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第10話 ハウス・スチュワードの勝算


     7.


「あんた、どういうつもり?」

 ハウスは『アミュレット』を握り締めながら言った。その防犯魔法『アミュレット』は既に鳩原はとはらによって内部構造が破壊されていて本来の役割を果たすことはない。

「あんたはドロップアウトじゃないでしょ? それとも何、ドロップアウトに加担しようとしているってわけ? 確か、あの霞ヶ丘かすみがおかと仲が良かったわよね?」

「随分と質問が多いですね」

 扉の隙間から返答があった。

「僕はドロップアウトに加担していませんよ」

「ははっ」

 その返答にハウスは笑った。

 この扉の向こう側にいる彼に対して込み上げてくる感情はいらちだったりいきどおりだったり呆れだったりで――思わず笑ってしまった。

「それって本気で言ってるの?」

 と口にしてハウスは思う。

 この侵入者騒動をドロップアウトと関係していると決めつけていたが、もしかしたらそうじゃないのか? 

「あんたは今、何をしているのかわかっているの?」

「はい。僕なりに理解しているつもりです」

「あんたは今! 学校に這入り込んだ部外者に加担しているのよ⁉」

「そうです。それで合っています」

「ええっ……?」

 ハウスはとんきょうな声を漏らした。

 ドロップアウトとは無関係?

 あの侵入者をドロップアウトと関係しているという根拠はない。学校内で何かトラブルが起きるとすればドロップアウトの連中だと決めつけていたのは事実だ。

 だけど、この防犯魔法を破壊したのが鳩原の仕業であると断定できたのは、この一件にドロップアウトが関わっているという前提があったからだ。

 霞ヶ丘ゆかり。

 一般入試から入学してきて、エリートの階級ヒエラルキーにいた人物。なのに、ドロップアウトして留年した人物。

『彼女は何かを企んでいる』として生徒会では目をつけている。

 ハウスは更にそこから一歩踏み込んで、霞ヶ丘と仲のいい鳩原にも注意を置いていた。だから防犯魔法を破壊したのが鳩原であると断定できた。

 なのに……ドロップアウトは無関係?

 ハウス・スチュワードは頭が固いわけではないが、今の思考はあらゆる情報を元に組み上げられた確固たる土台みたいなものだった。それがくつがえされたことで少なからず――いや、相当混乱していた。

「もしかして、侵入する手引きをしたのもあんたなの?」

「いえ、あの子とは初対面です」

「だったら余計に理解不能だわ。異常だわ」

「そういうことになりますね」

「……呆れた」

 ハウスは深い溜息をいた。

 既にハウスのすぐ後ろにその『侵入者』が立っている。

「降参っ!」

 ハウスは両手を挙げた。

 ぐっと握り締めていた防犯魔法『アミュレット』の鉱石はハウスの手を離れる。

 この扉の向こうには鳩原がいて、すぐ後ろには『侵入者』――ダンウィッチがいる。

「――命だけは助けてください!」

 対話も駄目。助けも呼べない。

 そうなったらもう――いのちいしかない。

 これを聞いた『侵入者』は、

「…………」

 と、何も口にせず、『はあっー』と大きな溜息を吐いた。

「簡単に『命』なんて言葉は使わないほうがいいですよ」

『侵入者』はやる気を失くしたようにハウスの目の前までやってきた。

 さっきまで交戦していたときとは違う、とハウスは思った。

「初めまして」

 ここでハウスは初めてこの『侵入者』のことを『少女』だと認識した。

 外見からして少女であることはわかっていたが、少女の外殻ガワを被った何か――獣のようなものだと感じていた。

「ダンウィッチ・ダンバース。それが私の大切な名前です」

 それは鳩原のときと同じ言葉セリフだった。

「あなたの名前は何ですか?」

 だけど、空気が違う。

 鳩原のときは友好的な空気だった。しかし、ハウスに対して向けられているのは詰問きつもんのようだ。

 まるでひとつずつ、逃げ場をうばうように。

 ひとつずつ、詰めていくように。

「……それには答えないといけない、かしら」

 引きったような笑顔を浮かべるハウスは、ちょっと冗談っぽく本気の質問をした。

「助けてほしいのは『命だけ』ではなかったのですか? 言ったのはあなたですよね?」

 一ミリも、この場の空気はなごむことなく、更に緊迫きんぱくしたものになった。

『侵入者』――改め、ダンウィッチの表情は、てつくものだった。

「私は自分の名前をとても大切に思っています。その名前を名乗るときはふたつです」

 右手の人差し指を立てた。

「ひとつは出会いを大事にしたいからです。私は好意的な気持ちで名前を名乗ります」

 左手の人差し指を立てる。

「もうひとつは対峙です。言葉のやり取りが必要だと感じたときに名乗ります」

 その両手の人差し指を、どちらも折り畳んで、ハウスの目を見ながら言った。



「ハウス・スチュワードよ。それが両親からいただいた私の名前よ」

 すぐにハウスは答えた。

 この女の子は普通じゃない――と思った。

「あなた……いえ、ダンウィッチさんは、その、どうして『残酷な手段』を選んでいたのですか?」

 ハウスは疑問を口にする。

「最初、私はあなたに危害を加えようなんて気はまったくありませんでした。言葉でのやり取りを目的としていたのですよ?」

 ハウスの疑問。それに対するダンウィッチの答えは簡単なものだった。

「私を見たからですよ」

「……それだけ、ですか?」

「それだけです」

 見たというだけのことで殺されかけていたというのか?

 いや……それはあくまでハウスの視点からの意見に過ぎない。

 侵入者側としては不法侵入をするくらいなのだから、最初からそれくらいの覚悟をしていたのかもしれない。『目撃者は誰も生かしておかない』という覚悟があったのかもしれない。

 だけど、それだとおかしい。

「そ――それなら、鳩原さんも同じはずでしょう!」

 扉のほうを指差して言った。ほとんど叫んでいた。

 さっき、鳩原は『初対面』と言っていた。なら、同じように出会ったばかりのハウスと鳩原に違いはないはずだ。

「それは僕も気になっていたよ」

 と、扉の向こう側に潜んでいた鳩原が、扉を少しだけ開けて出てきた。

 鳩原の姿を見て、ダンウィッチの表情は少しだけほころんで笑った。

「簡単ですよ。鳩原さんには敵意はありませんでした。ですが、ハウスさんには敵意があったんです。だから、私はハウスさんを敵としてみました」

 これは、鳩原に向けて説明しているからだろうか。丁寧な口調は変わらずだが、年相応の女の子らしい話し方だ。

 ハウスに向けられていた液体窒素みたいな表情ではない。これが好意的な気持ちを向けられた人物への顔かと思った。

「敵意って……! そんなのあなたの感じ方ひとつじゃない!」

 命の危機にさらされた――少なくともそれを感じたハウスとしては、そんな曖昧な理由だけでは納得ができない。

「それだけで十分です」

 この返事を受けてハウスは思った。

 言葉こそ通じているが、会話にならない相手なんだと。

「……私は助けてもらえるのですか?」

「見なかったことにしていただければ、それに越したことはありませんね」

 ダンウィッチはそう答えた。

「……わかったわ。私は何も見ていない。そういうことでいいのね」

「待った」

 そこで口をはさんできたのは鳩原だった。

「その約束を守るとは僕には思えない。ハウスさんがこんなに簡単に納得するのは少しおかしい」

「何よそれ……あなたが私の何を知っているというのよ……」

 ハウスが鳩原を知っているように、鳩原もハウスのことを知っているのだろう。

 それでも、ろくに会話もしたことがない相手だ。

「僕はあなたのことを正義感と責任感が強い人だと聞いています」

「それは過大評価よ」

 ハウスは苦笑いを浮かべながら言う。

「私の意志はそんなに強いものじゃない。殺されるっていうなら、命を優先するわよ」

 と言いながらハウスは内心で思う。

(――助かったあとはその限りではない)

 この時点でハウスはそれなりに平常心を取り戻していた。

 ダンウィッチに殺されそうになっていた理由を聞いたときに、いろいろと諦めた。平和的な解決や、この事態を穏便おんびんに済ませようという考えを諦めた。

 それでいて、こう思った。

(今、私が一番有利だ)

 絶体絶命な状況にあることに変わりはない。

 だけど、鳩原が防犯魔法『アミュレット』を破壊したのは、教員を呼ばれたら困るという判断をしたからだ。すなわち、このダンウィッチという少女は――大人の力があれば取り押さえられるということだ。

 ハウス・スチュワードが殺されたら『今』はどうにかなるかもしれないが、その『あと』には続かない。

 ダンウィッチにとって、ハウスは殺せる存在ではあるが、それをした場合はダンウィッチ自身が命の危機に曝されることになる。

 つまり、ダンウィッチや鳩原にとって、この状況を切り抜けるためには――『ハウスを殺してはならない』ということだ。

「……でも、私が黙っていても関係ないのでは? これだけ暴れたんですから、学校側には『侵入者』のことは気づかれますよ。私はその証拠隠滅のお手伝いでもすればいいのですか?」

「いいえ、そこまでは望んでいません」

 きっぱりと断るダンウィッチ。

「私たちのことを『見ていなかったこと』にさえしてくれれば、あとは何を言っても大丈夫です。もちろん、それが嘘だと気づかれないようにお願いします。それが私たちができる礼儀ですから」

「礼儀……?」

 妙な言葉にハウスは引っかかった。



「鳩原さん、への……?」

 ダンウィッチはハウスを一瞥いちべつした。

「ハウスさん。頭はいいみたいですけど、視野が狭いですね。それに、あまりにも分別ふんべつがついていませんね」

 ダンウィッチは言う。

「鳩原さんが『それ』を止めていなければ、ハウスさんは助けを呼べていました。ですが、ハウスさんは私に殺されていました。そして駆けつけてきた人たちに私は殺されていたと思います」

 ダンウィッチは扉の傍らにぶら下がっている『アミュレット』を指で弾いた。

「鳩原さんが『これ』を使い物にならなくしたことで、助けを呼ぶことができなくなりました。対話が絶たれ、戦闘は適わず、救助は呼べない――そうなればできることは命乞いですよね? ハウスさんが無抵抗を示すことで、私と話し合いができるようになったんです」

 ダンウィッチがしているのは今起きていることの確認だけではない。

 気づいていないハウスに対しての説明だ。

「鳩原さんは私たちの命を助けているんです。私たちはですね、鳩原さんに負けたんですよ」

 そう言われて、現状をようやく理解できた。

 鳩原の意味不明な行動は、別にこの少女にくみするためのものではなく、

「負けた私たちにできることは、彼に礼儀を尽くすくらいだと思うんですけど、どうですか?」

 こうして。

 ハウスはいろいろと逡巡しゅんじゅんした末に項垂うなだれるようにして黙って頷いたのだった。




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