急いで扶桑に戻り、三日後。
未明ではあったが、すぐに白蓮に報告し、烏良候の屋敷へ急いだ。
「なるほど。許すわけにはいきませんな」
品のある静謐とした居室の空気が張りつめる。
「数日前、すでに不審者を数名始末しましたが、おそらく斥候だったのでしょう。今日中には城門前に到着するかもしれませんね」
烏良候は三人分の茶を注ぎ、杯を手に取ると、香りを嗅いだ。
「各地に隠してある我が兵に隠密の格好をさせ、杏花の友人の家へ援軍として送り込みましょう。背と左胸に我が一族の家紋である八咫烏の紋を入れていますので、その旨、友人達に伝えてください」
「感謝します」
杏花が拱手する。
「我が軍の御霊も喜ぶでしょう。扶桑のことは星辰王殿下にお任せしてもよろしいでしょうか」
「もちろんです。城壁に生える雑草一本たりとも傷つけさせません」
父の目が白く光った。
「殿下のことは常に信じております」
烏良候が作揖する。
「私も同じです」
白蓮も作揖を返し、二人は微笑み合った。
「避難訓練だと思えば役に立つというもの」
烏良候は茶を飲みながら侍従に合図をした。
「戦闘後の酒肴の用意の方が忙しくなりそうですな、殿下」
「ええ。楽しみにしております」
烏良候に見送られ、屋敷をあとにした父娘は、家へ戻り、戦の準備を始めた。
杏花の帰りを待ち望んでいた母と兄弟に抱きしめられ、少し泣きそうになるも、すぐに目元を拭って作戦会議に参加した。
「朱蓮、頼めるか」
「もちろん。行くよ、鴉雛」
鴉雛は元気よく「行ってきます」と九尾を振り、朱蓮と駆けだしていった。
鴉雛の狐火には動物の魂を呼び戻す反魂の力がある。
その動物達の目を使い、敵の数や斥候、伏兵を探すのだ。
もちろん、大型の動物には戦う力もある。
朱蓮は子供でありながら、動物の軍を率いることが出来るのだ。
「白龍、空の散歩と行くか」
「白龍も戦っていいのですか?」
「もちろん。俺と楽しもう」
「わくわくします」
蒼蓮は白龍を従え空へ。
「手紙は飛ばしたか」
「うん。万が一に備えて、燕で三通ずつ」
「よし。では、我々も配置に着こう」
金烏と玉兎が頷き、城門にある北西と南東の櫓の上に立った。
「護国四方陣」
扶桑全体を覆う巨大な結界が張られた。
「街と住民のみんなは私と桃花に任せなさい。お前達兄弟は好きなように戦うと良い」
「扶桑を守りきったら、瑞雲くんのところへ行きたいのでしょう? 頑張らないとね」
両親に背を押され、杏花の心に勇気が灯る。
杏花は薬舗から出ると、空へと浮かび上がった。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん。伏兵、始末してきたよ」
「さすがは俺の弟。良い子でちゅねぇ」
「僕もう子供じゃないよ。ほら、怖い人達、もう門の前に着いたみたい」
「行くぞ、俺の可愛い妹弟よ」
瞳を青く光らせた兄の声を合図に、白龍が雪を降らし始めた。
門前に到着した音氏の兵が叫び出した。
「煌風 音氏、藤陵 鳳氏からの警告である! 数日前、蓬莱国 星辰王府 星氏息女、星 杏花は、鬼幻祭祀から逃亡し、法霊武林に対し、不遜であった! よって、その罪に対し、これより扶桑を……」
野太い悲鳴がこだまする。
「は、肌が、肌が凍傷に!」
雪が触れた部分がみるみるうちに赤く爛れ、血が流れ出した。
「鴉雛、行くよ」
朱蓮の瞳が赤く光る。
空狐としての本来の姿を現した鴉雛に乗り、朱蓮は動物の軍を引き連れ攻撃を始めた。
「私達も出番だね。白梅、紅梅、青梅。今日は私を護らなくていい。自由に全力で戦いなさい」
三人の瞳が杏花同様、杏色に光った。
「行こう!」
四人は武器をとり、三万の軍を背後から討ち始めた。
「退かせないから」
杏色の刃光が稲妻のように兵士の間を駆け抜ける。
仙力の渦で巻きあげられた兵士たちは、紅梅の矢の突風によって頭が弾け飛んでいく。
白梅の白い刀から発せられる刃衝波は兵士たちの身体を二つに分け、地面が赤く染まっていく。
青梅は兵士たちの頭上を舞いながら一対の黒い刀でその首を斬り落としていく。
空を飛んで扶桑へ入ろうと目論む兵は皆蒼蓮の青い刀の餌食となり、城外へ墜落していった。
「蒼蓮、杏花、朱蓮。受け取りなさい」
桃花のあたたかな仙力の渦が三人を包んだ。
「さすがお母さん」
杏花はその仙力をすべて梅園に注ぎ込んだ。
「どこまでも駆けておいで」
杏花は上空にいる蒼蓮の元へ行くと、「何人敗走させればいい?」と相談した。
「一割だから、三千人かな。それだけ戻れば、充分恐怖の噂が流れるだろう。もう二度と扶桑には手を出さなくなる」
「わかった」
杏花は戦場へ戻り、大まかに数を確認しながら斬り続けた。
そして夜が近付く頃、「そろそろいいぞ」という蒼蓮の合図とともに、梅園に指示を出し、わざと敗走できるような隙を作った。
一人、また一人と、隊列を作り次々と戦場を脱出していく。
「もう少し粘ってくれてもよかったんだけどな」
蒼蓮が杏花のところまで降り、敗走する兵を見ながら小首をかしげた。
「僕も、まだ戦えるのに」
駆け寄ってきた朱蓮も、鴉雛に乗りながら頬を膨らませた。
「朱蓮は寝る準備しないと」
「……ちょっと眠いかも」
「じゃあ、戻るか」と、兄妹弟は城の中へ戻って行った。
「ただいまぁ」
「あら、もう終わったのかい」
「お疲れ様」
地面に御座を敷き、酒類無しの宴会をしていた街の人々が「これで酒が飲めるな」と笑い合った。
日頃から月に一度避難訓練をしているおかげだろう。
実に肝が据わった人達だ。
「父さん、母さん」
蒼蓮が呼ぶと、薬舗には烏良候も来ていた。
「見事だったね。三人ともお疲れ様」
「ありがとうございます、烏良候」
兄妹弟三人で拱手下。
「今、遺体の処理を相談していたんだ」
「あのままにしておくと、血の臭いで色々集まってきてしまうでしょう? どうしたものかしら」
すると、兄がとんでもないことを言い出した。
「冷凍して音氏と鳳氏の屋敷かどこかに撒いてこようか」
その場の全員が固まった。
「つ、蒼蓮。さすがにそれは……」
「大丈夫。白龍でちゃちゃっと済ましてくるから。どっちの家もさ、仲間の遺体が戻ってきたら喜ぶんじゃない?」
「いや、ど、どう思います? 烏良候」
「ううん……。ううん……。恐怖を与える目的で敵将の首を掲げることや、敬意を表して将軍級の遺体は丁重に送ることもあるにはあるが……。ううん……」
大人たちが悩んでいるので、兄妹弟だけで話し合い、そうすることにした。
「じゃぁ、行ってくる。ついでに杏花を慈雨源郷に降ろしてくるから」
「え、ちょっと!」
母の制止する声は虚空に溶けていく。
眠そうな朱蓮を残し、蒼蓮と杏花は外に遺体を集めに行った。
「うげ。お前達ったら……」
梅園は蒼蓮の反応に、誇らしげに微笑んだ。
「みんな、集めてきて」
梅園が集めた遺体を、白龍が凍らせていく。
「どうやって持っていくの?」
「音氏の約二万二千と鳳氏の約四千を分けて、袋詰めする。先に鳳氏のところに置いてくるか。往復する途中で綺雨に寄ればいい。うん、そうしよう」
蒼蓮の指示に従い、袋詰めを終えた。
「じゃぁ、行くぞ」
全員で白龍に乗り、藤陵へ向かう。
着いたあとは少し高度を下げ、袋ごと鳳氏の屋敷らしき場所へ落とした。
叫び声がしたが、かまわずその場を飛び去り、綺雨へと向かう。
「……あ、よかった! 無事みたい!」
「ほら、行ってこい」
杏花は白龍から飛び降りると、慈雨源郷へと向かった。
「瑞雲! 無事?」
「杏花……」
まるで満点の星空でも見ているようなうっとりとした表情を浮かべ、両腕を伸ばす瑞雲。
「私も兄上も、みんな無事だ」
瑞雲の腕の中に降り立つと、慈雨源郷の霊木が少し燃えてしまっているのが目に入った。
「桜は? 桜は無事なの⁉」
慌てる杏花に、瑞雲は微笑んだ。
「綺雨の街まで侵攻されなかったから、大丈夫だ」
「よかった……」
二人で話していると、琅雲が現れた。
「杏花! 無事でよかった……」
琅雲は安堵したのか、地面に膝をついた。
「兄上」
「大丈夫だ。だが、まさか扶桑からあんなにも強力な援軍が来るとは。烏良候にお礼を申し上げに行かないとな」
「では……」
「その時に杏花のご両親に挨拶すると良い」
「はい!」
瑞雲は灰がついている顔で微笑んだ。
「あ! 不凍航路に……」
「雪氏なら無事だ。先ほど烏良候の隠密を介して知らせが届いた」
「よかった……」
深夜前に届いた知らせで、静氏も雷氏も援軍が間に合い、無事だということがわかった。
「霓氏は……」
「霓氏の居城はもぬけの殻だったようだ。音氏の兵が欒山中を探し回ったそうだが見つけられなかったらしい」
湯浴み後、三人は眠れず、ずっと話し込んでいた。
次々と届く知らせに目を通し、戦況の確認をしている。
「中小法霊武門の中には壊滅してしまった武門もあるようだな」
重い雰囲気が流れる。
今回助かったのは、大きな武門であり、援軍が間に合ったという奇跡の上にある。
「生き残りが紅葉山荘と夜湖へ向かっているようだ」
綺雨は空から来る分には訪れやすいが、陸地からの経路では必ず船を必要とするため、傷ついた武門にとって逃げやすい場所とは言えない。
それに、氷妃河においてはその土地全体が冬は厳しく、瀕死の者が過ごすには適切とは言い難い。
「青鸞兄さんと対峙した兵は怖かっただろうな」
一先ず友人たちの無事がわかり、一段落着いた琅雲は、親友との試合を思い出していた。
「そんなに怖いんですか? 菫鸞はたしか……。そうですね。兄君ですから、怖いですよね」
三人はそれぞれの親友との試合を思い出し、笑いだした。
「ふう。あ、そうそう。烏良候の援軍は、到着時は三百名ほどだったのだが、気付いたら二十倍以上に増えていて。あれは幻術なのかな」
「いえ。趕屍匠が使う術の一つ、反魂の術です」
「え、じゃぁ、まさか……」
「増えた兵は、死後も共に戦うと烏良候に忠義を誓っているかつての将軍とその兵の霊魂です。最初に着いた三百名はすべて趕屍匠の修業を積んだ兵らしいですよ」
「天下は不可思議でとても広く、悟には時間が足りないな」
三人は少し冷えた茶を飲み一息つくと、それぞれの部屋へ戻りやっと眠りについた。
☆★☆★☆
灯篭の中で火が揺れる。
写し出された影は三つ。
一つは高座に、一つは床に、一つは立っている。
「話が違うぞ!」
音宗主の前に跪く黒装束の男に、隆戦が激高した。
「落ち着かれよ。話が違う、というのはこちらの台詞。音氏四十万、鳳氏十万の兵力がありながら、何故、七大法霊武門の一つも落とせぬのですか」
隆戦は怒りで顔を赤黒く染め、抜刀しようと刀に手をかけた。
「やめよ」
音氏宗主、隆誉が視線で制した。
「では、約束の物は渡してもらえないということか」
「いえ。私はあなた方と違い、約束を違いません。こちらを」
黒装束の男は懐から箱を取り出すと床に置き、隆誉の前へ滑らせた。
隆誉はそれを隆戦に拾わせ、受け取った。
箱を開け、絹の包を開くと、そこには美しい意匠が施された神器が入っていた。
「これが紅珊瑚の鏡の器か……。たしかに、虜になるのもうなずけよう」
「鏡をはめてみては?」
隆誉ははやる気持ちを抑えながら、侍従から鏡の破片が納められている箱を受け取った。
鏡の破片を手に取り、一つ一つはめていく。
「お、おお……」
鏡は器に入るとすぐに自己修復し、まるで割れたことなどないというようにそこに存在した。
「それは自分に向ける物ではありません。使い方はご説明申し上げたでしょう?」
「わかっている」
隆誉は鏡を膝に伏せ、隆戦に視線を送った。
次の瞬間、黒装束の男は斬り裂かれた。
しかし、身体は血が出るどころか、冷気を発している。
「私がこれを予期していなかったとでも?」
どこからか声が聞こえる。
「ち、父上! この遺体は先ほど空から降ってきた我が兵です」
「領内にたくさんの人形が転がっておりましたので、一体拝借させていただきました」
「くそ! 姿を表せ!」
「また斬るおつもりで?」
隆戦は廊下へ出ると、控えていた兵士に「螢惑城中を全て調べろ!」と叫んだ。
「あなたは尽きることのない軍隊を手に入れました。次こそ、勝利をお納めください。期待していますよ」
声は遠ざかり、やがて何の気配もしなくなった。
「そのつもりだ」
隆誉の表情は怒りに満ち、握った拳から流れた血が鏡へと吸い込まれて行った。