1.
ハロウィン。
十月三十一日に行われる祭事である。歴史的な話をすれば、夏の終わりと冬の始まりの境目とされる日で、夏の
認知されているものとしては、子供が仮装をして『トリック・オア・トリート?』と唱えながら近隣の家々を回ってお菓子を集めるというものだが、近年では仮装がメインのイベントになりつつある。
仮装は、幽霊や吸血鬼、ゾンビなどの『恐ろしいもの』が選ばれていたが、コスプレイベントとしての側面が強くなってから、仮装する内容はあまり関係なくなってきているというのが印象だ。
ハロウィンは、文化圏によって込められている意味が違ってくるイベントもある。このアラディア魔法学校の周辺地域では、これらに加えて別の意味を持つ日である。
魔女の夜。
かつて
その名残りはこの周辺の地域に深く刻まれている。
国や文化圏によって呼び名は違えば、風習も異なるものだが、これに限って言えば、お祝い事であることは変わらない。
お祝い。お祭りである。
アラディア魔法学校では学年やクラブ活動、
十月三十一日。ハロウィン当日。
寝起きはいいほうである。カーテンを開けて、窓の外を見る。
秋口になってきたので、陽の昇りが遅く、まだまだ薄暗い。そんな鳩原の目に映ったのは
あの辺りはグラウンドだろうか。
透き通るような朝だ、よく見える。
催しとして箒を使った競技がある。
それに備えての練習か、あるいははしゃいで飛び回っているだけか。
それは鳩原にはわからない。
みんながまだ寝静まっている
(あんなふうに魔法を使えたら――)
と――諦めていることだけど、そんなふうに空を飛ぶことを夢に見た時代があったのは事実だ。こんなふうに湧き出てくる気持ちばかりはどうすることもできない。
ともあれ、起きてから日課の予習と復習に取りかかった。
それから台所で朝食を用意する。
「いただきます――」
シリアルに牛乳をいっぱい入れて朝食を食べた。
「――ごちそうさま」
午前九時になった。
『
鳩原は友人から手伝いを頼まれていたので、そちらに向かった。そこは仮装をした喫茶店をしていて、それの裏方の手伝いだった。ごみ出しと食品の準備だった。
お昼前くらいに交代した。
「一緒に回らないか?」
と何人かに声をかけられた。
「ごめん。先約があるんだ」
そう断ると、
「ああ、もしかして、あの中等部の魔女の子?」
「いいよ、行っておいでよ!」
と
「意外と学校外の人もいるんですね」
カフェテリアにいるダンウィッチと合流した。
服装は相変わらず、黒い帽子と丈の長いローブである。いつも通りの格好をしている。元から仮装みたいな恰好だから、ようやく馴染んだという感じだ。
ダンウィッチが言ったように、学校内には学校外の人が結構いる。学校が招いているご立派な肩書きをお持ちの方々だったり、中等部や初等部などの生徒だったり、そのほかには町のほうからわざわざやってくる人たちもいたりする。
「
ダンウィッチは椅子から立ち上がった。
「私はいろいろと見て回りたいです。こちらの世界にいる
「もちろん、そのつもりだよ」
それから鳩原とダンウィッチは、それぞれの学年や派閥、クラブ活動での出し物を見て回ることにした。
本館の校舎内に
通りかかった教室では占いをやっていた。
「おっす、鳩原じゃん。見て行ってくれよ。いや、おまえの運勢を見せてくれよ」と、声かけに引っかかったのでふたりで這入ることにした。
その教室ではいろんな占いをやっていて、好きなものを受けられるという感じだった。
有名どころのウィジャボードがある。
鳩原としては『こっくりさん』という呼び方のほうが馴染みのある名称である。まあ、これは占いというより降霊術だけど……。
ほかにもタロットカードがある。
タロットカードのコーナーが多いのはやはり人気だからか。なんたって占いの代名詞でもある。それに近代魔法の代表格だ。
これらはダンウィッチも知っていたようだったが(一ヶ月以上も図書館に通い詰めていれば、こちらの世界のことにも詳しくなる)、じっと見つめているものがあった。
「何か気になるものがあるのか?」
「あれはなんですか?」
ダンウィッチは理解しがたいものを見ているという表情をしていた。
鳩原もそちらを見る。
それは鳩原も実際に初めて見るものだった。
何が行われているのかと言えば、お湯を張った器の上に卵を割って落として出来上がるのを待っている。
その卵の出来上がり具合で占うのだという。
何をどう占うのかわからないけど、スコットランド由来の占いらしい。
「どれか受けてみる?」
「いやあ、占いはあまり興味ないですね」
ですが――と、ダンウィッチはにこっと笑った。
「せっかくですし、やってみましょうか!」
「じゃあ、こっちで占ってあげるよー」
と、フードを被った人物に声をかけられた。
その人物の前にはそれっぽく目の前に水晶玉が置かれている。
「あ、誰かと思ったらヒパルコスか」
「どーも、どーも」
同学年の女子生徒である。
「さ、ふたりとも座ってください」
ふたりは椅子に座らされた。いろいろと質問をされた。
聞かれているうちにこれが恋愛占いであることに、鳩原は気づいた。
「なあ、ヒパルコス。別に僕たちはそういう……、恋愛とかじゃないぞ……」
「それでも一緒にいるからには仲がいいんでしょう? だったらいいじゃない。お金を取るわけじゃないんだしさ」
そう言ってヒパルコスは、
「はい、出ましたっ!」
と両手をぱんと合わせた。
「ふたりにとって大事なのは、距離感ね」
ヒパルコスは続ける。
「お互いに決定的な部分にまで踏み込まなければ悪いことにはならないわね。軽率で
ヒパルコスによる占いはそんな感じで終わった。
なんだったんだ、あの水晶玉。
「あの水晶玉、完全に飾りでしたね」
教室を出たところで、ダンウィッチはそう呟いた。
「鳩原さん、こちらの世界の占いってあんな感じなんですか? てっきり魔法が使えるから、未来とかそういうのが見えるものだと思っていたんですけど……」
ダンウィッチの反応は、明らかにがっかりしているという感じだ。
「ダンウィッチの世界だとどういうものなんだ?」
「私の世界では、占いは心理学の分野ですね」
「じゃあ、似たようなものだな」
「そうなんですか?」
「少しややこしいんだ……。
「それじゃあ、占いも、ほとんど私の世界と一緒なんですね」
しばらく校舎内を歩いていると、不思議な催しものが行われているのを見つけた。
クラブか派閥か、何の集まりかわからないけど、天井から
「おはよう、鳩原くん。どうやってみる?」
入口に立っていた上級生の男子生徒に声をかけられた。
いや、やるも何も……。
「これは何なんだ?」
「スナップアップルだよ。林檎を紐で吊るして、手を使わずに
「……それが何になるの?」
「さあ? 俺も立案したわけじゃないからなあ」
どこの文化圏のものなのか、あるいはオリジナルなのか。
意図も面白味も読み取れなかったが、まあ、お祭りというものはそういうものか。
ダンウィッチも興味がなさそうだったし、丁重にお断りして足早に教室を離れた。
「あの奥のほうでやってたのならわかりますよ」
教室から離れてから、ダンウィッチは言った。
「奥のほう? あの水の入った大きな
「そうです、あれです。あれはアップルボビングっていうんですよ」
「なんでダンウィッチが知っているんだ?」
「推理小説で読んだんですよ」
この一ヶ月半の図書館通いで推理小説まで読んでいたのか。
その作中に出たということか。
「この国で有名なゲームらしいです」
そうなのか……。
だったら、さっきの林檎が紐でぶら下がっているのも、そういう伝統的な遊びだったのかもしれない。
しばらく進んだところで、
「うおおおお! なんですかこれは!」
と、ダンウィッチは声を上げながら調理実習室に這入って行った。
鳩原も追いかけて這入る。そこで目撃したのは火だった。
皿の上にはレーズンが盛られている。その上にブランデーをたっぷりとかけられた。そこに火を放たれる。当然、皿の上でブランデーまみれになっているレーズンは燃え上がる。
どうやらこのゲームは、その燃えているレーズンを取って食べるというものらしい。
調理室のテーブルの上に並んでいるお皿……、その皿の上が青い火で燃えている……。それも何箇所も……。
なかなか不気味というか、今からあの中に指を突っ込んでレーズンを食べるというのは、単純に怖い。
燃えてるじゃん……、それ。
「これは何……?」
「スナップドラゴンだよっ!」
と、にこにこ楽しそうに金髪でメイク強めなドゥーキングさんが説明してくれた。
「鳩原もやってみなよっ!」
「いや、僕は――」
「ちょっとやってみたいですね!」
傍らにいたダンウィッチが興味を示した。
鳩原は少し離れたところから、ダンウィッチが青く燃えているレーズンを食べるところを拝見させていただいた。
調理実習室を出て、少し歩いた辺りで、
「鳩原さん、お知り合いが多いんですね」
と、ダンウィッチは言った。
「いや、そんなことはないよ」
「みんな声をかけてくるじゃないですか」
「悪目立ちしているんだよ、僕は」
「ふうん……」
そういう感じではないと思うんですけど……と、ダンウィッチは微妙な反応をしていた。
まあ、鳩原としても顔が広いことや、周りからの評判がいいことは少なからず自覚はしている。でも、あまりそれを堂々と言うのは『いい気になってる』みたいで、だから、言わない。
「それはそうと、お腹が空きました」
言われてみれば、もう昼食を摂ってもいい時間だ。
ふたりは校舎を出て、中庭のほうに降りてきた。
ずらりと並んでいる屋台を見て回る。
「これを食べたいです!」
ダンウィッチがそう言ったので、すぐ近くにあったハンバーガーの屋台に立ち寄った。
注文すると目の前で牛肉を焼いてくれた。焼いてもらっているあいだに、すぐ近くにあった屋台で果物のスムージーを注文した。
ミックスフルーツのスムージーを受け取って、ハンバーガーの屋台に戻る。
丁度出来上がったところで、ソースをたっぷりとつけて、パンと野菜に挟んで手渡された。
どう食べても指が汚れる。
「指まで楽しめますね!」
ダンウィッチは既に食べ終わっていて、べろべろと指を舐めていた。
ハンバーガーもスムージーも、どちらも美味しかった。
「おや」
別の屋台からひょっこりと顔を出したのは、
「おや、おやおや。鳩原くんと、ダンウィッチちゃん!」
「あっ! 霞ヶ丘さんではありませんか!」
隣にいたダンウィッチはソースと油まみれの指で、霞ヶ丘を指した。
「久しぶりだね。町で会って以来だね」
「その節はごちそうしていただいて、ありがとうございました」
ダンウィッチは深々と頭を下げた。
一ヶ月半もいたのに、ふたりは出会っていなかったのか。
(ああ、そうか。霞ヶ丘さんはドロップアウトしていて、授業が終わってからも補習と課題が山積みになっているんだ……)
それが終わる頃にはダンウィッチは学校から廃村に帰っている。
タイミングが、合わないんだ。
「霞ヶ丘さん、それは何を食べてるんですか?」
「これはスコッチエッグよ」
ダンウィッチの問いかけに、霞ヶ丘は答えた。
スコッチエッグは、この国の伝統的な軽食である。
ゆで卵を挽肉で包んで、パン粉をつけて油で揚げたものだ。
「いろんな屋台が出ているわね。私たちの国の屋台もさっきあったわ」
「本当ですか? それはどういう――」
『それはどういうお店だったんですか?』と言い切る前に言葉は掻き消された。
びゅん! と一陣の風によって。
いいや、違う。吹いたのではなく、突っ切って行った。箒に
あれはいったいどれくらいの速度が出ているのだろうか。
すると、その生徒を生徒会の制服を着ている人たちが追いかけて行った。
「鳩原さんは飛べないんですか?」
それを見て、ダンウィッチはそう訊ねてきた。
「無理だよ」
鳩原はうんざりした気持ちで答える。
「僕には物体を浮かせることも、物体を動かすのもできないよ」
「まったく浮かせられないんですか?」
「まったく動かせない」
「一ミリも動かせないのですか?」
「うーん……」
そういえば、もう随分と試したことない。
せっかくの機会だし、ちょっと試してみるか。
そう思って、空っぽになった紙コップを地面に置いた。一応は持ち歩いている杖を取り出して、コップに向ける。
するとコップはぶるぶると不安定に浮かび上がった。
「おおっ!」
ぱちぱち、とダンウィッチは手を叩いた。
「浮かせられるじゃないですか!」
「どれどれ」
霞ヶ丘がコップに近づいて、その上に指とちょこんと乗せた。
ぐん、と重くなった。状態を維持できなくなって、そのままコップは地面に落ちた。
あーあ、と、ダンウィッチは声を漏らす。
「これは難しそうね」
霞ヶ丘はそう言いながらコップを拾い上げて、近くにあるごみ箱に放り込んだ。
「さて、それじゃあ、私はこの辺りで。
霞ヶ丘はその場でくるりと回転し、手をひらひらとさせながら立ち去って行った。
ひと言だけ言葉を
「ふたりとも、ご武運を」