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第18話 オリオン・サイダーとの遭遇


     3.


 アラディア魔法学校の敷地内にある円形の建物。それが図書館である。

「おーっ! すごいですね!」

 中に這入って、ダンウィッチは見上げながらそう言った。

 外で見るよりも中が広く感じるのは、二階建ての構造でありながら、吹き抜けになっているからである。這入ってすぐのフロアから見上げれば、ドーム状になっている天井が見える。

 ずらりと並んでいる尋常じゃない数の本と、自分たちより遥かに背の高い本棚に囲われている。ダンウィッチは見上げながら口を大きく開けている。

「そっちの世界の図書館はどういう感じなんだ?」

「私の世界では図書館は次々に破壊されていますからね」

「悲しいな、それは」

 言論げんろん統制とうせい焚書ふんしょ、言葉狩り。

 ダンウィッチの世界は統治されているのではなく、支配されているからか。

 過去のことにあまり感情が動かされない鳩原はとはらといっても、そこまで無感情というわけではない。彼にとって図書館や図書室という場所は昔も今も大切なものである。そこが破壊されているなんて話を聞けば、他人事であっても、過去のことであっても、嫌な気持ちになる。

 このとき、ふと思った。

 鳩原はダンウィッチの言葉を疑うことなくすべて信じている。『別の世界からやってきた』なんていうあり得ない話を聞いて、ほとんど無条件に信じている。

 それはまあ、なんというか、今は何事も否定するのではなく、受け入れることを寛容かんようとする時代だからかもしれない。

 この感覚は現代の若者だからこそ、なのかもしれない。あるいは、本当であっても嘘であってもどうでもいいのかもしれない。

 いや、どうでもいいというのは違うか。

『ダンウィッチ』という少女に協力したいと思った鳩原の気持ちは本当だから、どういう事情であってもやることは変わらない。

 ただ、それだけのことだ。

「……――あれ? ダンウィッチ?」

 横を見たら、いなくなっていた。

 周囲を見渡してみても、見当たらない。

 真っ黒なローブと帽子を小脇に抱えている人物なんてすぐに見つけられるはずだけど、いかんせん、この図書館は広い。

 ダンウィッチがどんなふうに図書館内を回るかなんてわからないし……。

(だとしても、ここで立ち往生というわけにもいかないよなあ……)

 探しに行くしかない。

 大きな声で呼ぼうにも、図書館では『走らない』『喋らない』『使わない』――だ。

 走り回ってはいけないし、大きな声で喋る場所でもないし、魔法を使うなんてことはもってのほか、だ。

 なんとなくジャンルで当たりをつけようにも、それはこの図書館にはどのジャンルの書籍がどの棚にあるのかを知っているからできることで、初めてやってきたダンウィッチにはどこに何があるかなんてわかるわけがない。

 彼女のいた世界と、こちらの世界は似通にかよっているようで言語などの齟齬そごはあまりないみたいだけど、この本の海から目的のものを見つけ出すのは簡単じゃない。

(本の、海……)

 脳裏をよぎったのは『船と水』の例え話だ。

『船底に空いた穴から水が流れ込んできている』と例えて言っていた。

(どんなことになっているんだろうか……、ダンウィッチの世界は)

 一階をぐるりと回っても見つけられなかった。

 二階に足を伸ばしてみることにした。すると、二階の奥のほうにいた。

 探し始めてから見つけるまで一時間くらいかかった。

「あ、鳩原さん。私を置き去りにしてどこに行ってたんですか」

「それは僕の台詞せりふだよ、ダン――」

 思わず言葉が詰まる。

 ダンウィッチは年期の入ったテーブルに着いている。

 そのテーブルにはもうひとり、いた。


 ひとりの女の子が座っていた。


「――ごきげんよう」

 長い髪に、気品のあるたたずまいの女の子がいた。

「こちらの魔女さんは、あなたのお知り合いだったんですね、鳩原那覇なはさん」

 表情は笑っているが、その目はするどく、こちらを見ている。

 その眼は値踏みをするように。

「……オリオン、さん」

 オリオン・サイダー。

 鳩原と同じく二年生である。

「まあ。わたくしのことをご存じだったのですね!」

 手を口元に当ててわざとらしく『驚いた』仕草をするオリオン。

「知らないなんてこと、そんなわけないだろ……。同じ学年なんだから」

「おや、そう鳩原さんはご学友の名前をみんな把握していらっしゃるのですね!」

「そんなことは言ってないだろ……揚げ足取りだ」

 オリオン・サイダー。

 彼女のことをこの学校で知らない人がいないんじゃないだろうか。そのくらいに優秀で有名である。

 そして、

 それに初対面でもない。元々仲がいい間柄ではないが、こんなに攻撃的な態度を取ってくるのはむしろ珍しい。

「鳩原さん――鳩原那覇さん。お怪我はありませんでしたか? 何やら男子寄宿舎のほうで侵入者による暴動があったとお聞きしました。何かご存じありませんか? いつも夜遅くまで勉強をしていると聞き及んでいるので、もしかしたら? と思ったのですが……」

 見透かしたことを言う。いや、見透かされているのか。

 ハウスがどれだけ『見ていない』と言っても、明らかに戦闘の痕跡が残っている。

 ハウスが隠し事をしていることくらいはきっとバレている。

「いいや? 僕は知らないよ。その日は疲れていたからね。早くに寝たのさ」

「ふうん?」

 口元だけがにこにこと笑っている。

 目は、まったく笑っていない。今もなお、こちらを鋭く見つめている。

「ちょっと、ちょっと!」

 ダンウィッチは慌てふためきながら、割って入った。

「そんなっ、物騒な雰囲気はよくないですよ!」

 明らかに敵意を剥き出しにしていた鳩原と、挑発的な態度を取っていたオリオン。

「言い争わないからって、そんなおっかない空気を出すのはよくありません」

「むっ……」「ふむ……」

 お互いに言いよどんだ。

「仰る通りですわね、ダンウィッチさん」

 とオリオンが先にほこを収めた。

「ここは文学と叡智えいちたしなむための場所ですものね。そこに優劣はありません。図書館は平等にそのかどを開くのです。そこでの争いなんて御法度ごはっともいいところですわね。鳩原さん、どうでしょうか? 今のわたくしの言葉に、おかしな部分はありまして?」

「……いいえ」

 鳩原も図書館に対して同じ気持ちを持っている。

 ダンウィッチの言葉にも、オリオンの言葉にも同意だ。

「何を企んでいるのか知りませんが、わたくしはとやかく言うつもりはありません。ですが、大人しくしておいたほうがいいと思いますわ。よくも悪くもこの学校は停滞しているのですから。、今後の人生において誇れる経歴に残すことができるのですから」

「そう――ですね」

 わかっている。

 そんなことは、わかっている。

「それにね、鳩原さん。わたくしはこれでもあなたを評価しているのですよ」

「はあ?」

 それもまた、嫌味か? 皮肉か?

「わたくしは学年二位ですからね」

 優秀な生徒として『オリオン・サイダー』の名前は必ず挙げられる。

 だけど、学年成績二位――である。

 諸々を総合すれば問答無用でトップだが、人の目に触れやすい試験結果では二位である。

「わたくしは一年生の最初に一度だけ学年成績一位でした。それ以降はあなたの上に出たことはありません。わたくしはあなたに負け続けているのですから、わたくしがあなたを評価するのは当然のことです。あなたの努力に対してわたくしは敬意を評しているのですよ」

「……お褒めに預かり光栄ですよ」

 褒めながらでも、『自分のほうが上だ』と自負しているという感じだ。

 敬意を評しているとか、そういうのが本当であっても素直に喜べない。

 さすがにひがんでしまう。

「こちらの魔女さんはこの図書館に然るべき用事があっていらっしゃったのでしょう? それをわたくしが案内してもよろしいですが、鳩原さん――あなたのお知り合いで、あなたが招き入れたご友人なのですから、わたくしに出る幕がありません」

 オリオンは立ち上がった。

「わたくしはあまり余計なことをしたくないので特に何も言うことはありませんが、それでもですわよ」

 オリオンが何を言いたいことはわかる。

 鳩原から見てもよくわかる――

 だから『気をつけておいたほうがいい』というのは、その注意だ。

(そんなの――わかっている)

 そんなこと、僕だって気づいている。

 いちいちおまえにそんなこと言われなくたって……!

 ぐっと奥歯で頬の裏側を噛んだ。深く噛み過ぎて血が出始めたのが味でわかった。

「それでは――」

 オリオンは長い髪をなびかせて、お辞儀をした。

「失礼致します。ごきげんよう」


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