「アルバート殿下……婚約破棄を受け入れます」
私の声は、静かに響き渡った。
今日はアルバート殿下の誕生日パーティー。でも彼がエスコートしたのは、婚約者である私でなくリリアだった。
だから、予想はしていた。
泣いて取り乱すだろうと思っていたのか、アルバート殿下は一瞬目を見開いた。しかし、すぐに口角をあげ、リリアの手をとった。
「リリアは素晴らしい女性だ。残念ながら、君よりもずっと私の妻にふさわしい、ミレーナ」
「そうね……私は聖女よ。ミレーナ様よりずっとこの国やアルバート殿下の役に立てるわ。あなたが殿下に捨てられるのも無理はないと思うの」
リリアは微笑みながら、わざとらしくため息をついた。その目には嘲笑が浮かび、私にを見下すように視線を送っていた。
「……リリア様」
怒りと悲しみが入り交ざって叫び出しそうになるが、何とか冷静を保つ。
「あなたみたいに地味で取り柄もない女性が、殿下にふさわしいわけがないでしょう?」
アルバートもリリアの言葉に無言で頷き、冷たく私を見下ろした。
「そうだな、ミレーナ。君は俺の婚約者として何一つ役に立たなかった。魔力はあるかもしれないが、それだけだ。君には華がない。地味すぎるし、王妃としては到底相応しくない」
「そもそも、それだけじゃないわ。聖女としても中途半端よね」
リリアがさらに追い打ちをかける。
「私なんて、ずっとあなたより優れているのよ。アルバート殿下だって、それを知っているから私を選んだの。あなたは結局、ただの飾りだったのよ」
「そうだ。リリアこそが、俺にふさわしい。王も、この婚約破棄は仕方がないと認めてくれたのだ」
「伯爵家である私の能力を見染めていただき、婚約者にして頂きました。……期待に沿えず申し訳ありません。私に異論はありません」
アルバートとリリアは、満足げに頷いた。王は、私を冷めた目で見降ろす。
王は、私の聖女としての能力の為に婚約させたのに能力が低く、私のことが邪魔だったのだろう。
……あなたの息子の仕業ですよ。
私は皆に聞こえるように、ゆっくりとアルバート殿下に告げた。
「ただ、正式な婚約破棄は呪いを解いてからにしてもらえますか」
「……なんだと?」
「まさかお忘れですか? 婚約となったときに殿下は言いました。『私より多い魔力は必要ない』と。……そして、紋を私に刻んだのです」
その瞬間、アルバート殿下の顔が青ざめた。
「……な、なんだとアルバート」
「まさか、紋などと」
周囲の空気が一気に凍りつく。
殿下に付き従っていた騎士たちも、驚きに目を見開いた。
紋を刻む行為は、魔力を制限し、相手の行動を操る呪いの一種。
それを平民や身分の低い者に強いるのは重罪である。ましてや、婚約者に施すなど許されるはずもない。
「……紋を入れるのは、重罪だ」
驚いた誰か声が聞こえ、私は微笑み頷いた。
「そうです。……でも、ここにあるのです」
私はドレスのスカートをまくり上げた。淑女のあるまじき行為に、皆がざわりとする。
注目を感じながら、私は自分の足を皆に見えるようにさし示した。右側の太ももの部分に、紋が刻まれている。
「私とアルバート殿下は婚約関係にありました。私が告発するということは、私からの婚約破棄を意味します。……それでは、伯爵家の我が家は簡単につぶれてしまうでしょう」
私は冷静に、彼の目を見据えながら言葉を続けた。アルバート殿下は、もはや笑顔すら保てず、動揺が顔に浮かび上がる。
「だから、私が他言しないと思っていたのでしょう。事実、私はずっと黙っていました。婚約が続いている限りは」
「で、でも……」
「でも、殿下からの婚約破棄であれば問題ないでしょう。さあ、呪いを解いてください」
アルバートは唇を噛みしめ、しばらく沈黙した。その沈黙が長引くほど、周囲にいた者たちも事の重大さを悟り始めた。
「アルバート……紋を消しなさい」
「……わかり、ました」
王は諦めたような口調で命令すると、アルバートは悔しさを滲ませながらも了承した。
アルバートは、騎士に囲まれ私を睨みつけながら紋を消した。
途端私の中の魔力が解放された感覚があり、自分を取り戻せた気持ちになった。
「リリア様、アルバート殿下は自分の婚約者の魔力が高いからと紋を刻むような人間よ。残念だったわね」
私は静かに呟く。リリアは信じられないというようにわたしの事を見ている。
「アルバート殿下……どうしてそんな事を……。まさか、聖女である私が……こんな酷い目に……」
「ねえ、リリア様。あなたが聖女だと言っているような魔法は、私はとっくに習得していたわ。ただ使えなかった。この紋のせいで」
かつて、私は聖女として聖国に赴く予定だった。私は聖魔法が得意で、それを生かした仕事がしたいと思っていた。
父も賛成してくれていた。
しかし、王は聖女が国から出る事を望まなかった。王は私の魔力が強すぎることを恐れ、婚約を盾にして自由を奪ったのだ。
「……アルバート殿下、あなたは、私を所有物のように扱った」
彼は一言も言えず、ただその場に立ち尽くしていた。
彼の母親である王妃すらも、何も言わない。全てを知っていたのか、それともただ無関心だったのか。
――どちらにせよ、私にはもう関係ない。
「聖国に行くなら、私が護衛をしましょう」
突然の声に、私は振り向く。そこには、アルバートの騎士であるブライアルドが立っていた。彼は私に優しい微笑みを向けた。
「あなたに命を救われてから、ずっと感謝していました。あなたが聖国で聖女になるのなら、是非護衛として連れて行ってください」
私とブライアルドは幼馴染だった。
私達がまだ何者でもなかった頃、二人してよく森の中を駆け回り、無邪気に笑い合っていた。彼は剣の練習に夢中で、私は彼を見守るのが大好きだった。
「いつか、僕は王国一の騎士になるから」
「そうなったら、私を守ってね」
「もちろん! 僕のお姫様」
しかし、私がアルバート殿下と婚約した時から、二人で楽しく過ごすなんてことは難しくなっていった。婚約者としての義務が増え、ブライアルドとはあまり会話を交わさなくなったのだ。
そして、あの日。
戦場でブライアルドが命を落としそうだという報せが届いた時、ミレーナは胸が張り裂ける思いだった。
もうその頃には紋が入っていたし、役に立つかなんてわからなかった。
けれど、何も考えず、ただ彼を救いたい一心で現場へ駆けつけた。ブライアルドは瀕死の状態で、誰もが彼の命を諦めかけていた。
私は全力で彼に魔法を施した。
彼の傷口に手を当て、涙を流しながら力を注ぎ込んだ。その魔力は彼を死の淵から引き戻し、命を救うことができた。
しかし、傷は残った。
「あんなに努力していたのに。本当は治せたのに……」
彼の傷を見るたびに、自分の無力さを感じた。助けられたとはいえ、ブライアルドが完全に回復することはなく、彼の体にはその戦いの痕跡が刻まれていた。
「ミレーナ、そんな顔しないで。君がいなければ、僕は今頃ここにいなかったんだ。君が命を救ってくれた。それだけで十分だよ。騎士としては努力すれば大丈夫だ」
しかし、彼の言葉を聞いても、その後ろめたさを拭うことはできなかった。
自分が浅はかだった為彼を完璧に助けることができなかった、という思いが私にはずっと残っていた。
あの時の気持ちが蘇り、先程は我慢できた涙が溢れてきた。
「でも、私はあの時大した力を奮えなかった。がっかりしたわ、自分に。そしてこんなものを刻まれてしまった馬鹿さに」
私は足にある紋に目をやった。それは今もなお、薄暗い光を放っている。ブライアルドは私のスカートをそっと元に戻し、整えた。
「まったく、綺麗なお姫様がいつまでも足を出してちゃだめですよ」
からかう様な口調とお姫様、という呼び方が懐かしくて、私も同じように返す。
「そうだったわね。私の騎士になってくれるのかしら」
「当然なりますよ。私が護られただけなんて、格好悪い騎士のままになってしまう」
眉を下げているブライアルドは大型犬のようだ。
「気にしないで。……紋がなくなる今なら、あなたの傷全て治せるわ」
「護衛は必要ない?」
「いいえ、完璧な騎士になってねって事よ! 一緒に行ってくれると、嬉しい」
その瞬間、彼の表情がほころんだ。心の奥底で温めていた感情が、ようやく解放されたように感じた。
「知ってましたか? 聖国の聖女は結婚が許可されているという事を」
「えっ」
「私が聖国に行くなら、何もかもを、あなたに捧げたいと思っています。……私に、ずっと隣に居る権利をもらえませんか?」
彼の真っ直ぐな視線が私を射抜く。思わず、心が揺れ動いた。
「どうしてそんな……」
「ずっとずっと、好きだったんです。命を救われて、余計その思いが強くなった。それだけです」
「私、そんなこと……考えたこともなかったわ」
「それでも構いません。幼馴染として勝手に好きだったんですから。実を言うと、私のお姫様を護りたくて騎士になったんです」
彼はそう言って、優しく笑った。その笑顔に、私の心はもう動いてしまった気がする。
「……道中で、色々と話しましょう」
彼は笑みを浮かべたまま、私の手を取った。
まだざわざわとしたままの広間で、私は呆然としたままのアルバートとリリアを見た。
「アルバート殿下! リリア様には紋は刻まないようにね!」
私は振り返り、最後の言葉をアルバートに告げる。彼は激しく顔を歪め、怒りを抑えられないようだった。
「ば、馬鹿にしやがって……」
魔法陣を描きかかったアルバートを、騎士たちが抑えつける。
「やめろ! 私を誰だと思っているんだ! あんな女のせいで、聖女ぶったつまらない女にどうして私が! 離せ!」
「……アルバートの、王位継承権をはく奪をする」
暴れるアルバートに王の冷たい宣告が下されると、彼はその場に崩れ落ちた。私は深く息を吸い込み、ようやく自分の自由を感じることができた。
これからは、私の人生を自分の意志で歩む。聖女として、そしてひとりの人間として。
……隣に騎士が居るかどうかは、これからの話だ。