「二人とも、こいつを殺して」
菫鸞が苦しさに顔を歪めながら言う。
「扶光を止められるのなら、私の命くらい安いものだよ」
杏花と瑞雲は同時に首を振った。
「だよね? 二人にとって、菫鸞は共通の親友。失いたくはないよね」
扶光はとても楽しそうに微笑んだ。
「じゃぁ、まずは瑞雲。その霊力をすべて君の剣、燦雨に封じてもらおうか」
菫鸞が「やめて!」と叫ぶ。
瑞雲は鞘に剣を半分まで入れると全霊力を腕に集め、剣に注ぎ、鞘に納めて封じた。
「そんな……」
菫鸞の目に涙が浮かぶ。
瑞雲は胸を押さえ、深呼吸を繰り返しながら、扶光を睨みつけた。
「次は杏花だよ」
全員が杏花を見た。
「杏花は霊力の半分を使って身体を保っているんだぞ! そんな、霊力を封じたら……」
菫鸞が涙を流し、扶光を睨みつける。
「頼む。やめてくれ」
瑞雲が杏花の背に触れ、扶光に懇願した。
「嫌なら、蝶を使うまで」
扶光は右手を掲げ、嗤った。
「君なら仙力があるのだから、どうとでも出来るだろう? この千年間、あらゆる書を調べたが、仙力を封じる方法はなかった。でも、幸い、君は身体が弱い。霊力さえ封じれば、脅威とはならないからね」
槍の穂先が菫鸞の首に傷をつける。
「わかった」
杏花は杏花刀を鞘の半分まで入れ、全霊力を腕に集めて納刀し、封じた。
「……かはっ」
杏花の口から血が溢れ出る。
「杏花!」
抱きしめてくれる瑞雲の声も、泣き叫ぶ菫鸞の声も、すべてが遠くに聞こえる。
「わあ、大変そう。次は菫鸞、君だよ」
白い蝶が菫鸞の肩にとまり、霊力を吸いだした。
身体を解放された菫鸞は地面に膝をつき、荒い息を整えながら杏花の元へ向かった。
「このままではみんな風邪をひいてしまうね。さあ、中へ入ろう」
扶光は若蓉の身体を抱え、祥暁庵の中へと入って行く。
瑞雲は杏花の身体を抱きかかえ、菫鸞が守るように前を歩き、中へ向かった。
中に入ると、そこには霓氏の門弟数十人がおり、壁を壊していた。
「ろ、ろうそ、く」
杏花は血が溢れる口で、微かに声を出した。
「蝋燭? 何に使うのさ」
扶光が訝しむ。
「火、の、つい、た、ろう、そく」
杏花は息も絶え絶えに身体を起すと、明滅する瞳で扶光を睨みつけた。
「……いいよ。ほら」
扶光は灯篭から蝋燭を取ると、杏花の前に置いた。
すると、杏花はその火で右腕をあぶりだした。
「杏花!」
「なんてことしているの!」
瑞雲と菫鸞が止めようとするも、杏花はそれを手で制した。
「い、意識、を、たもた、な、くて、は」
杏花の身体に仙力が渦巻いた。
右腕に咲いていた杏花紋が次々と消えていく。
「杏花は本当に度胸があるよね。それに、正義感も強い。だからこそ、操りやすかった」
扶光は若蓉を平台に寝かせると、その髪を愛おしそうに撫でた。
「正義感が強い奴ってさ、誘導しやすいんだよ。だって、こっちが悪いことをすればいいんだもの」
高笑いが響く。
「私に依存させられている可哀そうな若蓉を、杏花は放っておけなかった。君たちの中の誰が疑おうともね。若蓉のことは産まれた時からずっと知っている。強くて優しい杏花に、きっと恋するだろうと思っていたよ」
扶光の言葉に、菫鸞が問う。
「君はいったい誰なんだ」
作り笑いが張り付いていた顔に、怒りと悲壮、そして嘲笑が混じる。
「法霊武門は歴史のお勉強が足りないみたいだね」
扶光は義兄の横に腰かけると、話し始めた。
「無理もないか。我が父は賢王であったのに、邪な人間たちのせいで廃位に追い詰められ、死を賜ったのだから」
千年前、不誠実な先帝が招いた国内の混乱を鎮め、善政を敷き、国中から愛されていた皇帝がいた。
しかし、甘い汁を吸えずにくすぶっていた官僚たちによってあらぬ疑いをかけられ、偽の艶聞に端を発する事案に関する噂は津波のように国内へ広まっていった。
そのせいで血族は全員殺され、最後、牢に収監された廃帝だけが残った。
「でも私は肺の病を患っていてね。療養のためにここで暮らしていたから助かったのだ。皇弟であった叔父上が修行をしていた、ここで」
廃帝の弟は兄の無念を晴らすために、皇宮へ忍び込んだ。
そして兄が収監されている牢へ行き、「私が祥王を守ります」と告げると、廃帝は言った。
「朕の……、私の足を持って行け。それで琰櫻の指輪を穢すのだ。法術が使えるお前なら、足の骨から宝石も作れ出せよう。それを、十八歳の祝いに祥王へ渡せ」と。
そして、「他にもいくつか使えそうな神器がある。私の遺体は欒山に捨てられるだろう。それを使い、まだ血が残っているうちに紅珊瑚の鏡を穢せ。爪は蝶舞の簪の装飾に。腸は古琴の弦に。そして、頭蓋骨以外の遺灰は香炉に。何百年かかろうと構わない。すべての神器が得た怨念を、祥王の指輪に集めるのだ」と。
皇弟は還俗すると、祥王の母である玲瓏公主の従姉妹を妻に娶り、法術を使って男児を産ませた。
「いつか私の思いも口伝では伝えきれなくなる。だが、この血は絶えない。必ずお前を支え続けるだろう。重祚した皇帝の血筋を絶やすのだ」と皇弟は言い、その血脈は呪のように継がれ続けた。
祥王は永き命を使い、父の遺体が葬られた欒山に法霊武門を開いた。
姿かたちを偽りながら、霓宗主としてあり続け、密かに皇弟の血筋を繋いだ。
「若蓉は皇弟の末裔で、私はその祥王本人ってわけ。わかった?」
扶光は笑いながら言った。
「私は第七皇子だから七色の霓にしたんだ。雅でしょう?」
不気味な笑み。
扶光は苦しみ腕を焼き続ける杏花を見つめ、微笑む。
「私はね、杏花に親近感を抱いているんだ。君は霊力がないとその身体を保てず生きていけないだろう? 私も同じ。他人の命を奪わないと肺の病で死んでしまう」
瑞雲が「違う」と言って扶光を睨んだ。
「夫婦の愛は麗しいね。反吐が出る」
杏花は途切れそうになる意識を火傷の痛みで耐えながら、憫笑した。
「何が可笑しいのかな、杏花」
扶光の目が今にも息絶えそうな杏花に注がれる。
「哀れ、だね」
「今の君よりも?」
「も、ちろ、ん」
杏花に向かって槍が飛んできた。
それを菫鸞が掴み、床に投げ捨てる。
「わた、し、には」
杏花の周囲を渦巻く仙力が一層強く、輝きを増した。
宙に浮くそれは繭のように杏花を守り、風のようにほどけていった。
「私には、愛している人達がいて、そして、愛してくれる人達がいる。誰を信じ、誰のために戦うのか。自分で決められる」
立ち上がった杏花の瞳が杏色に輝いた。
「杏花」
瑞雲と菫鸞が抱きつく。
「まだ霊力に変換できた仙力は半分には満たないけれど、もう、命に別状はないよ」
「よかった」
あたたかな体温が、苦しんだ身体を温めてくれる。
二人は杏花から身体を離すと、扶光を睨みつけた。
「私達を人質にとって何をするつもりなの」
菫鸞の質問に、扶光は小首をかしげた。
「父を陥れた官僚たちが持ち上げた男の皇統を根絶やしにするに決まっているじゃない。私の話、ちゃんと聞いていたの?」
三人は扶光を見た後、壁を壊している門弟達を見た。
「何を取り出そうとしているの」
扶光は微笑むと、自分の頭を指し示した。
「父上の頭蓋骨だよ。一緒に皇宮へ行くんだ」
冷たい雨を伴った風が開け放たれた扉から入り、足元を濡らす。
杏花の腕に、仙力が渦巻いた。
「おっと、杏花。もし攻撃しようものなら、例え相打ちになったとしても、菫鸞か瑞雲のどちらかは道連れに出来るよ」
扶光が右手に輝く指輪をちらつかせた。
「まず、雪氏の武力と霖氏の頭脳。両家の存在によって法霊武林は機動力を増す。皇宮に攻めいる際もっとも邪魔になる。だから二人を人質に選んだ。そして杏花はもちろん君の一族を牽制するためだ。君がいれば、皇帝すら私に手を出すことはできない」
その時、門弟の一人が声を上げた。
「見つかりました!」
扶光が駆け寄り、白い木製の箱を受け取った。
それを祭壇に置き、蓋を開ける。
「ああ……、父上」
慎重に取り出し、抱きしめようとしたそれを、杏花の仙力が奪った。
「今度はあなたの父親が人質。私達を解放して」
扶光は何が可笑しいのか、腹を抱えて笑い始めた。
「無駄だよ。だって、ほら」
扶光の右手薬指、琰櫻の指輪から幾千の蝶が放たれ、頭蓋骨と若蓉の身体を包んだ。
「若蓉兄さん!」
杏花が叫ぶも、すでに遅かった。
白い光が赤煙へと変化し、繭のように膨らんだそれは、徐々に人の形と成っていった。
杏花の仙力が弾かれるほどの怨念。
赤煙は地面へとそのつま先をつけると、霧散し、中から罪人用の服を着た男性が現れた。
「父上!」
男がゆっくりと目を開ける。
「……祥王か」
「そうです! ずっと、ずっとこの日を待っておりました」
「よくやった。我が息子よ」
三人の脳が警告を発している。
あまりに危険なものが出現してしまった。
「父上、こちらをお召ください」
扶光が祭壇の台座から取り出したのは、最上級の絹で作られた黒地に対となる黄金の龍が刺繍された深衣と、純白に輝く明光鎧だった。
「その鎧を簒奪者達の血で赤く染めましょう」
廃帝は頷くと、鎧の上に乗っている剣を手に取った。
「その者達は? 何故生かしている」
廃帝の目が三人を見た。
杏花達の背筋が凍る。
こちらを見つめる男は、あまりに邪気が強い。
足元を這う瘴気が濃くなっていく。
「皇宮へ攻め入る際、盾となる者達です。彼らがいれば、誰も手出しは出来ないでしょう」
扶光が指輪を外し、廃帝へ渡そうと手を伸ばす。
「それはお前がつけていなさい。私には必要ないからな」
若蓉を贄に生き返った廃帝は、その膨大な霊力も手に入れたようだ。
霊力は怨念と結びつき、さらにその力を強めている。
雨脚が強まった。
天が、赤く染まろうとしている。