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第07話 極彩色の泡(2)


     4.


 ほうきによる飛行は『物体を浮かせる』という基本的な魔法である。

 浮かべることができる物体の重さは個人の技量次第だが、この新学期の技術測定によると、ハウス・スチュワードは百キロくらいまでの物体なら不便なく浮かばせることができる。

「ううっ……!」

 そんなハウス・スチュワードが苦しく感じるということは、つまり――この箒にはハウスの体重を含めて百キロ以上になる重さがかかっていることになる。

「ぐっ、うううう……!」

 箒がぐんぐんと重くなって、浮いていられなくなってきた。

 箒にある泡が、――と増えていく。

 それにともなって重くなっていく。

(このままじゃ――まずい!)

 このままでは地面に叩きつけられる。

 ハウスは態勢を変えて箒の上に両足で乗った。

 近くにある校舎に目掛けて、跳躍ちょうやくした。

「ひ、い……ぐう」

 屋根のはしを掴んで、無我夢中になりながらい上がった。

「う、うううう……」

 がちがちがちがち、と歯が鳴る。

 跳び移るときに全身を強打した。

 ハウス・スチュワードは十七歳の少女であって、全身を両腕で支えるような訓練をしているわけではない。

 痛みに耐えて、這い上がったのは、彼女の強さ――ではない。このときの彼女を突き動かしていたのは恐怖だった。

 才能と実力で生きてきたハウスは『負ける』経験をあまりしていない。

 彼女がしてきたのは、常に余裕のある敗北である。

 この夜、『侵入者』の元にやってきたのも、防衛委員会の役割を任命されたときも断らなかったのは、『自分には相応の実力がある』という自信と自覚があったからである。

 制圧したり、捕獲したりするつもりではなく、注意をうながす程度なら――『そのくらいだったら自分にもできる』という自信と自負があった。

 これは当人のおごりなんてことはなく、その自負に遜色そんしょくがない程度には実力を備えている。

 彼女のその自信はある程度の教育の元で成立していた。

 ただ、その『教育』は同じくらいの目線を持つ人間同士によって育まれてきたものだった。だからハウスの頭の中にはなかった――注意する前に攻撃をしてくる存在がいなかった。

 声をかければ、無抵抗に降参すると思っていた。

 これも――ハウスが想定していなかったことのひとつである。

 会話ではなく暴力で解決する存在がいることを知っていた。だけど、そんな存在が実在するとは思ってもいなかった。

「はあ、はあ、はあ、はあ……」

 それどころか、会話にさえ辿り着いていない。

 見つけて近づいたら反撃を受けている状態だ。

 今、ハウスの『侵入者』である少女に対して抱いている感情は『恐怖』である。その感情にただ塗り潰されている。

「あっ……!」

 そこでハウスは手元に杖がないことに気づいた。

 さっき、箒から屋根に跳び移ったときに杖まで放り出してしまった。

 ぱん! ぱぱん! と、さっきまで箒の周囲を漂っていた光の球体は浮力を失って地面に落ちた。初めて光が周囲に飛び散った。

(これはまずい……)

 じわりと汗をかく。

(私は今、とんでもないものを相手にしている……)

 呼吸が荒くなる。

 どんっ! どんっ! と、ハウスは胸を強く何度も叩いた。心臓のある場所を。

(落ち着け、落ち着け)

 ゆっくりと呼吸をする。

 雨で冷やされた風が吹いている。その寒さに身震いをした。

 寒さを実感できるくらいには落ち着いた。ふと見るとふとももの辺りをり剥いていて流血している。

 屈み込むようにしていた姿勢から立ち上がる。

 立ち上がって――屋根の上から、下を見た。

 そこから見えたのは、あの少女の姿だった。

 石畳の地面の上に立っていて、じっとこちらを見ていた。

「…………っ」

 心臓の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚だった。

 ハウスはきびすを返した。屋根を越えて反対側に移動する。

(――あの『侵入者』から逃げなければいけない)

 ハウスは既に気持ちを切り替えていた。

 穏便おんびんな対応ではいけない。

『あれ』は危険人物だ。

 一刻も早く対応しなければならない――感知する魔法なんかでの対応ではなく、ちゃんとした防犯用魔法を作動させなければならない。




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