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第32話 妻との語らい

 ログアウトするとキッチンには秋人君がらしからぬ格好で立っていた。


「あ、お帰りなさいお義父さん。ご飯できてますよ。美咲は?」

「今来ると思うよ」

「そうですか。だったらそれまで少し雑談してましょうか」


 そう述べる秋人君は三角巾とエプロン、鍋つかみを装備していた。椅子に座り、ちょっとした雑談を始める。

 暫くすると飢えて死にそうな美咲の声が背後からこだました。


「ただいま~、お腹ペコペコだよー」

「おかえり美咲」

「あれ? お母さんは?」

「今日は夜まで帰らないそうだ。今日はお父さんがご飯の担当だぞ。しっかり残さず食べるように」

「うっ、はーい」


 いつものやりとりのように思えるが、孫の怯えた表情に、何となく察した。これはあれだ。いつも口で言い負かせられる相手がいないことへの心配。それとどこか苦手なものを食べさせられるのだろうと思わせる嫌悪感。それらが美咲の表情が読み取れた。


「あまり苦手なものを押し付けては克服するものもできなくなるよ?」

「策はあります」

「ほう? お手並み拝見といこうか」

「是非お義父さんもご賞味ください。僕の自信作ですよ」

「楽しみにしていよう」


 美咲が手洗いとうがいを済ませたのを見やり、私たちは秋人君の自信作とやらをいただいた。


 うん、カレーだ。どこからどう見てもカレーである。

 不自然な点があるとすれば、一切具材が見当たらないということぐらいか。


 まずは一口いただく。

 スプーンを通して香辛料の旨味と辛さがルーの上から舌を支配していく。思わず配膳された水を取り、喉に流し込むも辛さが舌から抜けなかった。


 美味しい。けれど辛すぎる。舌がバカになってしまいそうだと恨みがましく秋人君に視線をぶつけた。


「如何です?」

「美味しいね。でも辛い」

「そうですかね? これでも辛味成分は押さえてるつもりですが」


 えっこれで?

 思わず冷や汗が流れた。

 美咲の恐怖した顔の理由はこれか。

 彼は辛党なのだ。そしてそんな彼が料理を作ればその舌が基準になる。料理はうまいのだが、それが逆に彼のブレーキを壊してしまっていた。

 あまりにも辛いので水ばかり飲んでお腹がタポタポとしてしまった。美咲も同じようで、秋人君に対する視線が痛い。


「こんなに美味しいのに。理解者が少なくて僕は悲しい」

「まぁまぁ秋人君。人には向き不向きがある。ここにミルクを落としてみたらいかがだろう? 多少円やかになると思うが」

「ミルクを入れるなんてとんでもない。それではせっかく封じ込めた辛味成分が封じ込まれてしまうではないですか!」

「もちろん辛さを封じ込める意味での打診だけどね?」

「問題外です。まさか僕とお義父さんでここまで話が通じない日がくるとは思いませんでした」

「私もだ。秋人君がここまで意固地だとはな。由香里も苦労するわけだ」

「なっ!?」


 だなんて軽いやっかみはあったものの、それ以外は普通に食事を終えて午後を語らう。

 結構な量を作っていたのか、寸胴鍋には大量のカレーが見えた。こういうところは男の料理だなぁ。

 消費を考えずに大量に作るところがまさにそれである。

 これが一般的主婦なら食べ切れる量しか作らないものだが、その不器用さは悪くない。

 生憎と消費には付き合えないが、私も若い時に妻にどやされたものだ。気持ちはわかるよ。でもなかなか理解してもらえないものだ。


「それでお義父さんは午後からどんな予定で?」

「妻と少し時間を合わせようと思ってね」

「会うのは一ヶ月ぶりくらいですか。お変わりないとお義姉さんから伺っていますが」

「そうだとは思うけど、やっぱり顔を見たくてね」

「お気持ちはわかります。しっかりお話してきてください」

「うん。ありがたくそうさせてもらうつもりだ」

「美咲は?」

「私は……うーん、午後もお爺ちゃんと一緒に遊ぶ予定だけど、先に宿題やっちゃう」

「分かった。僕は知り合いに分けるように今のうちから保冷パックにカレーを詰め替えて配膳準備だ」

「それでは私は自室に戻らせてもらうよ。ありがとう秋人君。ご馳走さま」

「いいえ。受け入れてもらえぬのはショックですが、それもまた好みの問題ですから。それに世界は広い。辛い物好きのコミュニティは広まりつつあります。心配は不要ですよ」

「そう言って頂けると助かる。美咲は勉強頑張ってね」

「うん、それとダンジョンの情報も探っておくね」

「うん。頼むね?」


 孫に頼り甲斐を感じながら私はVR井戸端会議へとログインした。


[接続人数:18人]


 夜とは違うが、やはり一定数のログインはあるようだ。

 流石に朝ほど簡素だったらどうしようかと思いつつも、私の足はコミュニティ会館へと向かっていた。

 田舎のコミュニティ会館は、そこが世界に中心というようにいろんな集まりがある。

 近所の人たちはそこへ集い、いろんな催し物を主催してはみんなに喜ばれていた。


 ちょうどそのグループの一つに、妻の姿を発見する。

 生憎と既に活動中で話に割って入ることもできない。

 ガラス戸で隔たれた向こう側で妻は編み物を習っていた。


 見られていないと分かりながらも手を振った。

 周囲のいく人かが私の存在に気付いてくれたが、授業をこれ以上邪魔してはいけないと思い、足早に教室から立ち去る。


 時刻は1時。

 編み物教室の開始時間は12:30~2:00までとなっていた。

 流石にそれまで待っているのは大変だ。

 伝言掲示板に書き置きを残し、図書室へと足を運ぶ。


 残り一時間、私は読書をしながら妻をのんびり待つことにした。


 テーブルに積み重ねられたコミックが6冊に届く時、図書室に新しい訪問者がやってくる。

 誰であろう、昭恵だ。久しく見ていなかった妻が近づき、近くの席に座っては毒づいた。


「あなたは変わらないわね。どこに行っても自分のペースで」

「それが私の持ち味だからね。でもそうだね、私もこの年になって少しだけど成長してるよ」

「へぇ、何かしら?」

「秋人君をようやく認められるようになった」

「そう。あなたにしては偉大な進歩ね」

「酷い言われようだ。でも事実、私は大人気なかったよ。今でも反省している」

「それを私に言われても困ります。由香里に言ってくださいな」

「それが面と向かうと言い出せなくてね」

「では言い出せるように努力してください」

「うん、了解した」

「あら。今日のあなたはとても素直だわ。いつもならもっと言い訳を並べると思ったのに」


 妻の昭恵が驚いたように目を見張る。

 そこまでか? 君の中で私はそこまでだったか?

 苦笑しながらもその事実を飲み込んだ。


「言ったろう? 成長したんだ」

「素晴らしい事です。もっと早く成長してくれていれば私も楽できたんですけど」

「それは面目ないと思ってる」


 彼女との会話は近況報告から始まり、愚痴の述べ合いにまで発展した。どうにも彼女の中にジキンさんの面影が映り込む。


「そう言えば母さん。テライ電気さんとは既に挨拶済みだったかな?」

「はい。随分と前からよくしていただいてますよ。私の携帯端末もあそこのお世話になったの。寺井さん、あなたと知り合ってから随分と振り回されてると嬉しそうに語っていたわ。私はそれが心配で心配で。くれぐれも程々になさってくださいね?」

「どうだろう? 彼とは馬が合いすぎる。こんな出会いは数十年ぶりだ。加減が効かない。私らしくないとは今も思ってる」

「そう、ならば仕方ないですね。精一杯引っ掻き回してくださいな」

「いいのかい?」

「その代わり私は責任を負いませんよ。好きになさったらいいじゃないですか」

「ごもっともで」


 彼女の釈明に私は肩を竦めた。


「では私はいくよ。君の元気な顔も見れたし声も聞けた」

「そう言えばあなたにしては珍しくゲームに夢中だとか聞きました。何のゲームをされているんです?」


 立ち上がり現実に帰る私に彼女は問いかけてくる。


「うん、Atlantis World Onlineというゲームだ。そこで私はいろんな場所を渡って風景撮影に従事している」

「まあ、リアルで諦めたと思ったのにそこで続けていたんですね。貴方にしては諦めがいいと思いました」

「そうだね。私があの程度の障害で諦めるはずがない。でも……」


 苦笑しながらも言葉を続ける。


「充実した日々を過ごせているよ。ありがとう、母さん」

「どうしてそこで私が出てくるんです?」

「何でだろうね? ただ何となく、感謝しておきたい気分だった」

「なんですか、それは。でも、受け取っておきます。それでこれからはAWOの世界で何を撮りに行かれるのですか?」

「そうだね、ロマンだ」


 そう言って私は妻に背を向ける。

 彼女の瞳は理解しがたいものを突きつけられたように、戸惑いのまま固まっていた。

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