祝うどころではなかった新年。
しかし、それ以上の喜ばしい出来事が二つ待っていた。
一つは三日前に蓬莱国天皇と大秦国皇帝から届いた聖旨。
太監の総監自ら運び、読み上げる役目も務めてくれた。
聖旨にはこう書かれていた。
「蓬莱国星辰王府 星辰王が息女、星 杏花群主に、『杏薬玄女』の称号を与える」と。
称号を与えるに至った理由なども様々記されていたが、恥ずかしいほどに褒め讃えている内容だったので、杏花はまったく覚えられなかった。
そして、本日。
正装に身を包んだ瑞雲と杏花が、星家両親の前に座って並んでいる。
挨拶を済ませ、いよいよ本題に入る。
瑞雲が口を開いた。
「生涯を歩む中で、険しく足元の見えない道も、凍てつく風が吹き荒れる時も、杏花殿と共にいられるのならば、それらすべてが私にとって光輝くあたたかな花道となるでしょう。私は杏花殿の家となり、一生をかけて守ってまいります。星辰王殿下、桃薬天女様、杏花殿との結婚をお許しいただけますでしょうか」
瑞雲は平伏し、杏花もそれにならった。
「瑞雲、杏花。どんな時でも、どこにいても、二人が幸せならば、それが一番嬉しい。友と、そして家族と助け合いながら生きていこう。それが私達からの願いだ」
瑞雲と一緒に顔を上げる。
「瑞雲くん。杏花をよろしくね」
涙を浮かべる両親の姿に、杏花まで泣けてきてしまった。
「はい。どんなことがあっても、私の帰る場所は杏花殿であり、杏花殿が愛するものすべてを大切にいたします」
「大袈裟だなぁ」
杏花は涙を浮かべる瑞雲の目元を拭った。
泣きながら笑っているのか、笑いながら泣いているのか、杏花は自分でもわからなくなっている。
「さあ、お祝いの食事に烏良候の屋敷に行くぞ」
「え、うちで食べるんじゃないの?」
「それが、この間の飲み会で今日のことを話したら、『我が屋敷の昌容殿を宴席に使うと良い』って」
「え、でも」
「まあ、身内だけの食事だから大丈夫」
と、白蓮は思っていたが、屋敷では盛大なもてなしが待っていた。
「星辰王殿下、桃薬天女様。杏花群主のご婚約、まことにおめでとうございます」
建物を揺るがすほどの低く大きな声が重なって響き渡った。
昌容殿へ入ると、琅雲や蒼蓮、朱蓮だけでなく、かつて烏良候の配下として戦っていた大将軍達まで待っていたのだ。
もちろん、その軍師や将軍達も。
総勢、三十人はいるだろうか。
もっと驚いたのは、青鸞と菫鸞、如昴、茜耀、柔桑、そして莅月も待っていたことだった。
「二人ともおめでとう! さぁ、こっちに座って! 若者はこっちの席だよ」
菫鸞に手を引かれ、二人はみんながいる席へと腰を下ろした。
「兄上達は杏花のご両親、蒼蓮兄さん、烏良候とかと呑むんだって。私達は楽しく可愛く過ごそう」
菫鸞お得意の可憐な笑顔に、みんなが笑顔になる。
「あなたが朱蓮ね。とっても可愛い。柔桑も小さい頃は可愛かったのだけれど」
「姉上、私は今でも可愛いですよ。ねえ? 如昴兄さん」
「あ、ああ。そうだな」
茜耀と莅月は朱蓮と鴉雛を気に入ったようで、ずっと話しかけている。
朱蓮も初めて見る美人な女性二人に驚きつつ、楽しく会話しているようだ。
「祝言はいつ挙げるんだ?」
如昴は、次々と運ばれてくる料理が綺麗に配置されるよう気を配りながら、瑞雲に尋ねた。
「義母上が日取りの候補を出してくださる」
「で、お兄ちゃんと義兄上が決める」
如昴と菫鸞は「え?」と同時に声を出した。
「ほら、あの」
杏花が言葉を濁すので、菫鸞が詰め寄り「どういうことなの?」と端麗な容姿を惜しみなく披露して聞いてきた。
「わ、私の父は蓬莱国天皇陛下と大秦国皇帝陛下の兄弟分って話は以前したでしょう?」
「うん。それ、詳しく聞いてみたかったんだよね」
「実は、私も気になっていた」
「私も」
菫鸞だけではなく、如昴も瑞雲も気になっていたようだ。
「何度も何度も聞かされてきたから覚えてる。たしか三十年前。まだ皇帝陛下が親王殿下で、天皇陛下が東宮だったとき……」
白蓮の祖父は、東宮の教育係である太傅であった。
白蓮と兄、瑾蓮は、父親が有名な陰陽術師であったため、あまり一緒に過ごすことが出来ず、いつも祖父と東宮御所へ。
未来の天皇である東宮、陽悠と共に勉学や武道に励むうちに、三人は親友となり、常に行動を共にするようになった。
社交的な二人とは違い、白蓮は内向的。
可愛い弟として、とても大事にされて育った。
そんなある日、大秦国へ遊学に行くことが決まった陽悠は、父である天皇に頼み、親友二人の同行を許してもらった。
精霊船に乗るのも、外国へ行くのも、何もかも初めてだった三人。
乗船し部屋が与えられると、行ってみたい場所や、やってみたいことなどを毎日夜遅くまで話し合った。
一週間後、無事に首都へ到着した三人は、太傅や護衛の将軍達に連れられて、まずは大秦国皇宮へ行くことに。
蓬莱国とは雰囲気の違う建物、服装、食べ物の数々に、三人はずっと好奇心を掻き立てられていた。
皇宮へ着くとすぐに謁見を許可され、大秦国皇帝の前へ。
陽悠が皇帝に招いてもらった礼や学びたいこと、訪れたい場所などを淀みなく話し、その姿に皇帝もとても満足していた。
会話の終わりに、皇帝は一人の男児を紹介した。
「朕の息子の中で、君たちと一番歳の近い皇子だ。仲良くしてやってくれ」と。
それが後の大秦国皇帝となる禮睿だった。
自己紹介の時、「はるひさ? きんれん? はくれん? 大秦語では何て読むの?」と言われ、陽悠が「私の名はこのまま呼んでもらえると嬉しい。二人は瑾蓮と白蓮だ」と教えた。
禮睿の案内で赴いた場所はどこもとても美しく、白蓮にとっては初めて見る薬草など、心が躍る体験ばかりだった。
四人はすぐに打ち解け、大人の見よう見まねで義兄弟の契りを交わした。
楽しい日々を過ごしていたある日、四人は「皇宮から一番近い山だから」と、わずかな護衛だけ連れて出掛けて行った。
川遊びや木登り、枝を使っての剣術など、その場で出来る遊びに夢中になっていると、気付けば陽が落ちかけ、空が橙から紫へ変わっていくところだった。
「帰らないと太傅達に怒られる」と、四人は護衛を連れて帰路につくも、運が悪いことにその日は新月。
本来は弱いはずの小鬼たちが力を得て鬼となり、跋扈していた。
四人の前に五体の鬼が立ちはだかった。
護衛の数は三人。
しかし、着いてきたのはただの人間の護衛。
何の術も使えず、あっさりと倒されてしまった。
「陽悠、守りの陣を。白蓮、行くぞ」と、瑾蓮が言うと、二人はすぐに動いた。
陽悠は「四方拝ノ陣」と唱え、自分と禮睿を護る結界を。
白蓮は「金烏、玉兎、あいつらを倒すんだ」と指示し、瑾蓮は「黒天梟。好きにやれ」と、神の御使いである巨大な梟を召喚した。
禮睿は、目の前の三人が冒険譚に出てくる英雄に見えた。
鬼が武器で殴りつけてきてもびくともしない結界。
風のように飛びながら鬼を引きちぎっていく大きな梟。
煌めく刀で鬼を斬り伏せていく二人の武人。
数分と経たず、すべてが片付いた。
「飛んで帰ろう。黒天梟、倒れている護衛を掴んで運んでくれ」と瑾蓮が指示したあと、四人はその梟の背に乗って夜空へ飛び立った。
星々が瞬く輝きも霞むほど、禮睿にとっては親友三人こそが光に見えた。
「と、こんな感じ。だから伯父と父は皇族でもないのに王爵を授かり、それぞれ明星王と星辰王に冊封され、今でも四人の絆は繋がっている、らしい」
三人の青年男性はこの話が羨ましかったのか、「義兄弟の契り……」と呟いた。
「とっても素敵な話だったぁ。あとで兄上にも話してあげようっと」
「素晴らしい話だった。だが、この話がなぜ、兄君と霖宗主が祝言の日取りを決めることと関係あるんだ?」
杏花は瑞雲の手を握り、「ごめんね」と言い、話し始めた。
「義兄弟の契りを結んだって言ったでしょう? ということは、私には父方に伯父が三人もいるってこと。贈り物の量はどうなると思う? 可愛い弟分の娘が結婚するんだよ? うちの両親だけじゃさばききれないよ」
瑞雲と菫鸞は一生懸命考えているようだが、如昴だけは顔を真っ青にした。
「あ、姉上の婚姻はとても大変だった……。祝言で来賓が居る間、両親は目が回るほど忙しくて、全てが済んだ後、二人は丸一日寝込んだんだぞ」
瑞雲は、少し距離のある席で蒼蓮達と楽しそうに話している琅雲を見た。
「兄上も寝込むだろうか……」
「わからない。でも、ごめんね」
杏花の謝罪に、瑞雲はもう一度兄を見た。
次第に夜も深まり、招かれた若者たちは領主屋敷に用意された部屋へとそれぞれ案内され、宿泊することになった。
「兄上達はまだ話すの?」
菫鸞はまだ部屋にはいかず、杏花と瑞雲と共に庭園へと出た。
「音氏と鳳氏に対する法霊武林の姿勢を考えなくてはならないのだと思う」
あの法霊武門襲撃から数週間経つというのに、音氏も鳳氏も姿をくらましている。
四大法霊武門から人員を出して探すものの、煌風と藤陵の城や屋敷は欒山同様もぬけの殻。
「若蓉兄さんと扶光兄さんも、どこへ行ってしまったの……」
あの時、杏花達を助けずに逃げることもできたはず。
何故そうしなかったのだろう。
そして、どうしてあの簪を使ったのだろう。
神器かもしれないものを持っていると露見させるような行為を、扶光がさせるだろうか。
「あの簪……。蝶の飾りがついていた」
考えが声に出ていたようだ。
前を歩いていた二人が振り向いた。
「蝶の……、簪? それって、神器の一つ、蝶舞の簪のこと?」
「あ、いや……。ちゃんと見たわけじゃないからわからないんだ」
憶測で若蓉が疑われるのは避けたい。
ただ、静 宇津の調査では、若蓉は貴い血筋だということがわかっている。
神器は何者かによって盗まれたと言われているが、開け方も、入口がどこにあるかもわからない密室に侵入出来るとすれば、皇族かその関係者になる。
それに、神器を呪物にするために使われた生体組織が誰のものなのかもわかっていない。
「扶光が同年代じゃないって言うのは聞いてる?」
「ああ。兄上から」
「私も。実際は何歳なんだろうね。見た目からすれば、青年期であることは間違いなさそうだけれど」
「何のために霓氏の養子になったんだろう」
「たしかに。年齢を隠し、名家の宗主を騙して潜り込める才能があるなら、もっと選べたのに。霓氏も大きな武門だけれど、財力では雷氏が一番だし、歴史と伝統では静氏が一番。武力で言えばうちが一番で、剣術と蔵書数で言えば霖氏が一番。霓氏は門下生の数が一番って言うだけで、それ以外に特徴は無いはず」
菫鸞は池にいる鯉を眺めながら続けた。
「ただ、貴い血筋っていうのがひっかかる。何代前の、誰の皇統なの?」
「皇統……」
初めて若蓉の調査結果を聞いた時は、扶光の正体を知ることに躍起になっていたため、皇統のことまでは気にしなかった。
「それを調べれば、何か、もっと重要なことに繋がる気がする。扶光の正体とか、残りの神器の行方とか」
「私もそんな気がする。でも、今は音氏と鳳氏の動向も気になる」
「報復に備える必要がある」
瑞雲が杏花を見つめながら、心配そうな顔をする。
螢惑山で杏花が吐血したことを、まだ引きずっているのだろう。
杏花は瑞雲の手をとり、そっと握った。
「たしかに。失った兵力を補充するために身を隠している可能性もあるものね」
考えることはたくさんある。
考えなければならないことも。
考えたくないことも。
「あ、雪だよ」
菫鸞は手のひらを空に向け、「私、扶桑がとても好きになったよ。これからはもっと来るね」と微笑んだ。
「私も好きだ」
「瑞雲が扶桑を好きなのは杏花がいるからでしょう?」
菫鸞に言われ、瑞雲は頬が桃色に染まる。
「ふふ。私も同じ理由だから、すぐわかるよ」
「二人とも、ありがとう」
この穏やかな時間がずっと続けばいいと願う。
神でも、星でもなく、大切な人達に。