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第31話 娘のいない食卓

「ただいま」

「ただいまー」


 同じタイミングで自室から出てくる。ただいまも何も家から一歩も出ていないのだが、こういった挨拶は気分でする物だと最近気づいた。

 しかしいつもなら出迎えてくれるはずの娘の姿はキッチンにはない。

 見ればキッチンには書き置きが残されていた。


[少し手が離せない案件ができたのでお昼は作り置きのシチューを温めて食べてください。 お母さんより]


「お母さん、忙しみたい」

「そうみたいだね。でも準備に取りかかる前にまずは手洗いとうがいをしてからだ」

「はーい。今のお爺ちゃん、お母さんみたい」

「ははは、口癖が移ってしまったかな?」


 二人で笑いながら洗面所へと向かう。

 手洗い、洗面、うがいを済ませてキッチンへ。

 お互いあまり手慣れてない作業、火をつけるのにも一苦労し、ようやく完成したシチューに取り掛かる。鍋の中のシチューを焦げ付かせないように慎重にかき混ぜ、火を止めた。

 レンジでご飯を温める係の美咲の顔を覗くと、何やらそわそわしていた。どうかしたのだろうか? まさか電子レンジも使ったことがないのか? いや、まさかな。


 皿に盛り付けたご飯にラップを貼られた状態で出てきた二つの皿を鍋敷の上に置く。テーブルクロスの上に直に置いて昔怒られたことがある。あの手のクロスは熱に弱く溶けてしまうため、直置きは推奨されていないのだと初めて知ったよ。

 シチューを深皿に入れて二人分よそう。それらを自分達の席に配膳して人心地つく。


「出来た」

「うんそうだね。由香里はいつもこれを簡単そうにやってたからここまで大変だとは思わなかったよ。さ、食べようか」

「うん!」


 大きく頷く孫を見やり、さて食べようとしたところでスプーンが用意されてないことに気がついた。普段は箸を使うので自分の席の前には箸しか用意されてない。これでどうやって液状のシチューを掬うというのか。多少とろみが付いていたところで端ではあまりにも無力だった。

 お互いに顔を見合わせ、苦笑い。スプーンを用意してから再びいただきますと手を合わせた。


「お爺ちゃん、ニンジンあげる!」


 深皿を寄せて、ニンジンを移す作業に専念する孫。

 それを苦笑しながらも私は困ったような顔をした。


「こらこら、残さず食べないと大きくなれないよ?」

「大きくなれなくってもいいもん!」


 こういうところはまだまだ子供だな。仕方がないかと口に入れたニンジンは、火の通りが甘いのか少し冷たかった。

 普段ならお行儀が悪いとされる行為も、娘の手の届かない場所では無法地帯となる。

 孫はシチューを食べながらもホログラフを目の前に浮かせて、みたい情報を下から上に流していた。

 あまりの流れの早さに何をみているのかわからない。

 かろうじて日本語とわかる文字がすごい早さで流れていく。

 普段から情報を扱ってる差がここで出てくるんだな。

 会社を離れてからすっかりそういうことから距離を置いてしまった。

 もしかしたら私も側から見ればあんな風に見えるのかもしれない。

 一人シチューを食べ終わり、台所へ持っていく。

 湯を張ったボウルに皿を付け置きしておく。こうする事で油汚れも落ちやすいと妻が言っていたっけ。

 孫は食事を止めてホログラフに集中しているようだ。先程から皿の上のご飯が一向に減ってない。


「何か気になる情報でもあったかな?」

「うん? んーそれほどでも、ないかな?」


 そう言いながらも視線はホログラフに釘付けで、一時たりとも目を離す様子はない。

 電子ポットに湯を注ぎ、温める。昔のようにヤカンを必要としないのは便利だが、便利になりすぎて何が何やらわからない。

 湯呑みを2つ分用意する。緑茶用の取手のないものと、コミカルなウサギの描かれたマグカップだ。

 今の時代はなんでも湯を落としてスプーンでかき混ぜるだけで完成する。フリーズドライの技術が高まって来たのもあるが、それ以前に何故それをフリーズドライにしようと思ったのか訳のわからないものまであった。


「美咲は何飲む?」

「私はいつもの。タピオカミルクティ」

「好きだね」

「なんだか飲み続けてるうちにハマっちゃって」


 そう、私が学生時代に流行ったこれらの飲み物も今では完全フリーズドライで湯を落とすだけで完成した。

 一度試しに飲んでみたことがあるが、何が美味しいのかさっぱりわからなかった謎の飲み物を、孫は美味しそうに専用ストローで啜っていた。ストロー越しに黒々としたものが彼女の口の中へと駆け上がっていく。

 それを見ながら私は自分用に淹れた緑茶を喉奥に流し込んだ。

 もちろんこれもフリーズドライだ。こんなのでも美味しく感じるのだから時代は変わったし、私の体も慣れてきたのかもしれないな。


 そう言えば。聞こうと思っていた話題を今の今まで語れなかったことを思い出して聞いて見ることにした。


「そう言えば美咲」

「なに?」


 孫は少し気怠げに、ぽやんとした表情でようやくホログラフから目を離した。食事を終え、お腹いっぱいになったことで少し眠たそうにしていた。


「美咲は妖精を見たことある?」

「ん? んー唐突すぎてよくわかんない」

「いやね、ゲーム内で妖精を確認しましたってログが出てきてね。それでもしかしたら既に確認されているかなと思って聞いてみたんだ」

「それってAWOの話?」

「うん。私が君に振れる話題と言ったらそれくらいしかないだろう?」

「そうだけど。うーん、妖精? そんなファンタジーな存在、あの世界にいたかなー?」


 孫の様子は悩んでいるような、答えの出ない解答と睨めっこしてるような顔をしている。ハッキリと知らないと言い切れればいいが、どこかで聞いたことのあるものを思い出そうとしているのかもしれない。


「私も直接姿を確認していないんだ」

「なのに見たの?」

「そうなんだ。どうも写真に写ってしまったようでね。それ以降目視で見れるようになったらしいんだが……」

「特にそういったものを見たわけではないと?」


 無言で頷く。

 孫もこれといって納得できる情報をつかんでいるわけでもないようだ。ここで情報のすり合わせをする。

 それは世界観のすり合わせ。

 もしかしたら私の思い描く世界観と、彼女の描く世界観がブレて見えたから。

 彼女は言った。あの世界にファンタジーな要素はないと言い切った。

 確かに出てくるモンスターは異質そのもの。

 しかし現にこの世界には獣の因子を持つ種族がいる。

 私はファンタジーの世界に異なる世界のものが侵入してきているのだと彼女に語った。

 それを聞いた美咲は、うーんと腕を組んで悩みこんだ。


「それを見たのはどこ?」

「木の上。昨日美咲に案内してもらったマナの大木だよ」

「?」


 孫の表情が曇る。

 私の言っている言葉を理解できていないという顔。


「今なんて?」

「マナの大木?」

「そうそれ。なんでお爺ちゃんはあのおっきい木をそう呼ぶの?」


 どうも彼女達一般プレイヤーからしたらあれはただのオブジェクトで、特にイベントに関わりないのだと思い込んでいるらしい。


「なんでもなにも、あの時記念写真を撮っただろう?」

「? うん」

「その時に情報が出てきたんだ。マナの大木の情報を獲得しましたってね。既に周知の事実だと思っていたけど、もしかして?」


 孫は首を横に振った。知らなかったと言いたげだ。


「多分これ、特定のプレイヤーに秘匿されてる」

「なんでまた?」

「きっと現在進行形でイベントを進行中なんだと思う」

「なるほどね。だから有用かどうかの判断がつかずに公開されてないってわけか」

「そういう情報ってあんまり表に回ってこないんだよね。あと多分だけど、聞いてもすぐ忘れちゃうと思う。戦闘中はそれどころじゃないし」


 確かに、戦闘フィールドで悠長にカメラを構えている余裕なんて戦闘プレイヤーにはないもんなあ。だからって秘匿されるものだろうか?


「うん、ありがとう。参考になったよ」

「お爺ちゃんはそのイベント進めるの?」

「気になるからね。それにお爺ちゃんは途中で諦めるのだけは嫌なんだ。もう少しだけお爺ちゃんのワガママに付き合ってくれるかい?」

「うん、いいよ。でもその前に」


 席から立ち上がった孫はフラフラとした足取りで寄ってきた。


「少しお昼寝が必要かな?」

「うん。お爺ちゃん、おんぶしてもらっていい?」

「仕方ないな」

「やったー」


 どうやらダメ元の提案だったらしい。彼女を背中に乗せ、彼女の部屋へと移動する。室内はピンクを基調とした女の子らしい部屋だけど、それといって小物の類はない。

 その手のものはVR内で再現して満足してウルだとかでリアルで集めてはいないそうだ。

 柔らかな布団におろし、彼女の部屋を出る。


「お爺ちゃん」

「んー?」

「1時間経ったらコールちょうだい」

「分かった」

「約束だよ」

「勿論だとも」


 互いの目的の為、それぞれの時間を過ごす。

 案の定、グースカと夢の世界に旅立ったままの孫を起こし再び私たちはゲーム内にログインした。

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