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第45話 これから、歩き始める



「お義父さん、少しお話しいいですか?」

「秋人君か。いいよ、少し場を整えようか」


 室内で一人出かける準備をしていると、秋人君が神妙な面持ちでやってきた。表情から察するに大事な話があるんだろう。まさかゲームの話をここまで引っ張ってくるなんて事は彼に限ってないとは思うからね。


「それで、話ってなんだい?」

「お義父さんの受け入れについての事です」

「そうか」


 その一言で全てが腑に落ちた。

 私が数日この家に転がり込むには全てが整えられていると思っていた。新聞にしたって、牛乳の宅配にしたって定期契約だ。数日居座るだけの私には出来すぎた配慮だ。

 しかしこれからずっとなら? つまりはそういう事なのだ。


「いつから計画していた?」

「お義父さんが退職される前からです。昭恵さんから聞いていました。体調が良くない事。そしてご自身は長女のところに世話になるつもりだと」


 そうか、妻がね。

 彼女は私と違って気配りができる人だ。

 そんな彼女が事前から計画していてくれた。それは私を思っての事だろう。私は頑固だから、すぐに受け入れないだろうと知って内密に進めていたんだ。


「分かった。世話になる上ではこれ以上ない待遇だと感謝しているよ。しかし同時に納得もしていない」

「はい、おっしゃる通りです」

「私がここで暮らすことをご近所さんにも伝えてない。最後に挨拶回りだけでもさせて貰えないかな?」

「そう言われると思って昭恵さんからこれを預かっています」


 手渡されたのは手のひらにおさまるディスク。

 確かVRゲームのソフトだったか?


「ここ最近発売されたソフトだそうで、地域マップを取り込んで、紹介制で繋がれる地域密着を活性化させるものだそうです」

「話がうますぎる。つまり彼女はこれがあったから今回の計画を推し進めたんだな?」


 VR井戸端会議。それがソフトの名前として記されていた。もし遠くの病院に入院したとしても、これをダウンロードしておけば生体データを使っていつでもどこでもご近所さんとお話しができるのだそうだ。


「そうかもしれません。底の見えなさではお義父さん以上だと思ってます」

「持ち上げすぎだよ。彼女に比べたら私なんて普通だ」


 秋人君は呆れたような顔をしながら苦笑いをする。


「ええ、ここで自慢しないのがお義父さんでした。僕も見習いたいものです」

「なんだい、それは」


 互いに顔を見合わせ、笑い合う。


「それで明日はどうされます?」

「そうだね。目下の憂いは拭いされた。ここまで準備が整ってることに末恐ろしさすら感じるが、そんな彼女に支えられてきた私だからこそ抗いようがない。普段通りにしている方が良さそうだ」

「そうですか」

「うん。それにフレンドさんの為にブログも上げないといけないし」

「お、今度はどんなのが発表されるか楽しみです」

「なんてことない写真だけどね?」

「そう仰らないでくださいよ。確かに一部のプレイヤーはお義父さんのブログからスキルが生えて喜んでいる人もいます。しかしそれは一部だけです。僕たち子供を持つ親世代は、お義父さん世代の心の声が聞けて昔を懐かしがってたりするんですよ。そう言ったファンもいるんです。スキルが生えるかどうかがどうだって良いんです。いえ、生えたらラッキーくらいには思いますけどね?」

「君も生えたクチかい?」

「恥ずかしながら。今回は1から10までお義父さんの世話になった次第です」

「世話をした覚えはないのだけどね?」

「そう受け取っている者もいると言うことを覚えていて欲しいのです。だからみんなお義父さんにあれこれ聞きにいかないでしょう?」

「なるほど。上から圧力がかかっていた訳だね?」

「そんな大袈裟な者じゃないですけどね。単純にお義父さんに迷惑をかけるならイベントの参加資格の剥奪を促しただけです」

「おいおい、強引だね」

「こうでもしなければ旨味欲しさに突撃してくるプレイヤーが後を立ちませんから。だからそこから目を背けようと僕たちのクランは報酬を規定の配布料から度外視して配りました」

「そんな裏があったんだね」

「それでも最後にはお義父さんに持っていかれましたけどね」

「まぁ、うん。うまく扱ってくれて何よりだ。置き土産は役に立ったかい?」

「ええ。あれこそが必勝の鍵と思い大切に使わせて頂きました」

「それでこそ秋人君だ。君になら由香里を任せても問題ないだろう」

「ありがとうございます。これからも精進します」


 彼は深々と頭を下げた。

 そんな畏るものじゃないんだけどね。

 ただ、肩の荷が降りた思いだよ。

 懐いていた娘が遠くに行ってしまった気持ちになりながら、彼とは室内で別れる。


 そう、私が今まで心のどこかで彼と張り合っていたのは他ならぬ娘を奪われてしまうと思う危機感だった。

 それだけあの子は私が働く上での支えになっていた。


 でも彼の元でならあの子も幸せになれる。

 それを結婚して15年後にもなって許すもなにもないんだけどね。これはケジメなんだ。いつまで経っても大人になりきれない男同士のね。


 ◇


 翌朝。食事を終えてそれぞれの時間を過ごす中で、昨晩インストールしておいたソフトを起動させ、中へ入った。


「おお、これこそが長年住み続けた故郷」


 距離的には遠くにいるのに、ここまで故郷を感じられるとは思いもしなかった。

 私が生まれ育ち、バスで片道30分の勤務先。

 田舎も田舎で近代化なんてだいぶ先と思われたが、いつのまにかこんな技術を受け入れていたことに科学の進歩を否が応でも納得せざるを得ない。


[エントランス:接続者1人]


 まだログインしているのは私一人のようだ。

 世間は平日、休日でもなんでもない真昼間からログインする物好きは私くらいなものか。


 近場のコミュニティセンターに立ち寄り、図書室で本を読み漁る。私が足繁くここに通う理由はただ一つ。

 私が買いあさり、寄贈した本が保管されているからだ。

 それが『少年探偵アキカゼ』と言うコミックだ。

 一時期アニメ化もし、一時代を気づいたものだが、時代の流れに乗りきれず、打ち切られてしまった作品。

 私に青春時代が詰まっており、今の私を作り上げた全てと言って過言ではなかった。


[エントランス:接続者2人]


 昔を思い出して読み耽っていると、真横から声をかけられる。


「もし」

「ああ、すいません。懐かしくなって読み耽っておりました」


 そこにいたのは人の良さそうなご老人で、私より少し年上に感じた。


「いえいえ、熱心に読み込まれていましたので声をかけられずにいました」

「これはこれはお恥ずかしいところをお見せしました。私、ここへ来たのは今日が初めてだったもので」

「おや、初見さんでしたか。誰からの推薦で?」

「恥ずかしながら妻です。生まれも育ちもここなのですが、気持ちの若さに体がついていけず、今は娘のところで世話になってまして。昨晩この場所を知った次第です」

「なるほど新規だけど古参の方だったんですね。申し遅れました。私は筋金入りの新規の寺井と申します」

「これはこれは御丁寧にどうも、笹井です」

「なんだか笹井さんとは初めて会った気がしませんね。どこかでお会いしたこと、ありませんか?」

「どうでしょうか、私自身こういった空間には疎いもので」

「そうでしたか。ああ、そう言えば私、最近息子から誘われてオンラインゲームを始めたんですよ。ですが目の前で行なわれている戦闘についていけずじまいで」

「なるほど。それは大変ですね」

「おや、反応が悪い。絶対知ってて話を反らしましたよね?」

「なんのことでしょうか?」

「まだすっとぼけるおつもりですか? アキカゼ・ハヤテさん。私ですよ、ジキンです」

「ああ、やっぱり。どこかで聞いたことのあるやりとりだと思いました。しかし……」

「なんです?」

「世間は狭いなぁと思って」


 そう言うと彼は、ジキンさんはAWOと同じように犬っぽい表情で笑った。


「まったくです。けれどこういった縁を繋いで世界は広がっていくんですよ?」

「そうですね。では寺井さん。改めてこの街を案内しますよ」

「それはとても助かります。こちらに来たのは本当に一週間くらい前でしてね。右も左もわからず困っていたんです。お陰で知り合いも増えず。しかしここでハヤテさんに巡り合えるとは幸運です」


 この人よく喋るなぁ。それだけ寂しい思いをしていたんでしょうね。気持ちはわかります。私も娘のところに借りてきた猫のように肩身の狭い思いをしてきましたからね。


「ではまずはこちら。今の時期、桜の花が満開で見応えがあるんですよ?」

「おお、すごいですね。こんな立派な並木道はじめて見ました。今度息子たちも連れて来たいです」


 そんな風に笑う彼を率いて、私も久しぶりに心から笑うことができた。

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