1.
それから一日、いつも通りに授業をこなした。
この日の最後の授業は言語学だった。
翻訳魔法の分野でも難易度が高いと言われているのは『動物とのコミュニケーション』の分野である。
犬や猫、鳥類とのコミュニケーション、その中でも群を抜いて難易度の高いのは魚類とのコミュニケーションである。
これは合衆国の辺りで成立した分野である。
魚の遺伝子が混ざっている人種がいて、彼らは歳を取ると魚類になっていくのだという。その後は地上ではなく海に生存圏を移すのだという。彼らとのコミュニケーションを取れるようにするためのものが魚類言語学なる分野である。
そんな馬鹿な……って思う。
都市伝説とそう変わらないような話である。これに大した信憑性がないというのが極めつけだ。それでも言語学の授業の一部に組み込まれている以上は仕方ない。受けるしかない。
翻訳魔法なしで他者とのコミュニケーションを行う鳩原としては、言語に関する授業は是が非でも学びたいと思っている。
でも、犬や猫などの哺乳類ならともかくさすがに魚類との会話を試みようとは思わない。
廊下を歩いていると、
「ねえ、あなた」
声をかけてきたので振り返る。
副会長のハウス・スチュワードだった。
「ああ、そういえば、ちゃんと約束守ってくれたんですね」
「あなたたちの言ったこと以上はしていないわ。
はあーっ、と、ハウスはわざとらしく深い溜息を吐いた。
「本当に踏んだり蹴ったりよ。こんなことなら出しゃばった真似をしなきゃよかったわ」
「怪我は大丈夫そうですね」
「大丈夫なわけないわよ」
ぎろりと睨まれた。
あの日の夜に見たときは、切り傷や
「化粧と
「そうだったんですか。そうは見えませんね」
「そりゃあ、スチュワード家の軟膏を使っているからよ」
「ハウスさんは薬学とかの家系なんですか?」
「そうよ――っていっても過去の栄光ね。私に言わせれば没落貴族みたいなものよ」
ハウスは両手を広げて大袈裟に肩を揺らした。
「塗れば傷が塞がる軟膏とかもあったけど、ほとんどは禁止薬品の項目に引っかかって使うことも作ることもできなくなったわ。『スチュワード家は技術提供を惜しまない』って方針だけど、『魔法使いが作った薬を一般流通させるわけにはいかない』ってね。うちなんてまだマシなほうね。もっと派手に
そんなことは別にどうでもよくて――とハウスは話を切り替えた。
「鳩原
「まだ疑っているんですか。違いますよ、そんなわけないですよ」
「裏で組んでいても……そう言うわよね」
「……それを言われちゃったらどうしようもないですよ」
「それもそうね」
もっと詰められるかと思ったが、ハウスはあっさり引いた。
「じゃあ、あなたに聞くけど、ドロップアウトは何をしようとしていると思う?」
「うーん……」
ドロップアウト。そのリーダーとも言えるポジションにいる
うーん。それをここであっさりと喋ってしまうのもなあ。
『鳩原には聞いたら何でも喋る』って思われてしまうのは不本意だ。それに『学校を変える』なんていうのはハウス・スチュワード、強いては生徒会の人間だってわかり切っていることのはずだ。
聞きたいのは『具体的に』だろう。
「わかりませんけど……、まあ、霞ヶ丘さんのことですからね。目的そのものはシンプルなものだと思います。今あれこれとやっていることは『何が役に立つかわからないけど、とりあえずいろいろと用意している』って感じだと思います」
「あなたも霞ヶ丘をそんなふうに見ているのね」
つまらなさそうにハウスは嘆息した。
「じゃあ、次はここだけの質問なんだけど」
今度はうんざりとしたような表情でハウスは言う。
「あの子とはどういう関係なの?」
「あの子?」
「ダンウィッチ――そう名乗っていたわよね」
「どういう関係って聞かれましても……。他人ですよ」
「どうして他人に協力なんかしたの?」
「……何を言わせたいのかわかりませんけど、これっぽっちもわかりませんけど、あれは協力したんじゃなくて、ハウスさんとあの子のふたりを助けたんです。それだけですよ」
「ふーん」
期待に応えられる返答ではなかったのだろう。
それからハウスは苦笑いを浮かべながら、窓の外を示した。
「あの子、あそこで待ってるわよ」
「えっ?」
鳩原は示された窓の外を見る。
ふたりが歩いていたのは本館の二階の廊下。そこからは中庭と、カフェテリアが見えるようになっている。
「あんまり目立つことはしないように。それじゃあねー」
それだけ言って、ハウスは足を止めることなく、廊下の奥に歩いて行った。
窓際に近づいて、人の少ないカフェテリアを見る。
探すまでもなく、その人物を――その少女を見つけられた。
テーブルの上には悪魔の角みたいな帽子と肩から提げるようなバッグが置かれていて、いつもの真っ黒でサイズの大きなローブを着ていた。
その少女は顔を上げてこちらを見た。紅茶が入ったカップを手に持つ少女と目が合う。
間違いなく、あの子はダンウィッチ・ダンバースだ。