに『使い切り』であるという点が評価された。

 霞ヶ丘ゆかりが作る魔法の最大の特徴は『誰にでも使える』という点にある。

 これはアラディア魔法学校の古い魔法の在り方には沿わない、どちらかと言えば近代魔法の分野に近い価値観である。

(『誰にでも使える』というなら、その一部を鳩原さんが受け取っていて、使ったということかしらね)

 魔法を使うための魔力をろくに出力できない彼だが、微量の魔力で発動させることができる霞ヶ丘ゆかりの魔法であれば、発動させるだけならば可能なはずだ。

(それがさっきの小人ドワーフ

 ちらっと、別のほうに視線を向けると、離れた位置から物陰に隠れてこちらを見ている小人がいた。

 撃ち抜こうと杖を構えたが、すぐに姿を隠された。

 オリオンは深追いせず杖を降ろした。

 どのみち行く先は同じだ。

 オリオンは歩みを進める。その歩みに迷いはない。どこに潜んでいるのかを闇雲に調べる必要はない。

 間違いなく地下に侵入しているし、何かを探そうとしているのは間違いない。

(何を探そうとしているのだろうか……)

 さっきの小人。

 これが霞ヶ丘の魔法であるならば、彼女の好みが反映されているはずだ。児童文学を好んで題材にしているのは知っている。あるいは古典文学か。

小人ドワーフというなら……『白雪姫』かしら。ならば、さっきの大くしゃみはスニージーで、こそこそと隠れていたのはバッシュフルかもしれないわね)

 と、考えられることを考えてみる。

 周りでこそこそと移動している気配は感じながらも、オリオンは『遺物管理区域』に続く両開きの扉の前にやってきた。

 本来ならばそこにあるはずのオイルランプが置かれていない。持ち去った……いいや、既に使用しているということなのだろう。

 扉を開くと――先にあるのは闇だった。

 古いままの石造りの壁と床。ほこりに混じっているこの臭いは、オイルだろうか。

 オリオンは再び杖を取り出した。

『かちん』――と光が散ると、周囲に発光する光の球体がひとつ出現した。燃えているわけではない。蛍光灯などの電気に近い光である。この灯りで足元を照らして階段を降りて行く。

「…………」

 後ろをついてくる気配もする。

 足音もなく、静かだが、確かに視線を感じる。

 それほど時間もかからずに、拓けた場所に出た。

「おや」

 と、オリオンは呟いた。

 目の前には背の高い冷たい無機質な鉄の扉がある。

 

(てっきり鳩原さん辺りが待ち構えているとばかり思っていましたのに)

 その傍らにある台の上に、オイルランプが置かれている。既にふたりはこの中に這入ったということだろう。

 ひゅいっ――と杖を振った。

『かちん』――という音と共に鉄の扉は動いた。


 開くと――同時に四体の小人が飛びかかってきた。


 つるはしや、スコップなどを振り回していた。

 不意打ちだったが、これに後れを取ることはない。

 杖を魔力で覆って、まるで剣術のようにその小人ら四体の肢体を切断した。

 四体の小人は、呻き声をひとつもあげる間もなく、霧のように消滅した。

(さっきのと合わせて五体……あと二体ですわね)

 さっきまで後ろをついて回っていた気配がなくなっている。

 四体の小人。その不意打ちの隙をいて、攻撃をするのではなく、この『遺物管理区域』内部に飛び込んだようだ。

 オリオンは一歩前に踏み込んだ。

『遺物管理区域』。図書館の地下に拡がるこの空間は、図書館とよく似た構造になっている。周囲には机が並んでいて、背の高い本棚がびっしりと並んでいる。本棚には隙間なく本が詰め込まれている――ということを、オリオンは知っている。


 


 オリオンが図書館の地下にあるこの空間がどのような場所で、どんな構造をしているのかを知っているのは過去に這入ったことがあるからだ。

 今のような許可のない這入り方ではない。

 そのときは、ここの管理人と教員、そしてオリオンを含めたクラスメイト三名――合計五名だった。そのときは人が這入ったことを感知して、壁にあるオイルランプに鮮やかに火が灯ったものだった。

 だけど、今は違う。

「…………」

 オリオンが杖を振るう。周辺をただよっている光の球体が動いて周囲を照らす。

 この『遺物管理区域』には外からの光が一切入って来ない完全な暗闇である。オリオンの周囲を照らしている光の球体だけでは、この全容を伺うことはできない。

 それでも、少しだけ見えている範囲で言えば、以前に来たときと変わっていない。

(どうして灯りがかないのかしら――)

 以前に来たときとは状況は確かに違う。

 だから、魔法が発動していない?

 許可がないと駄目とか? 管理人がいないといけないとか?

(それとも――)


 ――とか?


 なんてふうに思った。

 それはただの勘で思いついた中の可能性のひとつでしかなかった。

 それが、まさか的中しているなんて思いもしなかった。


 鳩原とダンウィッチの侵入した際に点灯する魔法は既に機能している。そのオイルランプに火を灯すのは魔法による作用だが、オイルは定期的に補充しなければならない。それはここの管理人が手ずからやっていることで、常に燃料がある状態が保たれている。

 だけど、今は燃料がない。

 燃料が抜き取られている以上、灯りは点かない。


「…………!」

 暗闇の中で騒々しい足音が聞こえる。

 その正体はすぐ傍に迫っていた。

 残っている二体の小人だった。周囲の机や椅子の隙間をうように、小人は駆けまわってオリオンの周囲を包囲する。

 たったったった――と。

 とっとっとっと――と。

 足音が連続する。

 そのうちの一体が飛びかかってきた。ピッケルを振り被ってきた一体。

 その動きをオリオンは見逃さなかった。

『かちん』――という音と同時に、杖の先端から魔力が放出される。

 弾丸のようして放たれた魔力の塊がその小人の胴体を確実に射貫いた。滞空たいくう中だった小人の身体はぐちゃっと歪んで、近くの床に転がる。

 致命傷を受けた小人は欠片ひとつとして残すことなく消滅した。

 オリオンは右手で杖を持っている。この構えている位置からでは、確実に届かない左側後方を狙って小人が一気に距離を詰めてきた。

 小人が手に持っているのは鉱山を掘削する際に使うくいのようなものだ。

 杖では間に合わない。

 だけど、その杭はオリオンには届かなかった。

 杖の持っていないほうの手で小人の顔面に掴みかかった。

 はぐぅ――と呻き声のようなものを小人はあげた。小人の大きな顔面を、オリオンの華奢きゃしゃな手のひらが確実に掴んでいた。

「あくまで杖から魔法を出力するのはね」

 独り言を呟く。

 まるで暗闇の中に潜んでいる誰かに向けて宣言するように。

「そのほうがやりやすいから――よ。もっと適当でいいならこういうことでもいいのよ」

 手のひらが『かちん』と光った。

 それと同時にゴワッッッッ! と、魔力が放出された。

 彼女の手の中にいた小人は魔力で焼かれて水蒸気のようにして消滅した。

 高出力で放出された魔力の残滓ざんしが、『かちかち』――とまるで切れかけている蛍光灯のように不気味に明滅めいめつしながら、霧のように散った。


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