さて次の場所に移ろうか。
そんな会話をアンブロシウス氏として居ると、何やら見慣れたコメントが打ち込まれた。
:|◉〻◉)せっかくファストリアまで来たのに、水路の奥の書庫には向かわないんです?
この特徴的な顔文字はスズキさんだな?
書庫。そうか、古代遺跡に縁がある場所で本もある。
その場所は思いつかなかった。いや、単純に選択肢から外していた。ナイスだよスズキさん。
「そうだ、アンブロシウス氏。私の行きつけの場所があったんだ。そこには小さな書斎があってね。一応分類上は古代遺跡に関係している。行ってみるかい?」
「調べ尽くしたがここの他にも遺跡があるとは知らなかったな。どこにあるのか聞いても?」
「用水路の奥。つまりは水の底に沈んでいるんだ。一つ確認するけど、水泳に関するスキルは持っていますか?」
「問題ない。体力には自信がある、それにスキルは持ってなくても行動に応じて生えるだろう?」
「セラエ君はどうだろう?」
「問題ありません。今更人と違う事を論ずることは意味のないことだと思っていますので」
だろうね。一応人間扱いしてあげることで彼女に気を遣ったつもりだけど、余計なお世話だったらしい。
一応は会話が通じているけど、彼女にとっての理解者はアンブロシウス氏ただ一人。それ以外は有象無象といった感じであまり関心がないようだ。
今回話を聞いてもらえているのは私が翻訳者だからなのと、それにまつわる系譜だからだろう。
そして他の子の持ち主たり得る素質を持つこと。
ここら辺が彼女に『興味』を持たせたぐらいだろうか。
「良かった。それじゃあ私はクリアしてるので直通のパスが出てる。パーティーを組めばその権利が君たちにも与えられるだろうから、一時パーティーのリーダー権を回してくれないかな?」
「それくらいは問題ない。だからそう拗ねるなドーター」
「ですがプロフェッサー。私の所有権を他の誰かに渡すというのは……」
「理解はしている。しかし彼のおかげでショートカットができる。そう思えば一時的に目を瞑ることはできないか?」
「イエス、マスター。プロフェッサーの御心のままに」
「良い子だ……済まないね、待たせたかな? この子は殊更所有権に関して厳しいもので」
「まだ出会って数時間ですからね。警戒されていても仕方ありません。それに彼女が意識している部分はそこではないでしょう?」
「お察しいただきありがとうございます」
「そこを鑑みればクエストからお誘いするのですが……」
「そうですね。そうしてもらったほうがよかったかも知れません。しかしクエスト内容は何かをお伺いしても?」
「どぶさらいです」
「服を着たままですか?」
「それに匂いもキツイ。私としましても彼女は普通ではないと理解している。しかし見た目は年頃のお嬢さんだ。そんな方にそのクエストをお勧めするのは勇気が要る。どうか私の気遣いを汲んでいただければと思います」
「お心遣い感謝します、アキカゼさん。彼女は少しも気にしないだろうが、私だったら嫌だなと強く共感しました」
「それは良かった。知らずに汚れるのと、汚れると知っててお誘いするのは違いますからね」
「その通りだ」
「???」
知らぬは本人ばかりなり。
セラエ君は私たちの会話にクエスチョンマークを浮かべて首を傾げていた。
そしてアンブロシウス氏も相当な親バカだと理解する。
誰だって愛でてる相手を意図的に汚したいなんて思わないからね。私で言えば妻や娘、孫娘にクエストをお勧めする様なものだ。
どんなに興味深い報酬を載せても絶対に首を縦に振ってくれない自信がある。それ以前に汚れる彼女達をみたいわけではないからね。
ファン心理で言えば推しが汚されて喜べるかだ。
中にはアイドルにそういう汚れた感情をぶつける人もいるけど、大多数は嫌うはずだ。
そんなわけで私達は転送装置を使って黄金宮殿前へと転送された。
「あ、海中でも会話はできますので。息苦しく感じる場合は耐性系のパッシヴが不足してる場合ですね。どこかで休憩を入れたいなら一言おっしゃってください」
「問題ない。ドーターの前で不甲斐ない格好は見せられんからな」
「プロフェッサーが無理をして居られるのを見て見ぬふりはできません。アキカゼさんの寛大な処置に感謝を」
この二人はいちいち大袈裟なんだから。
地上からいきなり深海は流石にアンブロシウス氏にとっても初めてだろう。だと言うのにセラエ君は元気そのものだ。
タコの様な触腕から察するに水棲系なのかな?
そうだと決めつけるのは早計か。
<:待ってました>
私達が黄金宮殿にたどり着くと、そこにはさっきコメントを送ってくれたスズキさんが居た。
あれ、身重なのにこんなところにいて良いの?
この人、私のことを言えないくらいお節介焼きですよね。
よく考えたら妊婦さんなのに体を踏ませようとしたり、意地の悪い悪戯ばかりしてくるんですよね。
「スズキさん、一応自己紹介しておこうか?」
<:はーい!>
かくかくしかじか。
一応自己紹介を済ませておく。
まぁお互いに配信越しに知っているんだろうけどね。
あ、私は意味ないけど鰓呼吸にしたよ。なんとなくね。
<:というわけで、僕は用水路でハヤテさんと運命的な出会いを果たしたんです>
「まぁ! それでそれで?」
何故かスズキさんの口から私たちの馴れ初めが語られ、その話に食いつくセラエ君。
絶妙なトークでコロコロと場面が変わり、聞き手に飽きさせない心遣いが見え隠れしている。
いつの間にかラブロマンスに脚色されており、何故か二人して熱っぽい視線を送ってきた。
ちょっとそこ、勝手に盛り上がらないんでほしいんですけど。
「なんだかすいません。ウチのクラメンさんが」
「クランメンバーか。だが彼女からはドーターと同じ気配がする」
「はい?」
「彼女、スズキ氏は本当に我々と同じプレイヤーなのか?」
何を言ってるんでしょうか、この人は。
彼女はマリンの小学生時代の担任で、今は産休中でクラン活動をお休みしてるだけだ。
それ以上でもそれ以外でもない。
ないよね?
「あまり憶測でものを語らないでほしい。私にとって彼女は家族も同然だ」
「済まないね。人にしては深淵の気配を纏いすぎていると思って」
「単純に称号に<深きもの>を持ってるからとかじゃないからですか?」
「そうかも知れない」
「それか条件分岐でハイドラになれる可能性を秘めてるとかもありますよ?」
「ふむ。そこまで否定するなら私もこれ以上は言わないよ。ただし以降どう転ぶか次第ではアキカゼさんの身に降りかかる事だ。覚悟だけはしておいてくれ」
「考えすぎだと思いますけどね」
そのあと黄金宮殿に案内し、そこでは特に彼女が欲しがる書籍は見つからなかった。
しかしスズキさんが私を呼び、この本が気になると言って一つの書物を差し出した。
そこには……
<ルルイエ異本の断片を獲得しました>
<条件を達成しました>
<ルルイエ異本の幻影が構築されます>
スズキさんの手によって導かれたその本で、私の中に蓄積されたフレーバーが何かの地雷を踏んでしまった様だ。
偶然にしては出来すぎている。
私は一体何を踏んでしまったのだろうか?
<:お初にお目にかかります、マスター>
それはスズキさんがもし人型だったら、こうなるだろうなと想像させる鮮烈なまでの印象。緑色の髪に赤いドレスを纏った少女がそこにいた。
<:ずっとお側で拝見しておりました。もう依代を頼らずともこうして御身の前に姿を晒すことが出来るのはなんと至福なことでしょうか?>
彼女が指を弾くと同時にスズキさんのアバターが消える。
あれはスズキさんじゃなかった?
本当のスズキさんは?
頭が理解を拒む。
嘘であってくれと心のどこかで叫んでいた。
しかし現実は残酷に真実を打ち明ける。
<:わたくしの事はどうぞリリーとお呼びくださいませ>
鈴蘭を洋名で呼べばリリーか。
奇しくもスズキさんと『鈴』の字がかぶるのは偶然なのか?