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第23話 侵入計画の成功を目指して


     8.


「……なんでかなあ」

 鳩原はとはらは呟いた。

 我に返るというわけではないが、落ち着いてみれば、ダンウィッチと喋っているときのテンションがおかしかった。

(どうしてこんなこと言ったんだっけ……)

 まあ、いいか。

 そう思ったからには思うだけのことがあったんだろう。

 と、鳩原は一度目を閉じた。

 鳩原は怒りの感情に対して鈍感である。

 とはいえ、別に我慢強いわけでもない。ただ不満や鬱憤うっぷんに気づかない、感覚が鈍いだけである。それ故に自分が怒るような瞬間をあまりイメージできていない。自覚していないだけで怒っていることは人並みにある。たとえばさっき、オリオンに言われたことを思い出して、自分自身を見失うくらいには頭に血が上っていた。

 だから少しテンションがおかしかった。

 不意に頭にきて、思わずいて出た言葉。それが招いたのが現状である。

 幼少期から母親の顔色を伺い続けて、自分が不満を抱いていることに周りには気づかれないように装ってきたからかもしれない。ともあれ、鳩原にはそういう癖みたいなのがある。

 鳩原はそれを自覚していないのが、あまりよくない。

迂闊うかつなことを言っちゃったなあ』とは思っているが、どうしてそんなことを言ったのかわかっていない。

「……さて」

 鳩原は目を開ける。

 彼の目の前には背の高い両開きの扉がある。

 この扉の奥が『遺物管理区域』である。

 図書館の一階をぐるりと回り込むように窓際の廊下を歩いていくと、その道中にこの扉がある。廊下の通りからこの扉は見えるので何度か見たことはあったが、こうして扉を正面からまじまじと見るのは初めてだ。

 扉の傍らには、無機質なスチールの台があって、そこにはオイルランプが置かれている。図書館内には電気は通っているが、この地下空間には電気が通っていない。瘴気しょうきが充満しているので、業者が入って作業できないからである。

「…………」

『遺物管理区域』は立ち入り禁止になっているが、扉の前に警備員がいるというわけではない。

 防犯用魔法、学校の校舎の出入り口に使われている『アミュレット』みたいな代物も見当たらない。しかし、ここに防犯用の魔法が仕掛けられていないことはまずあり得ない。

(わからないように仕掛けられているはずだ)

 この鳩原の推察は合っていた。

 もちろん、ここにも防犯用の魔法は仕掛けられている。だが、それは『アミュレット』のような光や音で警告するのではなく、管理者に通達するというものだ。

 この場合の管理者というのは、この学校の教職員である。

 アラディア魔法学校と外側の境目にも、防犯委員会の意向で感知魔法が施されている。ダンウィッチが学校内に侵入した夜、副会長のハウス・スチュワードの元に届いたしらせ。あの感知魔法より込み入った構造で作られている魔法ではあるが、起きることはおよそ同じである。

 ただ、駆けつけてくる人物が違う。

 ハウス・スチュワードは飛ぶように早く駆けつけたが、このアラディア魔法学校の教職員は歴戦の魔法使いである。飛ぶより早く現れる。

(扉には下手に触れないほうがいいかな……)

 下見とはいっても、別にこの時点で地下にいくつもりなんてない。

「…………本当、気にさわるなあ」

 強めの言葉を溜息と一緒に吐き棄てて、鳩原は窓の外を見る。

 窓から見えるのは東側展望台だ。

 そこの手すりのところに一羽の鳥が、いる。

 鳥の種類に詳しくないのでぱっと見でしかわからないが、駒鳥コマドリだろうか、あるいはスズメか。

 あの鳥は、鳩原がこの扉の前に来る前からあそこにいた。

 今もいる、動かずに。

(監視しているんだろうな、あれで)

 あれは、たぶん、オリオン・サイダーが放った使い魔だ。

 魔法でそういうものを作ることができる。魔力が切れたら消滅するような、そういう使い魔。あの鳥を鳩原は『学校が施している見張り』ではなく、『オリオンの仕業』だと考えた。

(生き物じゃないって感じがするのが、実にオリオンさんっぽい)

 あそこにいるというだけで、じっとしている。

 生き物であるという感じがしない。言ってしまえば不自然なんだ。意図的にそういうふうにしているのかもしれない。わざと気づけるようにして『見られているから中に這入らないほうがいい』と思わせるためのもの。

 こういう魔法を上手く使うのが霞ヶ丘かすみがおかゆかりである。

「……わかったよ、帰るよ」

 別にその使い魔が何を言うってわけでもない。ひょっとしたらただの気まぐれな野鳥だったかもしれない。オリオンが放った使い魔だなんて、ただの思い込みかもしれないが、鳩原は扉の前から立ち去ることにした。

 そのまま図書館を一周するようにして、ダンウィッチのいるところまで戻ってきた。

「あ、おかえりなさい。もう戻られたんですね」

「まあね」

「? 機嫌悪いですか?」

「まさか、そんなことないよ。ほら、帰る用意するの、手伝うよ」

 もうすぐ閉館のチャイムが鳴る。

 それに合わせて片づけをしているところだった。鳩原とダンウィッチは本を抱えて返却コーナーまで持って行き、図書館を出た。

 外は夕日で明るいが、段々と日の入りが早くなってきたのを実感する。季節が変わりつつあるのを実感する。

「やっぱりこの学校にあるっていう『鍵』じゃないと駄目なのか? そのミスカトニック大学のほうに行くっていうのは――」

 図書館から校門までの移動中。鳩原は何気なくダンウィッチにそんなことを言った。その言葉を言い切る前に、

「は?」

 と、低い音が聞こえた。

 聞き間違いかと思ったが、それは間違いなくダンウィッチの口から出た声だった。

 怒っているように聞こえたし、怒っているようにも見える表情だ。

「……鳩原さん、協力してくれるっていうのは嘘だったんですか?」

 眉間にしわを寄せて、軽蔑するような視線を送ってくるダンウィッチ。

 そこまで言葉にされて、自分の言ったことが思わぬ失言だったと気づいた。確かに、あんなに乗り気で協力の申し出をしておいて、ちょっと時間が経ってこんなことを言われたら、そりゃあまあ怒るのも無理からぬ話だ。

 まるで『遺物管理区域』につながる扉を下見に行って、怖気おじけづいたみたいだ。

「ああ、違う違う。協力するのは変わらないよ。たぶん、簡単にはいかないよ、侵入するの」

「簡単にいかないのはどっちも同じだと思いますけど、そうじゃなくて……」

 さっきの失言の誤解が解けたのか、あるいは聞かなかったことにしてくれたのか、ダンウィッチは溜息をひとつ吐いた。

「そうじゃないっていうのは?」

「いやあ、やっぱり陸路がないのは厳しいですよ」

 この国の北から南にまで移動できたのは陸が続いていたからであって、ミスカトニック大学のある合衆国には大西洋を越えなければならない。あるいはアジア大陸を横断してから太平洋を越えなければならない。

「船とか、飛行機とか……」

「私の認識に違いがなければ、国境を越えるのにパスポートが必要なはずですけど? それを私に入手できるんですかね?」

「……難しそうだな」

 ひょっとしたら何か方法はあるのかもしれないが、この国のその辺りの仕組みまではわからない。

「それにミスカトニック大学のほうが難易度は高い気がしますね。そういう『遺物』の管理に関しては徹底しているところのはずですので。侵入さえ許してはもらえないかもです」

「それはこっちだって一緒なはずだ。侵入したらきっとすぐに伝説級の魔法使いが駆けつけてくるぜ」

「どっちも簡単じゃないなら、まず挑戦できるところからやりたいですね」

 うーん、やっぱり意見は変わらず、か。

『遺物管理区域』への侵入。それ自体は可能だ。

 だけど、探し出す時間が必要になる。

 この『時間』の部分に解決しないと、侵入しても意味がない。

 すぐに取り押さえられて、あえなく失敗だ。

 となると、課題は『駆けつけて来るまでの時間をどれだけ稼げるか』だ。

「……そうなると、チャンスはハロウィンかな」

「何かあるんですか?」

「この学校ではもよおしものがあるんだよ。それで外部から肩書きが立派なお客様を招くし、教職員はそちらに応じることになる。学校のトラブルには生徒会が対応することになるから、チャンスかもしれないな。もうちょっと考えてみるよ」

 なんてふうに話しているうちに校門に到着した。

「それでは鳩原さん! 今日もありがとうございました」

「うん、また明日」

「今回はほこを収めますが、普通に傷つくんで、あんな遠回しな言い方はしないでくださいね。それに、本当に嫌なら、ちゃんと嫌だって言ってください」

「さっきのは僕が悪かったよ、ごめん」

 この言葉を聞いて『うんうん』と頷いていた。どうやら納得してくれたようで、

「はい、それではまた明日!」

 と、ダンウィッチが校門から出ていくのを見届けた。

 さて、自分の部屋に戻って今日の授業の復習をするか……。

 それが終わったら、食堂で夕食を摂って、お風呂に入って、明日の予習だ。

 鳩原はこのあとの段取りを考えながら、校門から寄宿舎のほうに歩いていく。

「…………」

「あら、ごきげんよう。こんなところでお会いするなんて奇遇ですわね」

 と、その道中に、日本語で喋りかけてきた人物がいた。それは気品ある佇まいと、長い髪の女子生徒だった。

 オリオン・サイダーだ。

「……オリオンさんはこんなところで何をしているんですか?」

「何もしていませんわ。これから部屋に戻るところですわ」

 そう言って、オリオンは鳩原の横を通り抜けて行く。

 何か言われると思ったのに、何も言わずに通り過ぎていく。

「オリオンさんは――」

 たまらず、鳩原は振り返って言った。

「いったい何に気づいているんですか?」

 自分がした質問の意味がよくわからなかった。

 ただ、まるで知っているような口ぶりをするのが、気に入らなかった。

 前々から気に入らないが、この前の図書館で会ったときからの口ぶりが気に入らない。

 オリオン・サイダーに対して苛々いらいらする。

 オリオンは少しだけこちらを見て、

「よくないことが起きる気がするというだけですわ」

 と言った。

「あの魔女さん――ダンウィッチさんは聡明そうめいですわね。弱さと無知は罪ではありませんが、傲慢ごうまんはそうではない。そのことを自覚されていますわね」

 オリオンはこちらを向くことなく、こう言った。

 鳩原に対して、はっきりとした物言いで、こう宣言した。

「もしも、今後あなた方が『あの場所』に行くようなことがあれば、わたくしは必ず止めに行きます」


 その日の夜。

 鳩原が寝床に入ったのは、日付が変わってからだった。

「…………仕方ない」

 復習しているときも、夕飯を食べているときも、お風呂に入っているときも、予習をしているときも、ずっと頭の片隅で考えていた。

 そして灯りを消して横になっても、まだたっぷりと考えていた。

 鳩原は諦めるようにして呟いた。

「霞ヶ丘さんに頭を下げよう」



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