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第08話 極彩色の泡(3)


     5.


 魔法による暴力行為。これは原則として法律で禁じられている行為である。

 一方でこれに関しての特別な項目がある。

 それは自身の命を脅かすほどの緊急事態の場合に限りはその限りではない。という一文である。

 実例にもとづいて要約すると、『魔法を「身を守る手段」として使用する場合に限って認める』――ということになる。

 これがどのくらいの『緊急事態』で『身を守るため』なのかは明確な基準がない。それこそ、『これなら正当防衛で通る』と思っていて抵抗したら逆に処罰を受けたみたいなこともある。

 ハウス・スチュワードの現状を見た場合、これをどう判断されるか実際のところはわからないが、少なくとも危険な状態にあるとは言えるのは確かである。

 それでも――ハウスはこの状況でも魔法による『防衛行為』を行わなかった。

『人に魔法を向けるなんてとんでもない』というハウスの価値観があるからである。あるいは信条のようなものかもしれない。

 だから、ここで彼女が取った行動は『防犯魔法を作動させる』というものだった。


 アラディア魔法学校の防犯魔法は『アミュレット』という代物である。

 言葉としては『お守り』みたいな意味合いの代物で、鉱石こうせきがネックレスようになっているものや、鉱石そのものを壁に埋め込んでいるものもある。

『アミュレット』は日付や時間帯、その人物の行動や脈拍や心拍数など、あらかじめ決めた情報と比較ひかくして、それに該当しない場合に防犯魔法が発動するという仕組みになっている。

 防犯委員会が学校中に仕掛けてある感知魔法はほとんど同じ仕組みであるが、感知魔法との違いは『周囲に爆音と閃光を発生させて緊急事態を報せる』というところである。

 防犯魔法の中には対象者を攻撃するようなものもあるが、アラディア魔法学校にあるのは非致死性魔法である。

 防犯魔法『アミュレット』を発動させれば、打ち上げ花火が地上で爆発したような閃光が放たれ、爆音が響き渡るようになる。

 これを発動させれば、寄宿舎から職員が飛んでくる。


『侵入者』と対峙することは、もうやめた。


(防犯魔法『アミュレット』を作動させる――)

 ハウスはそちらに意識を切り替えていた。

 今ハウスがいるのは別館の屋根の上。この別館の一階にある二ヶ所の出入り口に防犯魔法がほどこされている。

 どちらを目指すにしても、一度この屋根の上から降りなければならない。

「う、うう」

 がらがら、と屋根が不安定にふらついた。屋根に手をついて踏ん張る。四階建ての建物の屋上である。

 普段はほうきで飛んでいる高さだが、今は魔法で飛んでいるのではなく、自分の足で立っているのだから状況が違う。怖いものは怖い。

 すると。

 かたんっ、と後ろのほうで足音が聞こえた。

 振り向くと、『侵入者』がよじ登ってきていた。

「ひっ……!」

 方法はわからないが、さっき空中で跳躍した手段を使ったのだろう。

 あの泡……。あれがどういう魔法なのかハウスには皆目見当がつかない。そもそも――それさえわからない。

(あの極彩色の泡はただの泡ではなく、質量を持っていた)

 ならば、可能なのか?

 あの泡を足場のようにすることは……。

 かた、かたんっ――と、一歩一歩と迫ってくる『侵入者』。いちいち臆している場合ではない。

 たんっ――と、ハウスは屋根から飛び降りた。

 十メートル以上ある高さから人間が叩きつけられたらたぶん死ぬ。即死じゃなくても死にかけるだけの大怪我をするはずだ。

 ハウスの身体は、ふわりっ、と風船みたいに浮力を持って、そのままゆっくりと地面に着地した。

 普段は箒を操ることで飛んでいる。

 魔法を使うとき、杖などを用いるのは頭の中で切り替えるが目的である。『杖を使っているとき』は『魔法を使うときである』とすることで、日常で魔法を誤爆するのを防ぐためである。

 杖はなくても魔法は使える。

 翻訳魔法なんてそうだ。日常的に聴覚に織り交ぜて自動で発動させているのだから。

 使うだけなら、使える。

 ただし、その切り替えが甘くなってくると日常で魔法が暴発することがある。

 ハウス・スチュワートが怪我をしないように緩やかに石畳いしだたみの地面に着地したとき――『侵入者』は走ったまま跳躍した。

 一切の躊躇ためらいも見せず、跳んだ。

「…………っ」

 追いかけてくる『侵入者』の動きを見届けるような真似はせず、ハウスは既に走り出していた。

 防犯魔法『アミュレット』がぶら下げられている出入り口を目指して!

 とんっ――とハウスの背後で『侵入者』はそのまま地面に着地して転がって受け身を取った。

 ぐるりと一回転して――立ち上がる。

(十メートルの高さを跳んで……っ、怪我がないっていうの⁉)

 ハウスが思わず振り向いていて、まさにその瞬間を目撃した。


『侵入者』は――ほんの数歩で一気に距離を詰めてきた。


「――――」

 心臓が一瞬止まったかのように感じた。

『侵入者』は――右手の人差し指を立てていて、それはハウスに向けられていた。

 これが何を意味しているのかわからないが、よくないと感じた。

「うううう――……あ――ああああああああっ‼‼ ああああああああああああああ――っっ‼‼」

 ハウスの絶叫。

 それに紛れて『かちん』という音は誰にも聞こえていなかった。

 ハウスは身の危険を感じて魔法を使った。

 それは魔力を放出するというものだった。半透明の光っているエネルギーが放出された。だけど、ハウス・スチュワードはこの期に及んでもなお、人に魔法を向けることはできなかった。

 魔力は地面に向けて放出した。

 このときに発生した衝撃でハウスと『侵入者』の身体は吹っ飛ばされて、地面に叩きつけられて転がった。

「く、ぐぐっ……!」

 ハウスは顔を上げる。その先にあるのは別館にあるふたつの出入り口のひとつ。その扉の傍らに防犯魔法『アミュレット』がネックレスのようにぶら下がっている。

 さっきの衝撃で吹っ飛ばされて、地面を転がって、そうして辿り着いた。

「はあ……、はあ――っ」


 身体を起こして、ハウスは――『アミュレット』を掴んだ。


 別館の出入り口のひとつ。

 扉の傍らにぶら下がっている『アミュレット』に。


 さっきの魔力の放出であの『侵入者』が怪我したかもしれない。そう考えると気が気じゃない。だとしたら早く救助を呼ばなければならない。この学校の場合は救護班かもしれないけど、どちらにしても助けを呼ばないといけない。

 救助が来るのが早ければ、さっきの『侵入者』に万が一のことがあったとしても助かるかもしれない。

 防犯魔法『アミュレット』が作動した際の実験には何度か立ち会ったことがある。

 その威力は知っている。

 閃光は眩しくて周りが見えなくなる。目を開けているのか閉じているのかわからなくなるくらいに。音だってそうだ。キィィ――と小さな音みたいなものだけが聞こえて、それ以外は何もわからなくなる。

 それを至近距離で受けることになるのはハウスだが、防犯魔法が発動するということは間違いなく助けを呼ぶことにつながる。


「…………え。な、な……?」

 なんで、発動しない?

 しっかりと握っているのに反応がしない。

(古い代物だから故障?)

 いや、過去には整備不良でそういうことは何度かあったが、生徒会がそれらのチェックと備品の交換を行うようになってからは防がれていることだ。防犯委員会なんてそれが目的で設立された委員会といっても過言ではない。

――

 焦る気持ちがすっと落ちる。

 落ち着く。

 自分たちがしてきた仕事に自信があるからこそ――落ち着けた。

(偶然なんかじゃない。不良品なんかじゃない)

 こんな都合の悪いことばかりが起きるわけがない。

 適当な仕事をしていないという彼女の自信が、その混乱を落ち着かせる。

 これは整備不良や故障や不良品なんかじゃなくて、


 これには偶然ではなく、必然である。

 そう確信した。


 ひとつに気づけば、次第に視野が広くなる。自分が握り締めている防犯魔法『アミュレット』のすぐ傍にある扉が、ちゃんと閉まっていないことにも気づいた。

「あなた」

 たっぷりと考えたつもりだったが、それはほんの一秒くらいだった。

 ハウスはその扉の先にいると確信している人物に向けて言った。

鳩原はとはら那覇なはね」

「…………どうしてわかったんですか?」

 やや沈黙の末に。

 扉の向こうからそう返答があった。

 その質問にハウスは短く答えた。

「考えたからよ」





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